著者 :fim-Delta
作成日 :2007/10/25
第一完成日:2007/12/01
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・用語集・
生物 Life 生きている物達の総称
オルカ Orca 二足歩行の鯱の生物
ホーク Hawk 二足歩行の鷹の生物
リザード Lizard 二足歩行の蜥蜴の生物
ラット Rat 二足歩行の、大きめな鼠の生物
クオデラント Quoderant 都会から離れた山奥に存在する散村
<鼠屋> Rat-house クオデラントに存在する唯一の下宿屋
フレミック Flemic 雄オルカ
アクシー Axy 雌ホーク
レイヴ Rave <鼠屋>を拠点にしている、裏組織の雄リザードのボス
インラージャ Enlarger <鼠屋>を経営する、謎のラットの雄
<フォーポインツ> Fourpoints レイヴが仕切る裏組織
<フィフスボール> Fifthball <フォーポインツ>の敵対組織
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「あぁ、腹減ったなぁ……」
そう言いながら、大きな腹をゆさゆさと揺らして歩く、堅肥りのオルカがいた。
そんな彼をまじまじと見つめているのは、対称的な体型を持つホークだ。
「全く、フレミックたら……。ほんと、あたしには分からないよ。どうしてそこまで食欲が出るのか」
「僕だって知らないよ。何だか食べ続けてたらこうなっちゃってさ――けどアクシーだって、時々沢山食べたい時ってあるだろ?」
「あたし達はないわよ。あんたみたいに太ったら、あたし達は飛べなくなるからね」
「そっか。残念だなぁ……僕みたいに食べ物を一杯食べられると、どれだけ幸せか分からないんだもんな」
「別に分かろうなんて気はないし、それにそれはあなたのような太った生物達の戯言でしかないわ」
「そう? でも色んな物を食べられるっていいぞー。フォアグラ、ステーキ、ハンバーグ、そして脂の乗った霜降り和牛――じゅる……」
「肉ばっかりじゃないの。だから太るのよ」
「僕達オルカは肉食だよ」
「けどあんたは、それに加えて甘い物も好きなんでしょう?」
「勿論さ! いやぁ、パフェとかプリンとかケーキとか、見るだけで腹の虫が鳴いちゃうよ」
「はぁ、全く……だからそんな体になるのよ」
アクシーはかぶりを振り振り、フレミックに対して諦めの意思を表した。
もはや彼のこの食式は、堅固なものであるに違いない。どうこう言っても、治るものではないのだろう。
「お、アクシー、見てみなよ。丁度あそこにバーガーショップがあるよ」
「もう……でもほんとね。こんな辺鄙な場所にしては珍しいじゃない」
「んじゃ早速入ろっか」
そう言ってフレミックは、周りを荒地が占めるファーストフード店に入店した。
今時、こんな辺境の地は珍しい。あらゆる物が自動化され、過去に見た未来社会が現実となった今、多くはそんな場所だけなのだ。
だが自然を愛する非営利の自然保護団体の積極的な活動により、自然社会と文明社会を見事両立させ、分離させることに成功したのだ。
おかげで、例えばアクシーのようなホーク達は、自然社会にて鳥類に必要な翼の意味を、確りと残すことが出来るようになったのだ。
勿論、その逆に文明社会へと飛び込み、祖先から継承され続けていた稟性を見事投げ捨てたもの達もいる。
そう……例えば、今ここにいるフレミックなんかもそうだ。彼らオルカは、羅列する強靭で鋭利な歯を持っていたのだが、
文明社会での食物を食べ続ける内に、それらの歯は柔なものへと退化して行き、またそんな社会における
