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  著者  :fim-Delta

 作成日 :2007/06/25

第一完成日:2007/06/27

 

―――――――――――――――――――

 

昨今、肥満がこの世の中を問題にしていた。

空を飛べるものが飛べなくなり、堅い鱗に覆われた竜の体はとても柔らかそうだ。

だがそれだけではない。彼らは醜い体にさらに拍車をかけ、より醜悪な体を作り上げていった。

彼らは、自らの欲を貪婪なものにし、周りにある全ての存在価値を捨て、自らにだけ、その価値を見出していった。

やがて彼らは、自らの体を脂肪によって支配し、動くことすら出来なくなる”肉塊”へと変貌を遂げた。

……しかし、そんな肥満問題が全て、彼らの自意識の問題なのであろうか。

もしかしたら、そこには何かしらの外部作用が働いているものも、少なからずあるのかも知れない。

 

 

 

「邪魔だ!」

竜族の若者が、電車に乗り込んだ際に体を大仰に動かし、傲岸不遜な態度で辺りの者達を蹴散らしていた。

「君、そんな動きをしている君が悪いんじゃないのかね!?」

見兼ねた鼠族の爺が、その若者を叱り付けた。

「はぁ? うっせぇよ、下劣な溝鼠野郎の癖して、竜族を窘めようってのか、え?」

「君がどんな種族であろうと関係は無い。悪いことは悪いと、母親に教わらなかったのかね?」

「んなもん知るか、糞ジジイ! てめぇのような耄碌した奴に、俺は構ってる暇なんて無いんだよ!」

「な……! ……この様子じゃあ、あんたは相当頭が悪い脳足りんが集う学校にでも通ってたんじゃな」

「――! こ、この野郎! 俺はな、ちゃんとした立派な大学に通ってんだよ!」

「ははぁ、そんなの嘘にしか思えんな! 何処にそんな証拠があるっていうのかね?」

「よーし、ならもしあったとしたら、てめぇは俺に百億払えよ? 貴様が俺のことを侮辱した代償だからな!」

「あーいいとも! それじゃあ明日、この駅の改札口で待ち合わせしようじゃないか」

「もし逃げたら、今度てめぇの面を見た時にぶっ飛ばしてやるからな! 容赦はしねぇぞ、いいな!?」

「勿論じゃ。君が”本当”に立派な大学に行ってたらの話だがな、はっはっは!」

その時、丁度電車が止まって、鼠の爺は電車を降りて去って行った。

 

 

 

俺は内心疑っていた。あんな痴呆な老い耄れを信用して良いのだろうか、と。

百億なんぞは当たり前だが持っては来れねぇ。だがそれよりも、あのジジイがまさか発言通りここに来るとは思えなかった。

それにあれだけ怒鳴り散らしたんだ。正直あの時は苛々していて、今まで以上にがなり立てたから、あのジジイはかなり怯えてるはずだ。

……だが、何故かは知らないが、俺は指定された場所で待っていた。

と、そんな時、向こうの方から、忘れようとも忘れられない憎き鼠ジジイが姿を現した。手には大きなアタッシュケースを持っている。

「よぉ、のこのこ現れるとは良い度胸じゃねぇか!」

「君のような若造にも、儂は嘘を付かんのじゃよ」

「ほおそうかいそうかい! なら、この学生証をよーく見ときな!」

俺はジジイに学生証を勢いよく提示した。その時のジジイの瞠目した様子を見て、俺は満足感を覚えた。

何せ俺は、立派な有名大学の学生なのだ。……まあ今となっちゃあ、自分で言うのも何だが落ち零れ者だがな。

俺は元々勉強家だったのだが、有名大学が名に恥じないように行うハードな講義スケジュールに、俺は付いて行けなくなった。

やがて俺は勉強することをやめ、それから吹っ切れることにした。その時が、今までウジウジしていて俺からの解放、新しい人生だった。

だがそれでも、俺が有名大学の学生であることは変わりはない。

つまり……この勝負は、俺の勝ちなのだ!

