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アースプライト・ジーニアス Earsprite Genius あたい アーシー Earsy 女 大地の妖精

サーペント・アイン=ナーガ Serpent Ine-Naga 私 エンティ Enty 男 ナーガ

ウィング・ザ・ウルフ Wing the Wolf あっし ウィン Win 男 狼


 エンティは、スプリタンデルフ周辺も調査して、およそ一年掛けて資料をまとめた。何百、いや、何千にもなる分厚い文書が、書斎の机に積み上げられている。

「ふぅむ……」

 彼は顎に手をあて、何やら悩んでいる。

「スプリタンデルフの資料が、全然足りないな」

 実はアーシーのところで集めた資料は、たったの一週間だけのものであり、他のところは一ヶ月と長期に渡って調査をしていたのだ。理由は簡単、スプリタンデルフには宿がないからだ。だから彼女の家に居候することとなり、少し気兼ねして彼は、一週間という短期の調査にしたのだ。だがそれでは、やはり充分なデータは集まらない。

「また、彼女の世話になるか」とエンティは、文書の山を丁寧にどけて、アーシー宛てに手紙を(=したた)めた。それを封筒に入れ、家からナーガイン特有の岩場で囲われた場所の郵便局で、それを投函した。

 暫くして、彼女から返事が来た。内容は、是非とも家に来て下さいとのことで、朝食を取ったエンティは早速鞄を手にし、何時間もかけて、スプリタンデルフ製の木製の船に乗船してスプリタンデルフを訪れた。

 相変わらず、スプリタンデルフは木々に覆われ、情景以外の自然、空気までもが体の周りに存在しており、非常にリラックス出来る、澄んだ村である。

 そんな村にエンティが着いたのは、陽が沈み始め、緑林ではかなり暗くなり始めた夕方だった。この時刻になると、この村特有の大きな蛍が明かりを発し、自然の光で辺りを照らし始め、夕食も食べたくなる頃。しかし彼はするすると寄り道もせず、一応宿は無くとも、スプリタンデルフにはいつかの雨風食堂(=あめかぜしょくどう)があるのだが、彼はアーシーの家へと一直線に向かった。

 彼女の家に着くと、ガラスの無い窓から、蛍を閉じ込めた蛍籠(=ほたるかご)からの明かりが漏れていて、うっすらと木造建築の輪郭が映し出されている。相変わらず大きいが、天井が高い単なる平屋であることは、既に承知済みだ。

「アーシー、私だ」とエンティはノッカーで玄関を叩いた。すると奥からドタドタと、慌てた様子でがちゃりと扉が開いた。

「あっ、エンティの旦那! 久しぶりです!」

 出て来たのは、過去にこの家に侵入した、あの泥棒の狼だった。彼のフルネームはウィング・ザ・ウルフ。風のように早いという意味が込められた名で、現在その俊敏さは、アーシーの下っ端で働くのに使われていて、逃げる要素は一切ない。その証拠に一年後の現在も、こうやって彼が住んでいるのだから。

「ウィンか、久しぶりだな。アーシーはどこだ?」

「今夕食中で、ダイニングにいます。旦那はもう食べました?」

「いや、まだだ」

「なら是非、あっしの料理を食べてください! 今日のは特に美味しい様で、(=あね)さんがバクバク食べてくれてるんです」

「ほほう。ではその自慢の料理とやらを、堪能させて貰おうか」

 そして彼は、ウィンに連れられ、ダイニングルームに入った。

 蛍籠が天井に吊るされ、その下に長テーブルがある。そこの大きな一席に、薄緑色の、幅が広い背中があった。それはバクバクと、食卓の上の物をがっついており、その様子にエンティは一瞬立ち止まってしまった。一年間のブランクがあるとはいえ、随分と大きくなってないかと。

「姐さん。エンティの旦那が来ましたよ」とウィン。

「むむ? んぐ……っと。あらエンティ、久しぶりね」

「あ、ああ。久しぶり、だな」

「どうしたの、何かあたいに付いてる?」

 付いていると言えば、確かに口周りにはソースなどが、女らしからずベットリと付いている。だが彼は、その事で目を瞠っているのではない。

「いや、その……昨年に比べて、随分と太ったなって——」

 するとアーシーは、すっと彼に両目を眇めた。彼女の怖さは周知のことなので、彼はあたふたとした。

「ふんっ、別にいいでしょ。ウィンが良い腕前だから、ついつい食べ過ぎちゃうのよ。でも別に、この体で不自由することなんてないし」

「はあ」これ以上エンティは何も言えず、ウィンに手で示され席に着席した。

 テーブル上には、バイキング形式で量のある料理が並べられ、手前には取り皿などの食器が置かれている。彼は適当に皿に料理を分け、夕食を取り始めた。

 ふむ、確かに味は美味だ。これならついつい食べ過ぎてしまうのも分かる気がする。だが彼女に関しては、見るからに過食状態である。何せ一年で背中が、本当に倍ほど広がり、元々立派だった太鼓腹が、今じゃ膨らみ過ぎて弛みをおびているのだ。

