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  著者  :fim-Delta

 作成日 :2008/09/07

第一完成日:2008/09/14

 

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※ この章では、一部に今までとは違ってややグロテスクかも知れない的な表現があります。一応予め御了承下さい。

 

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 一週間後の食堂。急激な変化をし続ける雄鯱のアルカンに、周りの人達は目を瞠って彼を凝視した。

「おい、追加を三つ頼む」

「で、ですけど――」

「持って来いと言ってるんだ!」

「はははい!」

 雌の沖巨頭(=おきごんどう)は、そのぽっちゃりとした体を急かして厨房に駆け戻った。そして次の料理が来るまでの間、アルカンはまだ残っている五皿目の料理を食べ始めた。ここ最近彼は、異常な程の食欲を出しており、一週間でその量がほぼ倍になっていた。しかも、一日ごとに体が変わるのが目に見えて分かり、彼は尋常でない速度で体重増加を起こしていた。そんな彼に周りは、色々と噂を立てていた。頭が吹っ切れて壊れただの、過食症に陥って食欲が暴走しただの、だが最終的には単なるデブになり、食うだけのそんな奴をボスが逆に食ってやるんだと、そんな意見が過半数を占めていた。

 しかしながら、そのどれもが間違いだった。アルカンには、異常な食欲に支配されつつも確りとした目論見があった。一見ただの肥満体に猛進しそうだが、それは単なる肥満ではなく、彼がここ数日で見い出した、肥大化に連鎖する力ある肥満だった。ここの仕事上、筋力が増えるのは当然のことだろうが、彼が港の倉庫に出歩いていたある日、自らの力を試すため壁を殴った所、いとも容易く穴を開け、更に確認のため、捨てられた鉄の箱に拳を一発食らわすと、見事にそれが(=へこ)んだのだ。これ程急には力が付く筈はない――即ち、薬の効力のおかげで彼は、自らの潜在能力を(=おこ)したとしか考えられない。幾ら大きな鯱でも、はたまた鯨でも、このようなことが出来ては、そんじょそこらにいる人達で壊される程(=もろ)いことを意味し、港湾地区には不適切なのだ。

 老鼠の言う通り、本来鯱に備わった、鯨を殺す力がアルカンには、着実に、しかし急速に目覚め始めていた。

「おい、アルカン」

 食堂の隅で食事をしていた、常に小グループを結成する鼬鮫(=イタチザメ)が寄って来た。

「お前が何を思ってるか知らんが、調子付くなよ」

 だがアルカンは、無言で食事を続けた。そこへ雌の沖巨頭が戻って来て、皿を三枚、テーブルにある空皿と取り替えた。アルカンは丁度五皿目を平らげたところだったので、新たに置かれた料理に手を付けがつがつと貪り始めた。そんな様子に鼬鮫は、怒り心頭に発した。

「何とか言え、このデブ鯱が!」

 彼はアルカンに拳を振り(=かざ)し、勢い良くそれを振り下ろした。だがそれは、アルカンに当たる正に寸前、行き成り動きを止めた。鼬鮫の顔には驚きの表情があり、見ると彼の腹部には、アルカンの重々しいカウンターの一撃が加わっていたのだ。鼬鮫は死にはしなかったものの、その余りの痛みに(=くずお)れ、腹を抱えて(=うずくま)った。それを見た彼の仲間達は、総立ちでアルカンに襲い掛かった。食堂は一瞬にして、喧騒な乱闘場に変わった。

「てめぇ、俺の仲間によくも!」

 そう言って殴りかかって来たのは、堅肥りの鯨だった。彼はアルカンに向け、強烈な尾鰭の一撃を浴びせた。その強さにアルカンは、自分が先程居たテーブルに仰向けで倒れ、そのテーブルを見事に押し潰した。

「へっ! お前のようなデブは料理された方が良いんだよ」

 その言葉に、食堂に居た大勢が大爆笑した。だがアルカンは、何を言うわけでもなくゆっくりと体を起こした。その時、鯨は思わず一歩退いた。それはアルカンの打たれ強さに対してでなく、彼の異常さに(=おのの)いたのだ。何故ならアルカンは、(=うつむ)きながら鯱の羅列する牙を剥き出しにし、ふしゅうとその隙間から息を漏らして(=よだれ)を滴らせていたからだ。目を上向きにして相手を睨み、まるで飢えたハイエナの如く、彼の両目はかなりいって(=・・・)いた。どう見ても普通じゃない。

「な……なんだよアルカン、やるってのか!?」

 するとアルカンは、口端を持ち上げにたりと笑った。それを蔑みと取った鯨は、怒気を露に再び尾鰭を振りかぶった。

 正にその時、アルカンは突如駆け出し、一直線に鯨へと向かって行った。たったの一週間で体を更に大にしたアルカンからは想像も出来ない(=はしこ)さに、鯨は振りかぶっていた尾鰭を慌てて振った。だが時既に遅く、その尾鰭が直撃する前にアルカンは、その鋭利な牙で鯨の喉笛をがぶりとやった。鯨は現実を受け止められず、辞世の言葉も残せないまま静かに臨終した。するとその(=むくろ)に、アルカンはおかしくも面白そうな顔をした。

