男 エグバート・クラウン Egbert・Crown
男 ピウス・ヴェラ Pius・Vela
男 ウェイン・セントパル Wayne・Centpal
女 イヴァン Yvonne
女 フィリッパ Philippa
ピウスとウェインは、エグバートを追うため、早足で石の扉を抜けた。そこは崖と崖の間に出来た深い溝のような谷間で、ジクザクとしており、そのためエグバートの姿がまだ見えなかった。多分罠もないのだろうと、二人はそのまま先へと進んだ。
再び、開けた場所にやって来た。先ほどと同じような広さだが、辺りは蔓や蔦などに覆われており、小さなジャングルになっていた。しかしそこに成っている実は、地上にあるジャングルとは全くの別種であった。大雑把に言えば、南国の島などにある大きな実ばかりだったのだ。しかしそんな南国の島でも見たことのないような感じでもあり——つまりは、全くの未知だったのだ。
そんな場所で、エグバートは小さな段差に座り、誰かと話していた。更にその隣には子供が一人。翼は大きく退化しているものの、姿形は三人と同じだった。
「……エグバート、その二人は?」ピウスが歩みながら聞いた。
「ああ、彼女の達は、どうやらここの住民のようだ。彼女がイヴァンで、その娘、フィリッパだ」
「ここの住民?」
「まだ話し始めたばかりだが、ここは隠れ家だと今教えてくれた」
「隠れ家?」
するとここで、エグバートが話していた女性が、語り始めた。
「私たちは、戦争からにげるためにここに逃げ込んだんです」
「戦争? しかしこの国は、歴史上戦争になったことはないはずだが?」とエグバート。
「遠い昔の話です。何億年という前なので、私たちも歴史を伝承されたに過ぎませんが」
「ちょっと待て。その辺りは、恐竜がいたり隕石が衝突したり、いろいろなことがあった時代じゃないか?」
「はい。しかしその時の歴史の一部は、改竄されたものなのです」
「改竄?」
「私たちがいたのは、今ほどではないにしろ、かなりの文明が栄えていました。しかしそんな時、大きな事件が起きたのです」
「事件?」
「……核戦争です」
「核戦争!? まさか、そんな時代に既にそれがあったのか?」
「はい。その結果、地球は大きく滅びてしまいました。そこで、この場所に隠れて生き延びた私たちの先祖は、ほぼ壊滅した地球に新たな命を吹き込むとともに、神や悪魔などの話を作り上げたのです。そうすることで、新しい命が再び核を起こさないよう、神話や伝説を宗教的に信じさせ、過ちという物の定義を作ったのです」
「てことは……つまり、隕石衝突で地球上の生物が絶滅したというのは、嘘だというのか?」
女性は頷いた。衝撃過ぎる内容に、エグバート以外の二人は、言葉を失っていた。だが、あらゆる地に点在する古代の四つの言語がここに集結していることが、それを信じさせる一つの糧となっていた。そしてそのことも、エグバートは尋ねることにした。
「そういえば、ここに入る時は4つの言語があったが、それはどういうことなんだ?」
「新たな命を作る時、一つの言語だけでは変化がないでしょう。いくつかの言語を作り、それぞれに神話を持たせることで、あらゆる考えが生まれます。私たちが戦争にあった時代は、みな一つに統一された考えがありました。そのため戦争という考えを抱けば、みな同じようになってしまいます。もしばらばらにしておけば、仮に一つが戦争に対する考えを持っても、他が制御してくれるかも知れません——つまり言語を複数作ったことは、先代が試みた一つの挑戦なのです」
「信じられない……だがその言葉らはあらゆる地に点在し、古代の言語として僕たちにはある。それの起源が、まさかここだと言うのか」
「信じなくても結構ですよ。私たちも、口々に伝えられただけで、この目で見たわけではありませんから」
ここで、ウェインが割り込んだ。
「なあ、イヴァンと言ったな? この先にはまだ道があるようだが、そこには何があるんだ? やはり願いの泉があるのか?」