 しかしながら、周囲には今の彼女ほど肥えている者はいないにしろ、まだ歴史を知らないエンティにして見れば、これが大地の妖精だと言われれば否定は出来ないし、彼女の四肢は今尚がっしりとしていて、決して怠けているわけじゃあない。

 ただどちらにせよ、アーシーに勝る者は現在スプリタンデルフには存在せず、去年の時点で既にエンティの倍超もあった彼女の体格は、単純計算で今じゃ、彼の四倍以上ということになる。その劇的変化に、最初の彼は少し戸惑い気味だった。けど食事をしながら、一年間の出来事を、今回はウィンを交えて談笑することで、徐々にその意識は遠くへと追いやられた。

 でもやっぱり、彼女の太り具合にはどうにも焦点が行き、所々で彼女の胸から下の胴体に目線が移ってしまっていた。

 翌日。アーシーの仕事ぶりを見て、以前との違いに驚かされた。前は何回も大木にぶつかり倒していた彼女だが、現在はたったの数回で、下手をすれば一回の体当たりで木を倒してしまうのだ。勿論彼女一人で、部下の男達は手を出さずにだ。

 エンティは、仕事の邪魔にならない程度に、随所で作業員達に話を伺った。

「いやぁ、確かに姐さんは、以前よりも太っちゃいましたが……けど、今は寧ろ尊敬しちゃってます」

「どうしてだ?」

「見て下さいよ。あの大きな木を、最短で一回で薙ぎ倒しちゃうんですよ? もう自分、恐くて姐さんに文句言えないですよ」

「ハ、ハハ、なるほど」

 どうやら彼女が太ったことは、周りにさほど影響はなかったようだ。それよりもでかくて強くなった彼女を、敬ったり畏怖したりしているようだ。

 だが、エンティの不安は増大していた。膨らみ続ける彼女の体は、徐々にだが、ところどころで生活に変化を来たしていたからだ。

 一つ目は、床に落としたものを、座ったまま取れなくなったこと。だから渋々、立ち上がって屈んで取るか、もしくはウィンに取らせていた。だがそうこうしてる内に、二つ目の変化、とうとう普通では自力で取れなくなってしまう事態に発展。この頃には、テーブルなどを支えにして取るか、前後に足を開くかして取る、それともやはりウィンにやらせるかしていた。

 しかしそんなこと気にもせず、彼女は満足行くまでウィンの手料理を食べ続け、知らず知らずのうちに、その食欲を増進させ続けた。

 そしてとうとう、こんな事件まで発生した。

 発端は、アーシーが部下達を集め、いつもの盛大な昼食を取っている最中。この昼食は、周りの雨風食堂全てから取り寄せた料理である。男達は良く食い、それを筋肉などにエネルギー変換する。だが彼女の場合、確かに四肢の筋肉維持にもなるが、彼らの何倍も暴食した結果、余ったエネルギーが脂肪としてお腹に蓄えられているのだ。

「げっぷ。いやぁ、相変わらずこの飯は美味いっすね」と一人の部下。みんなも鱈腹食べて膨らんだお腹を摩り、満足げにしている。

 だがそんな中、たった一人だけ満足していない人物が——そう、言わずもがな、それはアーシーである。

「んぐ、んぐ……ずるずる、ずるずる……はぐっ、んぐっ……むしゃむしゃ」

「相変わらず姉御、良い食いっぷりですな」

「ごぶ、ごぶ、ぷはぁ! 当たり前じゃない、あんた達ももっと食べなさい」

「ガハハ! 俺はそんなに腹はでかくないですから」

「情けないわね。んぐっ、はぐっ、むしゃ、ごきゅ、ずるずる、くっちゃくっちゃ」

 男達よりも、より男らしい食い意地を見せるアーシー。だがその直後、ミシッという、嫌な物音が聞こえた。

 ズダァーン! 物々しい地響きと共に、男達の視界から、アーシーの姿が途端に消えた。

「あ、姐さん?」

「こ、ここよ。ああ全く、どうなってるの?」

 結果は見ての通り、彼女の重みに耐えきれず、木製の椅子がへし折れてしまったのだ。慌てて男達が彼女に手を差し伸べ、手助けをした。

「んぐぐぅ……お、重いぃ!」

 アーシー自身も、自らの足で立とうとしたが、何せ中途半端な体勢のため、大きなお腹がつっかえて前のめりになれず、足に力も入らないのだ。その為に全ては、男達の手に委ねられたわけだ。

