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  著者  :fim-Delta

 作成日 :2007/02/15

第一完成日:2007/02/24

 

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この小説では、登場人物に具体的な容姿、種族を設定していません(一部を除いて)。

唯一共通なのが、登場人物は皆二足歩行生命体であり、

それが要素に含まれていれば、人間だろうと竜だろうと動物だろうと何でも良いです。

この小説の登場人物の容姿は、あなた方の自由で決定して下さい。

 

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俺は会社勤めのサラリーマン。

普通の人と何ら変わりは無い――容姿を除いては。

実は俺は、普通の人よりも結構太っているのだ。

昔から食べることが好きで、そのおかげでこの体が出来上がっているのだ。

だが昔は、ここまで太ってはいなかった。

バイトをしていた時代、その頃はいわゆるフリーターだったので、自分の自由なことをしていたのだが、

やはりそれでは生活していくのが一苦労。それで俺は会社に勤めることになったのだ。

確かに給料がそれなりに入るようになり、生活面で苦悩しなくはなった。

しかしながら、今まで自由にやって来た俺にとって、時間や仕事に縛られるのはストレスの元だった。

おかげで前にも増して食欲が増えてしまい、結果、会社に勤めて一年目で、体重が36キロ増えてしまったのだ。

だが別に俺は気にしちゃあいない。少々周りからは冷視されるものの、仕事に差し支えは無いからだ。

 

――今までは、そうだった。

 

俺の業務の一つは、新食品の開発に関わるものだ。ようはフードプランナーってやつだな。

例えばカップ麺の具を残さず食べるため、底に網目状の不溶紙を敷き、それに繋がった取っ手を持ち上げることで、

底に溜まった具を一つ残らず掬い上げることが出来るカップ麺だ。

実はこれは俺の発案で、やはり食好きの俺としては、何としても具を残したくは無かったのだ。

その欲が功を奏して、この案がうまいことヒット!

おかげで俺のチームは他のチームを凌駕し、その月の給料は通常の何倍にまで跳ね上がった。

そして今、俺は新商品の開発のために新たな案を考えていた。

今回の対象は、チョコレート菓子に関するものだった。

如何にして売れる商品を作るか、この一ヶ月皆悩んでいた。

「うーん……一体どうすりゃあいいんだ?」

「売れるにはまず、在り来たりな物じゃダメだしなぁ……」

「チョコレートの中にオマケを入れるとかは?」

「それは既に他の業者がやっている。もっと個性的な物を考えないと」

「……そんじゃあさ、良い食感のチョコってのはどうかな?」

「食感? それだったら某会社のチョコ見たいなサクサクしたものがあるし、他にどんな食感あるってんだ?」

「こう、何というかな……空を飛んでるような、ふわっとした食感」

「……」

「つまり、その、なんつーか、空気を食べてる感じ?」

「そんなの出来る訳無いだろ。チョコに空気を入れろってか?」

その時、俺は閃いた。

「――! そうか! チョコの中に空気を入れれば良いじゃないか!」

「はぁ? どうやって入れるんだよ。無理にチョコに穴開けたら、形が崩れて商品として駄目になっちまうじゃないか」

「いや、出来る! 型にまず、極細の針をたくさん巡らすんだ。そしてそこにチョコの液体を流し込む。

固まったら針を抜けば穴が開く!」

「だけどそうしたら、耐久性が落ちるんじゃないか?」

「そこだ。まあ穴の大きさにもよるが、それに加えて周りをチョコで軽くコーティングするんだよ。

それでまた固まらせば、恐らく耐久性は増すはずだ! さらに穴だらけな見た目にもならないし、視覚的にも良いだろう?」

「――なるほど! それなら耐久性をあまり下げずに、空気を入れることが出来るな!」

「これは――きっと新食感に違いないぞ!」

「そうだろう!? 今すぐこれの実験をし、企画書を書こう!」

 

(……なるほど、な……)

 

 

 

翌週の朝、新食品案公開会議が始まった。

「それでは次。チームD」

「はい。私達が提唱するのは、新食感のチョコです」

「ほう……それで?」

「私達が開発した食感は、まさに新食感――ふわふわ感です」

「……ふわふわだと?」

「はい。製造段階で、内部に空気穴を作ることに成功しました。これにより、チョコの食感がふんわりとなるのです」

「なんと……素晴らしいアイディアじゃないですか!」

「そうです! 是非ともこれを――」

「待って下さい、部長! これは剽窃です!」

「なんだと? どういうことだね、金垣(カナガキ)君」

「な……お前、まさか金垣の案を盗んだのか?!」

「はぁ?! 何で俺がそんなことをしなくちゃならないんだよ! 第一お前、俺が盗んだっていう証拠があんのかよ!」

「あります。これを見なさい」

金垣は、次の発表のための企画書を手渡した。

そこには”チョコに空気穴を作り、ふんわり感を出した新食感のチョコ。名付けて、エアーチョコ”という記述があった。

「――て、てめぇ! まさか俺の案を勝手に――」

「落ち着け。君が私の案を盗んだのは一目瞭然。君が企画書を書いたのは何時だね?」

「五日前だ」

「やはりな……この資料の日付を見るがいい」

俺は企画書の右上を見た。そこには……

 

  企画書製作日:○△△□年 ○月 △日

 

「――六日、前……」

「そうだ。君の企画書が書かれる前日だ。見ての通り、この案は私の方が早く思いついたものだ」

「このやろう! 嘘を付くんじゃ――」

「やめるんだ!!!」

部長の怒号が鳴り響いた。部屋の空気は一瞬にして、冷たい物へと変わった。

「君が金垣の案を盗んだことは明らかなのに、それでも君は金垣を責め立てるのかね?」

「違います! 俺の方が先にこの案を――」

「早くこの金垣の前から姿を消すんだな。この盗っ人め」

「――っ!」

 

その日の昼、俺達は会社の屋上で昼飯を取っていた。

「ちくしょう!」

「なぁ、本当にお前は盗んでないのか?」

「んな訳無いだろうが! ぜってぇあいつは俺達の話を聞いていたんだ。それで俺達よりも早く、実験を成功させたんだ!」

「だけど証拠が無いんじゃなぁ……」

「……ちくしょう、俺の案が……」

「……」

不意に、同僚が俺の食べている弁当を見て言った。

「それにしてもお前――何時まで飯を食ってるつもりだ?」

「あん?」

「それ、夕飯の分じゃ無かったのかよ」

「う……本当だ。つい夕飯分も食っちまった……」

「気を付けろよ。それ以上食うようになったら、お前の体が危ぶまれるぞ」

「あ、あぁ……そうだな……」

その後、あのチョコレート菓子は大ヒット。恐らく金垣本人も予想していなかっただろうほど、大好評を得た。

それとは対称的に、俺は金垣の案を盗んだ奴として異端視された。

きっと俺のこの容姿も、少なからずそれに影響を及ぼしているのだろう。常に難詰されるこの体型が……

俺は、会社での居場所を狭まれた。

金垣が俺の案を盗んだという証拠は無いし、あいつの方が企画書を早く書いたことは否定出来ない。対抗は出来なかった。

この静まることを知らない怒りを、俺は必死に抑えようとして、知らず知らずの内に食べ物を口に運んでいたことは、

俺自身全く気付いてはいなかった。

 

 

 

一ヵ月後のこと。

会社での業務を済まし、帰り際にコンビニで夕飯を買い込んで、家路に着いた。

助かることに、会社は自宅から歩いて五分程度の位置にあり、通勤退勤共に楽なのだ。

しかしながら、それでも俺は疲れたように肩を落としていた。ここ一ヶ月、ずっとその調子だ。

俺はそっと家の鍵を外し、扉を開け中に入った。

目の前にあるテーブルに買い物袋を置き、椅子に座ろうと腰掛けた時だった。

「痛!」

尻に激痛が走り、思わず跳び上がってしまった。

後ろを振り返り椅子を見ると……

「……なんだこりゃ?」

見ると、椅子の上にはプラスチックの様な物で出来た、小さな黒い棒があった。

先には漆黒に煌く宝石のようなものが嵌め込まれており、その枠はトゲトゲしていた。

なるほど先ほどの痛みは、このトゲトゲの部分によるものだろう。

しかし何故こんなものが……俺の家には、こんなものなど無かったはずだ。

俺は恐る恐るそれに手を伸ばした。すると、宝石から眩い光が溢れ出した。

あまりの強烈な光に、俺は目を閉じるだけでなく、腕を上げて目を覆った。

しばらくして、少し目を開け腕を下ろすと、既に光は消え失せていた。

俺は再度、棒を観察した。その時だった。

≪よお。気分はどうだい?≫

俺は驚きのあまり棒を投げ捨て、後退った。

≪痛! お、おい。いきなり何するだよ!≫

「ぼ、棒が……棒が喋った!」

≪喋っちゃ悪いかよ! ていうか、正確には喋ってないけどな≫

(……ど、どういうことだ?)