「願いの泉?」エグバートは聞き返した。それにピウスが、代わりに答えた。
「そうか、お前にはまだ言ってなかったな。実は俺とウェインとでこの国を調査した時、ある伝説を聞いたんだ。それは地下遺跡に眠る正しき聖杯に汲まれた水を飲むと、願いが叶うというものだ」
「なんだって? そんなの初耳だぞ」
「ピウス、そういうことはちゃんと教えてやらなきゃ。そもそも私たちの一番の調査目的は、それなんだからな」
「そうなのかウェイン?」とエグバートはウェインに向いた。
「ああ。だがそれに一心になり過ぎて目立った成果を上げられず、調査チームは解散。しかし君のおかげで、それにまた一歩近付いた。あとは目の前だ。そうじゃないのか、イヴァン?」
するとイヴァンは、ゆっくりと頷いた。
「はい。聖杯は、その道の先にあります」
その言葉を聞くや否や、ウェインは真っ先に奥へと足を進めた。
「ちょっと待て、罠があるかも——」
「大丈夫ですよエグバートさん。もう罠などはありません。その代わり、多分正しい聖杯は分かりませんから」
「どういうことだ?」
「私たちも分からないんです。一度見れば分かりますよ」
エグバートは、その言葉にウェインのあとを追った。ピウスも、それに続いた。
道を抜けると、少し小規模だが、それでも大きな空間にやって来た。そしてそこには、確かに聖杯があった。しかし——
「な、なんだこりゃあ……?」
エグバートが漏らすのも当然だった。前にいるウェインは、既にその場で立ち尽くしていた。なぜならそこには、何百、何千、いや、下手をしたら一万個もあるのではと思うほど、大量の聖杯がそこら中に置いてあったのだ。しかもそれら全てに水が入っているのだ。
天井からどうやら水が注がれており、それはまず一番奥の一つの聖杯へと流れる。そこから溢れた水は、手前手前にと横に数を増やしながら、まるでピラミッドのごとく流れ、その下にも同じようなものがあって、それらは上から溢れた水を汲んでおり、そのようなものが何層も重なって、最終的に一番下で溢れた水は、下の窪みに溜まり、そこが小さな川のようになっていた。
もし伝説が本当なら、この内のたった一つが正解となる。
「これら、一つ一つ飲むしかないのか?」
「いや、待てよ、毒があるかも知れない」
すると、三人のうしろからイヴァンが近寄りながら言った。
「大丈夫ですよ、毒はありません。しかし、ちょっとした問題があります」
「問題?」とウェイン。
「願いを叶える水も他の水も、全ては同じ水なのです。ただ、願いを叶えさせてくれる水以外は、その効力が薄く、全ては飲んだ者の欲を、僅かながらに勝手に叶えてしまうのです」
「てことは、それも願いを叶えてくれるんじゃないのか?」
「そういう風に見えるかも知れませんが、実際そうは行きません。その人の根底に眠る“今”の欲求が、そのまま反映されているのです——なんといいますか、融通が利かないのです」
「まっ、それならどちらにせよ、一つ一つ飲んで行けばどうにかなるな」
するとエグバートが、ウェインに注意した。
「待て、まだ四つ目のヒント『石を動かさねば命はない』が解けていないぞ。きっと正しい聖杯は、それが答えなんだ」
「なあに言ってんだ、結局どの水も願いを叶えてくれるんだろ? ただその内の一つが、私のちゃんとした願いを叶える。だったら時間かけてもこれらを飲みゃ、いいことじゃないか」
「しかし、この量の水を飲み続けるとなると、相当日数がかかるぞ?」
「時間がかかっても、望みが実現することに比べりゃ大したことはない。何せここを見つけるまで、私たちはどれほど待ったと思うんだ? そのせいですっかり体も変わってしまった。今更時間なんて気にはしないさ」
「そう……か」
「そう、だ。ピウス、お前も助手として手伝ってくれるな?」
しかし、ピウスはどうやらエグバート寄りのようだ。
「いや、無理はしない方がいい。やはり謎を解かない限り、何か良からぬことが起きる——そう教えてくれたのは、あなただ」
「全くお前という奴は、状況が分かってない。なら私が一人、ここで願いを叶えてやるさ。あとで泣き言言っても聞かんぞ」