「ほぅらどうだいジジイ!? これで証明しただろ?」

「う、うぅむ……どうやら、君の勝ちのようだな……」

「はは! それじゃあ約束の百億を貰おうか、え? そんなの、あんたのような老い耄れジジイには無理なことか、ははは!」

刹那、鼠ジジイが、手に持っていたアタッシュケースを俺に手渡した。

「……何の真似だ?」

「百億だろう? 君が要求したんじゃないか」

「……」

俺は言葉に詰まってしまった。冗談なのだろうか。……いや、それにしては真剣過ぎる。

俺は恐る恐る、アタッシュケースのパッチン錠を開けた。一回「パチン」という音が鳴る度に、俺の心臓の鼓動は速度を増した。

そして二回音鳴らした後、俺はゆっくりと、ケースの蓋を開けた。

「どうだね、これで約束は果たせたかな?」

そう言って、鼠ジジイは去って行った。俺はこれを返すべきだとは分かっていた――だが、言葉が出てこなかった。

その場に呆然と立ち尽くし、やがてその状況から目が覚めた時には、既に鼠ジジイの姿はなかった。

我に返った俺は、アタッシュケースの中身をもう一度確認した。

束になっている札を一枚取り出し、それをパラパラと捲る――表も裏も確り印刷され、全てが正真正銘の札だった。

他の、ぎっしりと詰められた束も丹念に調べたが、どれも両面印刷された札に違いなかった。

と、俺は今自分がいる場所を思い出した。そこは人の出入りがある改札口。

こんな姿を見られたら、怪しまれてしまうかも知れない……

俺は急いでアタッシュケースの蓋を閉め、改札口近くに並んでいたタクシーに乗り込んだ。

 

俺は家に着くと、部屋にひっそりと閉じ籠った。嘘だろ、冗談だろ、という独り言を繰り返した呟いた。

確かに俺は百億を払えとは言った……だが、まさか本当払ってくれるなんぞ、誰が考えるだろうか。

俺は何とか心の錯乱を沈ませようと、自らを励ます言葉を心内に投げ掛けた。

……暫くして、俺はようやく心を落ち着かせることが出来た。考えて見れば、百億何ぞ一生暮らせる金だ。

あの鼠ジジイは、確かに俺にこの金を渡した。それも否応無くでは無く、向こうの意思でだ。

つまりこのお金は、造悪を行って手に入れた物ではない、純粋無垢な金なのだ。

俺はすぐさまこの金の使い道を考えた。これだけあるなら、遊び半分で会社でも立てて見ようか。

一度自分の会社を持って見たかったし、この百億円さえありゃ、仮に倒産しても痛くも痒くも無い。

……よし、それじゃあどんな会社を作ろうか。

と、俺は自分の夢の道筋を、夢を思うかのように立てて行った。何せ百億もありゃあ、別に真剣に考える必要もないからな。

それからまもなく、とうとう俺の夢が完成した。

俺はそれに向けて、大学を足取り軽くに中退し、早速準備に取り掛かった。

 

 

 

築き上げられた俺の会社。名はモーヴル社。特に意味は無い。適当に思い付いただけだ。

そして内容はさらに単純。リサイクルショップを運営する会社、ただそれだけだ。

特別な目的も持たず、とりあえずこんなの作って見よう、という軽率な考えで、俺はこの会社を立ち上げた。

だが考えて見れば、俺はこの会社の社長だが、社員は零人。これじゃあ、社長の俺が態々仕事をしなくてはならない。

……そんなに面倒臭いことは嫌だな、と俺は思った。何しろこの会社は、俺が遊び半分で作った会社だから、働きたくも無い。

そう、これは一種のゲームなのだ。自分のお遊びの一つなのだ――今思えば、何と大規模ゲームなのだろう!