「お前、ビルミートみたいな体をしてるな。腹に脂肪がたっぷりと蓄えられていて、すんごく美味そうだ」

 アルカンは舌舐めずりをし、そして彼の独り言を耳に入れた近くの海豚が、恐れ多くも彼に声をかけた。

「あ、あの……アルカン、さん? 今何て――」

「君、知ってるか? 昔はな、鯨のその腹にたっぷりと詰まった脂肪は、洋灯(=ランプ)の脂として使われていたんだ。しかし今ではそんなのは使われず、鯨の贅肉は悠々自適に溜まる一方だ。非常にそれは、勿体無いとは思わないか?」

「えっ……そ、それは……その……」

「鯨の肉――美味そうだ、ひじょーうに美味そうだ。使われなくなったその贅肉、私が代わり食ってやろうではないか、ヒヒヒヒ……」

 するとなんと、アルカンは死んだ鯨の腹に思い切り噛み付き、そして頭を乱舞させるように激しく振ると腹を食い千切った。大きく獲れた鯨の腹肉を見て、周りの一部の人は思わず、その場で嘔吐してしまった。だがアルカンは更に、まるで恐竜が肉片を食べる時のように顎を振り上げて、そして口の奥へとその腹肉を詰め込む動作を繰り返し、鯨の肉片を何と丸呑みしてしまったのだ。

 周りにいた人達は、唯一の出入り口のそばにいるアルカンに危惧しながらも、一斉に走り出して食堂の外へ舞い逃げて行った。幸いにもアルカンは、颯爽と通り過ぎる者達には目も暮れず、ただ目の前にいる鯨の腹肉を(=むさぼ)った。

 

 騒ぎを聞きつけた雌海豚のリタは、食堂へと駆けつけて来た。

「アルカ――!?」

 リタは目に映る(=おぞ)ましい光景に、思わず息を呑んだ。そして彼女の声にアルカンは振り向き、べっとりと血がこびりついた顔を彼女に向けた。

「あ、アルカン?」

「何だい、リタ?」

「び、ビルミートが、よ、呼んでるわ……一緒に、来てくれるわね?」

 するとアルカンは、不気味にも微笑みながらこう言った。

「嬉しいなぁ……ククク」

 リタは体中に悪寒を走らせ、硬直しながらもアルカンが従うのを待った。彼が立ち上がり、ゆっくりと歩み寄って来ると、彼女はサッと身を翻してビルミートの部屋へと向かった。そこへ着くまでの間、彼女は何度も後ろを確認し、アルカンに襲われやしないかと懸念し続けた。だがアルカンは、にんまりと笑い、時折口から一筋の涎を垂らすだけだった。

 

「おいアルカン、一体これはどういうことだ?」

 雄鯨のビルミートは、腹部の大半を食われた同種の(=むくろ)を指差し、恐れも無しにアルカンを(=とが)めた。しかし彼は何も答えず、ただビルミートを視一視するだけだった。そんな彼の態度に、居丈高なビルミートは苛々(=いらいら)を募らせ、とうとう耐え兼ねて安楽椅子から立ち上がった。そしてのそのそとその巨体を揺らしながらアルカンに歩み寄ると、険悪な雰囲気にリタと手下達が息を呑む中、仁王立ちになって相手に詰問した。

「アルカン、もう一度聞く。これはどういうことだ?」

 しかしながらアルカンは、ただ顔をにやけさせるだけだった。その行動にビルミートは、先程の鯨同様それを侮辱と見て取り、顔を(=しか)めながらこう告げた。

「お前にはがっかりだ、アルカン。最初は仕事でミスを犯していたが、近頃は確りとやってくれ俺はお前を見直し始めていた。だが今日、お前は俺の大切な手下を食い殺しちまった――しかも同種の鯨を! こんなふざけた真似をして、アルカン、ただで済むと思うなよ!」

 ビルミートは尾鰭を後ろに回すと、それを勢い良く振り始めた。その時アルカンは、不思議とそれを(=)けようとはせず、尾鰭がやって来るのをただ待った。そしてそれが脇腹に当たる直前、彼はビルミートに近付いたその体でなんと、相手の尾鰭をがっちしと受け止めたのだ。ビルミートの重々たる尾鰭の一振りは無比な程強烈なのに、アルカンはそれをそぶりにも見せず、確かにその尾鰭を掴んでいた。その光景に周りは唖然としたが、尾鰭を掴まれた方のビルミートは尚更で、信じ難いと言わんばかりに瞠若(=どうじゃく)していた。

「……アルカン……お前、一体どうした!?」

「どうしたも、こうしたもない。私は今までずっと、お前を憎んで来た。ただそれだけだ」

 そう言ってアルカンは、ビルミートの尾鰭を引き始めた。その馬鹿力にビルミートは負けじと足を踏ん張ったが、未だ圧倒的な体重差があろうとも、アルカンはそれを楽勝だと言わんばかりにぐいぐいと引き寄せた。