そういうとピウスは、早速手前の聖杯から水を飲み始めた。一杯は
巵 のように100ml程度と少ないが、しかし万に相当する数の聖杯を総計すると、かなりの量になる。しかしそれでも、彼は飲み続けた。予想以上に第三の謎が早く解けたので、キャンプ地をエグバートとウェインがイヴァン達のところへ移すあいだも、ウェインはずっと奥の聖杯の間で水を飲んでいた。
やがて、寝る時間になると、ようやくウェインが戻ってきた。そのお腹は、あの樽のようなものに水が入ったため、だっぷどっぷと揺れながら音が鳴り、本当に樽そのものにも見えた。
「大丈夫か?」とエグバートが心配していった。
「いや、大丈夫だ。しかし一杯飲むごとに、腹ががぽがぽ言って結構しんどいな。水だから余裕だと思ったが、意外にも辛いもんだな」
「やはり、謎を解いてからの方がいいんじゃ?」
「ならその謎は、二人に任せる。私はとにかくあの水を飲み続ける。いつかはきっと何かが起きるからな」
「そう、か……」
そして三人は、テントの中で就寝した。イヴァンとその娘フィリッパは、普段通りという、ジャングルの適当な木の根っこに寄りかかり、寝た。
翌日。イヴァンとフィリッパが、地底ジャングルでとれた巨大な木の実を差し入れに持って来た。量も結構あって、それらを朝食に、五人でテントで食事を取った。
「うん、美味い! これを毎日食べてるのか?」ピウスがばくばくと木の実を食べながら言った。
「はい。けど同じ味ですし、ずっと食べてると飽きて来ます」
「その時はどうするんだ?」
「あの聖杯の水を少しつけます。すると味が変わるんです。けどあまりあの水を飲むと、心底に眠る欲求が蘇りますから、ほどほどにしてます」
「だってさ、ウェイン」
ピウスが横目に見ると、彼はそんなこと気にせず、ばくばくと木の実を食べていた。これからあの水を飲むのだろうにもかかわらず、食事も躊躇しない。やはり彼がピウスのようなパンヌス(垂れたお腹)にならないのは、確りと調査を個人的に続けて運動していたのだからだろう。しかしここに来てからは、どうなることやら——やることと言えば、水を飲んで木の実を食べるだけ。いつかピウスのようになるのかも知れない、そう思いながらエグバートはウェインを見つめていた。
「……なんだよ、別にいいだろ。願い叶えられれば、どうなっても構わんさ」
やがて朝食を終えると、ピウスとウェインは膨れたお腹をさすって、満腹感を露わにした。エグバートも、久々にちゃんと食事を取って、おいしさで限界まで食べ、お腹が張っているのが分かった。
そんな状態で、ウェインはいつものように、水をがぼがぼと飲んだ。昼食になると、じゃぽじゃぽなるお腹を揺らしてテントに戻り、持って来た食事とイヴァン達の木の実で食事を取り、再びエグバートとピウスは、この洞窟内を散策したり謎を解明しようと、時にはインターネットを使って答えを模索した。一方ウェインも、聖杯の水を飲み続けた。
夜。洞窟内で空も見えず、時間を時計で知る彼ら。夕食も終え、イヴァン達が眠りに入ったので、そろそろ自分たちも寝ようとエグバートがピウスに言った。
「ん、ウェインは?」
「ああ、まだ水飲んでるのか。全く、僕が呼んでくるから、先に寝ててくれ」
「分かった」
エグバートは、奥の聖杯の間に入った。そこには、石の椅子に座りながら、大きな体を背に向け、片っ端から水を飲むウェインがいた。心なしか、少し大きくなったように見えるが、きっとそれは、食事と水でだぷだぷと膨れたお腹が錯覚させているのだろう。
「ウェイン、そろそろ寝ようか」
「ん……そうか、もうそんな時間か」
ウェインは、一層重くなった体を、力み声とともに持ち上げると、エグバートとともにテントへと戻った。静かな洞窟内で、ウェインの腹に溜まった水の音が、良く澄んで聞こえた。
「随分と飲んだんだな。大丈夫なのか?」
「まあな。だがさすがに、聖杯は全然減らないな。っふぅ、全く」
