ノガード
Nogard
男 竜
グレース・タウン
Grace Town
「へっ、なかなか良い町じゃねえか。更生施設とか言っときながら、俺の住んでた所と微塵も変わらねぇ」
ノガードは街路を歩きながら、汚れた町並みを面白そうに眺めた。雨が降ったり止んだりしても、排水溝に流れないそのままの散乱した芥からは、彼が昔住んでいた荒れた町の匂いがし、特に臭気が強い脇道では、数人の男達が一人の女性と取り囲み、交代交代で彼女を
嬲 っていた。もしくは別の袋小路では、反対に複数の女達が、一人の男性を嫐 っていた。愉快な気持ちでノガードは、いつしかタグの住所に書かれた場所にやって来た。そこは古びたアパートであったが、コンクリート製なので耐震性には問題なさそうだ。それは四階建てで、彼の部屋はその四階だった。
アパートに入ると、十字路が現れ、先には上り階段と物置部屋、そして左右の廊下には三つの部屋が、更に左右真ん中と別れてあった。ノガードは、直進して階段を上り、踊り場で向きを変えて二階に上がると、丁字路が現れ、一階と同じように左右の廊下の先には三方の部屋があった。三階も、四階も同じで、このアパートには24人の人が住めるようだ。
最上階に着いたノガードは、丁字路を左右に見て、部屋の番号を確認した。どうやら彼の家は、右の真ん中のようだ。
その扉の前に着くと、彼はタグに備わった鍵で部屋を開けようとした。だがその時、彼は長年培った裏社会での経験で、そこの違和感を感じ取った。
(扉が開いているな……気配もある)
ノガードは、鍵穴に差し込もうとした手を引っ込めると、片足を上げて、その足で思い切り扉を蹴破った。
どごんという物凄い衝撃音と共に、中から「何!?」という慌てた声が聞こえて来た。巨体に似合わず颯爽と部屋の中に入ったノガードは、仕切りの無い十二畳ほどの部屋を見回した。窓は向かいにある一枚だけで、浴槽やベッド、便器などが剥き出しで部屋のそれぞれの隅に置かれていた。そしてもう一つの隅には、そこだけ近代的な鉄箱が置かれているだけで、人の姿は全く無かった。
彼は、鉄箱へと歩み寄った。どうやらそこは、刑務官がここに来る前に説明した箱らしい。その役割は、ここグレース・タウンで最低限必要な物資(主に真空パックされた食料と水、そしてお金で、必要とあらば箱に備わった入力機器でお金を支払い、通販のように食料や衣服も注文出来る)を、離れた防壁外の更生施設から届けるためのもので
ある。そして初回では、一週間分の食料と水が用意されているとのこと。
しかしながら、鉄箱の蓋は開けられており、ノガードは空っぽの箱の中を弄った。
「覚悟お!」
突如後ろから、何者かが襲い掛かって来た。だがまるで、そのことを察知していたかのように、ノガードは箱の中にいれていた手を即座に後ろに引き、相手の脇腹に強烈な肘打ちを食らわした。
とっさに相手は頽れて仰向けに倒れると、ノガードはさっと身を翻し、襲って来た相手——狼の喉元に、竜らしい鋭い足の鉤爪を当てた。
「何者だてめぇ?」
「ひっ……す、すみません、許してくださ——あぅ!」
足の鉤爪がすぅっと喉に少しだけ刺さり、狼は呻き声をあげた。
「何者だって聞いてんだよ。俺の質問にちゃんと答えねえと、次は命は無いぞ」
「あ、う、お、俺は、こ、ここらのシマ、を取り持つ、ボスだ」
足を下ろしたノガードは、狼が慌てて立ち上がるのを虎視眈々と見つめた。相手の身長は彼より少し小さいぐらいだが、対称的に体付きは痩躯で、俊敏性には長けていそうだが、力ではかなり劣っていた。そんな身なりに彼は、思わず嘲笑をもらした。
「はっ! お前がボスだって? そんな柔な体で良くやっていけるもんだな」