≪どういうことかって?≫

――!

≪分かったろ? おいらはテレパシーを使ってるだ≫

「てことは……」

(お前、今俺の考えてることが分かるのか?)

≪ああ。もちろん分かるさ≫

「……ていうか、なんでお前がここにいるんだ?」

≪それはな、遣いを任されたからよ≫

「遣いだと?」

≪ああ。おいらはな、不公平な仕打ちに会った者達を助け、幸せにする仕事をしてるだ≫

「じゃあ何故俺のところへ?」

≪お前、最近嫌なことあったろ。腑に落ちないような≫

「……」

≪だろ? あるだろ?≫

「……ああ。実はな――」

俺は棒に、例の剽窃事件のことについて話した。

≪ふむふむ、なるほどな。ちょいと待ってな≫

「ああ?」

不意に棒が光り出した。但し、初めて触れた時のような強い光では無かった。

しばらくするとその光は消え失せ、いつもの棒に戻っていた。

≪どうやら、あいつはなかなか狡猾な奴らしいな。まずあいつは、お前達の話を盗む聞きしたらしい≫

「そりゃそうだ。そうとしか考えられねぇ」

≪そいでもってすぐに、あいつはメンバーと共に、○△□研究所で夜通し研究を行った≫

「――! お前、そんなことが分かるのか?!」

≪おいらはこう見えて、高位魔法を操れる杖、ハーデスだからな≫

「魔法だと? 魔法なんてこの世には――」

≪あるだ。現にこうやって使った≫

「……いまいち信じ難いな。まあお前が喋ってる時点で既に現実離れしてるしな。

それにしても……くそ! どうにかして奴を陥れてやる!」

≪そいじゃおいらに任せな。そのためにここにいるだからな≫

「助かるぜ。よろしく頼む!」

≪合点さ≫

「じゃあ、これからどう――」

≪ちょい待ち。そんな話はいつでも出来るだし、その前に腹ごしらえしないか?≫

「……お前杖だろ。どうやって飯なんか食うんだよ」

≪おいらじゃない。お前だよ≫

「ん? あ、ああ、そうか。そういやまだ夕飯を食ってなかったな」

≪そうそう。しっかりと飯食ってからの方が、作戦も立てやすいだろう?≫

「そうだな。よし、じゃあ早速夕飯を食うとすっか!」

俺は夕飯の準備をした……準備というよりは、全部コンビニ弁当なので、実際は出しただけだが……

「それじゃ、いただきます」

俺は弁当を食べ始めた。いつも通り勢いよく、ガツガツと。

≪お前、あいつのことはどう思ってるだ?≫

「あいつは……金垣は……くそったれだ!」

≪相当嫌いなだな≫

「当たり前だ! あいつが俺の案を盗んだんだからな!

ちくしょう、あいつのことを考えるとイライラしてくる!」

俺は何とかイライラを抑えようと、いつも以上に食事にがっついた。

このストレスを何とか抑えたい……俺はその一心だった。

しかし勢い余って俺は、つい翌日の朝食分まで手を付けてしまった。

それに気付いた時は既に、購入した弁当を全て平らげた時だった。

「あ……やべ、またやっちまったよ……」

≪どうかしたのか?≫

「ああ。あいつのことを思ってたらついイライラしちまって、勢いで翌朝の弁当まで食っちまった。

今日の昼も、つい勢いで夕飯分まで食っちまったし……これじゃあ体が本当におかしくなっちまう」

≪気にするな。そなに体は弱くないさ≫

「まあな。そんなにすぐ倒れるとは俺も思わねぇ。だけどこれじゃ朝飯が――」

≪心配するなよ。ちょいと待ってな≫

再び棒、元い杖、ハーデスが光り出した。

そして光が失せると、何と食ったばかりの弁当が全てが、丸々元通りになっていた。

「こ……これは?!」

≪おいらは、言った通り魔法が使える。それも高位のな。高位魔法になると、こな感じに食料を元通りに出来るのさ≫

「ハーデス。初めて今、お前を本当に魔法が使える素晴らしい杖だと思ったよ」

≪今頃? ちょいと遅い気がするが、まあ分かってくれたのならオッケーかな≫

「はは。じゃあ飯も食い終わったことだし、作戦の方でも立てるとするかな!」

そして俺達は、金垣を陥れるための作戦を練った。

ハーデスが魔法を使えて、しかもあらゆることが出来ると自負していたので、

おかげで作戦会議はすぐに終わり、俺はいつもと殆ど変わらぬ時間に床に就いた。

 

 

 

朝だ。眩しい陽光を体に浴び、体が目を覚まし始めた。

≪よお。目覚めはどうだい? おいらは最高さ!≫

「……普通だな。別にいつもと変わっちゃあいないさ」

≪なだぁ。それじゃ面白くないな≫

「さてと、朝飯でも食うかな」

≪おいらより飯かよ≫

俺は冷蔵庫から、昨日ハーデスによって元通りになった弁当を取り出した。

そしてそれを、眠気などすっかり弾け飛んだかのように食べ始めた。

全ての弁当を完食すると、張ったお腹に合うよう調整が施されたスーツを着始めた。

≪なあ。そういえば、おいらをどうやって持っていくだ?≫

「いつもの鞄には入らないだろう。だからこれでお前を持って行く」

俺が取り出したのは、昔バイトに行く時によく使っていたショルダーバッグだ。

これならハーデスも入るだろうし、会社の資料もちゃんと入るはずだ。

そして案の定、ハーデスも資料も何ら問題無く入った。

俺は家を出て、会社へと向かって行った。

 

  彼が食べた弁当の空箱

  彼は気付かなかった

  彼が食べた弁当は、紛れも無く、朝食と夕食の二食分だった

  昨日の昼、夕方には気付いたが、今日の朝には気付かなかったこの行為

  この変化が、今後の彼に一体どんな影響を齎すのだろうか……

 

 

 

会社へと着き、俺は自分のデスクへと着いた。

「なあ。お前、最近また太っただろ?」

「そうか? 別に普段と何ら変わりは無いぞ」

「いいや、絶対太ってるって。お前は気付いてないらしいが、ベルトの穴の位置がかなり変わったぞ」

「……そう、なのか? 俺は全然気付かなかったが……」

「ああ。一ヶ月前の時はまだ、ベルトは一番奥の一つ先だった。

だけど今のを見てみろよ。今じゃあ一番手前の穴。つまり、一ヶ月でお前のベルトの穴は四つずれたんだ」

「そ、そんなに……」

気付かなかった。俺はこの一ヶ月でそんなにも太ったのか。

くそ。これもあいつの仕業だ。あいつがあんな悪業さえしなければ、俺はこんなにも苦労しなかったはずだ。

(……噂をすれば――金垣! 今日こそ、今日こそお前を奈落の底へ突き落としてやる!)