兀然として生活出来る社会は、彼らを尻重な者達へと変貌させた。勿論中には自然社会を選んだオルカも少なからずいるが、
大半は文明社会へと流れ込み、そしてその殆どが不動で楽な生活にのめり込んだため、彼らは歯のみ成らず、膂力も衰えてしまったのだ。
そんな彼らと比べれば、正直フレミックなんて可愛いところ。中には器械を自らの体に膠着させる愚か者達もいて、
フレミックのような、まだオルカからの継承を少なからず残りしている堅肥り以上に、肥満以上に、太り過ぎ以上に彼らはなったのだ。
そう――それこそ、肉塊生物と呼ばれる者達なのだ。
「活動、いつする?」
トリプルビックマックを頬張りながら、フレミックが言った。
実はフレミックとアクシーは、とある裏組織を調べるため、彼らの本拠地であるこのクオデラントにやって来たのだ。
「とりあえず、何処か泊まる所を探してからね――って、こんな辺境の地じゃあ、そんな場所が見つかるかは怪しい所だけど……」
「ん? それならあるよー」
「え?」
フレミックがアクシーの後ろを指差したので、彼女はそちらの方を振り返った。
するとそこには、壁にポスターが貼られており「クオデラント唯一の下宿屋 <鼠家>」と描かれていた。
「……普通の旅館やホテルはないのかしら?」
「さあ? 聞いてくれば?」
フレミックは未だハンバーガを食べながら、ぶっきらぼうにアクシーに言った。
彼女はやれやれといった面持ちで席を立ち、レジへと向かって行った。
「あのー、すいません?」
「はい、いらっしゃいませ。ご注文は?」
「あ、いえ、違うんです。ちょっと聞きたいのですが……この辺りに泊まる場所って、何処にあるんですか?」
「それでしたら、あそこに貼ってあるポスターの<鼠家>がありますよ」
「他には?」
「他にはないんですよ」
「……つまり、このクオデラントにある宿は、<鼠家>のみだってこと?」
「そういうことになりますね。何しろここは、見れば分かる通り人けが少ない村ですから……」
「そうですか……分かりました。ありがとうございます」
そう言ってアクシーは、再びフレミックが着席しているテーブルへと戻り、腰を下ろした。
その頃にはフレミックは既に、三つ目のトリプルビックマックを完食していた。
「どうだった?」
「<鼠家>、あのポスターに描いてある所だけだってさ」
「んじゃあ仕方ないね。まあ家とはいえ、別にいいんじゃない、泊まれれば?」
「そうねぇ……」
まあ仕方ないか、と、アクシーは思った。実は彼女、生涯一度も下宿屋に泊まったことはないのだ。
だから旅館やホテルとはどう違うのか、彼女には金輪際分からず、それが彼女にとって少なからず不安要素になっているのだ。
何せ下宿屋と言ったら、家持ちの人が、個人でその家を宿代わりにするという面で、旅館やホテルと大きく違っていたからだ。
しかしながらお気楽やのフレミックは、そんなのお構いなしという態で、ただ目前の残りのハンバーガと大量のポテトを貪っていた。
この時ばかしはアクシーも、少しは彼のことを羨ましく思えた。どうしてこういう生物達は、こうも平然としていられるのだろうか。
そう思いながら、彼女は自分の神経質さを憾んだ。
食事を終えたフレミックは、アクシーと共に、例の<鼠屋>と呼ばれる下宿屋に向かった。
だがそこに建てられていたのは――
「お……おっきいわねぇ……下宿屋って、こんな感じなの?」
「……多分、違うと思う」
さすがのフレミックも、呆然とその下宿屋を見つめた。何せ下宿屋というからには、ただの一件の家だと思っていたのに、
いざその<鼠屋>を見てみると、それは下宿屋と言うより、完全に旅館、若しくはそれ以上だったからだ。
巨大で堂々たる風貌を醸し出している外壁。そしてその周辺には別棟もあり、本当に下宿屋なのかと二人は訝しんだ。