狼はただただ頷いた。そしてポケットの中から、さっと何かを取り出した。それにノガードは、眉を吊り上げた。
「ひぃ、許してください! こ、こうしないと俺達、生きていけないんです!」
「だからって、俺の物を盗もうとは、いい度胸してるじゃねえか」
じりっと歩み寄るノガード。狼は一歩退いたが、後ろにあったベッドに思わず躓き、どすんと座りこんでしまった。
「なんだ、次は俺のベッドを盗もうって言うのか?」
もはや筋肉質の巨漢竜に圧倒され、狼の全身は痙攣したかのように震えていた。そんな狼は崩れるように地面に降りて跪くと、盗んだ物を差し出しながら、頭を下げて土下座をした。
「ゆ、許してください! お願いします! な、なんで命令は聞きます! お願いです!」
「なんでも聞く、と言ったな?」
「はい!」
「さっきお前は、ここらのシマを取り仕切るボスだと言ったな? なら今日から俺が、そのボスだ」
思わず頭を持ち上げ、ノガードの顔を見上げた狼。だが彼の鋭い
眼 付きとその強悍な体つきに、再び頭を下げた。「それでいい。良し、次は俺の本拠地を見せて貰おうか」
「か、畏まりました!」
狼は急いで部屋の出口まで駆け寄ると、ボスとなったノガードが付いて来るのを確認しながら、静かに部屋を出て階段を下った。
やがて、一階に辿り付くと、狼は更に方向を180度変えた。ノガードは思わず顔を顰めた。
「おい、そこは物置じゃねえのか?」
「そうです。でも秘密の入り口があって、そこから地下に行ったところが、俺達の本拠地です」
気乗りしない様子で、ノガードは狼に従って物置部屋に入った。中にはモップやらバケツやらがあり、しかもそれらが日常清潔に使われていないためか、全ての清掃用具がくすんで、また独特の芬々たる臭さがあった。
そんな中を進むと、一見コンクリートの壁に見える場所に、小さな窪みがあった。狼はそこに手を置き、ぐっと押した。するとそれがスイッチになっていたのか、すぐ横のコンクリートがすっと開いて、階段が現れた。
狼のあとに続いて湿気った階段を下るノガード。身長や肩幅など、竜らしく大きな彼でも悠々と通れる広さの階段を下りきると、目の前に鉄の門が現れた。
するとその時、足音を聞きつけたのか、門に備わった小窓が少しだけ開いて、そこから一つの目が覗いて来た。
「ボス! その後ろにいるデカブツは誰です?」
門番の暴言に、あわあわとした狼は、さっと上半身を後ろに振り返った。幸いにも、ノガードは機嫌を損ねておらず、狼はホッと胸を撫で下ろした。
「おい、言葉に気をつけろ! 今日からこのお方が、ここのボスだ」
一瞬、理解が出来なかったのであろう、門番の目が、何回か瞬かれた。
しかし、後ろにいるノガードを腕を組み、その強靭な肉体を見て、ようやく納得したらしく、小窓を閉めると、門を開けた。狼とノガードが、その中へと入っていった。
『お帰りなさい、ボス!』
入り口付近の両脇に立っていた部下達が、大きな声で頭を下げながら言った。だが部屋の内部を見たノガードは、なんとなく狼がボスである理由を悟った。
この地下部屋は、数個の電球が貧しく灯った、二十畳ほどの部屋だった。周りは岩に囲まれており、その隙間から土が垣間見えていた。どうやら雨が降ったあと、土に染みた湿気がここまで入って来ているようだ。
そしてそこにいる部下達は、数が少ないだけでなく、全員狼と同じように痩せていた。ただ二人、小さな子供とその母親だけは、幼児体型や産後の影響からかふっくらとしていた。
「いいか、良く聞け。このお方が、今日からここのボスになる。お名前は……」
