クロアード Croaad
「おいクロアード、早く来ないか!」
「は、はいぃ!」
蜥蜴の上司の声にドスドスと不格好な階段降りを披露する恐竜のクロアード。春がまだ来ていないのに、既に服装はクールビズ。なのに汗まみれで、Yシャツの背中にはそのあとがくっきりあった。
「全く少しはダイエットをしたらどうだ?」
「すみません……」
「だからそうやって運動不足でのろまになっちまうんだよ」
歩きながらクロアードは、内心でその言葉に反論した。別にのろまじゃない、ただこの体が動きづら過ぎるだけだと。そして運動不足なんかじゃない——どうして俺が息切れもしていないことに気付かないんだと。
だがそんな彼も、自身の特性については最近まで知らなかった。きっかけは力だけじゃなく学も身に付けようと努力していた当時の事……というのも彼には隠された秘密——それは地球を密かに守る大怪獣であることだ。しかし実際問題余りに体がでか過ぎては日常生活を送れないため、普段は体を小さくしている——があり、それを隠して社会に溶け込むため勉学に励んでいた最中に発見した。
質量保存の法則
この一つの法則が、それまでクロアードを腑に落ちさせなかった
痼 りを取り除かせたのだ。元の体では強靱な肉体で敵襲を防ぎ、なのに小さくなると途端にデブになる。このギャップをその法則を知るまで納得できなかったのだ。更にその成果は、戦いにも影響を与えた。以前はとにかく小さい体を痩せさせようと奮起し、結果巨大化時に細身になって負けることが屡
々 あったのだ。今となってはとにかく小さい時の体型を太らせたままにし、戦闘時には支障が出ないようにしている。「お、おいクロアード。だから痩せろと言ってるんだ」
「だいじょう、ぶ……くはぁ!」
クロアードは今、上司と共にレストランに入ろうとしていた。少し広めな入り口だが、彼にとっては裏道のような極細さだ。
「お前これ以上太ったら、幾ら知り合いの計らいでも社長からクビを食らうぞ」
申し訳なさそうに上司に謝るクロアード。しかし何故こんな努力を隠れ英雄的な俺がしないといけない? とふてくされた。
だが悲しいかな、その原因はここの所の不景気にあった。以前は秘密結社がクロアードの生活費を全て負担していたのだが、本来の体は超巨大な為、それを維持するための食事量も馬鹿にならない。それに隠蔽工作費など普通の会社にはない経費もかかっているため、金融危機後は完全に火の車。クロアードが仕事を承諾したのも、周りの苦労を見ての渋々の了承だった。
まあ正直な事を言えば、勉強は案外嫌いではなかった。しかし如何せんこの超弩級肥満体では、そのお肉らが様々な動きを
障碍 し、体が大きい時よりも不自由が多々あるため、かかる重力が少なくて身軽なのにそれを発揮出来ない。結果、現状のように周囲からは「異常肥満者(一応動ける)」的な有り触れた認識と蛇蝎視 しかされないのだ。「えっと……2名様、でよろしいですか?」
上司が頷くと、店員は店の奥へと案内した。彼女は普通だ、そこはちゃんとした“4人用”テーブル。普通じゃないのはクロアードの姿を確認しながら2人用テーブルにそのまま招く奴である。
一方には上司と荷物が置かれ、もう一方には丸々クロアードの巨体が置かれた。
「ご注文はお決まりですか?」
「私は和風御前。クロアードは?」
「ハンバーガーランチセット、ステーキ、スパゲティ、ピザ15インチ、サンドイッチ、パーティーポテト、パンケーキ、パフェ」
「……え、えと……あの、失礼ですがもう一度、お願いします」
店員の言葉に、クロアードは臆することなく同じ言葉を繰り返した。こんなことは日常茶飯事である。そして店員が去ったあとの上司の毎度の呆れ顔も。
「さっき言ったことを忘れたのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「全く新人というのはな、素直さが大事なんだぞ。例え君がぶくぶく太って行こうと私はどうだっていい。それは知り合いからの指示だからな。だが上司の言葉ぐらいは耳を貸したらどうだ」
クロアードが何よりも苦労するこの状況。隠してる秘密をぶち明けたいがそうもいかない——し信じても貰えないだろう。だからといってこれに関する言い訳など存在するのだろうか。
結局今日も、そんな精神的なつらさが
相俟 ったのか運ばれてきた料理を矢継ぎ早に掻き込み、追加でステーキハンバーグを注文し、腹に収めた。お陰様で退店時は入店時よりも入り口の通り抜けに時間を要した。
午後の仕事も終わり、足早に秘密結社に帰宅したクロアード。すると一人の鷹の博士が彼に歩み寄った。
「どうだったクロアード?」
「別に。そんで敵は?」とぶっきらぼうに答えるクロアード。
「今日も来てない。最近は平和だな」
「俺は平和じゃないなが」
「すまない、態々仕事に駆り出して」
「まぁこれも地球平和の一環だし、仕方がないのは分かってる」
「……にしてもクロアード。お前また太ってないか?」
「そうか? だが以前のようになっちゃまずいだろ」
「そうだな。少なからず細身よりは——」
「キンキュウジタイ、キンキュウジタイ。テキライシュウ、テキライシュウ!」
突然警報が鳴り出した。慌ただしくなる施設内。先ほどの博士も何処かへとすっ飛んでいた。
クロアードは早速、特大のYシャツを脱ぎ始めた。ぶよんと、だらしのない肉太りの姿が露わになる。
「久々にうんとストレスを発散してやろう」
彼は専用の待機所に入った。そこでこの変身を解けば、天井にある広大なゲートが開き、本来の彼が登場となるわけだ。
『クロアード、準備はいいか?』
「さっさとしてくれ。こっちは待ち
草臥 れてる」すると、天井がゆっくりと左右に分かれた。それと同時にクロアードは、内に秘めていた本当の力を解放した。テレビのような光などの効果は一切無く、ただ真の姿へとモーフィングして行く。太々しかった体も、徐々に成長する先へと伸ばされていく——
「かかってこい野郎共!」
ほぼ束縛から解放されたクロアードは、空から舞い降りる巨大な翼竜に向かいズシンと大きな一歩を踏み出した。そしてぶよんと、お腹にある脂肪が揺れた……
『んっ!?』
クロアード本人、そしてそれを監視する秘密結社の従業員達、誰もがその言葉を漏らした。変身後のクロアードとは違い、本当の体は逞しくて力強い象徴を呈していたはず。しかし今、その中に柔和さが紛れ込んでいた。
「き、気にするな! 行くぞ!」
動揺しつつもクロアードは素早く敵を捕捉し、そして向かい合って攻撃態勢に入った。相手は真正面からこちらに向かって羽ばたいてくる——そしてぶつかった! だがクロアードは少し後ろにずらされただけで、その後は翼竜を鷲掴み、豪快な技で敵を蹴散らした。
待機所に帰還したクロアードは、変身して先ほどのぶくぶく体に戻った。そして施設内へと戻って来た。従業員達は彼に視線を向けている。
「……んま、こういうのもありだな」
そしてクロアードは、たっぷりと夕食を取ったあと、自室でぐーすか眠りについた。
完