「クソ! 元々はもやしっ子で、俺に今まで助けられていた分際で――」

 ビルミートの怒号は、アルカンが首に噛み付いたことで途切れた。文字通り言葉を失ったビルミートは、アルカンを睥睨(=へいげい)しながら力を抜かし、そして彼の強悍だった体は「どすん」という地響きをなして倒れた。

「ビ、ビルミート!」

 リタは叫んだが、恐怖の余り脚が(=すく)んで、動くことが出来なかった。そんな悲鳴などお構い無しにアルカンは、小さな命の灯火を燃やすビルミートに、こう言った。

「……ビルミート、知ってたか? 私の種族である鯱は、英名ではキラーホエールと言うんだ。そう――私は鯨殺しなのだ! ビルミート、鯨であるお前如きにこの私が、この私が負けるわけないんだ。分かったか、ええ?

 それにしても……ひひひひ、お前のその姿、滑稽でしょうがないな!」

 アルカンの気は完全に狂っていた。討ち取られたビルミートに対して異常な高笑いを示し、血が流れ出てる彼の周りを飛び跳ねて歓喜雀躍(=かんきじゃくやく)としているのだ。周りにいた元ビルミートの手下達は、一瞬にして形勢が変わってしまい、どうするべきか分からず狼狽した。しかしそんな中、一人の手下が無謀にもアルカンに食い付いた。

「お、おいアルカン! よくも俺達のボスを殺してくれたな、お前なんかぶっ殺してやる!」

 そう言ってその手下は、アルカンに立ち向かって行った。それに触発されたのか、周りの一部の手下達も続々と動き出し、アルカンに食って掛かった。だがアルカンは、まるで戦争を止めるたった一人の堕天使の如く、その体と牙で相手を次々と仕留めて死骸を積み上げて行った。そして自然と逆襲が治まると、元ビルミートの部屋には累々(=るいるい)と亡骸が積もり、そんな惨禍な場景に周りは一切の行動を止めた。誰も言葉を発さず、微動だにしなかった。

 アルカンは、幾重にも重なった死体を見つめた。すると悍ましいことに、彼は口の隙間から涎をだらりと垂らし、ビルミートの(=むくろ)を死体の山から引っ張り出した。そして頭を持ち上げたかと思うと、アルカンは一気にビルミートの腹にかぶり付き、鋭い牙と顎でそこを勢い良く食い千切った。天を仰ぎ、顎を開いてはその肉片を喉の奥に入れ、顎を閉じ、また同じ動作を繰り返して彼は、ビルミートの腹の肉片を丸々と飲み込んだ。すると、まるで瞬時にエネルギーに変換されているかの如く、彼の体全体には食べた分だけの脂肪が蓄えられ、僅かながらに体が膨らんでいた。

 アルカンは再びビルミートの腹に喰らい付くと、血を滴らせながら腹肉を千切り取り、それをまた丸呑みにした。そして微小ながらも、彼の全身がまたもや大きくなった。それを繰り返し、彼はビルミートの腹肉を全て食べ切ると、彼の体が目に見えて変化し、周りにいた人達を更に驚かせた。リタも、同様に驚いて、ビルミートの死に対する悲しみも相俟って強い感情に押し潰されていた。

「ぐふぅ……ビルミート、お前の腹は脂肪分たっぷりで、非常に上等で美味だったぞ」

 ポンポンと軽快に腹鼓(=はらつづみ)を打つアルカン。すると突然、彼は辺りを一瞥し始め、呆然と立ち尽くす手下の一人と目を合わせた。その手下は彼と同じ雄鯱で、しかも大層でっぷりとしていた。少し前のアルカン程に肥えている体に、アルカンはにたりと笑って彼に近付いた。目を付けられた雄鯱の方は、死を覚悟し切れない様子で觳觫(=こくそく)とし、恐怖に全身が凍り付いていた。

「お前の体、ぶよぶよしてて、凄く美味そうだな」

 そう言ってアルカンは、牙と牙の間から垂れた涎をじゅるりと(=すす)った。だがまたすぐに唾液が溢れ、まるで映画のエイリアンのように、彼はそれをボタボタと滴らせた。それを見た雄鯱は「ひぃ!」っと裏声を上げたが、更に体を硬直させた。そんな彼にアルカンは、大きく顎を開き、そしてがちりと口を閉じた。

 雄鯱は思わず目を(=つぶ)り、そして死を覚悟した。だが痛みなど、苦痛の感覚が一切なかったので、彼は食べられたのではないと悟った。しかしながら、アルカンの鋭利な牙は彼の頬を(=かす)めており、そこがさっくりと切れて、じわりと血が(=にじ)み出ていた。それを見て、匂いを嗅いだアルカンは矢庭に鼻息を荒くし、舌を出してそれをべろりと舐めた。ひやりとした頬の感触に、雄鯱は身をぶるっと震わせた。