狼は、ノガードの名前を知らないことを思い出し、おそるおそる彼に顔を振り向けた。彼は、それほど大きくはないが、威厳のある確りとした声で言った。
「俺の名前はノガードだ。この狼に変わって、これからここのボスになる。分かったな?」
物分かりが良いのか、部下達は静かに頷いた。
「よし。それならまず、一人一人名前を聞こう。左のお前からだ」
すると、ノガードに指示された通り、左から右へと順番に、そして最後に狼が、少し緊張した面持ちで全員が名前を告げた。
痩せの男蜥蜴、
ドレイジル 。ふっくらとした女鼠、タール 。その二人の子供が、雑種となった、蜥蜴の体にふさふさな体毛を持つぷくぷくとした男の子、イザーラ 。そして再び痩せに戻って、女海豚ニプロッド に男蝙蝠タブ 。最後に、つい最近までボスだった男狼、フロウ 。「なるほどな。それでお前達のシマは、どれぐらいの大きさなんだ?」
「ここのアパート……だけ、です」
「何だと?」
たまらず顔を歪めるノガード。狼のフロウが思わず身を竦めたのを見て、周りの部下達も自然と、ノガードの恐ろしさを実感した。
「ちっ、だからそんな木偶の坊になるんだ。高々このアパートに住む二十人程度しか、お前らにはシノギがねえってのか?」
すると部下達は全員、こうべを垂らしてしまった。だがここで、フロウがノガードにこう言った。
「で、でもボス。ボスが来てくれたからには、きっとシマが広がるのは間違いないですよ!」
「ほう? つまり俺に、そのシマを広げろって言ってんのか?」
ぎろりとノガードの肉眼を向けられたフロウは、たじろぎながらも、何かを訴えるかのように、必死に弁明した。
「そ、そういうわけでは……その、このままではきっと、ボスは満足に過ごせなくなるでしょうから」
「それは、どういうことだ?」
「実は——」
フロウは、ゆっくりとノガードに語った。それは、今の彼らを認めさせるものであった。
元々ここら一体は、とあるボスが取り仕切っていた。だがある時、そこに男の翼竜がやって来たのだ。その男の名は
ルエイソレット と言い、今のノガードのように逞しく、空を飛べることもあってか、あっという間に元のボスの座を奪ったとのこと。そして元ボスは、残忍な彼によって間も無く、見せしめとして磔殺 された。それ以来、ルエイソレットに逆らおうとする奴はいなかった。何人か、元ボスとは微妙な間柄であった者は、領地を離れようとしたりはしたらしいが、その度に、奸智に長けていた新ボスによって、何らかの形で惨殺された。なので今では、誰一人として、その翼竜に手出しはしないのだ。
「——ということなんです」フロウは話を締めくくった。
「なるほどな。それでここの住人も、そのルエイソレットっつう奴に金を渡しているせいで、こっちのシノギがきつくなってるってわけか」ノガードは真剣な目つきで答えた。
「はい。でも、数年前にイザーラが生まれまして、少しでも多くのお金、でなくとも食料が欲しいんです。けど、日に日にその数は、ルエイソレットのせいで少なくなって……」
子供を思う気持ちは当然であろうが、この地下の雰囲気は、あまりにも裏社会の空気とはかけ離れていた。だがその話を、不思議と生真面目にノガードは考えており、フロウも、彼に期待を寄せ始めた。
するとノガードが、突然にたりと微笑み「……面白くなって来たぞ」と囁いた。その言葉にフロウは、ぱっと表情を明らめて言った。
「で、では、俺達のためにやってくれるんですね!?」
しかしながらノガードは、彼の方をぎろりと眇め、彼はしゅんと顔を一転させた。
「ふっ、そう焦るな。その内このグレース・タウンは、俺が全て支配してやる。どうやら昔の血が騒ぎ始めちまったらしい」とノガードは、不気味な笑いをもらした。