それからまた一週間が経過した。最近、ウェインの様子が少しおかしかった。エグバートは、初めに感じた違和感が、どうやら気のせいではなかったことを知った。
いつもの朝食を終え、全員が立ち上がった。するとエグバートの目に、ウェインの目が入った。
「ウェイン……少し、身長が高くなったか?」とエグバート。
「そうか? げぷ、ずっと飲み食いしてて腹が膨れてるから、そのせいじゃないのか? 何せベルトの穴が、もう緩められなくなってるし」
「僕も最初はそう思った。だが違うぞ」
「確かに俺もそう思う。俺から見れば、二人の身長は同じだぞ……まさか、これがイヴァンの言っていた、欲求を満たす的なことなのか?」とピウス。
「なるほど、それなら納得出来る。正直私は、背が小さいことにコンプレックスを抱いていた。本物の願いではないにしろ、その欲求不満を改善してくれてるわけか——あの水も、素晴らしいじゃないか」ウェインがうんうんと頷くと、エグバートは顎に手をあてながら言った。
「だが、願ってもないことを勝手に実現されるのは、どうなんだろうか?」
「気にするなって。それより、謎は解けたのか?」
「いや、まだだ。石を動かせというのが漠然とし過ぎてる。そもそも遺跡全体が石で出来てるからな。一応範囲としてこの地底ジャングルから聖杯の間までなんだろうが、それでも石を一つ一つ調べるのは、砂漠の中にある塩を探すようなものさ」
「そうか。まあ精々頑張ってくれ、私も水を飲み続ける」
そして今日もまた、いつもの日常が始まった。
しかしながら、ウェインの身長の伸びは、僅かながらにも加速していった。しかもそれに伴ってか、食事量も増え、水も大量に飲むことから、全体的に彼は巨大化していた。
更に一週間。ついにウェインは、一番背の高かったピウスよりも高くなっていた。しかし依然として腹は水風船のようにどぷどぷと鳴って丸く、ピウスのような脂肪垂れは起きていない——これもあの水の力なのだろうか。
この頃になると、聖杯の間までの通路を通るのが、やっととなっていた。それは体重的にも、そして大きさ(概ね横幅)的な意味両方を兼ね備えていた。
「なあウェイン。やはり水を飲み続けない方がいい」
しかしピウスの助言も空しく、ウェインは、
「ふぅ、何故だ? もうすぐ半分なんだぞ、ここで止められるか」
「だがこのままだと、聖杯の間に入れなくなるぞ」
「なんだと? げぷ、私はそんなに大きくなってるのか?」
「高さもそうだが、横もだ。分かってるだろ、お前はもうテントに入れないじゃないのか」
実は数日前から、ウェインはテントに入れなくなっていた。それまでは、巨大化したピウスをベッドに寝かせるため、エグバートたちのベッドも並べて三幅対にし、その彼らは、イヴァンのようにそのまま地底ジャングルで寝ていたのだ。今ではまたベッドで寝れることに万々歳なわけだが、ウェインの巨大化は異常で、イヴァンやフィリッパの隣で寝る彼の姿は、巨人というより食欲魔神だ。
「まっ、はぁ、だがこれも願いを叶えるためだ」
「なあウェイン、俺達も頑張って調査をしてるんだ。だからさ、水を飲むのを止めたらどうだ?」
「絶対に止めないぞ。あともう少しなんだ。お前がなんと言おうと、私は絶対に止めない! はぁ、ふぅ」
少し強い声で返したウェイン。感情的になって息も荒く、この執着心は、本心か、はたまたあの水のよって増殖されたものなのか……
三週間目。ウェインは、聖杯の間に閉じこもっていた。いや、正確には、そこから出れなくなってしまったのだ。エグバートやピウスが説得しようとしたが、ぶくぶくと膨れあがったウェインを、もはや動かすことなど出来なかった。
しかしその甲斐もあり、ようやく聖杯の数も半分以下となり、益々彼は水を飲むのに必死になった。しかもそれに加え、食欲も一段と増え、これもまた水の仕業か、イヴァン達が次々に持ってくる木の実をメイン——いや、水をメインに木の実をおかずとして食べていた。幸いか不幸か、それでも地底ジャングルの木の実は、なくならなかった。
「うっぷ……ふぅ、次だ」