「なんだかなあ、私は腹が減ってるんだよ。どうすればいいのかなあ?」

「あ……あの、その……りょ、料理を作って貰えば良いかと、アルカンさ――いや、ボス」

「そうか。じゃあそう伝えて貰えるかな?」

「ははい!」

 雄鯱が慌てて、その場をえっちらおっちらと逃げ(=おお)せると、アルカンは次に別の手下に照準を合わせた。

「その間、お前でも食って暇を(=しの)ぐかぁ、ぐへへへ」

「あ、あの、ボス。お、俺は仕事に戻ります!」

「わわ、私も仕事の残りを!」

 そのように言い残した手下達は、一人残らずビルミート――いや、今ではアルカンの物となった部屋から立ち去って行った。唯一部屋に残ったのは、死んだビルミートの彼女であったリタだけだった。

「リタ、君はどうするんだぁい?」

「わ……わた、わたしは……」

 彼女は涙目になり、ビルミートの死を納得出来ず、またアルカンに震慴(=しんしょう)としていた。

「そういえばお前、私に色々としてくれたよなぁ? しかもビルミートの愛護さんだしなあ?」

「そ、それは――だってわたしとビルミートは、結婚する予定だったんだから……」

「ありゃりゃ、そうなのかあ。それは悪いことをしたねえ」

「悪いことじゃ済まされないわよ! こんな、こんなことって……」

 リタは泣き始めていた。すると彼女に、アルカンはゆっくりと歩み寄った。

「泣くなよ、リタ」

「アルカン……!」

 一瞬にして、リタは瞠目し、そして目を閉じた。どさりと身を倒し、その首には幾多の穴が空いていた。

 アルカンは自らの力に有頂天となり、ビルミート以上の心無い無下(=むげ)な行動と共に、彼は無碍(=むげ)なる道を進み始めた。そして更なる力を得るべく、彼は自らの体をより一層太らせた。アルカンの力は、体の肥大に比例して強くなっており、本人もそれを実感していた。

 彼は心から、あの老鼠インラージャに感謝をした、何故なら今では、鯨殺し以上の力を得ることが出来たからだ。しかし彼は、薬を無理矢理大量摂取したことで、その作用が暴走しているのに気が付かなかった……いや、もはやそのこと関して、彼はもう意識が行かないのかも知れない。やがてはインラージャに対する気持ちも忘れ、アルカンは一心に太り続けた。見た目はぶくぶくと太った醜い体でも、そこにはビルミートを凌駕(=りょうが)する強大な力があり、正に表裏(=ひょうり)全てが化け物となっていた。だが勿論、彼の怪物さはそれだけではなく、過ちを犯した手下達に対して尾鰭や拳の一撃を与え、粉砕骨折させたり体を貫いたりして頓死させたあと、脂肪がある所を優先にくちゃくちゃと笑いながら――例えそれが同種の鯱であろうとも、ましてや雄や雌であろうと――食べる姿も、完全に生物の域を越えていた。

 しかしながら、ある地点を境に急速に衰退し、凋落(=ちょうらく)して行く能力が一つだけあった。

 

「ぐふふ……さあ、もっと飯を持って来い」

「し、しかし……」

 新たなるボスとなったアルカンの手下は、脂肪の塊に成り行くアルカンに、色んな意味で恐怖していた。アルカンがこんなにも醜くなれたのは、ここが港湾地区で、一般の搬入も扱うことが出来たのが要因の一つだろう。食料は近くの倉庫にあり、不足すれば外部から輸入すればいいだけなのだ。しかも、前ボスだったビルミートには無量無比な財産があり、金銭を心配する必要など微塵もなかった。そんな好条件の中では、アルカンの肥大を遮る障害など(=ほとん)ど無かった。加えて手下達は、ボスでありモンスター化したアルカンを恐れ、彼の食欲に歯止めを掛けようともしない。彼も彼で当然の如く、食欲を制限する意図さえなく、おかげで普通に動けていた体も、次第に薬の効果量を超過した体重により、彼は身動き一つ取れなくなり始めていた。それでも彼は、まるで悪魔に取り憑かれたかのように食べ、太ることへの妄念を続けた。

 だがそんな体でも、一応は動けるアルカンに対し、周囲は仕舞いに彼を崇拝し始めた。もはや鯱がどうこうより、この世の者らしからぬ抜きん出た肥満体と力、そしてその存在に、<ビート>内で派閥が起きたのだ。それをアルカンは巧いこと利用し、崇拝者達に「この<ビート>からは逃げ出すべからず。それを破りし者は我が食料となるべし」と圧力をかけ、反対派にも(=げき)を飛ばさせた。

 そんなこんなで彼は、遂にからっきし微動だに出来ない体へとなった。それはそれでアルカン派の「超越した神憑(=かみがか)り的存在」の信仰を裏切らなかった為、彼の体とアルカン派の勢力は益々(=ますます)勢いを増した。しかし彼の異常さは一目瞭然、反アルカン派の一部は断固として回心しなかった。それはアルカンの醜き風采だけでなく、まるで始終飢えているかのように口端や牙の間から漏らす涎が、脂肪の付き過ぎで盛り上がった胸などに流れ続け、また食事を勢い良く頬張った際に零れた(=かす)なども気にせず、はしたない以上に汚らわしかったからだ。おかげで部屋には悪臭が漂い、それでも食にひた走る彼の姿は、アルカン派の思念を更に一致させた。

