やや書くペースが衰えていますので、今回のチャプターは短めです。
The Abyss of Heaven: Chapter 3 -Big Moving-
テーブルにある食事。それがなくなると、ウォマポ・ピッキは新しい料理を追加をする。
「俺の息子はな、なんでもしてくれるんだ。俺の選んだ服に文句は言わないし、俺と遊ぼうと言えば遊んでくれる。俺が用意したものはなんでも、好き嫌いなく食べてくれるんだ」
そう言って彼は、もう一人の僕(以後ミドラーと呼ぼう)の肩をぽんと叩いた。そのミドラーには食欲の限界がないのか、延々と食べ続ける。だから彼の満腹は、ウォマポ次第であった。
暫くして、ウォマポがそう思ったようだ。彼の指示で、ミドラーは食事を終えると、二人で大きな庭に出て遊び始めた。
待てよ、ここで僕は思った。酷く疲れたりする時もあれば、ここに来る時のように調子が良い時がある。もしかして疲労度も、体型と同じく反映するのではと。
そして案の定だった。ウォマポとミドラーが仲睦まじく遊んでいると、ミドラーはいつものように表情は変えなかったが、僕自身が段々と疲労してきたのだ。立っているだけでもそりゃ体力を使う体だが、俄然その変移は早かった。この時僕は、完璧にミドラーとシンクロしているのだと完全に実感した。
そんなこんなで、日もそろそろ暮れ始めた。ウォマポはミドラーに、再び彼次第の食事量を息子に与えたあと、ぱんぱんに膨れたお腹によちよちと歩く息子を、ベッドに横たえてやった。
「……ウォマポさんは、相当息子を大事にしてるんですね」
「そりゃそうさ。親として当然だろ?」と彼は、仰向けになっているミドラーを寝間着に着替えさせながら言った。
「そう、ですね」
「さてと、時間も時間だし、そろそろ帰って貰ってもいいか?」
「あ、はい。今日は色々と、ありがとうございました」
「ああ」
僕はウォマポに別れを告げると、王室を抜けて長い赤い絨毯の廊下から外に出て、陽が周囲の城達に隠れるほど沈んだ明るさのもと、広い庭を抜けて行った。そして引き戸式門扉の前に立つと、ウォマポが監視しているのか、門が自動的にがらがらと開いた。そこを通り抜けると、背後で門がぴしゃりと閉まり、目の前にはジャイアルの車があった。
「ジャイアルさん?」
窓から中を覗くと、ジャイアルは運転席で眠っていた。脇にはデリバリーしたであろうピザが山積みになっていて、2Lの飲み物も二つ置かれていた。
僕は窓を叩いた。するとむくりと、彼は目覚め、手の甲で両目を擦りながら僕の方を朧気に見た。
「んぁ……お、おお、悪い悪い」と、後部座席の扉をあけ、僕は中に乗り込んだ。それを見計らうと、彼は車の向きを反転させ、鉄町へと戻り始めた。
「すみません、こんな遅くまで」
「良いって事よ。つまりは収穫があったんだろ?」
「はい。その、やっぱり僕自身でした」
「そうか。やはりパム・ロさんの推測は正しかったってわけか。んで、どうなった?」
「特に何も——あ、でももう一人の僕に触ろうとすると、幽霊みたいに中に溶け込むんです」
「なんだって? つまり、一つになろうとしているのか」
「恐らくそうだと思います」
「なら一つになったのか?」
その質問に、僕は首を横に振った。
「もう一人の僕は、あそこの城に住むウォマポさんていう方が養子にしていて、凄く優しくしてくれているんです」
「なるほど、そういう事だったのか。だが一つにならないと、不都合があるんじゃないのか? そのウォマポという奴の溺愛ぶりで、お前の体が勝手に太るんだろ?」
「はい。でも過剰と言っても、ウォマポさんの優しさを見るとどうしても……」
「気が引けるのか?」
「だってあの人、決して悪いことはしてないんですもの。そんな彼から息子を奪うなんて——」
「だがもう一人のお前なんだろ?」