 どうにか、屈強な部下達によって立ち上がったアーシー。何故だかは知らないが、相手に助けて貰っただけなのに、自分まで汗を掻いていた。

「ふぅ、ありがと」

「い、いいってことよ……はぁ、ふぅ。にしても姐さん、重過ぎやしません?」

 するとアーシーが、いつもの鋭い目線を、口を滑らした部下に向けた。部下はたちまち口を噤んだが、彼女本人も、少し自分の体に意識が行き始めたようだ。

 夕方。晩ご飯を食べているアーシーは、昼の出来事をほぼ忘れていたかのように、がつがつと止めどない食事を続けていた。

「奥のが取れないわ。ウィン、取って頂戴」

「へい!」とウィンは席を立ち、さっと頼まれた物を彼女に渡した。

「……なぁ、アーシー」とエンティ。

「何?」

「少しは、食事制限したらどうだ?」

「なんでよ?」

「だってさ、そのお腹……」

 しかしエンティは、口を閉ざした。言っても相変わらずかと言った様子で。

「……そうねぇ。確かに、少しは考えた方が良いかも」とここでようやくアーシーも、昼の事件を思い起こした。

 少しして、コンコンというノッカーが叩かれる音が聞こえた。誰かしらと思いながら、彼女はウィンに出向くよう合図した。

 また少しして、ウィンがダイニングルームに戻ってきた。だがそこには、もう一人別の狼がいた。女性だが、年の行った中年である。

「あ、あの……姐さん?」

「んぐっ、何よ? って、この人、誰?」

「どうも、ウィングの母です」

『——!』

 アーシーとエンティは、両目をしばたたいた。

 話を聞くと、近くの村で捕まっていた息子が中々出所しないので、確認したら既に出社済みだと判明し、母親が探しに来たとのこと。

「全く、なんでそのことを言わないのよ?」とアーシー。

「だってここには、電話がないですし、それに親に言うのも少し気が引けていて……」

「親不孝ね。それで奥さん、つまり息子を引き取りに来たのね」

「ええ。今までお世話になっていたようで、色々とありがとうございます」お辞儀をしながらウィングの母。

「いえいえ、家の家事を手伝ってくれたりして、こっちも大変助かりましたよ」

 というわけで、この日を境に、ウィンは母親の元に無事引き取られ、一年ちょい前の状況と同じになった。だがその間に起きた変化、アーシーの体(主に腹部)に溜まった脂肪と膨らんだ胃袋は、依然そのままである。

「なぁアーシー、これから食事はどうするんだ?」とエンティ。

「出前しかないでしょ。それともあんたが作ってくれるの?」

「何言ってる。アーシー、今だからこそ自分で料理を作って見たらどうだ? 料理は大変だし、少しダイエットにも繋がるだろ」

 すると今回は、アーシーもあの鋭い目付きをせず、真剣に考えた。

「そう、ね……最近体が重くて、本当は結構大変だったの。この機会に丁度いいかも知れないわね。でも、料理なんて一度もしたことないのよ?」

「大丈夫、やっていく内に出来るようになるさ」

「でも失敗したら、それ捨てるんでしょ?」

「うーん、あまりにも食えない代物だったら、そうなるかも知れないな」

「あたい達スプリタンデルフの住民は、食べ物を粗末にはしないわ。だからそこが、少し心配なの」

「なら私が、この手で教授しよう」

「料理、出来るの?」

「私は独り身だ。なら料理は、自分でするしかないだろ? まぁ出前というやり方が、君にはあるかも知れないが、生憎私の住むナーガインの地区には、そういった店がないものでな」

「ありがと。それじゃ色々と教えて」

「勿論だ。試食もして、徹底的に教えるぞ」

 こうしてアーシーは、珍しくエンティに従う形で、料理を学び始めた。するとどうだろう、彼女の中に眠る何かが目覚めたのか、時間を問わず、とにかく料理をし続けることになった。単に男グループと共に力仕事に励むだけでなく、どうやら本質には、女性らしい一面も持っていたようだ。

 だが、彼女の感覚で作る料理は、ウィンの時と同じ大盛り料理ばかり。それを捨てないよう全部試食するとなると、細身のエンティのお腹はあっという間にパンパンになってしまった。勿論アーシーも食べるには食べたが、不思議と以前よりは食欲は出さず、料理に専念しようとどんどん作った。エンティの止めも聞かずに。

「エンティ、出来たわよ! これ、味どうかしら?」

「う、うーん」とお腹を抱えて苦しそうな表情のエンティ。けどここは、頑張ってアーシーの為を思い、どうにか料理を口に運ぶ。

「……美味い、美味いぞ。凄いなアーシー、凄く腕が、げぷ、上達したな」

「本当? 嬉しいわ、じゃあ次は——」

「ま、待ってくれ! 今日はその、この辺にしないか?」

「折角これからが本番なのに?」

 その言葉に背筋も凍ったエンティ。慌てて彼女の昂昂然(=こうこうぜん)を抑え、どうにかその場を凌いだ。だがあと数週間、この状態が続くと思うと、彼は意気消沈としてしまった。

 けどこれは、アーシーにとって大きな転機。あのままでは確実に、太り過ぎで椅子どころかベッドも破壊し、寝た切りになっていたかも知れない。それを救えるのだと思えば、こんな苦境は乗り越えられる。そうしてエンティは、滞在期間一ヶ月の残りを過ごした。

    続


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