ネタが浮かんだんで、勢い任せに書いてみました。
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サクリファイス
「はふぅ、も、もう食べれないわ……」
狐の女が、クッションを背に壁に凭れ掛かった。そのお腹は、まるで十つ子を宿したのかと思うほど、大きく膨らんでいた。
「ダメだよ、昨年の蓄えが無かった今春の分を挽回しないと」と、ほっそりとした川獺の男が彼女に、何かをなみなみと注いだ大盃を差し出した。
「さぁ、これで少しでも胃を空けよう」
「え、ええ」
女は大盃を受け取ると、大きくなったお腹で支えながら、その飲み物をぐびぐびと一回で飲み干した。初めは苦しそうにしていた彼女だったが、徐々に表情に余裕が出て来た。
「ふぅー……これならもう少し、食べれそうだわ」
「良かった、なら次行くよ。村のために頑張って」
そして男は、躊躇なく彼女にご飯の盛られた大皿を渡した。彼女もそれを、苦心しながらも必死に平らげた。
それから三ヶ月後、あの男女の家には、大勢の村人が集っていた。そしてその中心には狐の女が、三ヶ月前とは比べものにならないほど太った体を、潰れたクッション越しの壁に預けていた。その大きさは、周囲の村人五人分に匹敵していた。
「歩けるか?」と川獺の男。
「む、無理よ……ふぅ、この状態でも、体が重いもの」
どうやら彼女は、あまりに太り過ぎているため、自分一人では身動きが取れないらしい。それを理解した村人達は、彼女の体を前後に傾けながら、その下に幾重ものマットを敷き詰めた。そしてその端を掴むと、村人総動員で彼女を運び始めた。
それから村人達は、彼女を山の麓にある、石で出来た祭壇の上に横たえた。
「……ねぇ」
狐が、戦々恐々とした様子で川獺を見上げた。
「なに、姉ちゃん?」
「今までありがとう。ふぅ、これでまた今年も、みんなが倹しい生活から解放されるわね」
「うん……」川獺は、やるせない表情を浮かべていた。
「もう諦めましょ。どうせこんな体だもの。お腹もずっと空きっぱなしだし、ふぅ、もうまともに生活なんて、出来ないんだから」
刹那、辺りがまるで、雲でもかかったかのように暗くなり始めた。
『
牛頭馬頭 が現れたぞー!』村人達が天を仰ぐと、そこには巨大な龍の腹部があった。それは徐々に下降し、周囲に暴風を巻き起こしながら、祭壇の奥へ地響きと共に着地した。すらりとした胴体ながら、その大きさは誰をも恐れさせるほどで、ここにいる村人全員を包み込めるほどだった。
暫しのあいだ、周囲に静寂が立ちこめた。だがすぐ、龍の背中から騒然と、屈強な男の牛や馬達が降り立ち、牛頭馬頭と呼ばれる彼らは祭壇を取り囲んだ。
「……」
先程の強風を、自重のおかげでものともしなかった狐も、今は恐怖で震え上がっていた。
牛頭馬頭らは、彼女をその逞しい膂力で持ち上げると、龍の背中へと乗せた。それを確認した龍は、大きな翼を広げて離陸の準備をすると、去りぎわシニカルな表情で、村人達に言った。
「お前達より立派な娘をありがとよ。俺の降らせる雨でまた、来年の生贄を用意するんだな」
そして龍は、一時の爆風を引き起こすと、空高く舞い上がった。
龍は今、雲の上を飛んでいた。夕日が綺麗に浮かぶこの景色を、地上に住む者は一生涯拝むことは出来ないのだが、狐の女はそれを楽しむ余裕など無かった。周りには怖ろしい牛頭馬頭達があぐらを掻いて座っており、彼女は村長から聞いた生贄の話を思い出して戦いていた。
「おい女」
野太く響くような低音で、龍が口を開いた。
「は、はい!」と、彼女は声を裏返らせながら答えた。すると彼は、声質とは裏腹に面白そうな笑い声を上げた。
「そんなに恐がる必要はない。一体何に怯えている?」
「えっ……あの……その——」
「正直言え」
「あははい! あの、その、あなたが、その、私を食べる、ことが……」
龍は再度、笑いを口に出した。
「あいつら、俺のことをそう思っているのか。安心しろ、俺はそんなことはしない」
「えっ?」
「俺は、お前を食べたりはしない。寧ろ食べさせる方だ」
ますます理解が出来なくなった狐は、どう返答すれば良いのか分からなくなっていた。
「お前、腹は減ってないか?」
「わ、私、ですか?」
「さっきからお前と話しているだろう」
「す、すみません! そ、そう、ですね。お腹は、空いています」
すると、横にいた牛頭馬頭の一人が彼女に、懐から取り出した焦げ茶色の何かを差し出した。
「それは燻製した肉というものだ。お前達は口にしたことはないだろうが、非常に美味い食い物だ。一度食したら、忘れられないだろう。さあ、食べて見るが良い」
龍からの勧めを断ることは出来ず、狐はその肉とやらを、半ば自棄になって頬張った。
その瞬間、彼女の口の中には、恍惚感を抱かせるなんとも言えない感覚が広がった。思わず、我慢していた食欲が溢れ出し、彼女は肉を豪快に貪り始めた。もうこの状況で、はしたなさなど気にも留めなかった。
そんな様子を脇目で見つめながら、彼は満足そうな表情を浮かべていた。
やがて、日も沈んだ中、先に明かりが見え始めた。狐の女が沢山の肉によって膨れたお腹で寝ている中、龍がその方向へと飛び続けると、そこには巨大な浮遊大陸があった。中心には巨大な石塔が建てられており、彼はその中に穿たれた滑走路に着陸した。牛頭馬頭達も、彼の背中から地面に降り立つと、慣れた手付きで眠った狐を奥へと運び出した。
龍は、滑走路脇の階段を上った。そして扉を抜けると、そこは彼の部屋となっていた。奥には部屋の横幅いっぱいに広がった窓があり、彼はそこから、吹き抜けで下を覗き込んだ。
そこは、多種多様な種族が、食欲に任せて壮大に太った姿を晒している場所だった。そしてその一角に、先程の狐が気持ち良さそうに寝転んでいた。
「グフフフ。これでまた、俺の大事なコレクションが増えたな」
「龍王様」
恭しく、一人の牛頭馬頭が、若干の時間をかけて龍の足元にやって来た。龍は不機嫌そうに、窓に肘を掛けて彼を見下ろした。
「なんだ?」
「非常に申し上げにくいのですが、いつまでこのような蒐集をなさるおつもりでしょうか。わたくし達は魔王様と契約を結んでいる以上、獄卒としての役割が充てられています」
「知るか。俺は単に従順で力のある要員が欲しかっただけだ。それに俺は、俺と同じくらいの大きさにまで肥えた妻と結婚するのが夢なんだ。それにはこうやって、地上から集めた生贄から有能な肥満体を生み出し、交配させるしかない。時間のかかる作業だ」
「でしたらなにゆえ、そこまで太った奥様を求めるのです?」
「……お前には分からないだろう、この巨体の虚しさたるもの」
そう生贄達の姿を、龍は物憂げに眺めていた。
完