アースプライト・ジーニアス Earsprite Genius あたい アーシー Earsy 女 大地の妖精
サーペント・アイン=ナーガ Serpent Ine-Naga 私 エンティ Enty 男 ナーガ
ウィング・ザ・ウルフ Wing the Wolf あっし ウィン Win 男 狼
あの地獄の一ヶ月が去り、自宅へと帰還したエンティ。短い期間だったが、少しばかしお腹が出てしまった。けどこんなもの、ナーガインで暮らせばすぐに元通り。
けど、何かの糸が繋がっていたのかも知れない。彼は結局、あの場所に戻されることになる。
「サーペント・アイン=ナーガさん。お手紙です」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
エンティは玄関口へと向かい、郵便配達員から封筒を受け取った。
「ふぅむ、論文はまだ提出していないんだが」そう言いながら書斎に戻ったエンティ。封筒を裏返すと、そこにはアーシーの名が記されていた。彼女から手紙なんて、二年間の内初めてだった。
「何々、『料理を作るのに今ははまって、あんたには感謝の気持ちでいっぱいよ。でも、今は食べてくれる人がいなくて、凄く淋しいの。最初は部下達にも私の手料理を食べさせたて、みんな美味しいって言ってくれたわ。けど今じゃ、みんな遠慮して食べてくれないの。一応作るには作るんだけど、全部私が食べなくちゃならないから、おかげでまた太り始めちゃったわ。
正直そういうこと、余り考えたくはないんだけど……あんたが心配してたもんだから、少しに気になっちゃって。
それで、もし良かったら、またスプリタンデルフに来て、私の手料理を食べてくれない? 返事を待ってるわ』か」
エンティ自身、こういう状況に於いて、それほど気には掛けないタイプだと思っていた。だがいざこの状況に立たされた時、彼は凄く彼女の事が心配になった。
そして彼は、手紙の返事を書かず、いつもの鞄を肩にかけた。
なんで、衝動的に何時間もかけて、このスプリタンデルフを訪れてしまったのか。エンティはその行動に驚いていた。けど来たからには、もう行くしかない。
陽が傾き始め、明るさのピークを越えた村の道をするすると進むと、突如彼は声をかけられた。
「エンティさん、久しぶりっす」
「ん? 君は……」
アーシーと同じ大地の妖精の男。立派な太鼓腹が特徴的で、エンティは珍しいと思った。アーシーの事ばかり考えると、この村には太った人達が多いように感じるが、実はかなり少ない。筋肉質な男達でも、体脂肪はないことが殆どで、女性もふくよかさを重視しつつも、精々ぽっちゃり程度。
理由は、エンティがとうに論文を書いており、それを引用すると、もっと昔の、食べ物を粗末にしないという教えが出来た当時のスプリタンデルフに、同様にして食べ物を大事にするという習慣があり、食べ過ぎも粗末の一つだったからだ。
今では、近代化の影響は受けずとも、他の村や地域との嗜好品の物々交換等で、食料は豊富にある。けどまだ多くの村人達は、その教えを遵守している。つまりアーシーという存在は、この村で初めての左翼、革新派とも言えるのだ。なので目の前にいるお腹の出た男というのも、同じく珍しいのである。
「もしかして、俺のこと忘れちゃいました?」
「んー……そうだ、思い出したぞ! 君に何度か話を聞いたな」
「そうっすそうっす! 今回はまた、姉御のところに?」
「ああ。彼女から手紙を受け取ってな」
「姉御から? うーん、やっぱりそうなんすね」
「そうって、何がだ?」
「いや、実は姉御、エンティさんから料理を教わってから、それはもう作りまくってるんすよ。んで俺達も、美味しいと初めは食べていたんですが、作る量がどんどん増えていって、昼食後、まともに動けなくなっちゃうぐらいになったんすよ」
「そ、そうなのか? ふぅむ、だから君は少し腹が出ているのか。前はそんなんじゃなかったよな?」
「俺だけじゃないっす。仕事仲間全員、こんな腹してますよ」
「なるほど。それでアーシーの料理を遠慮してるのか」
「えっ、なんで知ってるんすか?」
「手紙に書いてあった。んで、彼女は今どうしてるんだ?」
「それが……俗に言う、リバウンドってやつっす。料理を作ることが癖になったらしく、仕事中以外は、作っては食べ作っては食べを繰り返してるんす。おかげで以前、姉御は体重で椅子を潰したんですが、最近は家の床が抜けるほどなんす」
「なんだって!? おいおいそれじゃ、一体どうやって生活するんだ?」