そして俺は、このゲームの神様のような存在。俺はこの有り余る金を使って適当に従業員を雇い、高みの見物でもしてりゃあいいのだ。

……ほほう、今頃になって俺は、今後の成り行きにわくわくして来たぞ……

俺は未だ大量に余る大金を使って、適当ながら、優秀な従業員を満足するだけ集めた。

そして俺は、集まった従業員に向かってたった一つ、言葉は告げた。「この会社が潰れないよう、この会社を育ててくれ、以上」

この言葉を聞いて、従業員は一瞬戸惑いの表情を見せたが、どの会社よりも抜きん出た給料に、彼らは逸早く行動を開始した。

それ以降、俺はこの大金を使って建てた新しい豪邸で、のんびり暮らすことにした。

だがそれだけでは、会社からの電話以外外部からの刺激が無いので、すぐに生活に飽いてしまった。

なので俺は、自らの敷地内にDVDショップを作ったり、ハウスキーパーを雇ったりし、とにかく贅に贅を尽くした。

だが、俺がこんなにも向こう見ずに、豪放磊落に金を使っているのにも関わらず、札の山は一向に減る気配は見せなかった。

それどころか、ある日、何と札の山が増えていたのだ!

俺はハウスキーパーに尋ねた。

「なぁ、何で金が増えてるんだ?」

「それはですね、御主人様。御主人様が経営なされてる会社が、今大儲けをしているからですよ」

俺は自分の耳を疑った。俺の会社が? 遊び半分で建てた、あの会社がか?

最近、俺はあらゆることをハウスキーパーに任せていた。会社の業務指示も、全てそうだ。

勿論ハウスキーパーには適当なマニュアルを与えており、仮にそれに当て嵌らなかった時のみ、俺が指示するのだ。

だが最近、ハウスキーパーからは、会社に関することなど一切言及されてなかった。

俺は久々に、会社へ電話を掛けることにした。

「おい、電話の子機を持って来てくれ」

「はいはい。それにしても、それぐらいは体を動かさないと、その内、噂の”肉塊”になっちゃいますよ?」

「うるさい、余計なお世話だ。さっさと子機を持って来い」

「はいはい」

そういったものの、内心俺は「確かに」と思っていた。

自分の腹は、見事にでっぷりと、そしてスライムの如くぶよぶよしていて、簡単に摘めるだけでなく、引っ張ることさえ出来た。

そして気付けば、腹を引っ張る手は、何かに気触れたかのようにパンパンに膨れており、それを繋ぐ腕は、だらしなく脂肪垂れていた。

このままだと、本当に噂の”肉塊”になってしまうかも知れない。

最近テレビでよく見る、太り過ぎで動けなくなる生き物のことだが、あれは俺も勿論非難していた。

……だが、本当に冗談が通用しないかも知れない、と、今頃になって思い始めた。

そんな時、子機を持ってハウスキーパーが現れた。

「はい、どうぞ」

「お、おぅ……サンキュー」

俺は、とりあえず思いに耽るのをやめ、会社に電話することにした。

「あ! ど、どうも社長! お久しぶりです!」

「おぅ、久しぶりだ。そっちの状況はどうだ?」

「それがもう、もう大繁盛ですよ! リサイクルショップの姉妹店の売り上げも、上々どころか、大儲けです!」

「そうか……。それじゃあこのままの調子でやって行ってくれ」

「畏まりました!」

俺は通話を切って、子機をハウスキーパーに返した。

「どうです? 社長も、もう大儲けでウハウハじゃないですか? ――あ、すいません。ちょっと軽口でしたか?」

「いや、あまり堅い言い方されるのも苛々するから、それぐらいで丁度良い」

「はい。……それと、今日の晩飯は如何致しましょう?」

「そうだな。ピザを三枚と、それと霜降り和牛を三キロ、それと適当な肉料理を全部で三品用意してくれ」

「はい、畏まりました」

先ほどの悩みなども忘れ、俺は会社が大繁盛していること、そして晩飯のことに意識が飛んでいた。

 

 

 