フレミックとアクシーは、思い切って中へと入って行った。中は、静かで広々としていた。
「……すいませーん?」
フレミックが尋ねた。だがそれは、眇々たる屋敷内を谺しただけだった。
仕方なく辺りを一瞥してみると、右手の壁の方に何やらボタンの様な物があり、その上に紙が貼られていることに気が付いた。
「<お泊りになられる方は、このボタンを押してください>、ですって」
「ふーん。じゃあ押してみようか」
フレミックがボタンを押した。暫くは何も起きなかったが、やがて奥の扉から、一人のしがない雄のラットが現れた。
彼はゆっくりとフレミック達に近付き、そして言った。
「ようこそ<鼠屋>へ。儂はインラージャと言う者じゃ。お二方はここにお泊りということで宜しいんじゃな?」
「あ、はい。でもその前に、一泊お幾らなのでしょうか? ファーストフード店でポスターを見たのですが、値段が書いてなくて……」
「いやいや、宿代なんてとんでもない。ここは無料じゃよ」
「む、無料ですか!?」
「この<鼠屋>は、儂のご主人様のボランティアによって経営されているのじゃ」
「なるほど……じゃあ食事代とかは?」
「ボランティアじゃから、勿論全部無料じゃよ」
フレミックとアクシーは互いに顔を見つめ合い、驚愕した。豪邸のような下宿屋、そんな所を無料で宿泊出来るなんて、
思いも寄らなかったからだ。そして彼らは、すぐさまここを捜査の拠点にすることに決め、その後インラージャの後に付いて行き、
泊まる部屋――というよりは泊まる家――へと向かった。
「この一号館で宜しいかな?」
「ええ、勿論ですよ!」
興奮した呈でフレミックは言った。その家は、普通の一軒家とほぼ変わらなかった。
ただ普通と違うのは、それが洋風のログハウスであるということぐらいだった。
「あたし、靴を脱がないで部屋に入るのは、ちょっと抵抗があるわ……」
「まあ初めのうちは仕方がないよ。その内慣れるさ」
フレミックはそう言いながら、何の躊躇いもなくリビングに入った。そのあとをアクシーは、おずおずと追った。
「ご飯はいつでも用意してくれるって言ってたね」
「ええ、そうね。……けど、あのお爺さんがここを一人で経営しているっぽいし、あまり迷惑はかけたくないわね……」
「……まあね。だけどとりあえず三時のおやつだし、軽めに何か注文して置こうよ」
「置こうよって、あたしはおやつなんて食べないわよ」
「それじゃあ僕が勝手に頼むよ」
フレミックは、インラージャに指示された通り、下宿屋用の内線電話を手に取った。
その際、電話に出たのは彼自身ではなく、言葉を遵守する機械であった。だからフレミックは、電話機のボタンで注文を行った。
それから暫くして、扉のノック音が部屋に鳴り渡った。彼は玄関に向かい、そして扉を開けた。
「あれ?」
「どうしたの、フレミック?」
「ほら、これ見てよ」
フレミックが指差した先にいたのは、料理を運んで来たラットのインラージャ――ではなく、小型の運搬ロボットだった。
プラスチックのフードカバーをかぶせてあるタンク型だ。
「す、凄いなぁ。今はこんなにも技術が進歩してるんだね。自立型だなんて……」
「いいえ、それほどじゃあないわ。これは単なるロボトレーサよ」
「……?」
「……簡単に説明するとね。要は、ある作られた経路を辿るロボットのことよ」
「ふーん。でも何で分かるの?」
「ほら、ロボットの前面に、バンパーのように左右に出っ張ってる所があるでしょ?」
フレミックは頷いた。
「これはロボットが、そのバンパーの裏に付いている特殊なセンサーを利用して道を読み取るためのものなのよ」
「でも、何処にその”道”があるんだい?」