「姉御の家は、かなり古いものでしたので、新しい木でかなり頑丈に改築しました。なので今の何十倍という体重でも、床はびくともしないはずっす」
それは凄い、さすがはスプリタンデルフ生まれの木材だ——っと感心している場合じゃないと、エンティは首を左右に振った。
「だがそれでも、アーシーは太り続けてるんだろ?」
「え、ええ。きっと姉御自身も、少なからず気にしてるんだと思います。だからエンティさんに手紙を書いたんすよ」
「分かった。これは一刻を争うかも知れないし、私がどうにかしよう」
「お願いします。俺達が代わりに食ってもいいんですが、姉御とは体の素質が違うんで、これ以上太ったら仕事が出来なくなるんす」
「心配するな、君たちには迷惑はかけない」
「ありがとうございます」
エンティは、頭を下げたアーシーの部下と別れ、彼女の家へと向かった。
アーシーの家に着くと、見栄えはさほど変わってはなかった。ただ以前より木の光沢があり、新しくなったことが窺えた。
玄関に行き、ノッカーを叩くエンティ。すると奥から、ドッドッというやや荒い足音が聞こえて来た。そして扉ががちゃりと開いた。
「あらエンティ! 久しぶりじゃない!」
「あ……あ、あぁ、久しぶり」
「さっ、中に入って。今ちょうど、おやつを作り終えたところなの」
軽やかな気持ちで彼女はエンティを案内するが、その体は重さに満ちている。一度彼女が太った時は、1年という歳月をかけて変化した。こんにちの体は11ヶ月とやや短いのに、その体は明らかに以前よりもでかく、部下の言っていたリバウンドという言葉が正に相応しかった。
歩き方も少し変わり、彼女のあとにつくエンティは、背肉の揺れもしっかりと確認出来た。ざっくばらんに目測すると、先ほどの部下の三、四倍の重みはありそうだ。
「これがおやつよ。さっ、一緒に食べましょ」
「お、おやつ? これ、毎日食ってるのか?」
「そうよ」
長テーブルには、手作りとは思えない立派なケーキが置かれていた。目を瞠る出来映えだが、その量にも思わず
瞠視した。何せそれは、明らかに仲間内のパーティーで使われる一台のケーキだったからだ。こんなものをおやつに食い、またそれ以上の物を三食——彼女の場合はそれ以上かも知れない——も食べるのは、完全なるリバウンドの泥沼化である。
「なあ、アーシー。少し作る量を抑えたらどうだ?」
「いやよ。今じゃこれがあたいの生き甲斐なんだから」
「けど少しは減らしたらどうだ、一人で食べるには多すぎるだろ。それとも料理を止めた方が良いんじゃないのか?」
「何よ! 大体料理をしろって言ったのはあんたでしょ?」
そう言われると、エンティは言い返せなかった。彼女の為を思った行動だが、それが今じゃ周りにまで迷惑をかけている。
と考えると、エンティは罪悪感やら責任感やらを、犇々と感じ始めた。彼女を痩せさせる方法は幾らでもあった。その内の料理を教えた結果がこれなのだ。
「……分かった。なら私が、頑張って君の料理を食べるから。けどもう少しだけ、量を減らして貰えないか?」
「いいわ。それと、怒鳴ったりしてごめんね。あたい、本当に料理が好きみたいだから」
「いや、私も悪かった。君には料理の才能があるようだし、是非それを使うべきだ」
「ありがとう。それじゃ、食べましょ」
エンティは、彼女が分けたケーキの半分をもらい、それを食べた。うん、確かに美味い。11ヶ月前よりも格段に腕が上がっている。しかしこれを完食した時点でもう、彼の胃袋は限界だった。
だが夕食。彼女の盛大な料理に腰を抜かしつつも、その味に彼の舌は大きく唸った。周囲や彼女のことも考えて無理矢理腹に詰める料理の辛さも、それが僅かながらに緩和していた。
何日過ごしただろう。気が付けば長く、エンティはアーシーの家に寝泊まりしている。いつの間にか彼の部屋には机が用意され、ホワイトボードもある。
「……どうして私は、ここにいるんだ?」と時折思う彼。だがあの言葉を聞くと、彼はいてもたってもいられなくなる。
「エンティ! ご飯が出来たわよー」
その言葉を皮切りに、エンティはずるずると自室を出て、ダイニングルームへと向かう。そこには、長テーブルいっぱいに並べられた料理。そしてそのそれぞれは、こんもりと大盛り以上である。
「アーシー、また少し、量が増えてないか?」
「あらそう? ついつい作り過ぎちゃうのよね。でもあんたが食べてくれるし、別に大丈夫でしょ」
そう言われ、エンティは何故か納得。前より確実に一皿の量は多いが、彼は舌舐めずりをして、早速料理を食べ始めた。取り皿なんて要らない、彼の場合は直接、一皿の料理にアーシー特性のビッグスプーンをぶち込むのだ。