暑い夏の日……だがそんなこと俺には関係無い。何故なら俺は、この家から出なくて良いからだ。

全ては、会社のエリート従業員とハウスキーパーに委ねてある。しかも彼らは、俺が指示しなくても、見事なまでの働きをしてくれる。

何故ならそれは、彼らの給料を申し分の無い物以上、満足以上のものにしているからだ。

しかもそんなに大量の給料を大多数に与えても、会社の利益分には及ばない為、金は貯まる一方であった。

元々大金だった金は、更にその量を増し、今では計算すら日を要する程にまでなっていた。

だが量が増したのは金だけではなかった――体の脂肪だった。気が付けば俺は、歩くのに足を引き摺るようになっていた。

ぶくぶくと大きく膨らみ、垂れ下がったお腹、脇腹、背肉が、脚の四方を肉で覆い被せた為、足を上げられなくなってしまったのだ。

それだけではない。あまりにもぶっくらした腹のせいで、俺は自力で起き上がれなくなってしまったのだ。

俺は、肉が限界まで付き切った様に見える腕を上げ、ハウスキーパーを呼び寄せた。

「おい、昼食はまだか?」

「御主人様。まだ時間は十時ですよ。昼飯までまだ時間が――」

「うるさい! 俺は腹が減ったんだ。早く準備をしろ」

「……分かりました」

ハウスキーパーは少々思い止まったが、すぐに調理場で料理をし始めた。

俺はすぐに他のハウスキーパーを呼んだ。

「おい、そこのお前!」

「はい、何でしょう?」

「何人か力のある奴を呼んで、俺がテーブルまで行くのを手伝わせろ」

「了解です」

呼び止めたハウスキーパーは、すぐに三人の強靭な肉体を持つ、竜、恐竜、蛇を連れて来た。

まず俺は、竜、恐竜に体を何とか持ち上げてもらい、そして股下に蛇を通した。

蛇は、垂れてびたんと地面に広がった俺の腹肉を持ち上げ、それを背中に乗せた。

そして竜、恐竜は俺の腕に肩を掛け、そして蛇は、俺の腹が地面を擦らないよう、また腹の重みを軽くしながら、俺の歩行を手伝った。

俺は食堂のテーブルに着くと、特別頑丈で巨大な椅子に、竜と恐竜と蛇に手伝ってもらいながら、ゆっくりと凭れた。

その時、微かに、ギシ、という音が鳴ったが、俺は雀の涙ほどしか気にしなかった。

やがて、大富豪の家にあるような長さに、さらに幅が加わった巨大なテーブルに、沢山の料理が乗せられた。

俺はハウスキーパーに、いつものように料理を腹の上に持って来るよう頼んだ。

こうした理由はただ一つ……あまりにも腹が出ている為、俺はテーブルの縁にすら、手が届かないのだ。

だから逆に、その腹を利用して俺は”腹テーブル”という技を使うことにしたのだ。

……正直、この技を使えるということは、俺が相当なデブだということを証明しているのだが、もはや俺には関係の無いことだった。

今の俺は、何においても全てが自由だった。動けなくても、誰かハウスキーパーなどに頼めば運んでくれる。

それに金はたんまりと、それも不可思議程あるのではないかと思える程ある為、全ては金が解決してくれた。

おかげで俺の敷地には、映画館、食堂、ゲーセン、娯楽施設、ありとあらゆるものが揃っていた。

さらにそこには、ハウスキーパーや従業員達が寝泊りする巨大な寄宿舎があり、もはや一つの小さな町が出来上がっていた。

そう……俺は、この小さな町の支配者なのだ! 俺が望むものは、全て手に入る!