「恐らく地面に埋め込まれているか……兎に角、この種のロボットはそういうものなのよ」
「ふーん」
そう言ってフレミックは、運ばれ来た料理を手に取った。
するとロボットは、それを理解したかのように後ろに振り返り、見えない軌跡を辿って本館に戻って行った。
「さ、て、と……それじゃあ早速、周辺を調査して<フォーポインツ>の在り処をを探るわよ」
「だけどさぁ、殆ど何も無いじゃん」
「それでも、探さないと何も始まらないでしょ」
そう言ってアクシーは、テーブルに地図を広げた。
フレミックは届いたおやつ――肉料理をむしゃむしゃと頬張りながら、その地図を眺め、アクシーと共に作戦会議を行った。
その頃、<鼠屋>の別棟の一つ、四号館の書斎に、一人の満身創痍なラットが蹌踉で入って来た。
「ぼ、ボス……」
「んぁ? 何だ?」
奥の机と対する巨大な椅子に座っていた、この<フォーポインツ>のボスであるレイヴは、原始肉を頬張りながら顰め面で手下に尋ねた。
「実は……私達斥候部隊が、あの<フィフスボール>に捕まりまして……」
「……それで?」
「それで……私だけは唯一解放してもらえたのです――正確には、その、伝言役として……」
「なら、その伝言とやらは何だ?」
「もし私達<フォーポインツ>が、<フィフスボール>に一切手出しをしないという契約を交わせば、残りの仲間達を解放すると……」
「……そうか……」
レイヴはむしゃりと肉を引き千切り、そして黙考した。その間斥候の手下は、失態を犯した他の手下達の様に、
自分もボスに撃殺、あるいは磔殺、轢殺されるのではないかと、酷く気が気でなかった。
そんな緊迫した雰囲気が暫く続いたある時、レイヴが食べていた原始肉六本が、全て無くなってしまった。
「……おい、これと同じ肉をもう十本持って来い。この肉は気に入った」
「は、はい、只今!」
斥候の手下はすぐさま部屋を飛び出し、指示された原始肉を取りに行った。その時の彼の表情には、安堵の気持ちが多いに溢れていた。
何故なら彼は、ボスからは何の宣告も受けなかった――つまり、彼がボスに惨殺される心配が無くなったからだ。
手下は足取り軽く原始肉十本を持ち運んで、再びボスの元へと戻った。
「ボス! 注文のお品を持って参りました!」
「良し。それを俺の机に置いてくれ」
「畏まりました!」
斥候の手下は命令通り、運んで来た原始肉十本をボスの机の上に置いた。そして身を翻し、部屋を出ようとしたその時――
突然の激しい銃声が辺りに鳴り響いた。一瞬、斥候の手下は、異常な鈍痛が心臓を基点に疼くのを感じた。
だがそれを理解する暇も無く、彼の意識は静かに霧消した。……頓死だった。
「……ぼ、ボス?」
周りの手下達が、戦慄きながらも尋ねた。
「……使い捨てでも、最後まで道具を使ってやるのが、今流行りのエコってもんだろ? 俺だって、少しは環境に気を遣ってるんだぜ」
レイヴはにたりと笑った。その不気味な微笑みは、巨躯で残忍な容姿によって、一際邪険なものに見えた。
手下達は一同にして俯き、そして震えながら「はい……」と答えた。
とその時、部屋にここ<鼠屋>のオーナーであるインラージャが、静かに入って来た。
「……どうした?」
レイヴが冷ややかに尋ねた。
「いえ……少々大きな音が聞こえましたもので――」
その時インラージャは、目の前で俯せる同族のラットを見つけた。その体からは血が溢れ出ており、
既に死んでいる事が目に見えて理解出来た。一瞬彼の目は驚きに見開かれたが、すぐに元の面に戻った。
「俺は使えない手下はすぐに捨てる。勿論お前も、ふざけた真似をしたら命の保証は無い。ここのオーナーだろうと誰だろうとな」
「……安心して大丈夫じゃ。儂はこの下宿屋に泊まる宿泊人を大事に扱うからの」
「宜しい」
レイヴは頷いた。