ピウスに言って、ウェインは聖杯を運んで貰った。実は彼は、あの石の椅子に座ったまま、身動きすら辛くなったのだ。ピウスやらエグバートやらが食事を取っている時は、どうにか自らの意思で動くものの、助手が付けられる時は、絶対につけて彼らに運ばせた。それほど動くのが辛いのだ。
「なあウェイン。本当に大丈夫なのか?」
「ごぷ、ごぷ……勿論だ、ふぅ、次」
ピウスは仕方なく次の聖杯を運んだ。本当は否定したいところだった。だが一度そうした時、ウェインは子供のように大暴れした。自暴自棄になり、自重で壁におさえられた翼は変な方向に曲がってしまったのだ。
その時の激昂ぶりは、本人でもよく分からなかったらしいが、きっとあの水のせいで、彼には水を飲むという強い欲求が水によって作用され、中毒のようになったに違いない。
それから一週間後。ここに来て四週目のことだ。今はエグバートが、ウェインの助手となっていた。なぜなら……
「良し、飲め」
ウェインのあけた口に、エグバートが聖杯から水を流し込んだ。
「ごぶ……ふぅ、次」
エグバートは、再び翼を動かし、着地して聖杯を取ると、また翼で飛んだ。
ウェインは、更に巨大化していたのだ。もはや座った状態でも、ピウスでは手が届かないため、唯一空を飛べるエグバートが、彼に口へと水を与えていたのだ。勿論彼は手を動かせないわけではない。ただ彼には、水よりももっと大事なものがあったのだ。それが食事……巨大化したこの体を満足させるには、相当量の食事が必要となり、水と今までイヴァンが運ぶ木の実だけでは、当然飽き足りないのだ。
しかしこれまた不幸か幸いか、地底ジャングルから伸びた蔓が聖杯の間の天井に張り、そこから実が垂れていたのだ。大きくなったウェインは、腕を上に伸ばせばそれをもぐことが出来、それで木の実を食べるのだ。しかもその木の実は、一日で成るというこれまた未知であり(そのため地底ジャングルでは木の実がなくならないのだが)おかげでウェインは、一日中そこから木の実を食べていた。
しかしウェインがそのように体を張ったおかげで、聖杯の数も既に千を切っていた。だがその分、逆に胃袋が木の実で支配され、また効率的に水が飲めないので、ペースが落ちていた。
「もう、少し……うっぷ、げぷ」
「大丈夫か? 無理はしなくていいぞ」
「早くくれ……早く、ぶふぅ」
鼻息も荒く、尋常でない量の汗も掻いていた。その様子を、日に日に心配さを増して見つめるエグバート、そんな彼を尻目にウェインは、今日もまた水と木の実を饕るのであった。
「おうい、エグバート! 昼食だぞ!」
「分かった! ウェイン、それじゃあ僕は、食事に言ってくる。木の実だけで我慢出来るか?」
「あ、ああ……早く、戻って来て、くれよな」
「大丈夫だ、心配するな」
エグバートは翼を広げてウェインの体から滑降し、テントへと戻った。そこでは、いつもの食事が用意され、既にイヴァンとフィリッパ、そしてピウスが食事を取っており、彼もそれに加わった。
「……なあ、エグバート。ウェイン、これからどうなるんだ?」
「分からない……だが、このまま行けば、確実にウェインは、聖杯の間に詰め込まれてしまう」
「そうなると、食事も出来ない、よな?」
「ああ……」
ピウスの言葉に、どうも答えられないエグバート。なぜならそうなれば、ウェインは餓死してしまうからだ。このままではいけない——そこでエグバートは、少し前から胸に秘めていたことを、とうとう口にした。
「なあ、ピウス。僕たちも、聖杯の水を飲もう」
「な、なんだって? せっかくここまで調査したのにか?」
「だが結果はゼロだ」
「し、しかし……大丈夫なのか?」
「ウェインのおかげで、あと聖杯は1000杯もない。合計すれば100リットルもない。少なからずその影響は出るだろうが、だがウェインの苦労を無駄には出来ない」
「そう、だな……分かった。なら俺達も、水を飲もう」
「良し。そうとなれば食事はこれでおしまいだ。出来る限り、聖杯の水を飲むことに徹しよう」
