死生 2013/08/07 by 脹カム
「う……い、いててて」
固い床で寝続けていたせいか、体を起き上がらせようとすると体のあちこちが痛んだ。
薄暗い部屋。苔のにおいが漂い、かなり湿気っているようで、所々に緑色の
羊歯 植物も生えていた。「ここは、何処なんだ?」
辺りを見回すが、出口らしきものはない。ただ俺は、天井を見上げた時、一瞬にして恐怖を覚えた。
天井には、びっしりと針が並んでいた。これが落ちてきた日にゃ一巻の終わりである。
どこからか、声が響いてきた。
『やぁ、生死を選ぶ者。居心地はどうだい?』
「せ、生死を選ぶ者?」
『なんだ、覚えてないのかい? 死にたくないって、僕に命乞いしたじゃないか』
「命乞いだって?」
『その胸の傷を見ても、思い出せないかい?』
俺は胸元を見た。すると驚愕のあまり、声を漏らしてしまった。
胸には、直径10センチメートルの大穴が空いていたのだ。そして見事に心臓を貫いている。
刹那、俺の胸に痛みがこみ上げてきた。それはとても強烈で、耐え難いものだった。
『どうだい、思い出せただろう?』
「……あ、ああ」
俺は痛みが引くのを待ってから、言葉を続けた。
「俺は、反乱軍として、政府軍に立ち向かっていた。そんな時、相手の最新兵器のレーザーに撃ち抜かれたんだ」
『そう。そして僕に言ったよね、「助けてくれ、まだ死にたくない」って』
「お前に? まさか、神様だなんて言うんじゃないだろうな」
『ハハ、そんなわけないよ。僕は単なる<生死を選ばせる者>さ』
「選ばせる者? さっきからなんなんだ、その生死をどうこうっていうのは」
『要するに、こういうこと』
彼がそう言い終えた途端、ガコンと地面が揺れた。何事かと床を見渡すが、苔がかった床は一見して何も変化していなかった。
『どこを見てるのさ、上だよ上』
そう促されて頭上を仰ぐと、なんとあの
悍 ましい針が近付いてくるではないか!「こ、これはどういうことだ!」
『どういうことって、こういうこと。今君のいる床は、床下の水圧によって上昇を続けている。もしこのまま行けば、君は本当に死ぬことになる』
「本当に死ぬだって? てことはまだ、俺は生きてるのか?」
『どっちとも言えないね。君はその
硲 にいるんだよ』話している内にも、天井が迫りきている。まだその距離は遠いが、致死の鋭い針の群衆は、先端恐怖症でなくとも見てられなかった。
「た、頼む、どうにかしてくれ!」
『じゃあ君は、生きたい、ってことでいいんだね?』
「ああそうだ!」
その途端、天井の針と針のあいだから、何やらゴム製の管が降りてきた。ホースのようにも見えるが、先端にはダイビング用のマスクらしきものが取り付けてある。
『それを装着すれば、君は生きることが出来るよ』
俺は無我夢中で、目の前のそれを頭にかぶった——と、突然口の中に何かが入り込んで、口内を覆うようにそれは広がった。反射的に口を閉じようとしたが、微塵も動かなかった。
「ふ、ふが!?」
次の瞬間、ゴボっという音がして、俺は思わずマスクを取り外した。幸いにも、口内を覆った何かも一緒に外れたらしい。
「げほ、げほっ! な、何しやがる!?」
『何って、君を生かしてあげるんだよ』
「ふざけるな! どうして俺の口の中に液体なんか流し込むんだ!」
『さっきも言ったじゃないか、ここの床は水圧で上昇し続けてるって。てことはつまり、床の上に何か重い
モノ さえあれば、その上昇を食い止められるってこと』「——! まさか、あの液体で俺を太らそうっていうのか? 冗談も大概にしろよ!」
『じゃ、死ぬってことでいいんだね』
俺はハッとし、天井を見上げた。先程よりもだいぶ接近している。持ってあと何分かってところかも知れない。
「う、うぅ……畜生!」
マスクを掴み、俺は再びそれを装着した。また何かが口内に入り、そして良く分からない液体がゴボゴボと、口から喉を通り胃へと流されていった。
考えて見れば、おかしな話である。そもそもどうしてこれを飲むことで、この床を押さえつけるほどの重量を得ることが出来るのか。それも短時間の内に。そしてどうやってこの状態で呼吸をすれば良いのか。
だが、死に物狂いだった俺に、そんな疑問を考える予知などなかったし、不思議と問題にもならなかった。
次第に腹が膨れ、脂肪を身に付けるかのごとく大きくなっていった。気が付くと、腕や脚までもが膨らんでいた。そういえばこれだけ沢山の量の液体が流れているのに、胃は満腹程度にしか感じていなかった。
やがて、床の上昇は収まった。それを証明するかのように、いくら時間が経てども、天井がこちらに近付くことはなかった。数倍にも太ってしまった俺だが、今やすっかり安心して、マスクを外しかけた。
『おや、いいのかい?』
その声を探るようにして俺は、頭を動かした。マスクを付けている状態で声を発せれなかったからだ。
『床の水圧もね、実は常に上昇し続けてるんだ。つまり、どういうことか分かるよね?』
俺は見開いた目を、再度上にやった——なぜだか若干その動作に労力が要った——すると僅かずつにだが、あの針達がまたやって来ていた。慌てて俺はマスクを付け直し、胃に液体を流し込み始めた。
『そうそう。生きるためにはそうしないとね』
俺はなぜ、この道を選んでしまったのだろうか。一度死んだ身に例え後悔があったとしても、生きることに執着し過ぎてはならないのだ。あの時の死は、死として受け入れるべきだったのだ。
「うぐ、うぐぅ、うぐぐぐぅー……!」
『おやおや、随分と大きくなったね君。どうだい、生きる道を選んで』
悔やんだ。俺はとても悔やんでいた。大きく膨れた体は、やがてマスクを包み込み、俺に一切の行動を与えなくしてしまった。もはやこの流動食から、俺は逃れることが出来なくなっていたのだ。
幾度とあった死へのチャンスを逃した今、時間を戻せるとしたら、俺は確実に死を選んでいた。自害しようにも出来ないこの苦しみ、そして膨れ続ける全身の重圧は、正に生き地獄であった。
無理矢理得た命、それは死よりも凄惨かつ、醜いものであった。
完