「……今日は色々と大変じゃったようじゃな。なら今日は儂が、特別にご主人様のために料理を作って差し上げましょう」
「ジジイ、お前に料理なんて出来るのか?」
「勿論じゃ。それどころか、いつもロボット達が作っているものよりも、遥かに上等で美味なものを作りますぞ?」
「ならとっとと作って持って来い。今日の俺はとてもむしゃくしゃしてるんだ」
その言葉を聞いて、周りの部下達は一斉に背筋が凍った。
「畏まりました」
インラージャはそう言って、部屋を後にした。
その時、レイヴは気付かなかった。廊下に出て消える一瞬、哀々たる宿主の顔の口端が、僅かながら持ち上がっていたことを……
それから暫くして、このクオデラント唯一の観光名所、ヴィタ遺跡近郊にある隠れ家では、とある会話が成されていた。
「やはり、向こうは要求に応じなかったか……」
<フィフスボール>のボスは、思った通りだと言わんばかりにそう言った。
「はい、ボス。虜囚達はどうしますか?」
「……やれ」
「……畏まりました」
手下は部屋を出ていった。それから暫く、ボスは俯いた表情で机の上を見つめた。
「ボス? ……もうやってやりましょうよ。これ以上愚図愚図しているよりかは、もはや決着を付けるべきだと思います」
ボスは依然黙ったままだったが、数分間の沈黙ののち、とうとう声を発した。
「そうだな……もはや我ら<フィフスボール>と<フォーポインツ>は、共に存在することが許されないようだな」
「はい。では早速、果たし状を奴らのボスに送り付けますか?」
「……よし、そうしてくれ」
ボスは抽斗から、前々からしたためてあった決闘を求める書状を手に取り、それを手下に手渡した。
「これを頼む。残りの者達は皆、決闘に向けて準備を整えろ」
『畏まりました、ボス!』
「何!? 果たし状だと!?」
<鼠屋>の四号館の書斎で、レイヴは憤慨し、手にしていたお気に入りの原始肉を一口で全て齧り尽くすと、残りを地面に叩きつけた。
「は、はい……場所はヴィタ遺跡で行うと――」
「ならとっとと行け! あいつらをぶっ潰せ!」
「は、はい、ボス!」
手下達はすぐさま部屋を出て行った。
「……おい」
「――は、はい! 何でしょうか、ボス?」
レイヴの側近達は、いつも通り部屋に残っていた。
「何って――てめぇらも行くんだよ!」
「え……で、でもボスを護るのは――」
「んなの関係ねぇんだよ! 今は<フィフスボール>を潰すチャンスなんだ! お前らも行って奴らをぶっ殺せ!」
「は、はい!」
そしてレイヴの側近達も部屋を出て行き、部屋にはとうとう彼一人だけとなった。
「ふん、使えねぇ奴らだな……」
レイヴは椅子から重い腰を上げ、いつの間にかスーツのボタンが弾けそうな程膨らんだ腹を携え、部屋の中を彷徨った。
彼は、自身も決闘に参加すべきかを悩んでいた。だが最近のぐうたら生活によって体力は衰え、
しかも太って体が重くなったことで、正直まともに戦える自信が無かった。
特にこの腹……一日中肉を貪り続けたその腹は、身を持ってその結果を具象していた。
もし……もしここで、彼が多弁に能無しだと思われれば、彼の地位は一気にただのデブリザードに陥落してしまうだろう。
最悪、手下達に弑逆されてしまうかも知れない。彼の脳は今、いみじく混濁していた。
と、彼は知らぬ内に息切れをしていることに気が付いた。どうやら、部屋の中をうろつくだけでも気息が乱れてしまうようだ。
彼は額から吹き出る汗を拭い、そして机の方に戻ってドスンと椅子に座り込んだ。その衝撃で、スーツのボタンがとうとう弾け飛んだ。
その時、部屋に一人のラットが入って来た――インラージャだ。
「ご主人様……?」
