プロローグで述べた通り、飛び飛びな部分がありつつ、これにて完結です。あともう一枚絵を描いて見ました。ウィンとの再会をイメージしたのですが、この頃のエンティはそこまで太ってないです。自分の欲望の末こうなりました(爆
アースプライト・ジーニアス Earsprite Genius あたい アーシー Earsy 女 大地の妖精
サーペント・アイン=ナーガ Serpent Ine-Naga 私 エンティ Enty 男 ナーガ
ウィング・ザ・ウルフ Wing the Wolf あっし ウィン Win 男 狼
デイル Dale 俺 男 蜥蜴
アーシーとエンティの同居生活が一変してから五年後。そんな彼女の家に、一人の細身な蜥蜴が訪問した。
「サーペントはいます?」
「サーペント? ああ、エンティのことね。いるわよ」
「エンティ? ここでもそう呼ばれてるのか……実は、彼と話をしたくここへ来たのですが」
「いいわ、じゃ入って」
蜥蜴はアーシーのあとに従った。すると向かいに、何やら薄紫色の物体が、戸口から漏れ出しているのが見えた。しかし液体ではなく、それは固体らしいのだが、ぶよぶよと少し動いていた。果たしてあれはなんなのか——
「で、あんたは誰?」
「え? ああ、俺はデイル。エンティとは旧友なんです」
「あらそう。あたいはアーシー、彼の妻よ」
「——! つつ、妻? つまりエンティは、婚約したということなんですか?」
「そうよ。だから敬語なんて使わず、忌憚なく喋って頂戴。あたいそういうの嫌いなの」
「分かりました。それでは……こほん。今、エンティは何してるんだい?」
「食事中よ」
そして彼女は、蜥蜴のデイルをダイニングルームに招き入れた。
目の前には、顔が少し埋もれ、傍目ナーガという種族を忘れさせる薄紫色が、顔半分の大きな木のスプーンで、
堆 く積まれた食べ物を掬い豪快に口へと運んでいた。「……えっと、誰だ?」とデイル。
「っはぐ、もぐ、んぐ。んっ、君は?」
「俺はデイル。あなたは——」
「デイル! 久しぶりだな、見ない内に随分と変わったんだな」
「へっ、なんで俺の名前、を……! う、嘘だろ。え、えん、エンティなのか!?」
「そうだ。水臭いな、私のことを忘れたのか?」
「違う! けど、民俗学の権威と呼ばれたお前が、そんな——」
「ははは、気にするなって。それで、何の用なんだ?」
「あ、あぁ。実はその、お前、スプリタンデルフとその周辺について論文書いてただろ? それを提出するとか言って、全然してなかったじゃないか」
「おっと、すっかり忘れてたな。もう完成してるから、今取りに行く」
しかしその言葉で、本人は一切身動きを取らなかった。代わりにアーシーが、ダイニングルームを出て行った。
「ん、どうした?」とデイル。
「いや、アーシーに引っ張って貰わないと」
「引っ張る? どういうことだ?」
「見てれば分かる」
うーんと思いつつ、デイルはアーシーのあとを追った。すると彼女は、あの玄関先で見た巨大な薄紫色の先を、彼ぐっと握って掴んでいた。
「ふんっ!」と彼女が、綱引きの要領でそれを引っ張った。するとその物体は、ずるずると後ろへ後退し始めた。そして戸口からは、エンティの姿が現れたのだ。
なんて
膂力 の女性なんだ! と驚くのと同時に、あのぶよぶよがまさかエンティの一部だったと知り、デイルは愕然とした。「え、エンティ……お前、自力で動けないのか?」
「まさか。私は前進は出来るが、ただ後ろに下がれないだけだ」
「……」
デイルは、言葉を失った。
それからエンティは、自室に体を
捩 りながらねじ込み、何百、何千という紙を束ねた論文を封筒に入れて封をした。そしてここでも、後退出来ない彼は、奥さんのアーシーに尻尾を引いて貰った。「これで大丈夫だろ?」とエンティは、デイルに封筒を渡した。
「あ、ああ……なあ、エンティ。お前、これからどうするんだ?」
「私か? まだ食事の途中だからな、それを食べ——」
「ちがーう! これからの生活だ!」
「あぁ、そういうことか。アーシーと結婚した事だし、ここで平和に暮らすさ」
「だが次の論文は? 研究はどうするんだ?」
「もう止めた。ここでアーシーと共に仕事をし、彼女の料理を食べる。それだけで充分幸せなんだ」
「……分かった。それじゃエンティ、これでお別れだな」
「そうか。そっちも頑張れよ」
デイルは、眼鏡の位置を直すと、身を翻して家を去って行った。
「いいの、エンティ?」
「ここでの生活が気に入ったんだ。それと君の料理も」
「あら、嬉しい言葉ね」
そして彼は、ずっずっとその
肉膨 れした重い胴体をゆうっくりとくねらせ、再びダイニングルームに戻ろうとした。刹那、「バキ、ベキン!」という怪しい物音と共に、彼はずぶりと床に埋まってしまった。
「ふぐぁ! うっ、なんだ、何が起きた?」
「……エンティ。どうやら床が抜けたようね」
「本当か? くっ、う、動けない」
「さすがのあたいも、あんたを持ち上げるのは無理、というか不可能ね」
するとその時、玄関ががちゃりとあいた。この家の家政士、狼のウィンだ。
「ただいま! 食料を注文してきましたよ、姐さん! あれ、エンティの旦那、少し背が縮みました?」
「違うだろ。床が抜けたらしいんだ」
「ゆ、床が抜けた!? 大丈夫なんですか旦那!?」
慌てて近寄って来たウィンに、アーシーは手で遮りながらこう言った。
「悪いけどウィン、あたいの部下達をここに呼んできて」
「あ、はい、分かりました!」
そしてウィンは、再び家の外へ出て行った。
「……アーシー」
「何、エンティ?」
「テーブルの料理、持って来てくれないか。もっと食べたいんだが」
彼の言葉に、彼女は両手を腰に当て、鼻息荒くこう答えた。
「ふん、もう! いくら何でもね、今の状況を考えて欲しいわ」
「むむぅ……」と少ししょぼくれたエンティ。同時に彼のお腹からも、悲哀に満ちた虫の鳴き声が上がった。
アーシーは、やれやれと首を横に振りながら、結局ダイニングルームから料理と彼専用スプーンを運んで来てあげた。
それらを手にした彼は、助けが来るまでの間、見事に全ての料理を完食し切ったという。またその行為が、救出作業を難航にしたのは言うまでもない。
けどエンティは、それほど反省した様子はなかった。どうやらアーシーの影響を受けてか、度胸とはまた違った不動の心を持ってしまったようだ。しかもその肝の据わり方が普通ではなく、彼は彼女が呆れるほど、食べる場所を選ばなくなった。その第一回目が、この床に嵌った状態なのである。
翌年。デイルが受け取った論文を公表して学会を震撼させる中、仕事場でエンティは倒木を運びながら、
留 まることなく何かを食べ続けており、お代わりを要求されたアーシーは、心肝 からうんざりするのだった。終