俺は昨晩練った作戦を実行に移した。

俺は、盗っ人野郎である金垣の元へと近づいて行った。

「……なんだ? 私に批判でも言いに来たのかね?」

「いや……俺がこう言うのはどうも好かんが……」

俺は軽く深呼吸をし、慇懃な態度で金垣にこう言った。

「あの時は悪かった。きっと俺は、あの時どうかしてたんだ」

「――! そ、そうか。ま、まあちゃんと謝ってくれたのだから、許すとしよう……」

金垣は、俺の希有な行動に、明らかに動揺の色を隠せないでいた。

そこへ俺がこう畳み掛けた。

「それでさ、お前のエアーチョコ製造現場を、少し見学させてもらえないか?」

「……現場を? 何か企んでるんじゃないのかね?」

「どうしてだ? 仮に今から俺がエアーチョコの製造方法を盗んだって、どうにもならないだろう?」

「ま、まあ確かにそれはそうだが……」

「どうしてもそういうことが気になるのなら、見学中常に、俺の周りに警備を歩かせてもいい」

「そ、そうか? ま、まあそういうことなら……」

「ありがとな。今日見に行くことは出来ないか?」

「今日? まあ……仕事が終わってからなら良いだろう」

 

 

 

俺は八人の警備員に囲まれ、金垣のエアーチョコ製造現場を見学していた。

「しかし何でまた、私の工場を訪れようと思ったのだね?」

「まあ、人の功績の成り立ちを見るのも悪くないだろうと思ってな」

「……そうか」

俺は、警備員達の間から見える工場の景色を眺めながら歩いた。

そして、エアーチョコの型を取る場所まで来た時だ。

(聞こえるか、ハーデス?)

≪ああ、もちろだ。ここで”あれ”をやればいいだな?≫

(頼む)

「……この機械が気になるのか?」

「ん? あ、ああ。これがあのチョコの一番重要な部分なのか、って」

「……」

その後、互いに一言も喋らず俺の見学は終わり、俺は家路に向かった。

 

「おい。先ほどの男、何か不自然な動きはしてなかったか?」

「いえ、何も」

「型取装置のところではどうだった?」

「少しばかし凝視はしていましたが、それだけです」

「そうか……」

金垣は少しの間だんまりし、そして、

「とりあえず、検査官にでも型取装置のチェックをしてもらうか……」

と呟き、工場を後にした。

 

 

 

俺はいつものように会社に向かっていた。そして会社へと着き、部署に就いた時のこと。

「どうなってるんだ?!」

金垣の怒声が谺した。見るからに相当な剣幕だった。受話器を握る手も、握る強さのあまり白ばんでいた。

俺はそれを無視して、自分の仕事に取り組んだ。

「ちくしょう! 何でこんなことに――」

刹那、金垣は俺を疾視した。

「貴様! 貴様の仕業だな! 代償は取ってもらうぞ!」

「何のことだ?」

「恍けるのも大概にしろ! 貴様がやったことなど一目瞭然だ!」

「……何を言ってるんだ?」

「くっ……貴様が私の工場を見学してからというもの、全てのチョコに異物が入りこんで、おかげで私の人生は零落だ!」

「何故俺が原因なんだ?」

「そうとしか考えられない! お前が工場に来る前までは、何の異常も無かったんだ!」

「お前こそふざけるな。俺がやったって証拠が無い。それにお前は、俺の周りに警備員を八人付けたじゃないか。

仮に俺がおかしなマネをしたのなら、誰か気付くはずじゃないのか?」

「そうだ。そうさ! だがお前が原因だ! お前が来てからおかしくなったんだ!」

「いい加減にしろ。もし俺を責めたいのなら、ちゃんとした証拠を持って来い。

そうだ、あの工場には防犯カメラが付いていたはずだ。それをチェックしたらどうだ?」

「……くそぅ!」

金垣は、持っていた受話器を地面に叩きつけた。

鋭い音と共に受話器は弾け飛び、見るも無残なバラバラ死体へと化した。

(けっ、貴様が俺の案を盗まなきゃ、こうはならなかったんだよ!)

≪随分と酷いことをするもだね、あんた≫

(これぐらいがちょうど良いのさ)

 

 

 

あれから、金垣は俺を責めるのをやめた。

防犯カメラを何度チェックしても、俺が何の細工もしていないことが明らかだったのだ。

「金垣。人生楽あれば苦ありだ。今後努力すればいいのさ」

「……ありがとう……あの時は悪かった。君を罪人扱いしてしまって……」

「過ぎ去った過去のことだ。気にするな」

そう言って俺は悦に入り、自分のデスクへと戻って行った。

ふぅー……最近どうも疲れ気味になったのは気のせいだろうか。

金垣への怨みも晴らし、本当は気分爽快なのに、何故か自分の体が重く感じられた。

椅子に着くと、同僚が話しかけて来た。

「良かったな。エアーチョコを作らなくて」

「あぁ。あんなことになるとは思っても見なかったからな」

「……それでさぁ……」

「あん?」

「……お前。最近、その……また太っただろ?」

「そ、そうか?」

「周りもそうだけど、メンバー皆思ってる……さすがに、やばいぞ?」

「……」

俺は黙っているしかなかった。正直、自分でもある程度は自覚していたため、何も言い返せなかったのだ。

それについ最近から、俺は今より一つ上のサイズの服を着るようにもなっていた。

「俺が言うのも何だけど、ダイエットした方が良い。マジの話でだ」

「あ、ああ……」

「僕達も手伝うから、ね? もし何かあったら何でも言ってよ。僕達、同じメンバー同士だしね」

「ありがとうな……出来る限り、努力して見るわ」

 

 

 

家に着くと、ハーデスが上を飛んでいた。

俺はそれを無視し、テーブルに買って来た弁当を並べ、そしてそれらを食べ始めた。

部屋には、俺が弁当を貪る音だけが聞こえていた。

そして食事を終えると……

「ふぅ……ごちそうさん」

≪……おい。明日の朝食用の弁当は何処にあるだ?≫

「あん? それはここに――」

俺は買って来た弁当を見回した。しかしそこには、弁当の空箱しか残っていなかった。

「くそ、またやっちまったか」

≪どうしただ?≫

「朝食用の弁当を買うのを忘れちまったよ」

≪はは。それじゃあいつも通り、おいらに任せな!≫

ハーデスが光り出す。

そして光が失せると、全ての空箱が見事、立派な弁当へと元通りになった。

「おお、悪い。助かったぜ、ハーデス」

≪どうってことないさ!≫

 

≪良い……良いぞ……≫

 

「ん? 何か言ったか?」

≪へ? いや、別に。独り言さ、独り言≫

「ふぅん。じゃあそろそろ、俺は寝るとするかな」

≪食った後にすぐ寝るのは体に良くないぞー≫

「眠いんだよ。仕方がないじゃねえか」

≪ほう。そうかいそうかい≫

「そいじゃ、おやすみな」

≪おう。お休み≫

俺は床に就いた。

何か、何か忘れている。

俺は何かを忘れている。

しかしそれは何だ?