その時、ノッカーが叩かれた。エンティがばくばくと食事をする中、アーシーが玄関に赴いた。
「んっ、あんた……ウィン!?」
「お久しぶりです、姐さん。何だか家が変わったようですが、姐さんは二年前と変わりませんね」
二年前と変わらない。つまりウィンがこの家を去った時の話だが、それから一年後、彼女はリバウンドによって激太りした。だがそのまた一年後、体型が変わらないということは、彼女は見事ダイエットに成功していたのだ。
「ありがと。それじゃあがって。今昼食中だから、一緒に食べましょ」
「もしかして、姐さんが作ったんですか?」
「そうよ。あんたが去ってから、自分で料理をするようにしたんだから」
「それは是非、食べさせて下さい!」
そしてウィンは、家の中に招かれた。するとダイニングルームと繋がる戸口で、何やら薄紫色の、ぶよぶよとした長物が見え、彼は言った。
「姐さん。あれは?」
「え? ああ、あれはエンティよ」
「えん、てぃ?」
首を傾げたウィン。どうやら彼の知っているエンティと、頭の中でリンクしていないらしい。
やがて別の入り口から、二人はその部屋に入った。ウィンもようやく、そこで言葉上のエンティと実物を脳内で繋げ合わせることに成功した。
「え、エンティさん!?」
「んむむ……んぐ。ウィンか、久しぶりだな」
「あ、あ、あの、エンティ、さん?」
驚き顔のウィンを尻目に、エンティは頷きながら、食事の手を休めない。
「さっ、みんなで食べましょ」
アーシーの言葉に、三人は昼食を食べながら談話を始めた。主にウィンの話で、どうして彼が来たのかという質問に対しては、仕事探しのためだと言う。実家暮らしをやめ、ちゃんとした職に就こうと思ったらしいのだが、犯罪歴のある彼を雇ってくれるところは中々ない。
そこで、アーシーの家に来て、前のように家事をしたいと願い出たのだ。勿論給料なんて要らないから、前のように住まわせて欲しいとのこと。すると寛容な彼女は、それを快く受け入れた。料理はもう彼女の分野だが、痩せたとは言えまだまだ体の大きな彼女にとって、体を曲げたりする掃除とかは余りしたくないのが本音。だから彼女にして見れば、家事や洗濯をしてくれる家政士がいれば大助かりなのだ。
翌日。ずずずと体をうねらすエンティは、尻尾の上に大木を積んでいた。いつからか知らないが、彼はアーシーの仕事を手伝うようになっていた。
嬉しいことに、肉付いた彼の尻尾は、重みのある木を乗せることで少し沈み、丁度良い滑り止めとなり、運搬者として彼女の部下達にもかなり好評である。
アーシーの家に戻ると、いつものようにエンティは自室で研究をし、ウィンは洗濯と掃除と食事の準備。アーシーは山盛りで豪勢な料理を拵え、食後の後片付けはウィンに任せる。
その日の夜。未婚のアーシーは、ふとこんなことを口にした。
「エンティ。出会ってから三年、ここに住んでもう一年弱一緒に過ごしてるけど……その、一緒に寝てみない?」
「い、一緒に?」
独身のエンティも、気付けばそんな長く一緒にいたのかと思い、その関係は思った以上に深くなったようだと悟った。
そしてエンティは、それを受け入れ、別室でウィンが一人寝ている中、二人はエンティの部屋に入った。そこには彼に合わせて
誂 えた、トリプルベッドに匹敵する特大のベッドがあり、体の大きな彼は、蜷局を巻くように丸まってその上に寝そべった。するとそこには、アーシーの寝るスペースが全くないことに気が付いた。「いつの間に私は、そんなに太ってしまったんだ?」
「別にいいじゃない、気にしないで。うーん、じゃああなたの上に乗るってのは……駄目よね」
「いや、大丈夫だろう。私はいつも倒木を運んでるんだ、幾らなんでも君は、そこまで重くはないだろ?」
「そうよね。それじゃ遠慮なく」
アーシーは立ち
淀 むことなく、エンティの体に堂々と登攀した。「……結構重いな」エンティがぼそり。それにアーシーが、彼の体を拳でパンチした。
「全くもう」
五年後。
「サーペント・アイン=ナーガの家は何処かな?」
眼鏡をかけた男の蜥蜴が、ナーガインにてそのような事を尋ねていた。
「あぁ、彼でしたら引っ越しましたよ」
「引っ越し? なら今、何処に住んでいるのか知ってます?」
「スプリタンデルフの、アーシーさんというお宅に住んでるらしいですよ」
「分かった、ありがとう」
住民のナーガにお礼を言って、蜥蜴はその足で船着き場に向かった。
「さすがはあいつだ。まさか研究する地域に定住するとはな」
続