するとここで、イヴァンがこう提案した。
「でしたら、お二人の分の食事を、私たちが用意しましょうか?」
「いいのか?」
「はい。私もあなた方の血と汗の滲むような努力を無駄にはしたくないのです。それに——願いが叶うところを、見てみたいのです」
エグバートは、うんと頷いた。
それから、ウェインの他、ピウスとエグバートも参加して、手当たり次第に聖杯の水を飲むことにした。おかげでウェインの身長は殆ど留まり——しかし食事量が相変わらずなので、脂肪がどんどんと身に付いて行ったが——代わりにピウスとエグバートに、異変が出た。
ピウスには、翼が巨大化する変化が起きた。どうやら彼の潜在的な願いは、飛べていた過去のようにもう一度空を飛びたいのだろう。
一方エグバートの方は、尻尾が太く長くなる変化が起きた。実はそれほど目にかかる所でもないのだが、竜としてエグバートの尻尾は、体型に似合わずこぢんまりとしていた。そして幼い頃、彼はそのことでからかわれていたこともあり、それがややトラウマとなっていた。聖杯の水は、そんな過去のことまで探りを入れて、願いを実現したのだろう。それには本人も驚いた。
だがそれも、ウェインほど極端にはならなかった。飲む量が断然違うからだ。そしてついに半週間後には、聖杯は残り二つとなった。
「まさか、ここまで聖杯が絞られるとはな……げぷ」
「そうだなピウス、うぷ。だがこれも、ハズレということがありうる」
「ここまで来てか? それは勘弁して、貰いたいな」
「……良し、それじゃあ、飲むぞ」
ピウスは、こくりと頭を下げた。
エグバートとピウスは、同時に残りの聖杯の水を飲んだ。
すぅっと、喉を冷たい水が通る。いつものことだ。両目をつむり、何かのイメージが湧くのを待った——しかしながら、変化がない。再び目をあけると、そこにはお互いの顔が映り込んでいた。
「エグバート、何か起きたか?」
「いや……」
「くそ、それじゃあここに聖杯の水、どれもハズレだってことかよ!」
ピウスは悔しそうに声を荒げた。だが一番ショックを受けたのは、身を挺したウェインに他ならない。
「畜生、ぷふぅ、ここまで、頑張った、ていうのに……げっぷ」
ウェインは悲しそうに項垂れたが、食事の手は止まらない。彼の体はもう、聖杯の間の三分の一にまで膨れていた。幸いにも入り口は、部屋の隅にあったのだが、これではいつ、この通路が彼の肉体で塞がるか分からない。
「やはり、石を動かせというのが重要だったわけか」
「エグバート……すまない、んぐ、君の言う、通りだった」
「気にするな。逆にこれで、やるべきことが分かったんだ。願いが叶えば、これで僕たちも元通りだ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。げふぅ、願いは、それなのか?」
「勿論さ。それ以外、何がある?」
「せっかく、せっかくここまで、うぷ、頑張って、それが願いなのか?」
「ウェイン。あなたは一つ勘違いしているようだ。願い事が叶っても、何が出来る? その体では、どうすることも出来ないだろ?」
「ぐぐ、だが、願いが——」
「いい加減にしろ! ウェイン、あの宝はどうしたんだ?」
「宝?」
「第二のヒントののちにたどり着いた空間で、あなたは猫車に大量に宝を載せていたじゃないか。仮に願いが叶わなくとも、それがあれば充分じゃないのか?」
「……確かに……」
「何でも願いが叶ったって、自分が動けなきゃ、元も子もないじゃないか」
「……しかし、もぐ、エグバート、君はいいのか?」
「僕?」
「叶えたい願い、あるんじゃないか?」
「まあな——だがこうなった以上、僕たちが元通りの姿に戻ることが、一番の願いさ」
するとピウスが、少し残念そうに言った。
「そうか……折角この翼が手に入ったんだけどな」と彼は、惜しげに自分の翼を見る仕草をした。実際には太っているので、背中にまで首と目が回らなかったのだ。
「だったらダイエットすりゃいいだろ」
「へっ、こんな僻地で食べることを止めろなんて、空気を吸うなと一緒さ」