俺は、全てが俺中心のこの町に浸り、夢から夢現つ、そしてついに、夢を現実にしたのだ。

俺は忍び笑いを漏らして、この小さな町の支配者であることの優越感に浸った。

 

 

 

日が眠りこけ、月が大地を眺める夜十時のこと。

「おぃ、飯だ、飯」

「御主人様……お止めになられた方が宜しいのでは?」

「うるさい。とっとと持って来い」

「……もう、今日で八食目ですが……」

「うるさい! 早く持って来いと言ってるんだ! それとそこのお前、いつもの様に俺の担い手達を呼んで来い」

やがて、計八人の筋骨隆々な竜、恐竜の混合の担い手達が現れた。彼らは、脂肪の塊と化した俺を担ぎ、食堂の特別な椅子へと運んだ。

そして俺は、その椅子に降ろされたが、あまりの椅子の小ささに体中の肉が溢れ、見事椅子の側面を埋め尽くしてしまった。

「ありがとう。さて……飯はまだか?」

そう言うと、すぐに料理がテーブルに運ばれて来た。霜降り和牛十キロ、ピザ十枚に、デザートのティラミスが十個……等。

俺はハウスキーパーに料理を持って来てもらい、それを腹に乗せ、ガツガツと勢いよくかぶり付いた。

もはやマナーがどうこう言っている余裕は無かった。一回の食事で腹を満たすには、この方法しか無いのだ。

俺は、未だ続々と現れる料理を片っ端から平らげていった。七面鳥の丸焼き、十キロの巨大ハンバーガーに巨大プリン。

……どうやら、今日はいつもより調子が良いようだ。俺はさらに料理を注文し、それを黙々と食べ続けた。

結果、食べ切った料理は全部で百キロを超過していた。パンパンに張ったお腹を摩り、勢い良くゲップを吐いた。

俺は少しばかし休憩を取り、そして担い手達に、俺を部屋まで運んでくれと言った。

……だが、いくら担い手達が力を振り絞っても、俺の体が椅子から離れることは無かった。

と、一瞬だけ浮いた――かと思ったら、やはり彼らは力尽きて手を離してしまった。

その時、僅かな落下の影響で、メキメキという音と共に、ドォゥン、という轟音が辺りに谺した。それと同時に、噴煙も撒き上がった。

俺は急に落下する感覚を味わい、そして直ぐに体が地面に叩き付けられるのを感じた。その衝撃で、俺はつい咳き込んでしまった。

「だ、大丈夫ですか!?」

辺りの担い手達が、急いで俺を起き上がらせようと努力した。……が、やはり無駄だった。

「お、おい! どうにかならないのか!?」

予想外な出来事に、俺は完全に動揺してしまった。とにかく、この体をどうにかして起こさなくては……体の肉が、あまりにも重過ぎる!

俺は、この家にいるハウスキーパー達を全員集め、何とかして体を起こしてもらおうと助けを求めた。

だが既に、担い手八人で俺の周りの位置を殆ど占めていた為、俺を持ちあげる為の人数は然程変わらなかった。

その結果、やはり俺を持ちあげることは出来なかった。俺は仰向けに倒れたまま、天井や、俺の様子を窺う顔を眺めた。

「……御主人様。もう、私、ついていけません……」

「俺も、いくら金が貰えても、こんな奴に使えるのはごめんだ」

「おいらも、こんなぶくぶくの脂肪の塊のお供なんて嫌だね」

徐々に周りから、そのような声が上がり始めた。そしてついに、彼らは俺の家を後にして何処かへ行ってしまった。

そして俺の家に残ったのは、たった一人の女竜だった。

「……せめて、レスキュー隊だけは呼んでおきます」

「た、頼む……せめて、君だけでも俺の傍に……」

「……ごめんなさい!」

そう言って、その女竜は立ち去った。途中、彼女が電話で助けを求める声が聞こえたが、後に彼女は、皆と同様何処かに消えてしまった。

俺はこの時初めて知った。俺は、何と醜い姿に成ってしまったのだろうと……

 

「み、見るなぁ……」

俺は、自宅からフォークリフトで運ばれる自分を撮影、蔑視する大衆を、少しでも自分から遠ざけようと努力をしたが、無駄だった。

醜く肥え太った竜の体を見て「あれじゃあ飛べないどころか、動くことも出来ないじゃない」とか「あれって本当に竜なのか?」と、

様々な、竜と見做さない俺を咎める言葉と、そしてフラッシュの嵐が辺りを飛び交った。

俺は耐えられない程の屈辱を味わい、太り過ぎによる要因が重なった冷汗三斗な状態だった。

だがそんな汗も、体の厚い脂肪と辱めには敵わず、とうとう俺の頭は過熱してしまい、目の前の世界を暗闇の中に消し去ってしまった。

 