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……何だ?」
レイヴは一先ず呼吸を整え、そしてボスの威厳を保つために、少々きつい調子でインラージャに尋ねた。
「料理の方が出来上がりましたぞ。持って来た方がいいじゃろうか?」
「ああ、勿論だ。さっさと持って来い」
「畏まりました」
インラージャはそう言って部屋を去った。それから暫くして、部屋には大量の料理が運ばれて来た。
勿論運んで来たのは、いつも通りのタンク型の運搬ロボットだった。だがいざ、ロボットが机の前に進み出てフードカバーを開けると、
そこには今までのよりも格段に豪勢な料理が入っていた。正に、五つ星レストランに拮抗すると言っても過言ではなかった。
レイヴはそんな料理を手に取り、それを一口で頬張った。すると、口の中で芳醇な香りが立ち込め、次には舌が唸る程の味が染み渡った。
「……まあ別に、決闘に参加しなくとも俺はここで待ってりゃあ良いんだ。どうせ目の前で誰かをやっちまえば、皆は俺を恐れるしな」
そう言ってレイヴは、次々と運ばれてくる料理を黙々と食べて、手下達からの報告を待った。
今どれだけ料理を食べたかなど考えもせず、ただ只管、食べて待ち続けた。
その日の夜、最初で最後の、<フォーポインツ>と<フィフスボール>との決闘が、観光名所であるヴィタ遺跡で執り行われた。
両者は互いの人生のために全身全霊を尽くして戦った。元々外来してくる人が少ないクオデラント、おかげでヴィタ遺跡での決闘は、
部外者からの干渉が一切なく施行され、おかげで戦いは長期に渡り、二日、三日……いや、一週間、それ以上続いた。
やがて長い戦いが終わり、とうとう両者の間に決着が付いた。勝者はその遺跡で巵を交わし合い、敗者はその場から立ち退いた。
「おい……俺ら、ボスに何て報告すりゃいいんだ?」
傷を負ったレイヴの側近の一人が、仲間に聞いた。
「どうって……<フィフスボール>に勝ったなんて嘘は言えないだろ。素直に言うしか――」
「けど、もし俺達が潰走したなんて言ったら?」
「……殺される……。だけどさ、下手に嘘を言ってばれたらそれこそ……」
「……そうだな……。最悪、磔殺されるかも知れないな……」
レイヴの側近達、そして手下達は、一同に沈黙を呈した。その内彼らは、ボスの書斎の前に辿り着いてしまった。
「……正直に言おう」
「……だな」
レイヴの側近の一人はそう言って、一度軽く深呼吸をし、それから手下達と共に心の準備を整えたのち、書斎の扉に手をかけた。
だが扉は、内側からの何か強い圧力によって、殆ど動じなかった。
「……どうした?」
「扉が……あ、開かない……」
「鍵がかかってるんじゃないのか?」
「いいや。少しは開くから、鍵はちゃんと外れてる。……どうやら、部屋の中の何かが引っかかってるらしいな」
「じゃあ引いて見たらどうだ?」
その言葉に従うと、扉はすんなりと開いた。だがそれと同時に、部屋からは何か柔らかいぶよぶよとした物体が流れ出て来た。
「んっ、何だこれ? ……どう思う、相棒?」
だがその相棒とやらは、奥の方を指差して硬直していた。
「……大丈夫か? 一体何が――」
相棒が示している先を見遣ると、そこには大量の運搬ロボット達が犇き合い、そしてそれらが差し出す料理を貪っているリザードがいた。
そのリザードは――<フォーポインツ>のボス、レイヴの変わり果てた姿だった。
部屋の床は全て彼の体に付いた脂肪が埋め尽くし、その上には丸太のように極太で、粘度が高い液体を上からかけた様な脚が乗っていた。
さらに腕に付いた脂肪は、まるでスライムの如く、地面を覆う彼の体にまで垂れ下がっていた。そんな腕を重々しく上げ、
彼は料理皿を手に取り、そこにある料理を無雑作に口の中へ放り込んだ後、その皿を投げ捨て、また新たな料理皿を手に取っていた。