俺は……俺は……

 

  深い眠りに就いた

  何かを考えていた

  だが考えていたことは

  夢の中で消去されたに違いない

 

俺は目覚めた。俺は昨日買っておいた、既に復元済みの弁当を朝食とし、それらを全て平らげた。

その後会社へと赴き、業務を済ませて帰宅。その帰り際にいつもの弁当を購入。

そして弁当を食い終わると、ハーデスがそれらを全て元通りにし、翌朝の朝食として残しておく。

俺はその後寝付き、目が覚めると同時に朝食を食べ、再び会社へと向かう。

これは俺の一定リズムで、俺はそれを正しく刻んでいたつもりだった。

そうすれば俺は普通だった。太っていることを除いては普通だった。

だが俺は忘れていた。この中に乱れた不定リズム、ノイズが存在していたことを。

俺はそのノイズを聴き取れなかった訳では無かった。一度は気付いていたのだ。

しかしそれ無視した結果、それはカオスの如く、僅かな乱れを爆発的に増幅させ、俺を急速に変貌させ始めた。

月日が流れるにつれ、俺は徐々に太っていった。それも際限無く……

 

 

 

会社へと着いた俺は、すぐさま自分のデスクに着いた。

「はぁ、はぁ……」

「おい……お前、少しは痩せた方が……」

「そ、そうだよ。僕達も協力するからさ……」

「はぁ……ああ、分かった。何とか――」

「何とか何とかって、何回も何百回も言ってるじゃないか! その結果がこれだぞ!」

「はぁ……そ、そうだな。はぁ……」

息切れが止まらない。俺は会社に着く度に、止むことを知らぬ息切れに悩まされていた。

メンバー達は何とか俺を痩せさせようとしたが、俺の食に対する脆弱な抑制のせいで、何の成果も上がらなかった。

しばらくして、昼休みの鐘が鳴った。

「ふぅ……もうこんな時間か。昼飯を食わないとな」

と言って俺は、いつも昼食を食べている屋上へと向かった。

だがそれは、今の俺にとっては最大の難所だった。

何故なら屋上へ向かうエレベーターが無いため、俺は自分の足で屋上へ行くしかないのだ。

例えそれがたった一つの階を上るにしても、俺にとっては、まるで無限遠の道のりを走った気分になるのだ。

はぁはぁと息を切らしながら、ようやく俺は階段を上り終え、屋上へ辿り着いた。

「はぁ……はぁ…………あそこに、座るか……」

俺は座る場所を見つけた。ただしそれはベンチではなかった。

今の俺の体だと、もはやベンチなど役には立たない。

そのため俺は、それなりの高さがある段差を見つけ、そこに座るのだ。

「はぁ……よし。昼飯を食うとするか」

俺が取り出したのは、仕事用とは別の鞄にこれでもかとぎゅう詰めにされた、数多くの食料品だ。

弁当、パン、サンドイッチ、アイス、お菓子、ジュース……ありとあらゆる物全てがここに含まれている。

俺はそれらを一つずつ、かつ着実に喉に詰め込んで行った。

そんな時、隣に同じメンバーの一人が座って来た。

「おい、お前。本当にそんなに毎日食ってるのか?」

「んぐ……ふぅ、そうだ」

「……本当にどうしたんだよ、お前……? 確かに元々太ってはいたが、それでもこんなんじゃなかったはずだ」

「げふ。ふぅ……それは俺にもよく分からん。ただ俺は、猛烈に腹が空くんだ」

俺は屋上に着くまでの間にさらに悪化した空腹を満たすため、どんどんと口の中に食べ物を詰め込んでいった。

そしてとうとう、俺は鞄一杯の食料を全て、昼休み中に平らげてしまった。

「うっぷ……ふぅ……」

鞄一杯の食料が、見事俺の腹の中に収まった。しかしそれは、俺の胃袋の許容範囲外だったため、俺の腹は見事なまでに膨れ上がった。

だが別に苦しくはない。このようなことを考えて俺は、ズボンの胴回りをゴム式にしたのだ。ベルトなど、俺の邪魔者でしかない。

「……俺、もうお前のことをどうすることも出来ないと思う」

「ふぅ、そうか……」

「……あぁ」

「ふぅ、ふぅ、ふぅ……」

俺は何も言い返せなかった。今俺に返せるのは、呼吸を乱した時に発生する息切れのみだった。

その後、俺はいつも通り会社での業務を済まし、いつも通り家路に着いた。

しかしながら今日は、全てが”いつも通り”という訳ではなかった。

≪よお。最近辛そうだな?≫

「はぁ……あぁ……」

≪――おい。弁当はどうしただ?≫

「はぁ……む、無理だった……」

≪――! じゃあ夕飯はどうするだよ?!≫

「こ、この体じゃあ……はぁ、はぁ……」

≪……たく、仕方がないな。じゃあ少し待ってな≫

ハーデスが光り出した。

弁当も無いのに、一体何をしようとしているのか。俺には皆目検討も付かなかった。

しばらくすると光が失せた。そしてそこには……

「――こ、これは!」

目の前には何と、俺がいつも買ってくる弁当の数と同じ数の弁当が、テーブルに並べられていた。

≪おいらは高位魔法が使えるから、こなのの余裕さ≫

「これは助かる。はぁ、はぁ……それじゃあ遠慮無く、いただきます」

俺はすぐに、ハーデスが出した弁当に食らい付いた。歩くだけでも疲れるこの体は、とにかく腹が空きやすいのだ。

俺はいつも以上にがっついた。但し俺は、いつもいつも以上にがっついているから、それは当前のことだった。

おかげで俺は、日に日に食事量が増加していった。

恐らくこれが、俺の生活リズムを乱すノイズなのかもしれない。

しかし俺は、食事量の増加を止めることは出来なかった。

 

そしてついに、俺のリズムは完全にノイズで埋め尽くされた。

 

 

 

俺は会社へと着き、いつものようにデスクに着こうと思ったときだった。

「君。社長がお呼びだ」

俺は危惧した。まさか、まさかな、と、心内で、その悲観的思考を排除しようとした。

俺は社長室へと向かった。部屋が近づくにつれ、俺の憂惧心は徐々に増し、俺の厭世観は次第に勢力を増大して行った。

そして部屋の目の前に来た時、それは頂点に達した。

ここに来るまでの間に乱れた呼吸と、緊張を解すため、俺は何回も深呼吸を行った。

そして呼吸も整い、決心が付いた時、俺は扉を開けた。

「遅かったじゃないか」

「すみませんでした……少々ここへ来るのに手こずってしまって……」

「そりゃそうだな。その体じゃ、ここへ来るのもやっとだろう」

しばらく間が空いた。

「非常に残念なのだが、今日を持って君を、この会社から解雇する」

「――! そ、そんな! どうしてです?! 俺が――いや、私が金垣の案を盗んだからですか?! あれは――」

「少しは落ち着きたまえ。君のその風采が上がらない様は、この会社の評判を落としかねない」

「そ、それは……」

「それに君は、あのカップ麺に関する発案以来、一切の良案を出していないじゃないか。

確かに君のカップ麺のアイディアは素晴らしいものだった。商品も人気を博し、会社としては良いこと尽くめだった。

しかし君の場合はそれだけだ。それ以外に、君が誇れる成果などあったかね?」

「そ、それは――あの、あのエアーチョコです! あの案は俺が考えたもので――」

「しかしながら、それは最悪の結果に終わった。あの商品は確かに高い人気を得たが、今では我が社の害虫でしかない」

「……」

俺はここに来て初めて、金垣を陥れたことを後悔した。

「だがやはり、君の場合はその体が一番の問題だ。そんな太った体で、君は一体何が出来るのかね?!」

「こんな体でも、俺はちゃんと動いてます! 動ければ何でも出来る!」

「嘘を付くな! 君のその肉の塊の体のおかげで、床は剥げ落ち、ベンチは破壊され、手すりは折れ曲がった!

そして案の定、君は給湯室から出られなくなったじゃないか!