「どうした、私は腹が減ったぞ。それともお前を食うか、グヘヘヘ」

「あ、い、いえ! し、しかしボス、厨房の人数が不足しておりまして……」

「おい手下ども、厨房で手伝いをしろ。そして私のためにもっと飯を持ってくるんだ!」

「は、はい!」

 アルカンの部屋にいた大半の手下達は、急いで厨房へと向かった。その間アルカンは、まだ残っている料理を別の手下から受け取り、次の料理が来るまでを(=しの)いだ。

 それから暫くして、部屋には巨万の料理が運ばれて来た。合計すると五十人前は固いが、まだ後ろには料理隊が控えており、厨房は今も尚フル稼働中だ。そんな料理群を、アルカンは次々と手下達に運ばせ、脂肪が浮腫(=むく)んだ手でそれらを受け取った。そして豪快に口の中へと放り込むと、幾らかは「べちゃっ」と音を立て胸元周辺に零れたが、その後の処理は一切しなかった。これが彼の涎と混じり合い、そして腐敗し、より一層強い悪臭を作り出していた。アルカン派の中にはそれに耐え兼ね、さすがに鼻を(=つま)んでしまう者達もいたが、アルカンもそれだけは理解し承知していた。

「がぼ、ごぼ……じゅる、ぐふ、ほりゃあた、ふあいなぁ」

 食事をしながらもごもごと発したその言葉には、はっきり言って威厳がなかった。しかしアルカンの力は未だ現存しており、間違っても虚仮(=こけ)にしてはならない。そのせいで、これまでに幾多の反アルカン派の者達が、彼の胃袋へと消えて行ったのだから……

 アルカン派の手下達は、日に日に肥え行く彼の体を拝める為、次から次へと料理を運んだ。こうしてアルカンの体重はありえない速度で増加し、とうとう自身の部屋の扉にまで、脂肪が付き過ぎて垂れ広がった腹肉が迫りつつあった。

 

 

 

 あれから二ヶ月の月日が経った。ここに、執念深く自分を信じて行動する一人の雌鮫の記者、ラットの姿があった。彼女は今もリーラ市の裏通りを行き来し、周辺を探っては消息を断ったアルカンを探していた。そんな彼女は、同僚達から「遊び人」と言われていた。それには色んな皮肉が含まれており、無駄な時間を(=もてあそ)んでいる、既に周りのどのメディアも取り上げないことを長く続けて人の金を玩んでいる、挙句の果てにはただ自分の趣味のため会社を玩んでいるなど、ラットは完全に周りから冷視されていた。

 しかしそれでも、彼女は何かを感じていた――記者の第六感と言うべきか、とにかく彼女はその感覚を信じ、今日もこうやって体を真一文字(=まいちもんじ)に動かして調査をしていた。裏通りから脇道に逸れ、彼女は表の大通りに出る、一段と(=もや)がかった路地へと入った。するとそこに、不思議と屋台があり、彼女は首を(=ひね)った。

「あのぉ……ここで何やってるんですか?」

「ん? ああ、(=わし)は見ての通り、ここでおでん屋をやっておるんじゃよ」

「おでん、こんな所にですか?」

「まあ色々と事情があるんじゃよ」

 その時、不覚にもラットは腹の虫を鳴らしてしまい、思わず赤面した。

「ほっほっほ、お腹が空いておるんじゃな?」

「す、すいません。もう昼時なんですね」

「それじゃあここで、おでんでも食べて行くかの?」

「……そうね、お願いするわ」と、彼女は手前のスツールに座った。

「じゃあ大根と卵、それとそうね、がんももお願い」

「ほいな。そういえばその注文、昔同じように言った人がおったな」

「えっ?」

「少し前だったかの、急に現れ、そして急に姿を消したんじゃ。お嬢さんと同じでな、始めに必ず大根と卵、そしてがんもに薩摩揚げを注文するんじゃ。じゃがこの話は流してくれ、爺さんの単なる独り言じゃよ」