もはや食に執着し切った彼は怪物と化していた。この世の生物とは思えない姿に、彼の側近や手下達は今までとはまた別の恐怖を受けた。
「――ぼ、ボス……?」
「はふ、はふ――ごくん……ぐぇっぷぅ……んぁ~?」
ただでさえ禍々しい顔が、限界を超越して脂肪を付けているために、一層醜穢なものとなっていた。
『ひ……ひぃゃぁぁー!』
レイヴの姿を見た彼の側近と手下達は、叫号しながら廊下を駆け抜け、そのまま何処かへと消え去って行った。
書斎には、そんなことを気にもせず、運ばれてくる料理を黙々と堪能し続けるレイヴだけが残った。
「あれ? アクシー、あれって何だろう?」
アクシーと共に周辺の調査を行っていたフレミックは、偶然にも下宿屋の別棟から逃げ去って行く生物の集団を発見した。
「……何かあったようね。行って見ましょう!」
アクシーとフレミックはすぐさま、様々な生物達が逃げ出している別棟へと向かった。
そしてそこへ辿り着くや否や、アクシーは何の躊躇いも無くその中に進入した。そして――
「――ね、ねぇ、フレミック! あれは何なのかしら?」
一足遅れて、フレミックが重い体を揺らしながらアクシーに近付いた。
「はぁ、はぁ、ふぅー……な、何のこと?」
「あれよ。ほら、あの左の部屋から出てる奴」
アクシーが指差した先には、気味悪く微震するぶよぶよした緑色の物体があり、それは左側の部屋から着実に領域を拡大させていた。
「さ、さぁ……。ふぅ、とりあえず見てみようよ」
そう言ってフレミックは、アクシーと共にその部屋の前へと向かった。そして、彼らは目の当たりにした。……脅威を。
「――きゃぁ!」
「――な、何だよ、これ……」
書斎には、先ほどよりも僅かながら食に対する欲求を深めて膨らんだ、レイヴの堂々たらない姿があった。
「くっちゃくっちゃ――んごく……げふぅー!」
勢い良く出たゲップを糧に、レイヴの体中に付いた脂肪が勢い良く揺れた。そして彼は再び食事を再開した。際限無い食事を……
「……どうやら、レイヴ様はもう終わりのようじゃな」
いつの間にか後ろに来ていたインラージャが、唐突にそう言った。
「レイヴ? ……! それってもしかして、<フォーポインツ>のボスのことですか!?」
「そうじゃよ。なんじゃ、君らも彼を知っているのかね?」
「知っているも何も、あたし達は彼らの裏組織を調査するために来たのよ」
「それならもうその仕事はおしまいじゃ。彼は見ての通り、こんな醜い姿になってしまった。もはや組織は潰れたも同然じゃよ」
「で、でも……これは一体何なの?」
「レイヴ様――いや、レイヴは、悪の道に走った奴じゃ。その様な愚者は、最終的に罪の代価を支払う運命なのじゃ」
「どういうこと? あたしにはさっぱり意味が分からないわ!」
「レイヴは貪欲で、心の思うがままに過ごして来た。苛ついたら怒る様に、我慢という物を捨てた輩なのじゃ。勿論そんな彼だからこそ、
食欲も自分が思うままに解放して来た。食べたいと思ったら食べる――その結果がこれなのじゃ」
「え? けどさっき、罪の代価って言いましたよね?」今度はフレミックが尋ねた。
「そうじゃ。これがその罪の代価じゃ。罪の代価は生物それぞれじゃ。食べたいと思って食べ続けても、普通はこうはなるまい?」
「た、確かに……」
「それと勿論、フレミック様やアクシー様のような警視庁にお勤めの方がやるように、罪人を捕まえては裁判にかけ、
生物達自らが作った独自の法則に基づいて罪を償わせるのも、罪の代価と言えよう」
「――! あたし達が警視庁から派遣されたことを知っていたの!?」
「ふぉっふぉっふぉ、それはどうかのぉ?」
インラージャは、意地悪くそう言った。