僕は何も答えられず、口を尖らせ、そしてそのままそれを閉じた。ジャイアルも僕の心の葛藤を汲み取ったのか、それからは無言だった。
城町の門から煉瓦町に出て、そこからまた門をくぐって鉄町に戻る。メインストリートから巨大なエレベータに乗り込んで地下へと下りると、車は発進し、やがてパム・ロの玄関前で止まった。
「今日はお疲れ。とりあえずまだ、現実世界に戻れるわけじゃあないが、色々と分かったこともあるし、気を前向きにな」
「はい。ありがとうございます」
車から、いつもの要領で揺するように下りると、振り返って、走り去るジャイアルさんに深々とお辞儀をした。車が見えなくなると、僕はパム・ロ家の玄関に向かった。
門を開けると、いつものようにパム・ロが、どっしりと腰を据えて座り込んでいた。どうやら今は食事中のようで、テレビを見ながら(現実世界の放送だ。交信は出来ないが、向こうからの電波を受信出来るのだ)大好きなステーキをヴァーテクスに、専用の道具で目の前に運んで貰っていた。その彼女の脇には、タワーのように積まれた冷凍ステーキと特殊なレンジがあり、その後ろにはデザートとなる菓子類が控えていた。
今日も良く食べるなぁと、関心した面持ちで僕は帰宅の挨拶を交わすと、彼の脇を通ってそのまま部屋に戻ろうとした。
「ん、夕飯は?」
「いえ、今日は向こうで食べて来たんで」正確にはもう一人のミドラーだが。
「てことは、噂のお前に会ってきたのか」
「はい。パム・ロさんの言うとおりでして、シンクロしているのも、この目ではっきりと見て来ました」
「なるほど、それは良かった。で、詳しく教えてくれないか」
パム・ロはテレビに顔を面しながら言ったが、これは単に頭を左右45度にしか回せず、横にいる僕の方を向けないためだ。
そんな彼に、僕は今日の出来事を簡潔に伝えた。
「なるほど。本来なら、二つに分離したものを一つに戻した方がいいんだろうが——そうなると、気持ち的に中々難しいな」
「はい……」
「良し、んなら俺が、明日話し合いに行こう」
「え”っ、パム・ロさん、がですか?」
「……ミドラー。俺を太り過ぎで動けない、単なる肉の塊だと思ってるのか?」
否定するのは失礼だろうが、やはりその容姿からは肯定し難く、僕は答えに戸惑ってしまった。するとパム・ロは、大袈裟にしょぼくれた。
「悲しいわ、俺。やっぱりそんなデブに見られてるんだな」
その時だ。彼は今まで会話中でも絶対に休めなかった食事の手を、ぴたりと止めた。そして「ふんっぐぅ〜らあぁー!」と物凄い力み声を上げると、なんと分厚い布団が幾重にも重なったような、淵が紺青色で象牙色の縞々を持つ肉布団の体が、徐々に持ち上がったのだ!
10t近い体重。その重々でだるだるしい脂肪を抱えて立ち上がる様は、現実世界ではこの世のものとは思えない——つまりこの場所らしい奇跡だった。
そしてこの時、僕は初めて、彼の鯨の尻尾を垣間見ることが出来た。
「ぶふぅー! いやぁ、一年前よりだいぶ太ったな」
「そりゃそうですよ。一年間ずっと脂肪だけを溜め込んでたんですから」脇にいたヴァーテクスが突っ込んだ。
「す、凄い……これも、死の世界ならではなんですか?」と僕。
「まあそんなところだが、考えてみろ。ここ死の世界にあるのは魂だ。前にも教えたと思うが、現実世界に肉体がある限り、この姿形は魂が具現化したもので、肉体と違って限度はない。だからどれだけ太ろうとも、見た目が変わるだけで、核そのものは動けるんだ」
「それじゃあ筋肉とかは、衰えないんですね」
「いや、衰える。そこは現実世界と一緒だ。だがなんというか、これは不思議な感覚なんだが、この世界には俺達の元いた世界にはない力があるようなんだ。魂の力、みたいなものか? だから筋肉があれば、その分この体でも走ったりは可能だろう。俺は面倒だからやらないがな、それに専用のトラックもあるし。それとジャイアルなんかは、お前より太った身体で、当然のように普通に動いてただろ?」
