町 イカッネク Ykcutnek
M 僕 ナーガ ギラン Guillan
M 私 ホエリアン ディーブス Deebs
M 俺 オルカン ローバル Lobal
F 私 ホエリアン テフス Tefth
ギランは、朝食を自宅(ローバルから借りた)で取ると、とあることを聞くため
島長 の家へと向かった。生憎その島長ローバルは隣島に行っているが、奥さんは常に寝た切りなので、ローバルがいない時はいつもメイドがいる。ギランが昨日帰宅する数十分前に彼女が来て挨拶を交わしており、面識はあった。島長の家に着いて声をかけると、中からはやはりメイドが出て来た。
「あら、昨日のギランじゃない。ごめんね、島長は今外出中なの」
「いやいいんです。実は聞きたいことがありまして」
「ふーん、それって?」
「ここら辺には、大陸から来た人達が施設を建ててるんですよね? そこで何を研究してるんですか?」
「それは、多分誰も知らないわ。だって島長も知らないし」
「えっ——でも何か分からないと、心配じゃないんですか?」
「この島の人達は、あまり細かいことは気にしないの。それに彼らのおかげで食糧が沢山とこの町に来るから、詮索をしたくないんじゃない?」
「なるほど……分かりました」
別れを告げようと思った矢先、ふとギランは肝心な質問を思い出した。
「そういえば、その施設って何処にあるんです?」
メイドの話では、この諸島には数十個もの島があり、その内有人島は二島のみ。つまりここと、ローバルが向かったもう一つの島だ。そして施設があるのは、この島ともう一つの無人島。ただその二島の距離は
一衣帯水 であり、手漕ぎボートでも向かえるらしい。だがそれはとうの昔、まだこの島の海洋族が貧困で痩せていた頃使えていた交通網で、体が巨大化した今の彼らが乗るとボートは簡単に沈んでしまう。しかしそもそも距離が短いゆえ、彼らの場合は泳げば良いことで、特に気にしてはいないようだ。けれど泳げないナーガのギランにして見れば、非常に嬉しい交通手段。これならいけると彼は、教えられた施設の一つにまずは向かっていた。
その施設は、イカッネクの反対側にある。山を越えた所だが島自体大きくないので、ナーガの移動時間で半時間、もう山の天辺に着いていた。
「あれが、噂の施設」と、頂上から下に広がる施設を両眼で窺った。何やらビニールハウスらしきものが多数あり、その中心に大きな平屋が一棟。そしてそれらを取り囲むように防壁があった。彼は山を下り始めた。
山を下り終えると、その防壁の高さに圧倒された。山頂からでは分からなかったが、その高さは優に5mもあり、まるで灰色の崖である。それに沿って一本の道が左に続いており、彼は森からその道へと出た。
暫く進むと、何やら奥の方で二人がカウチに座っていた。ギランは左脇の森に再び身を隠しながら、静かにその方向へと蛇行し、丁度彼らの真向かいに当たる所まで忍んだ。どうやらそこは、防壁の中に通じる検問所のようだ。
(あの体……海洋族でもないのに、しかも警備員?)ギランは目を疑ぐったが、それは紛いのない事実だった。
二人は、警備員用の制服を羽織り、ぺちゃくちゃとお喋りをしている川獺だ。全く危機感のない危なげな勤務態度だが、それは見た目でも充分だった。何せ二人は、ローバルに対峙出来るほどの大きな体格をしており、特に右側の川獺は左側の倍、即ちローバルよりも大きく、しかしその体は完全に締まっていないのだ。
この島国特有の暑さに参って、二人は汗をずっと滴らせている。片手には常に2Lの水筒を携帯してちまちまと飲んでいるが、身動ぎする度に全身の肉が揺れ動き、汗が舞って水分はすぐに体外へと放出されていた。その証としてまだ午前中ながら、彼らの制服は既に生乾きの洗濯物状態である。
ギランは、そんな異様な様子を凝視してしまった。
「んん、なんだぁ?」と右側の川獺。さっと地面に伏せたギラン。もし海洋族だったら、そのでかい図体でこの丈の短い
草叢 には隠れられなかっただろう。この時のギランは、自身の痩せた体、そして細長い体型のナーガであることに感謝した。「なんだよパジィ。誰もここには来ないって」
「だよねぇ。んでさ、さっきの続きなんだけど——」
一番でぶっちょな川獺、パジィが話を続けようとした矢先、突如辺りにチャイムが鳴り響いた。すると二人は、膝に手を付いて重い体を持ち上げると、えっちらおっちらと施設内に入っていった。
足音が去り、ギランは
擡頭 した。警備員の姿はもうない。どうやら先ほどのチャイムは、何かの集合の合図のようだ。ギランは、地面に突っ伏していたことで頬に付いた泥を手で払うと、忍び足ならぬ忍び蛇行で目の前の検問所を抜け、連なる防壁を抜けた。すると目の前には、山の頂上から見たビニールハウスが広々と設置されていた。球場のようにどでかく、その規模に彼は再度驚きつつ、ビニールハウス前の立て看板を見た。そこには「大農園」という文字が書かれていた。
中を覗くと、そこは非常に暑い。しかもサウナのように湿気っている。そのせいか、
形振 り構わず生っている野菜果物の香りがツンと鼻を突いた。だが決して胸糞は悪くならず、芬芳な香りが寧ろ、彼の心を蕩 けさせた。あぁ、一口でも良いから何か捥 いで食べて見たい……「いや、駄目だ。早くここを調査しないと」
恐らくここが、イカッネクの人達に送る食糧の源に違いない。ならしかし、ここでの研究内容は一体なんなのか?