君は何も出来ない! 君に出来るのは、ただ会社の所有物をぶち壊し、会社の評判を下げることだけだ!」

「――っ! 社長だからって、ふざけたことを言うんじゃねぇー!!!」

俺は突っ走った。怒りに駆られて、昔のあの乱闘尽くめの日々を思い出し、俺は走った。

だが俺の体は、既に昔とは無縁の体になっていた。

俺は豪快に前にずっこけた。

ズドン! と、バリ! という激しい二音を轟かせ、

俺は目の前の社長の机を、俺が倒れこんだ位置を中心に真っ二つに砕き散らせた。

「うぐ……いってぇ……」

「――今すぐ出て行け! そして、この会社に二度と戻って来るな!」

俺は会社の社員達に、割れた社長の机に挟まった体を出してもらい、そして俺は部屋を出た。

後ろからは、とても高位階級身分を思わせない悪口雑言が谺していた。

俺は仕事場へと戻り、帰宅の準備を始めた。やはりこの時も、俺の呼吸は完全に乱れていた。

「ど、どうしたんだよ?」同じメンバーの一人が言った。

「はぁ、はぁ……会社を、解雇されたんだ」

「ほ、本当なの!? それって……」

「そうだ……はぁ、はぁ……この俺の体さ」

「じゃあダイエットすれば良い! そうすればきっと――」

「もう遅い! もう後には戻れないんだ……はぁ、はぁ……」

俺は息を切らしながら荷物をまとめ、そして会社を後にした。

その時、同じメンバーが総出で、俺を見送ってくれた。俺は彼らの見送りに背を向け、家に向かって行った。

俺はいつもより約二倍の時間をかけて、家に辿り着いた。そして部屋に入るなりすぐ、俺はソファに勢いよく座り込んだ。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

いつも以上に俺は喘いでいた。

それは、いつもは呼吸の乱れなど無い状態で会社を出て行くのに対し、

今日は散々暴れ回った末、そのままの状態で帰路に着いたためであった。

≪お、おい。だいじょうぶか?≫

「はぁ、はぁ、はぁ……あ、あぁ」

≪……今日も夕飯を買ってないのか。たく、しょうがねぇなぁ≫

いつも通り、ハーデスが弁当を出してくれた。

「はぁ、はぁ……悪い、助かったぜ。はぁ、はぁ……」

少し休憩し、俺は呼吸を整えた。

そして、俺はいつもの豪快な夕飯を楽しんだ。

 

 

 

朝になった。俺は目覚め、ハーデスが用意してくれた朝飯に食べていた。

≪そういや、どうするだ? 仕事しないと金がもらえないぞ?≫

「んぐ、んぐ……それはどうにかする。とりあえず今は、朝飯を食べるのが先だ」

≪……≫

三十分ほどが経ち、俺は食事を終わらせた。

「……そういや、昼飯を買いに行かなきゃならねえのか」

≪そうそう。お前はいつも通勤中に買ってたけど、今は通勤なて無いからな≫

「そうだ。ということは……」

≪む? どうしただ?≫

「今まで、通退勤のついでに飯を買ってたのに、今日は飯を買うために家を出なきゃならないだろ?」

≪ああ。それがどうかしたのか?≫

「面倒臭いんだよ。何で態々飯を買うために、家を出なくちゃならないんだ?」

≪それが普通だろー≫

「まあそうかも知れないが、俺はいつも何かしら用があって、そのついでに飯を買ってたからな。

そのせいか、どうも飯だけを買いに行くのは気にいらねぇんだよ」

≪まあもし面倒だったら、出前でも頼めばいいじゃないか≫

「――そうか! なるほどその手があったか。じゃあ今度からそうするか」

≪――! 一歩も外へ出ない気なのか?!≫

「だってやることねえし、何か仕事が見つかるまでは何も出来ないしな。

それに、やっぱ態々外に出て飯を買うのは面倒だ。出前で十分さ」

≪本当に、お前はそれでいいのか?≫

「仕事が見つかるまでの話だぜ? そんな年がら年中そんなことしてる訳じゃ無いんだから、別に問題は無いだろう。

それに俺は最近まで働き尽くめだったし、たまには昔のようにのんびりと過ごしたいしな」

≪ま、お前が良いって言うならいいけどな。おいらは別に何も言う権利なて無いし≫

そして俺は、昼食用の出前を注文した。

ピザ、ラーメン、丼、スパゲティ、チャーハン、ステーキ、などなど、とにかく数え切れないほど注文した。

今更ながら、俺は凄い量を食べていたんだなと、この時初めて実感した。

しばらくして、注文した料理が全て揃った。

俺は軽く”いただきます”と言い、すぐに食事に取りかかった。

この時の俺は、新しい仕事がすぐに見つかるだろう、と思っていた。

しかしながら俺のこの体は、予想以上に就職を差し支えさせた。内職すら、認めてもらえなかった。

日に日に時は流れ、あっという間に数ヶ月が経っていた。

 

 

 

夕飯を済ませた俺は、服を着始めた。

最近服がきつくなり始めたせいで、食事をする動作に差し支えが出て来たのだ。

だから俺は、食事中の時は服を脱ぎ、食事を終えると服を着るようにしたのだ。

ズボンの方は伸縮性が高い素材だから、未だに支障は無いのだが……

「ぐっ……くそ!」

≪どうしただ?≫

「また服が入らなくなっちまった……しょうがねぇな。ハーデス、またウエストを測ってくれ」

≪まったく……≫

ハーデスの魔法は、本当にあらゆることに役立った。

食料を出したり復元したりするのは当たり前だが、ウエストを測る、ということも、容易にやってのけるのだ。

≪あー……170cmだな≫

「そ、そんなにか? 間違えてないんだろうな?」

≪当たり前だ! ったく、何でこなところで嘘を言わなきゃならないだよ……≫

「仕方がないな。また服をオーダーしないとな」

俺は新しい服を注文しようと、電話がある寝室へと向かった。だがそこで……

「――!」

≪ど、どうしただ!?≫

「ぬ、抜けない……!」

≪――! お前、まさか……≫

「……扉に挟まるなんて、情けない……悪いがハーデス、お前の魔法で俺を出してくれよ」

≪あ、ああ。分かった≫

ハーデスが一瞬光った。それと同時に俺の体は見事に扉を抜け、部屋に入ることに成功した。

≪なあ。毎日毎日おいらが魔法を使って、お前の挟まった体を出すのは嫌だからな≫

「……ああ。分かったよ」

俺は沈思黙考した。

最近の俺は、まったくもって外出をしなくなった。ゴミ出しの時だけは、仕方なく家を出るが……

その時の俺は、玄関の扉の幅ギリギリまで膨れ上がった体を、何とか押し出している。

最初は何とか出れるから大丈夫だと思っていたのだが、今、この別の扉でついに挟まってしまった。

ということは、俺は家から出ることすら出来なくなってしまうかも知れないのだ。

そう考えると、俺は身の毛がよだった。

いくらなんでも、家から出られなくなることだけは避けたかった。

もしそうなったら、俺はこの家で一生この巨体を挟めなくてはならないだろう。それだけは避けたかった。

(そろそろ引越しした方が良いのかも知れないな……)

そう思ったものの、俺には家を買うほどの金の余裕は残っていなかった。

貯金した金は、殆ど俺の食費へと消えていってしまう。

だから、今ここで家を買ってしまうと、俺は一切の食事が取れなくなってしまうのだ。

どうしたことか……俺は電話のことなどを忘れて、この問題に着手した。

その時、俺の脳裏にあるものが入り込んできた。

≪ようよう。そんなことなら、おいらに任せなって!≫

「な……お前に金なんて出せるのかよ?」

≪金は無理だが、家は出せるぞ≫

「――マジかよ!?」

≪まあな。ただし、土地だけは買ってくれよ。おいらだって無断で他人の土地に家を出したくないからな≫

「大丈夫だ。土地代ぐらいなら、何とか出せるだろう……」

しかしながら、俺は信用出来なかった。

今まで食料を出してばかりいた奴が、次は家だと?