「でもお爺さん、大概はそういう注文しませんか?」

「そうかも知れんが、あの方は別なんじゃよ。なんてったか、確か課長とか言っておったな」

「課長?」

 店主の老鼠の言葉に、ラットの脳裏で何かが閃いた。

「まさか……それってアルカン、のことじゃないですよね?」

「アルカン? おおお、確かそんな名前じゃったな」

 これを聞いた瞬間、ラットは心中でガッツポーズをした。これでようやく、何か手掛かりが掴めるわけだ。

「あの、それで、彼を最後に見たのはいつですか?」

「ふぅむ……大体五ヶ月前じゃったかのう」

「五ヶ月前――それって、アルカンが失踪した辺りだわ!」

「失踪? ほほう、なるほどな、じゃからあの人は『最後』と言っておったのか」

「最後って?」

「アルカンさんは、その日が最後の晩餐だと(=おっしゃ)ったんじゃ」

「最後の晩餐……どういうことかしら、誰かに拘禁(=こうきん)でもされたのかしら」

「まあ儂には、さっぱり分からんことじゃな。ささ、考える前にまず、おでんでも食べたらどうじゃ?」

「……そうね、ありがとうございます」

 彼女は、老鼠がおでんを盛った皿を受け取り、そしてまず大根を一口食べた。すると思ったより美味しく、空いたお腹の空腹を更に促した。

「どうじゃ、美味いじゃろ?」

「ええ、本当。久々におでんを食べたけれど、とても美味しいわ」

「ほれ、どんどん食べなされ。どうやらお嬢さんは、ちゃんと食事を取ってないようじゃからの」

「分かりました?」

「顔に確りと浮かんでおるぞ」

「そうねぇ……それじゃあ今日ぐらいは、きちんと食事でもしようかしら」

「うむ、それが良い。なら今回はサービスじゃ、半額にまけるぞい」

「え、本当ですか!?」

「勿論じゃよ」

「じゃあ、ちくわぶと竹輪、それと白滝に蒟蒻(=こんにゃく)、あとソーセージとロールキャベツも貰おうかしら」

「ふぉっふぉっふぉ、欲張りじゃのう。じゃがそれ程、腹が減っておったんじゃな」

 そう言って老鼠は、注文された具をラットの皿へと入れた。彼女はそれらを、じっくりと味わいながら、久方振りだった至福の時をゆっくりと噛み締めた。

 

 それから半時間程、ラットの腹は久しく充満し、ぽっこりと膨らんでいた。だがリーラに住む人達の大半は海洋生物で、元来ずんぐりとした丸い体型が多い。鮫である彼女も大して気にはしなかった。

「ふぅ、久々に食事を堪能したわ」

「嬉しい言葉じゃ。もう追加は要らんかな?」

「うーん、それじゃああと、はんぺんを貰ったら終わりにするわ」

「ほっほっほ、余程に暫く振りじゃったんじゃな、こうやって食事をするのを」

「はい。実はあたし記者で、探してる人がいて中々のんびり出来なかったんです」

「なるほど、そしてその人がアルカンというわけか。じゃがまっ、お嬢さん、時にはリラックスも大事じゃよ。そうすれば見つからなかったものも、ふと見つかるかも知れん」

「まぁそうなれば、一番良いんですけどね」

 ラットはそう言うと、(=おもむろ)に席を立った。

「おや、もう行くのかい? 少しは腹を休めたらどうじゃ?」

「大丈夫です。今の言葉であたし、ちょっと体を動かしたくなったんで」

「そうか。まあ記者の(=さが)という奴じゃな」

「ええ、それだけは逆らえないわ」

「なら気を付けるんじゃぞ。あまり血眼(=ちまなこ)になるのも、良くは無いからの」

「分かりました。助言ありがとうございます、お爺さん」

 そう言い残して彼女は、霧が濃くなった裏通りに戻って行った。それを見送った老鼠は、肩を上げ下げし、屋台を片付けを始めた。

 

 ラットは裏通りを歩いていたが、やはり老鼠の言うことを聞くべきだったと後悔した。久々にたんまりと食事を取ったあと、すぐにこうして動いたら、気分が少し悪くなったのだ。仕方なく彼女は適当な壁を探し、そこに(=もた)れ掛かった。

「ふう……さすがにちょっと食べ過ぎたかしら?」

 そう独り(=)ちた彼女は、張ったお腹を優しく(=さす)った。そして不意に出そうになった(=おくび)を、彼女は寸時の所で(=こら)えた。

 その時、微かにだが「ひゅん」という風音(=かざおと)を彼女は耳にした。普通の風なら気になどしないが、それは隙間風のような高い音がし、彼女はサッと辺りを見回した。しかし、これと言って目に付く物はない。するとここで、彼女の第六感が冴え渡った。身を(=ひるがえ)し、さっきまで凭れていた壁を彼女は凝視した。

「……音がしたとすれば、この壁よね」

 彼女は周辺の壁を、ゆっくりと舐めるように見つめた。そして数分間、じっくりと視界に入る壁を調査した時、彼女はふとある一ヶ所に違和感を覚えた。そこだけは何故か、まるで人工物のようで――確かに周りも同じ人工物だが、特段そこの壁だけが異様に手が加わっており――良く見れば明らかに不自然だった。今までこれに気付かなかったのは、恐らくこの大きな壁の小さな一ヶ所で、しかも濃霧漂う視界の悪い中にあったからだろう。しかし一度場所が判明すると、目を離してもすぐにそこを注視出来た。

 怪しげなその壁を見つめ、彼女はそっとそこに手を触れて見た。が、何も起きない。となると押すか引くか、そう考えた彼女は、まずその壁を強く押して見た。反応がないと思いきや、かなりの力を加えたその時、突如「がこ」と壁が奥に動き、(=くぼ)みから取っ手が垣間見えた。彼女は心底から湧く歓喜を、まだ早いと抑えながら取っ手を握り、それを力強く引いた。すると壁が思いの他すんなりと開き、彼女は思わずこけそうになった。だが後々考えて見れば、重みで(=きし)めば周りに音が聞こえ、隠し扉の存在が気付かれてしまう。音が出ないよう開け易くして置くのは、当然のことだった。