あっ、と僕は思い返した。そういえばこの一帯に住む者達もそうだが、ずしんずしんとしながらも、それなりに走れている人達がいた。それにはこんな理由があったのか。
「まぁそういうわけだ。だから明日、そのウォマポに会いに行くぞ」
パム・ロは僅かに膝を曲げ、そしてそのままどすんと、勢いよく尻をついた。脂肪の厚みからか痛くはなさそうだが、その衝撃で僕の重量級体が一瞬宙に浮き、更に震動で家がぐらりと揺れた。
僕は改めて、彼の存在レベルを身に沁みて感じながら、自室へと戻った。
翌日。表に用意されていたのは、サーカス用具でも突っ込むのかと思わせる、幅広で特大のトラックだった。なるほど、だから地上へのエレベータは異常にでかく、メインストリートと直結していたんだ。
パム・ロは、ゆっくりとだが、ウェディングドレスのトレーンのように、垂れ下がった全身の脂肪と飾りだけの肉尻尾を引き摺りながら、巨大な玄関を抜けてそのトラックに乗り込んだ。外出時においても、ヴァーテクスは片時も彼のそばを離れなかった。
それから、誘導役のジャイアルが乗る車が先陣を切り、しんがりをこのトラックとして道を進み始めた。エレベータに乗る時は一車輌ずつとなったが、あとは連なって鉄町のメインストリートから煉瓦町へと出た。
公園に入って何分かして、窓からはスィンとスィックが遊んでいた。どうやら鬼ごっこのようだが、スィックの堂々たるお腹のせいで、スィンには到底追いつけていない。ぽよんぽよんと揺れる彼のお腹の滑稽さに、彼女はくすくすと笑いながら余裕を見せ、とても和やかな雰囲気だと窺える。
「あっ……」
ヴァーテクスがもらした。子供達の近くには、彼女の妹、ベースが面倒見していたのだ。
「んん、どうした?」とパム・ロ。
「あたしの妹です」
「ほほう、妹か……なら会えばいいじゃないか」
「で、でも——」
「もし何か、気まずいことがあるのなら、早く払拭した方がいい。ここは死の世界だ、何者も心残りがない方が清々しいだろ?」
「しかし、パム・ロさんのお供は?」
「そうやって託ける癖は良くないぞ。残念というか運が良かったというか、今はミドラーがいるからな。そのことは安心しろ」
それでもまだ躊躇いがあるヴァーテクスに、パム・ロは車を止めるよう、前を走るジャイアルに無線で伝えた。
「ここを通りがかったついでだ、このまま行っちゃえって。いじいじしてるより、潔くいった方が踏ん切りがつくぞ」
「……そう、ですよね。分かりました、ありがとうございます、パム・ロさん」
「あとで迎えに来るから、それまでゆっくりと、間柄を深めな」
ヴァーテクスは、扉をあけて降車した。それから少しのあいだ、子供達の方へ向かった彼女の様子を窺った。
最初、お互いもじもじとしていたが、意外にもあっさりと打ち解けたのか、二人の子供達の方を見ながら、会話をし始めた。そしてヴァーテクスは、何やら納得した面持ちで、頷いた。何を納得したのかは分からなかったが、これが発射の皮切りとなった。
「よし、行こう」
パム・ロの合図と共に、再び二台の車は発進した。
「結構長く、二人は離れていたんですか?」
「いんや。ここ三、四年前ってところか。突然ヴァーテクスが俺ん家に来てな。話に聞くと、お互い死に際で何かあったらしいんだが、詳しいことは俺も知らん。とにもかくにも、それが原因で気まずくなり、自らベースと距離を置いたんだとさ。けど何もせず、ぼうっとしてると罪悪感が目立って気になってと、俺のところにメイドとして仕事を始めたわけだ」
「そうだったんですか……色んな過去を背負ってるんですね」
「みんなそういもんよ。おっ、門が見えてきたぞ。あれを抜ければ城町ってわけか」
そして数分後、車はその門を抜けて、あの城町へとやって来た。
続く