そんな簡単には信じられなかった。

≪……信じてないだろ?≫

「さすがにな。こればかしは、今までとは訳が違うからな」

≪じゃあさ、何を出したら信用してくれるだ? 何でも言ってみな≫

「そうだな……じゃあ、車だ。昔はよく乗っていたが、今はこの体のせいもあって乗れない。

だから車は車でも、ただの車じゃなく、俺が乗れるように改造が施された車だ」

≪ほほぅ。なかなか面白いことを言うじゃないか。そいじゃ外に出てみな≫

俺は外へと向かった。途中、玄関の扉に挟まりそうになりながらも、何とか体を押し出し、外へと出た。

外は暗く、辺りに人の気配は無い。目の前には、車一台分の空き地があった――俺の昔の駐車場だ。

ハーデスは、その空き地で停滞し、そして光り出した。

今回は、少々長めにハーデスが発光していた。

やはり使う魔法によっては、詠唱時間やらというものが違うのだろうか。

程無くして、ハーデスの発光が治まり、いつもの杖の姿に戻った。

そして先ほどハーデスがいた空き地には……

「う……嘘だろ?」

目の前には、立派に輝く黒い大きめな乗用車――ワゴン車などとはまた別物のようだ――があった。

俺はそれに近づき、中を覗いた。

俺は、呆気に取られた。

車の中はというと、前の座席が一つで、その座席が通常より後ろにあるため、その分奥行きがあった。

さらにハンドルの位置が、やや上方に設置してあった。

なるほど俺の体型に合わせた設計らしい。

俺は車の扉を開け、試しに座席に座ってみた。

「す、すごい!」

感嘆の声が、喉を通って自然に出て来た。

ハーデスが出した車は、まさに俺の望み通りだった。

色や車種は限定していなかったため、今回はそれらを排除して考えるが、

車の中は、俺の体でも見事に収まり、かつしっかりとハンドルが握れる構造になっていた。

エンジンを蒸かし、軽く辺りを走って見た。

何年かぶりの運転で、尚且つ今のこの体型ながら、俺は見事な運転捌きをした。

どうやら俺は、改めてハーデスの実力を思い知らされたようだ。

俺は車を空き地へと戻した。

≪どうだい、おいらが出した車は?≫

「そりゃもう、最高だ!」

≪な? これでおいらの実力は分かっただろう?≫

「ああ。改めてお前を見直したよ」

≪へへーん≫

これで引越しの問題は解決。俺はすぐさま計画を立て始めた。

今の俺に必要なもの、それは広い土地だった。それに金も、あまり無駄には出来ない。

ということは、出来る限り都心から離れた場所の方が良いことになる。

さらに今後のことも考えて、出来る限り交通の便が良くなくてはならなかった。

 

 

 

≪まさか、お前がこな土地を買うとは……≫

「お前の魔法なら、こんな雑草どうってことないだろう?」

俺達はトラックの荷台の中にいた。

俺のこの体だと、察しの通り普通の座席に座ることなんぞ不可能。

ましてや、俺の体があまりにも重いため、自分の腕で自分を持ち上げることは出来ない。

つまり、トラックに乗り込むことすら出来ないのだ。

だから俺は、スロープを使って荷物と一緒に荷台に乗せてもらっているのだ。

まあハーデスが出した車で行く手もあったのだが、まだ運転が不慣れな状態で、さすがに長距離の運転は自信が無かった。

そして今、ちょうど荷物が降ろされようとしていて、荷台の扉が開いていた。

扉の向こうに写るのは、俺が買った土地――雑草が鬱蒼と生い茂る、広大な平地だった。

そこが安い理由はただ一つ。人里から離れていて、一切の土地の整備が成されていなかったからだ。

だが近くには道路があり、それは都心までにつながっている――車で数時間はかかるだろう――ため、交通の問題は無かった。

それでお値段は何と、都心のおよそ五十分の一!

あのハーデスが出した車が、思いのほか土地探しを容易にしてくれたがために成し得た結果だ。

まだ車を長時間運転する自信は無いが、早くそれに馴らし、都心までいけるようにしようと俺は考えていた。

俺はスロープを降りた。

「あの……本当に、荷物をここに置いてよろしいのでしょうか?」配送員が言った。

「ああ。ここで良い」

「本当に、良いのでしょうか?」

配送員が、叢の上に並べられた荷物を一瞥して言った。

俺は、大丈夫だ、と言って、配送員を見送った。

その後、辺りを見回して状況を確認した後、ハーデスに言った。

「さてと……それじゃあハーデス、よろしく頼む」

≪ああ!≫

ハーデスが光り出す……今回は、今までの中で最も強く、かつ長く、ハーデスが発光していた。

いつもより長めの時間が過ぎた時、ようやくハーデスの発光が治まった。

すると、辺りの叢は見事に刈り取られ、目の前には小さな家――俺にとってはの話だ――が出てきた。

小さな家を選んだのは意図的で、いきなり大きな家を出すと、いくら辺鄙なところでも怪しまれてしまうと考えたのだ。

だから俺は、はじめはこの程度の大きさにしておいて、何週間毎に、ハーデスを使って家を大きくすることにしたのだ。

白い塗装で覆われた、洋風を思わせる家。扉は、俺の体に合わせて通常の二倍ほどの広さになっていた。

俺は心を躍らせながら、早速家の中に入った。

「うーん。これならまあ、俺でも一応暮らせる広さだな。

っと、そうだ。ハーデス、配送してもらった荷物を家の中に入れてくれよ」

≪まったく、人使いが荒い奴だな。ほらよ!≫

ハーデスが再び光り出す。今度のは、先ほどの何分の一かの早さで発光が治まった。

そして案の定、配送された荷物は全て、俺の思惑通りに配置された。

「ふぅ。それじゃあ次は――」

ぐぅー……

俺は顔を赤らめた。こんなときに腹の虫が鳴るなんて……

だけど確かに、今の俺は腹が空いている。これは何かを食べなくてはならない!

俺の本能が、そう告げていた。

「なあ、ハーデス。昼食を出してくれよ」

≪はあ? お前が出前か何かを注文しろよ≫

「俺は今すぐ飯が食いたいんだよ。な、いいだろ? 今度からはちゃんと出前を取るからさ」

≪うー……分かったよ。じゃあ今回だけだぞ! まったく、本当に人使いが荒いだから……≫

「人使い、じゃなくて、杖使い、だろう?」

≪ちぇ!≫

再度ハーデスが光り出し、そして毎度のように、テーブルに昼食が並べられた。

「おー! お前がいて助かるぜ。じゃ早速――」

≪少しは例ぐらい言ったらどうだ?≫

「ありがとさん。そいじゃ、いただきます!」

≪今回だけだぞー?≫

ハーデスが念を押したが、俺は気にも止めなかった。

俺はいつものように、目の前にある料理を貪った。

そして食事を終えると、俺はすぐに寝室へと向かった。

途中、俺は扉に挟まったあの事件のことを思い起こしたが、ここではハーデスによって扉の幅が広くなっているため、

おかげで何の苦労も無く部屋に入ることに成功した。

俺は部屋に入るなり、ベッドに向かい横たわった。

≪昼寝か?≫

「ああ。飯を食うと眠くなるし、それにやることなんて無いんだから、だったらすんなり寝た方が良いだろう?」

≪まあな。じゃあ起こす時間とかはあるか?≫

「いや、いい。俺は他人に起こされるのは嫌だからな」

≪あっそ。お休みー≫

最近食っちゃねの生活ばかりしていたため、少々体力の衰えを恐れていたが、

まあ日常生活が出来れば問題無い、そう思っていたので、俺は一切の心配をせず、すぐに寝入った。

その後、俺は時間を知らない長い夢の旅を追え、そして目が覚めた。

「……ん……んー……」

俺は目を開けた。

「……おーい、ハーデス。今何時だ?」

≪今は夜の六時だ≫

「ろ、六時だと?!」

俺は最近になり、”夕飯”と”晩飯”という言葉を区別するようにした。夕飯は午後六時、晩飯は午後九時だ。

ということはつまり、俺は夕飯時まで眠ってしまったのだ!

