イアート Iaht
アサイリーマ Acirema
雄鯨 コハト 俺
雌海豚 セリズン 私
雄犬 レトワール 自分
雌鷹 ルーパー あたし
雄蜥蜴 フォッシル 僕
コハトが自宅に戻ると、仕事から戻ったセリズンが、料理をしていた。
「おい、飯はまだなのか?」
「無理言わないでよ。帰って来てすぐ料理して、そんなに早く料理ができるわけないでしょ」
するとコハトが、ちぇっと舌打ちをした。他国から見れば、亭主関白以前の問題環境であるが、ここイアートでは普通の光景に近い(近いと言ったのは、コハトが鯨で食欲旺盛なので、平均より食事に関してうるさいからだ)。
「前にも言ったじゃない。こういう時のために、予め外で話すついでに間食しておいてって」
「それでも腹が減ってるんだよ。大体あんな小金じゃあ、まともに飯も食えない」
「もう……」とため息をもらすセリズン。疲れているのは目に見えているが、そこはイアートの男、何も言わず、わがままに振る舞った。
「とにかく、早く飯を作ってくれよな」
イアートは、リビングでどっかとソファに腰を下ろすと、テレビをつけ、そしてテーブルのバスケットに備えられたドライフルーツを頬張りながら、のんびりと待った。
「そういえばコハト。ちょっと言っておきたいことがあるんだけど」
「なんだ? 口を動かすぐらいなら手を動かして欲しいもんだが」
「まったく……あのね、実はこの家に、ホームステイを招くことにしたの」
「ホームステイだって? はん、それは男か、女か?」
「男の人だって聞いてるわ。種族は分からないけど」
「ならお前の負担が増えちまうだろ。俺の飯はどうなるんだ? 減らされるのはまっぴらごめんだぞ」
「いいえ、その人には家事を手伝ってもらうことにするわ」
「なんだって? 男に仕事をやらせるってのか?」
「あんたはそういうけど、こんな女性ばかりが苦労する国なんて、基本的にここイアートぐらいなのよ、知ってた?」
「そうなのか? なんてやっかいな国なんだ」とコハトは、バスケットが空になったことに眉を吊り上げ、それをセリズンに向けると、彼女は料理の手を休め、そこにドライフルーツを、業務用サイズ一キロの袋をまるまる入れた。それを再びテーブルに戻したコハトは、再びドライフルーツを摘み始めた。
やがて、料理ができると、テーブルの上にはずらりと、一般家庭五人前の料理が出て来た。肉や野菜、魚など、バランスが取れた食事だが、やはり男のコハトが大好きなもの「サテ」(鶏肉や豚肉の串焼き。彼はピーナッツソースを付けて食べ、更に勢い良く食べれるよう、予め串は抜いてある)で四人分みっちりと用意されていた。そしてデザートには「サークー・ガティ」(タピオカ入りココナッツミルク)が二リットル用意され、もちろんそれはコハト用で、セリズンのは単なる水であった。これに関しては彼女が自ら望んだもので、肉だらけの食事に甘い物は太ってしまうと、御法度にしているのだ。しかしそう考える理由には、やはりコハトのために仕事をするために、体型を維持しなければならないという基があってのことだった。
そしていつものように、コハトがセリズンの分を奪い取るようにサテを貪り、そしてそれをサークー・ガティで流し込んだ。
普段どおり、残った一人前より満たない量を、セリズンが食べて、その日の一日は終わった。これでもまだマシな方で、一部の家庭では、妻や子にさえ料理を残さない夫もいるほどだ。だがそこまでいけば、餓死してしまうのは目に見えているため、コハトも最低限の配慮はしているのだ——それでも、妻の分を少し食べてしまうところは、やはりイアート人らしい。
翌日。いつものように、朝食を貪るコハト。この食事も、やはりサテとサークー・ガティの肉と甘い飲み物のオンパレートであった。
そしてセリズンが、その残りを食べ終えた時のことだった。玄関のチャイムがなり、セリズンが表へと出た。
「あ、あの……ホームステイに来たものなのですが……」
「あら、あなたがそうなのね」
そこには、痩せ気味な体をした、一人の雄蜥蜴が立っていた。コハトよりさすがに身長は低いが、セリズンと同じぐらいで、高さ自体は小さくはないのだが、やや気が小さいようだ。
セリズンは、彼を家の中へと案内した。するとリビングに入って、身長も体も、彼から見ればどでかい鯨がいたので、やはり蚤の心臓なのか、少し彼は体を強張らせた。
ソファの前で立ち止まった彼に、コハトは、それほど歓迎するような表情をせず、淡々と喋った。
「ようこそ、ここイアートへ。名前は?」
「えっと、僕は、フォッシルって言います」
「そうか。それでどこから来たんだ?」
「その……アサイリーマ(Acirema)っていうところから、来ました」
「アサイリーマか、聞いたことはあるぞ。まあ話で聞いたか分からんが、ここイアートじゃ、男は平和に暮らせるから、ゆっくりしていきな」
「は、はい。よろしくおねがいします」
フォッシルは、深々と頭を下げた。
「それじゃ、部屋に案内するわ。それと、ここイアートの習慣についても」そう言ってセリズンは、彼を用意した自室へと案内した。
フォッシルを案内したあと、セリズンがイアートのもっとも独特な風習——男がぐうたらに生活することを、あまり進まない気持ちで教えた。それに彼は、驚いて彼女にこう言った。
「信じられません。僕達のところじゃ、寧ろ男が女を守るように、手伝いとかするものです」
「そうなのよ。本当は私も、その方が嬉しいんだけどねぇ……まあここじゃ、男はそんな風に一日を過ごすわけで、あなたもそのようにして良いわよ」
「で、でも、それではあまりにも迷惑かと……せめて、僕ができる範囲なら、お手伝いします」
「本当?」
「ええ。昔はいつも、母の手伝いをしたものですから」
「あら、昔ってことは、今は違うのかしら?」と、冗談のつもりでセリズンは言った。するとフォッシルは、肩を落とした。
「いえ……実は、両親はもう、他界してしまったので……」
「あらやだ、ごめんなさい! そんなことを言わせようとしたわけじゃないんだけど——」
「良いんです、気にしないでください」
「そう……でも、本当に手伝ってもらっちゃって、いいの?」
「はい。せめてそれぐらいはしないと、僕としては落ち着かないですし」
セリズンは、先ほどのことをやや後悔しつつ、これで家事が少し楽になると嬉しく思った。
それからフォッシルは、この家で生活することになった。ホームステイというからには、学校などで海外の授業を学ぶのが一般的だが、ここイアートはそれこそ、女性が学校へと行き、男性は家でぐうたらしているのが殆どである。
根っからのヒモ男ができるのも、そういった習わしも大きく影響しているわけで、ここまでくれば、コハトのような人物が当然のように出てきても不思議ではない。
なのでフォッシルの場合、もし女性だったら、家事の手伝いでイアートのことを学べたのだろうが、残念ながら男なので、街中を放浪し、食べては現地人と談笑し、そして帰って寝るだけの生活が一般的と考えられる。だが幸いにもフォッシルは、自分から家事の手伝いを申し出たので、セリズンは大いに助かった。
だがやはり、常にフォッシルは、セリズンの元にいるわけではなかった。コハトは初め、それほどホームステイを歓迎していなかったのだが、男同士として話し相手ができることが段々と分かり、時折外にフォッシルを連れ出すようになったのだ。
しかしながら、内に籠るだけでなく、外に出ることもホームステイには必要だと、セリズンは彼を引きとめようとはしなかった。