彼は次に、ビニールハウスの中心にあった建物の入り口に向かった。するとそこは高速道路以上に幅広で、且つ何メートルもある高い天井の十字路があった。一番奥の方では、何やら船が
舫 われており、あそこが埠頭なのだろう。なるほどそこから荷物を運ぶために、こうやって通路を大きくしてあるのか。そして市場で見かけるような運搬車や電動カートが脇に並べられているのも、それが理由だろう。分岐路に差し掛かると、左の方で何やら談笑が聞こえた。右を見ると、そこには大きなゲートがあり、でかでかと「倉庫」と書かれていた。
ギランはそろりと、壁伝いに左の道を進んだ。徐々にかちゃかちゃと、食器と食器が触れ合う音が聞こえて来て、同時に何やら美味しそうな匂いが漂い始めたが、その香りの中にかなりの汗臭さも混じっている。どうやら向こうには食堂があるらしいが、彼の目線からでははめ殺し窓(FIX窓)しか見えない。
やがて境目まで来ると、彼は身を潜めながらちらりと中の様子を覗いた。左側には壁、右側には大きな食堂が広がっており、ずらりと設置された長テーブルで多くの従業員が料理を貪っている。
「……なんだあれ……みんな、どうしてあんなに?」
作業場所関係なしに混在しているらしく、先ほどの門番のような警備用の制服を着ていたり、ツナギを着ていたりと様々だ。だがそれにギランが驚いたわけではない。なんとそこにいる全員が、ローバルに近いほどでっぷりとしていたのだ。しかも全員脂肪太りや水太りと言われる、全くもって筋肉質のない姿。まぁツナギを着られると中まで分からないが、動く度に揺れる肉がそうであることを醸し出している。
そんな中、一番手前にあのパジィという川獺が座っていた。この軍団の中で三番目に太い。
「んふぅ、んまぁ」と周りと同じく、喋る時も常に口の中に何かが入っているモゴモゴの彼は、とりわけ食べることに夢中だ。
「にしてもよ、向こうで爆発事件が起きたらしいぜ」パジィの横にいた川獺。
「聞いた。ここをおさらばするんだってな」そう答えたのは、ツナギを着た猫。その横ではテーブルに手が届かないほど肥え太った二番目に重い同僚が、猫の手を“頼り”に霜降りの牛ブロックを頬張っている。果たして彼は、昼食後なんの作業をするのか——というより出来るのか。恐らくだが、重機の操作ぐらいしか不可能だろう。逆に言えばそれに甘んじてここまで肥大したのかも知れないが。
「だがよ、海洋族達にばれないか?」と再び川獺。
「んぐ、大丈夫だ。あいつらここには興味を示さないみたいだし、飯さえ与えてれば大丈夫だろ。うっぷ」
「でもよ、ここに人がいなくなったら——げぇっぷ! それが出来ねえだろ」
「その時はその時だよぉー」パジィがゆるーい言葉で割り込んだ。それに二人は「だな」と頷いた。
刹那、あのチャイムが再び鳴った。すると少し間を置いてだが、食堂にいる従業員達が怠惰そうに立ち上がり始めた。その光景にギランは、たまらず背筋を凍らせた。早く戻らないと、誰かに見つかるやも知れない。どんなにデブくてのろそうな従業員でも、発見されれば報告されてお仕舞いだ。
慌てて建物から去り、ビニールハウスのあいだを抜けると、彼は検問所を飛び出して目の前の森に飛び込んだ。そこで息を潜め、静かに周囲の様子を観察し始めた。
だが、待てども待てども全然あの門衛達は戻ってこない。もしかしたらあのチャイムは単なる勘違いなのか、取り越し苦労に過ぎなかったのかと、ギランが気を緩まそうした正にその時。
「あははは。いやー今日もおいら、良く食べたなぁ」
「おいおいパジィ、そう言ってまたいつものドーナッツ買ってるじゃねえか」
「だって座りっぱなしだと疲れるんだもん」
そしてあの極度肥満の二人は再び、検問所の両脇のカウチにどっかりと腰を据えた。これから仕事が終わるまで、彼らは何があっても立ち上がらないに違いない。それほどの重い腰っぷりを、二人は堂々の大股座りで見せていた。格別右側にいるパジィという名の川獺は。
(この警備の緩さ、それに従業員達のとろさ。これならまた忍び込めそうだ)
ギランは、ナーガの特性を活かして移動音を立てず、再びイカッネクの町まで戻り始めた。
続