 彼女は、開いた扉の中に入り、そして扉を確りと閉めた。「がこ」と再び音が鳴ったが、これは恐らく壁が元に戻った音だろう。彼女はそのまま奥へと進んだ。どうやらここは隠し通路のようで、あまり清掃が成されていないのか、酷い悪臭がしていた。思わず鼻を曲げた彼女だったが、そこは記者魂で根強く我慢した。

「全く、何なのこの悪臭は? 幾ら何でも酷過ぎじゃあ――ん、あれは何かしら」

 彼女は通路奥の左手側に、一対の大きな扉を見つけた。どうやら匂いの元凶はそこらしく、その扉の隙間からは水のような液体が流れ出ており、周辺を水溜りにしていた。単なる水ではないことを悟り、彼女は少しだけ気味が悪くなったが、兎に角その扉に近付いた。途中からびちゃびちゃと足音を鳴らし、彼女は大扉の前に付くと、少し深呼吸をし――同時に悪臭で顔を(=しか)めながら――扉の鍵を外した。

 瞬間、中からエアバッグのように「ボンッ」と謎の白い物体が飛び出し、扉と一緒に彼女は押し飛ばされた。そして壁に背中をぶつけ、謎の液体で濡れる床に尻から落ち、彼女は(=ののし)り声を上げた。

「も、もう何なのよ! こんな変な匂いを付けられちゃ、蜚蠊(=ごきぶり)だって卒倒(=そっとう)しちゃうわ」と、彼女は床に着いた手を上げた。その際、彼女は床にあるものを見て、思いもかけず悲鳴を上げそうになった。それもそのはず、彼女の手の下にはなんと、その蜚蠊が死んでいたのだ。その上、周りにも所々その死骸があり、今の言葉が決して偽言ではないことを示していた。

 彼女は、沸々(=ふつふつ)とこの場所に恐怖を抱き始めた。ここに何かあることは間違いないが、それを見つけるのはある種パンドラの箱を開けてしまう、そのようなものではないかと不安に駆られたのだ。だが折角長いこと探し求めていたものが、今正に見つかるかもというこのチャンスに、躊躇(=ためら)いは禁物だった。彼女は意を決し、まずは扉からぼこりと出た白い物体を調べることにした。最初に分かったのは、例の床を濡らす謎の液体が、その上部の扉との隙間から漏れていることだった。次に彼女は、目の前の白い物体を恐る恐る触って見た。感触は、まるでゼリーのように柔らかく、押した手をサッと離すと「ぶよん」と全体が波打った。こんな物は今までに見たことがなく、実験か何かの道具だと祈りたかった。しかしながらそれは、まるで生きているかのように自然と微震し、また機械などの駆動音が聞こえないことから、明らかにそれは生物の一種だった。

 彼女はふと、右を向いて先の廊下を見据えた。すると奥に、上へと繋がる階段を見つけた。更には隣にエレベーターも発見したが、ここにいる誰かと鉢合わせになるわけにはいかず、必然的に使用不可だった。なので彼女は、ここの調査を終えると階段を上ることにした。そこに行くまでの一時、彼女は倒れた時に付着した悪臭を取ろうと、何度も濡れた箇所を払拭(=ふっしょく)したが、結局匂いは取れず仕舞いに終わり、彼女は長い溜め息を漏らした。

 

 それからラットは、二階分程階段を上り、その踊り場から伸びる通路を見て取った。その先の左側はずっと壁だが、右側はかなり開けているらしく、どうやら部屋の端にあるキャットウォークのようだった。奥は行き止まりだったが、彼女はその道をゆっくりと進んで見た。すると徐々に、何かの不明音が聞こえ始め、彼女は足を忍ばせ身を屈めた。

「ぐふ、ぐふ……おいおまえらぁ、もっとめしをもってこいぃ」

 異常なまでにくぐもった声に、ラットは一層足音を忍ばせ、キャットウォークを静々と進んだ。幸い通路の右側には腰丈程の壁があり、彼女は身を隠しながら部屋の中に入ることが出来た。そして丁度、彼女は中間地点に来た所で歩を休め、右側の下壁からゆっくりと顔を出した。

「ぼ、ボス! もう少しで倉庫にある食料が尽きてしま――」

「はやくめしをよこせえぇぇー!」

「はは、はい! 失礼しましたっ!」

「……何よ、あれ……」

 ラットは虫酸(=むしず)が走る思いで、眼前に広がる情景を眺めた。どうやらボスと呼ばれている奴は、手下達に非常に恐れられているようだが、そのボスはなんとも形容し(=がた)かった。それもそのはず、目の前に広がるのは大広間のような巨大な部屋なのだが、その床一面を何かの物体が覆っており、最初はそれが何なのか分からなかったが、やがてボスのたっぷりと身に付いた贅肉だと判明したからだ。本当にそれは丸々と床を埋め尽くし、完全なる肉の海を部屋一帯に作り上げていた。