「くそ、もう夕飯の時間じゃないか! まだ何も出前を注文していないのに……」

≪だーから言っただよ。起こす時間を決めてやるって≫

「……はぁ。もう俺は腹ペコだ。出前なんか待ってられねえよ」

≪じゃあどうするだ? 冷蔵庫には何も――まあいつものことだけど――入ってないぞ≫

「あぁ……どうしようか――」

俺はふと閃き、ハーデスを凝視した。

≪な、なだよ?! まさか、またおいらに食事を出せっていうじゃないだろうな?!≫

「そのまさかさ。な、別にいいだろう?、俺達相棒なんだからさ」

≪嫌だ! 何でおいらが扱き使われなくちゃならないだよ?!≫

「お前は杖だから、扱き使われて当たり前だろ」

≪だからって――≫

「それに、お前は俺の遣いで、俺を幸せにするんだろう?」

≪そ、そうだけど……≫

「なら、夕飯も頼むぜ」

≪うー……分かったよ……≫

そして毎度のように、ハーデスが食事を出し、俺はそれを貪った。

その後テレビやゲームをして時間を潰し、次の晩飯の時も、同じようにハーデスに頼んで食事を出してもらった。

 

 

 

朝食を食べながら俺は言った。

「何で気づかなかったんだろうな? ハーデスを使えば、わざわざ出前なんて取る必要無いじゃないか。

おかげで出前を取る手間も省けて、さらに金も使わないで済む。まさに一石二鳥だ!」

≪だけど、そしたらおいらの立場はどうなるだ? 少しぐらいはおいらに意思表明させてくれよ!≫

「杖がでしゃばるなよ? 考えてみれば、お前を使うのは俺なんだから、俺の自由に使っても良いじゃないか」

≪確かにそうだけど……≫

「別に飯を出すくらい、どうってことないだろう?」

俺はそれから、食事は全てハーデスに頼むことにした。

おかげで金は電気代ぐらいにしか使われず、とても節約になった。

ハーデスに頼んで食事を出してもらい、それを食い、そして寝て、起きたらまた食事。

空いた時間は、テレビやゲームで時間を潰した。

おかげで俺は一切動くことなく、正真正銘の食っちゃね生活を送ることになった。

何せ食事はハーデスが出してくれるから、俺が動く必要は無いのだ。

つまり俺が動くのは、寝る時と起きる時ぐらいのものなのだ。

そんな生活を続けていると、生活に支障が出るのは明らかだった。

俺は毎月、あのハーデスが出した改造車に乗って、コンビニに公共料金を支払いに行く。

引っ越して来た当初は、まだ体も何とか動いたし、息切れはするものの、特に問題は無かった。

しかしながら、こんなにも完全なるぐうたら生活を送っていたせいで、俺の体のなまりは予想以上に酷くなったのだ。

今では、車から降り、コンビニに入って、再び車に戻るまでの間に、俺の息は完全に切れてしまうのだ。

そのため帰る際は、少し車の中で休息を取らなければならなくなった。

「はぁ、はぁ……た、ただいま」

≪お前、最近大丈夫か? 駐車場からここまで来るだけでも、息切れしちゃってるじゃないか≫

「そうだな……はぁ、はぁ。これはちと、重大な問題かも知れないな……はぁ、はぁ……」

俺は家に着くなり、ソファにズドンと座った。

俺の体重でも支えられるよう、これまたハーデスに出してもらった物なのだが、

それでもソファは、今にも拉げそうなぐらい大きく撓んだ。正直それでも壊れないのが、不思議なくらいだ。

俺はしばらくソファで休憩をし、これから一体どうすれば良いかを考え始めた。

だが結論は、あまりにも早く出てしまった。

「ハーデス。お前、何か俺の分身みたいなものを出せないか?」

≪出せるだよ。だけど何でだ?≫

「このままだと、きっといつか俺は、コンビニに公共料金すら払いに行けなくなるかも知れない。

だったら早めに対処しておいた方が良いしな」

≪つまり、おいらがお前の分身を作り、そいつに公共料金を支払いに行かせると?≫

「そういうことだ。それにそうすれば、俺が態々物を取りに行かなくても済むしな」

≪……お前、本当にそれでいいのか?≫

「あん? 何でだ?」

≪お前が運動とかしてダイエットすりゃいいじゃないか。そうすれば、態々おいらが分身を作る必要など無いだろ?≫

「まあな。だけどこの体じゃ運動なんて出来ないんじゃないのか?」

≪食事制限がある≫

「なっ……! 俺に食事制限をしろと?! 馬鹿を言うもの程々にしろ! 俺にそんなことをさせようとしたら、お前をぶっ壊すぞ!」

≪……分かったよ。好きにすりゃいいさ≫

俺のこの詭弁は、自分自身でも気付かないものだった。

現状打破するには、今の状態だと食事制限しか無いのに、俺はそれだけは外せないと考えていた。食べることが好きだからゆえに……

俺はそれ以来、公共料金の支払いなどを自らの分身に委ねた。

おかげで俺は、本当に一歩も外に出ない生活を送るようになってしまった。

食事を取り、眠り、再び起きては食事を取り寝て、それ以外の空いた時間も、結局は動く必要が無いものだった。

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……んぐ、んぐ……ふぅー……」

≪……なあ。息切れするぐらいなら、そんなに勢いよく食べなくてもいいじゃないか?≫

「はぁ、はぁ……い、いや、俺は腹が空いているんだ……もっと、もっと食べないと……」

俺の呼吸は、歩かずとも乱れ、食事をしていても乱てしまう。

しかも太り過ぎのせいか、喉に食べ物を通すのが一苦労で、下手にやると詰まってしまいそうなのだ。

がっつきたいのにがっつけない。一杯食べたいのに食べれない。おかげで俺の空腹は、全く満たされなくなってしまった。

息さえしなければ……喉がもっと広ければ……そんな願望が、俺の脳裏を始終動き回っていた。

(ちくしょう……飯を、飯をもっと食いたいのに!)

≪そもそも、お前がそういう体にならなければ良かったじゃないか≫

(そうだよな……)

俺はしばらくだんまりし、そしてこう言った。

(なあ、ハーデス? お前、俺の呼吸を止めることが出来るのか?)

≪――! い、いきなり何を言ってるだ?!≫

(俺を殺せとは言ってないからな? 俺は、呼吸を止めても生きれる体に出来るかってことだ)

≪ほっ、驚かすなよ……ま、それは水中でも呼吸を可能にする魔法と似たようなものだし、出来ると思う≫

(じゃあさ、俺の喉、正確には気管を押し広げることは出来るか?)

≪それは簡単さ。空間魔法はおいらの得意分野だからな。お前も今まで見て来ただろう?≫

(そうか。ならその二つを頼む)

≪了解≫

ハーデスが光り出した。

最初は呼吸が苦しく、喉も圧迫感があった。

だがしばらくして、徐々に喉の圧迫感が消えるのを感じた。

しかしながら、呼吸の苦しさは未だ消えなかった。

(おい、息が苦しいままだぞ)

≪それはお前の意識の問題だ。既にお前は、息をしなくても生きていけるんだ。

だからお前はそれを受け入れ、体にそのことを覚えさせなくちゃならない≫

(それじゃあ、具体的にどうすればいいんだ?)

≪息を止めろ。そして苦しいとは思うな。固定概念を捨てるだ≫

(わ、分かった……)

俺は息を止めた。

苦しい……やっぱ苦しいじゃないか――いや、待てよ?

俺は意識を解放した。苦しさが消えていく?

俺は暫くの間、無の境地に浸った。

そして、俺は意識を元に戻した。するとどうだろうか、俺は息をしていない! 苦しくない!

(本当に……本当に息をしていないぞ!)

≪お前の要望だろ? そなに驚くことか?≫

(実際にこの感覚を味わうと、自然と感嘆の声が漏れるさ)

俺は食事を再開した。そして食べ物を、一口飲み込んでみた。

食べ物は詰まらなかった。それは喉を通り、気管も難なく通り、綺麗に胃の中へ滑り落ちた。

俺は久々に食事にがっつき始めた。

呼吸をしなくて済むので、俺は手を休めることなく食事をした。

おかげで俺は、数週間ぶりに満腹という感覚を満喫することが出来た。

この瞬間、俺は何とも言えない満喫感を味わった。それはまるで俺を酔わすかのような感覚で、

麻薬のように、俺を無限地獄に陥れようとでもしているようだった。

俺は久々の満腹に心満たされ、その場で眠りに就いた。

そして夢から目覚めると、俺は再び食事を始め、再度満腹感を得ようと食事を貪り始めた。

 

 

 

(どうしてなんだよ! どうして満腹にならないんだ?!)