「そうとしか考えられないよ、アクシー! だって「警視庁」って言葉を言ったんだ。知ってなきゃ、そんなことは言えないよ!」
「そうね……でも、本当にどうして知ってたの?」
「それはじゃな――ご主人様のおかげじゃ」
「ご主人様? この<鼠屋>を経営している?」
「そうじゃ。ご主人様は全てを知っている。儂は宿泊人に最高の御持て成しをするべく、ご主人様から情報を得ているのじゃ」
「けど、どうやって?」
「それは儂も知らん」
「……まあいいわ。とりあえず、レイヴの件はこれで片が付いたようなものね。彼は生涯あのままでしょうし、何も出来ないでしょう」
「あのままじゃないぞ? あれからさらに太り続け、彼は最終的に自我を失うのじゃ――一時的にじゃがな」
「一時的?」
「勿論このままじゃあ、罪の代価を支払ったとは到底言えんじゃろ? 奴の今の思考はただ食うだけで、何の恥じらいもない。
故に、奴には変わり果てた己身、そしてそれに対する民衆達の蔑視を篤と味わってもらわねばならないのじゃよ」
「うぇ……あんな風にはなりたくないなぁ」
「そんなこと言いながら、あんたが一番それに近い存在じゃないの」
「だけどさすがに、あーなる前にはちゃんと自制するよ」
「そうかしら? その時になって見ないと分からないわよ?」
「むー……僕だってそこまで貪婪じゃないぞ?」
「お二人さん。折角仕事の片が付いたんじゃから、とりあえず一段落でもしなさってはどうかな? 仕事尽くめでお疲れじゃろう?」
「……そうね。腑に落ちない結果だけど――あたし達にはもうレイヴをどうすることも出来ないし、今日ぐらいはのんびりしましょうか」
「それじゃあ儂が、取って置きの料理をご馳走しようかの」
「ほ、本当に!?」フレミックの目が輝いた。
それを見てアクシーは、やれやれと両方の掌を持ち上げた。だが今回ばかしは、彼女もフレミックと同じ気持ちだった。
それから彼らは、インラージャ手製の料理を味わい、天にも舞う気持ちで<鼠屋>を後にした。
暗く、広い謎の部屋で、インラージャは尋ねた。
「ご主人様。儂のしていることは、本当に正しいんじゃろうか?」
「……分からん。だがそれを決めるのは、時間だ」
「どうしてご主人様は、そんなにも<正義>を求めているのですか?」
「……私には、娘が居た。博学多識な奴でな、私は娘を誇りに思っていた……」
「思って、いた?」
インラージャは、主人が過去形で喋ったことを質した。
「そうだ。……娘は、亡くなったんだ」
「――! も、申し訳ありません、ご主人様……そのようなことを言わせてしまって……」
「いいのだよ、インラージャ。君は私の最高の伴侶なのだ。それぐらいのことは気にもしないさ」
「ありがとうございます、ご主人様」
「……娘は、私のせいで死んでしまったのだ――私の、愚かな欲のせいで……」
「……」
「その後、私はとあるウィルスに感染した。おかげで私は一切身動きが取れなくなってしまったのだ」
「つまり……ご主人様のその姿は、そのウィルスが原因だということじゃな?」
「そうだ。そしてそのウィルスは、私が求めてしまった悪なる病原菌であり、そして……そして、娘を死なせてしまった原因なのだ……」
インラージャは、ただただ俯くしかなかった。
「……すまない、つい悲しい話になってしまったな。……それでは、今日はこれでお開きとしよう」
「……はい、畏まりました」
インラージャは身を翻し、静々と部屋を出て行った。
それから暫くして、この謎の館の主人は、近くに置いてあったフォトフレームを手に取り、それを眺めた。
「……エイレット……」
主人の目から、一縷の涙が伝い落ちた。それは乾き切った彼の目から出せる、最大限の涙だった。
見えない大富豪 完結