突如目が覚めた。俺は辺りを可能な限り一瞥し、ここが個人用の病室だと理解した。

周りには誰もいない。扉の向こうからは「あんたが行きなさいよ」という忌嫌う者に対しての譲り合いが行われていた。

と、その時、病室に一人の鼠が入って来た――あの鼠ジジイだった。

「何とまあ、醜くなってしまったもんじゃな」

「……ごめんなさい……」

「はて、どういうことかな?」

「あの時、あなたをあんなに罵倒してしまって……それに、あんな大金を俺に渡すような出来事にしてしまって……」

「もう良いんじゃよ、分かってくれればそれでいいんじゃ」

「……あの、あなたから貰った百億、返します。俺の家にあるので――鍵はこれです。どうぞ、勝手に持って行ってください」

「ふぅむ、別に返してくれとは言っておらんぞ?」

「いや、これはあなたへの慰謝料です。どうか受け取ってください。もう百億とは言わず、全部」

「残念じゃが、儂はそこまで邪じゃないぞ? ……だが、百億だけは、キッチリを返して貰おうかな……?」

「お願いです、全部受け取ってください。俺には、金なんて似合わなかったんです」

「……本当に良いのかね?」

「はい」

「……君のその心、確と受け取ったよ。それじゃあ……何か、君の家から持って来て貰いたいものはあるかね?」

「そ、その……恥ずかしい話、せめて着替えだけは欲しいです……こんな体じゃあ、着れる服は自分の物しかありませんし……」

「はっはっは! そりゃお安い御用じゃよ」

そう言って、鼠の爺さんは部屋を後にした。

再び部屋に一人となった俺は、ベッドの上でさめざめと泣いた。

 

この時から、俺はまた新たな人生を送ることになった。

俺は、窓から射す一条の木漏れ日を手で受け止め、その光の微かな温もりと感触を味わった。

その光は、この病院に住む唯一の、俺の病んだ心を癒す、触れ合える存在であった。自然と、顔が綻んだ。

 

 

 

真っ暗な部屋の奥に向かって、鼠爺が声を発した。

「すいません……つい調子に乗って、あんな約束をしてしまって……」

「いや、別にいいのだよ。それにあのお金は、お前がちゃんと、しかも利子も付けて返してくれたじゃないか」

「はい。あの若者の心が、本当は生っ粋なものじゃったので。……それにしても、何故御主人様はこんなことをしているのですか?」

「私は、有り余ったお金を、害獣達への戒めとして使いたいのだ」

「……御主人様は、<正義>を求めているのですか?」

「まあな。だが<正義>なんぞ、結局個々人の考え方があって十人十色だ」

「じゃが、それでも、御主人様は自分の<正義>を貫き通したいのですか?」

「ああ。そうすればいつかは、自分の<正義>が世にとって正しいものなのかどうか、分かることが出来るだろう?」

「……御主人様は変わった方じゃ。大富豪なのに、それらしい態度を示さないし、それに<正義>を求めてる。

……じゃが、私はそんな御主人様が大好きじゃ。御主人様こそ、私の生涯の誇りじゃ」

「お前は、数少ない私の理解者だ。私も、君が私に仕えていることをとても誇りに思うよ」

「非常に嬉しいお言葉じゃ。何せ御主人様は、こんな醜態な溝鼠を助けてくれたのじゃから……」

「君は決して陋態ではない。素晴らしい鼠だよ。それはただ、運悪く業苦を受けた結果なのだ、気にしてはいけない」

「ありがとうございます」

「……では、そろそろ退散するとしようか」

「はい」

 

謎の暗がりの部屋にて、夜な夜な密かに行われた静かな会合は、幕を閉じた。

 

 

 

 

 

          見えない大富豪 了


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