「じゃあ諦めろ」
「ちぇ」
二人の会話に、ウェインがくすり笑った。その反動で、全員のだぼついたお肉が揺れ、それが波のように終端まで続いた。
「分かった、エグバート。げぷぅ、石を動かし、正しい聖杯を見つけてくれ」
「ああ、分かった」
エグバートは、聖杯の間を一瞥した。あちらこちらに、飲み終えた聖杯が落ちている。一ヶ月ほどで、これら全部を飲み干したのかと、思わず関心してしまった彼。そんな彼が、辺りを詳細に見回そうと、足を一歩踏み出した。
(ぴちゃ)
「ん?」
彼は足下を見た。すると、床がぬれていたのだ。床、何故だろうかと、彼は首を傾げた。
ああ、そうか、と彼は、最後の聖杯があった所を眺めた。天井から注がれた水は、まずその聖杯へと落ちる。そこで溢れた水は、手前やら下へと流れているわけで、その根源が絶たれた今、一部の水は下の池にちゃんとたまるが、残りはその道から逸れて流れ出し、聖杯の間の床に浸水していたのだ。
「……待てよ、根源、か……」
根源というふと思いついた言葉が、エグバートの脳裏に妙にへばり付く。気にならない言葉は、すぐに脳内から飛んで行くのだが、探検家としての感なのか、その言葉がまるで、増水した川に流されないよう必死に棒に捕まる人のように、脳内にひしとしがみついていた。
「根源、根源……」
そう呟きながら、彼は注がれた水の出所を見た。そこは天井で、やはりそこも、石で出来ていた。
「——待てよ!」
「な、何か分かったのか?」とピウス。
「ちょっと確認してくる」
エグバートは、ばっと翼を広げ、飛び上がった。だが急激に大きくなった尻尾にバランスを取られ、少し蹌踉めいてしまった。しかしすぐに壁に手をついて立て直すと、そのまま天井へと向かった。そして頭をぶつけないすれすれのところでホバリングすると、水が注がれている天井の石に、手を添えた。
ようく近くで見ると分かったのだが、そこだけまるで、取り出し可能のように不自然な形ではまっていたのだ。エグバートは、隙間に爪を入れ、慎重にそこの石を取り出そうとした。
すると、少し石が動き、彼はゆっくりと爪を下ろすと、ようやく水が注がれた場所の石がとれた。
石の上には、錆付いた古い聖杯が乗っかっていた。しかもそこから、水がどんどんと溢れているではないか。先ほどまで流れていた水は止まり、どうやらこの聖杯自体が水源らしい——一体どういう仕組みなのか、だがそれを気にする暇などなかった。
彼は床へと降り、それをピウスとエグバートに見せた。そのあとに、声を聞きつけたイヴァンとフィリッパもこの部屋に入ってきて、それを見た。
「これが、そうなのか?」とピウス。
「わあ、すごいね、みずがでてるー」フィリッパは大はしゃぎ。
「……恐らくこれが、正しい聖杯だろう」
「じゃあ、誰が飲む?」
「僕で良ければ、僕が飲むが」
一人一人の顔を見ると、全員それで納得したようだ。そして上と見上げ、ウェインにも確認したが、彼もOKと言ってくれた。
未だに水が湧き出す謎の聖水。エグバートは、それにゆっくりと口を近づけると、静かに飲み始めた。すると不思議なことに、ぱたりと湧水が止まり、彼は聖杯の中の水を、全て飲み干したのだ。
刹那。突如エグバートは、変な感覚に襲われた。周りの景色が水のように流れ、真っ暗になったのだ。
その直後、彼の目に、ある光景が映った——いろんな人たちが、武器などで争い、そして最終的に、大きな爆弾らしきもので、地球が滅びるのだ。何故だか分からないが、彼にはそれが、イヴァンの言っていた大戦争の様子だと分かった。
それから次々に、彼には歴史のビジョンが流れた。同時に彼は、そこでの情報を瞬時にして記憶していった。
暫くして、不意に映像が途切れ、また暗い世界に戻った。
『願いは……?』
(だ、誰だ?)
『願いを述べよ……我は、それだけを認める』
(……分かった。なら、素直に答えよう。僕の願いは——)
気がつけば、エグバートは元の聖杯の間に戻っていた。尻尾は、とても軽かった。