 ここでラットは、「そうだったのね」と悟った。下の階で見つけた扉は、この部屋へと通じる扉。しかしボスとやらが太り過ぎているせいで、そこは彼の肉で完璧に塞がれていたのだ。更に彼は、常軌を逸した肥満と食欲の暴走からか、常に朶頤(=だい)して涎を垂らし続け、それが低部の方――扉の方へと流れ、袋道(=ふくろみち)に至った涎は扉の前で水溜まりになっていた。だが、彼の重々しい身動(=みじろ)ぎや、彼の体の上を歩く手下達によって、僅かながらに動いた贅肉が扉との隙間を作り、そこから涎が漏れているようだった。そうでなければ、今頃彼の体で出来た床の大半が、涎によって水没しているからだ。それに気付いたラットは、下にあった悪臭を放つ液体も彼の涎であることを知り、先程それに濡れたこともあって顔を思い切り歪めた。しかし今は、そんなことをどうこう考えている暇などない。

 この大部屋では、天井が高いことを利用し、手下達が適当な高窓から即席の階段を伝っていた。階段は二つあり、一方は食事を運ぶ者達のため、もう一方はその者達が戻るための物だった。それらの階段を行き来し、次々と料理がボスの口元へと運ばれていた。この様子だと手下達は、ほぼ一昼夜料理を運び続けているに違いない。ボスの体が一体どれ程の食べ物で満足するのか、皆目見当すら付かないのだから。

 そんな部屋の風景を、ラットはまじまじと見詰めていたが、ふとある手下の言葉を聞き、彼女は更に驚かされた。

「あ、アルカン様! これ以上調理のスピードは上げられません!」

(アルカンだって!? それじゃあボスと呼ばれているあの怪物は、あの失踪したアルカンだって言うの?)

 そう考えると、(=あなが)ち間違いではないように思えた。何故なら下に広がる肉海が、アルカンと同じ鯱の体色をしていたからだ。

「ぐへへへぇ……はらがへったなぁ、それじゃあおまえでもくうかぁー」

「ひっ! お、お願いですからアルカン様、それだけはご勘弁を――」

「ならもっとめしをもってこぉぅぅいいぃぃー!」

「はいー!」

 ぶよぶよの肉の塊となったボスことアルカンから逃れると、その手下は彼の肉の上を走り、近くの仲間と耳打ちをした。どうやら、これからどうするかを考えているらしい。同じくラットも、これからどうするかを考えていた。

「……これはすぐ、会社に連絡ね」

 彼女はこっそりとキャットウォークを去った。そして階段の踊り場に着き、そこを下って隠し通路に降り立つと、彼女は先にある隠し扉を抜けて裏通りへと出た。それから彼女は、隠し扉がある場所をちゃんと再確認した上で、急いで新聞社へと戻って行った。その時、一段と濃くなった霧とスクープに周囲への目が行き届かなかった彼女は、片付けを終えたおでん屋の老鼠の前を真っ直ぐ通り過ぎた。その様子を、老鼠の方は確りと視認しており、老鼠は彼女の後姿に頷くと、その場を静かにあとにした。まるでやることは、全て終わったとでも言うように。

 

 

 

「ごぶ……ごぶ……ぼばべばぁ、ぼっどべびぼばでぇぇ!」

 もはや完全に化け物と化したアルカン。手下達はそれでも、彼に食料を与え続け、如何に早く食べ物を摂取させるかの最終決断は、特注の巨大ホースを彼の口に(=くわ)えさせ、業務用の特大タンクから彼の胃へ直接流動物を流し込むことだった。即ちアルカンは、日夜流れ続ける大量の流動食を食べ((=)しくは飲み)続けるのだ。そうなると、彼は一日でどれだけの脂肪を体に蓄えることになるのだろうか。心做(=こころな)しか彼は、少し前に見た時よりも更に太っているように見えた。

 どちらにせよ、部屋を自分の肉で覆い尽くすアルカンの姿は鯱ではなく、生き物でもなく、ただの食欲の塊だった。そんな姿を、再びこの<ビート>に戻って来た海豚のラットが、携帯用のデジタルビデオカメラで撮影していた。そしてある程度映像を撮り終えると、彼女はそのデータを新聞社へと送った。これで、彼女の五ヶ月にも渡る長い捜索は、とうとう幕を閉じた。

 

 それから少しして、指名手配中だった元リーラ市役所税務課課長、鯱のアルカンに関するニュースが号外や報道などの全国ネットによって(=またた)く間に知れ渡った。そしてアルカンの変わり果てた姿に、多くの人達が息を呑んだり、あらゆる批評やコメントなどを言い合った。当の本人であるアルカンはというと、今や暴走した食欲に溺れ切り、食べること意外の意識や神経が完全に麻痺していた。あの大部屋から聞こえるのは、ホースから流れる流動物をただただ底無しの胃袋に詰め込み続ける、彼の唯一の行動音だけだった。

 そんな中、アルカンの映像を他所に高値で売り捌いたラットは、この一件で莫大な財産を築き上げた。

 

 

 

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