俺は罵った。もはや喋ることが出来ないほどまでに口に食べ物を詰め込みながら、俺は罵った。

満腹が得られない! 俺の心を満たす満腹が得られない!

俺の満腹中枢が悶えはじめた。俺は満腹感という最重要要素を得ることが出来なくなっていた。

≪あーあ、醜い姿。お前、自分の姿を一度その目で見たらどうだ?≫

(うるさい! ちくしょう……もっと、もっと早く飯を食うことが出来たら!)

≪おいらの話は無視かよ。たまには自分を見直すことも大事――≫

(黙ってろ! お前も、何とか俺のためにこの状況を改善する考えを出せ!)

≪なっ?! おいらに八つ当たりするなよ! 自分でこな状況を作ったくせに!≫

(くっ! どうにか、どうにか満腹感を得ないと……一日中食べ続けなきゃ駄目なのか?!)

――そうか、その手があったか!

(おい、ハーデス。俺に飯を食わせろ)

≪お、おい! それはいくらなんでも酷いじゃないか! お前の今の様子からすると、

おいらは一日中お前に食事を与え続けなくちゃならないじゃないか!≫

(そうだ。お前は俺を幸せにするためにやって来た使者だろう? だったら口答えをするな!)

≪う、うう……いくらなでもそれは酷すぎっすよ……≫

(いいから黙ってやるんだ。それと、ついでに俺の眠りも取り除け。

もう俺は眠りたくも無い。俺は一日中飯を食い続けて、一生満腹感に浸り続けたいんだ!)

≪わ、分かったよー……≫

ふふふ……はぁーっはっは! 俺は心の中でこう叫んでやったさ!

 

(万難を排するこの杖は――もう俺の物なのだ!)

 

  ……もはやあいつには、おいらの声すら届かないのかも知れない

  ……そろそろ、準備に取り掛かるのもいいだろう

  ……しかしながら……今回の”飯”は、今まで以上に凄まじい奴だな……

 

 

 

「んぐ、んぐ、んぐ、んぐ、んぐ……」

俺は幸せだった。この上なく幸せだった。

何故なら、最も好きな食事を一日中、それも一睡もすること無く出来るのだから。

そして常に俺の腹を満たすこの満腹感。

俺はもう、こうしているだけで幸せだった。

だが一日中食べてばかりいると、少々刺激が不足してしまう。

残念ながら俺の体は、もはやゲームが出来る体では無くなってしまったが、それでもテレビを見ることは出来る。

俺にとってテレビは、料理のちょっとしたスパイスなのだ。

(なあ、ハーデス? 次は甘いチョコジュースをくれないか?)

≪ああ、いいとも――だけどその前に、少し目を瞑ってくれないか?≫

(ん? あ、あぁ……お前にしては珍しいな、俺にそういうことを言うなんて)

≪そうか? まあそういうこともあるさ。おいらはお前に、とっておきの物を見せたいんだ≫

(ほぅ……そうか。じゃあたまには、お前の言うことも聞いてみるかな?)

俺は目を瞑った。瞬間、目の前が、目を閉じているのにも関わらず、突如明るくなった。

驚いた俺は目を開けると、目の前には見たことも無いような景色が広がっていた。

(こ、ここは……ここは何処なんだ?!)

ダークレッドと黒の色彩が背景で波打つ、まるでゲームの世界のような景色だった。

俺は、久々の恐怖に駆られた。

この一年ほど、俺はずっと至福の時を得続けていて、一切の恐怖などを味わうことがなかった。

俺は恐怖に戦き、とっさに逃げようとした――だが、体が動かない!

≪無理無理! お前さんの今の体重は、ゆうに1tを超えているだ!

お前と同種のやつらからすると、その体重は常人じゃあ無いだ。そな体が動くわけ無い!≫

「ぎ、ぎ、ぎざ、ま――!」

≪無理して喋ろうとするなって。どうせおいらは心が読めるだから、そっちで会話したらどうだ?≫

(……貴様! 一体これはどういうことだ!?)

≪……どうせお前はもう生きて帰れない。なら、全てを明かしてやるのが道理ってもだな≫

ハーデスが話し始めた――その内容はこうだった。

 

  実はハーデスは、冥界王の杖だったのだ。

  冥界では”生きている”生き物の肉を食らわなくてはならない。

  だがたくさんの生き物を狩ると、その内生き物が枯渇してしまう。

  現に冥界では一度、これにより大飢饉が発生してしまった。

  だから現王は、出来る限り少ない数の生き物で賄えるよう作を練った。

  その時、王はハーデスがあらゆるものを生み出せることを利用することにした。

  まず対象となる生き物を決め、そいつをうまいこと肥大化させる。

  そしてある程度肥大化したところで、そいつを冥界に持ち帰り、そいつを食料にするのだ。

 

(ってことは……俺は、この冥界での食料になる訳か?)

≪ああ。そういうことだな≫

(そ、そんな……俺はまだ生きたい! 俺にはやることがたくさんある!)

≪食べることか?≫

(そうだ! 俺にはまだまだたくさん食べて、幸せに暮らす義務がある!)

≪わがまま言うなよ。お前は十分幸せに暮らして来ただ。もう十分だろう?≫

(だ、だけど……だけどまだ1t程度なんだろ? 1t程度が俺の幸せ全てなのか?!)

≪……気付かないのか? 本当に、お前はあれだけ食っておいて体重が1tなのか?≫

(何を言ってるんだ?! 現に俺には――)

≪おいらはお前の気管を押し広げた。おいらが空間魔法を使えることは知ってるな?≫

(――! ま、まさか! そんなはずは!)

≪お前は、本当はとんでもないほどにまで肥えている。しかしあまりにも肥え過ぎているため、部屋に収まりきらなかったのさ。

この作戦は、少しでも他人に知られてはならない。だからおいらは、お前の体を押しとどめたのさ……

そして――これがお前の本当の姿なだよ!≫

ハーデスが光り出した。すると俺の体に、突如違和感が出始めた。

一体、一体どうなっているんだ!

俺は恐怖に駆られた。そしてハーデスの光が失せると――

「う”、あ”……あ”、あ”あ”……」

≪どうだ? もう声すら出ないだろう? お前はな、既においらでも測りきれないほどにまで肥えてるだよ!≫

(こ、こんなはずが……)

俺の体は、ぶよぶよの肉の塊に覆われていた――すごい重圧だ。

あまりの肉の重さに、俺は肉に縛られていた。自分で自分を縛ることになるとは、思いもよらなかった。

さらに太り過ぎた体は、俺の体のどの部分も動かせなくしていた。

≪さてと……では、さっそく冥界の料理となってもらおうか!≫

(ち、ちくしょうー!!!)

 

 

 

「今回の料理は、久々に上質な味だったな」

冥界王が絶賛した。

≪はい。あいつは、今までおいらが見た中では、一番食に対する執着心が強かったです≫

「なるほど……今後また、あのような生き物に出会えたら嬉しいのだがな」

≪きっと大丈夫でしょう。あの惑星では、徐々に生き物達の欲の制御が失われつつありますからね≫

「そうか。なら次も楽しみだな」

≪はい。おいらに任せて下さい≫

「では早速、次の食料を捕らえて来い!」

≪はい!≫

ハーデスは、再び同じ惑星を訪れた。

 

 

 

  欲は制するもの

  欲を制し、我慢を覚え

  欲を制し、知識を得る

  欲を制するものこそ、知性化された生き物の証

  欲を制することが出来ない知性化された生き物は、既に知性化生物から除外されるだろう

  最近、この知性化された惑星には、欲を制することが出来ない者が増えてきている

  ハーデスは、その弱みに食い込み、あなた達を冥界の食料にしてしまうかも知れない……

 

 

 

    THE END


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