「ふと思ったんだが、ブロームはさっき鯱とか言ってなかったな?」
「え、ええ」
「確か君はアクロという鯱の家に言ったのだろう? てことは、もしかして彼なのか?」
今更かと思いつつ、雄蜥蜴ブロームはうなずきました。
「しかし、確かにアクロは太っていたが——本当に君より良いのか? 今の君を見てれば、充分に思えるんだが」
そういって雄鷹フランジュの義父は、ブロームの案内で、アクロの家に着きました。
「ほおー、随分と大きいんだな」
「じゃあ父さん、ちょっと呼び出してくる」とフランジュが席を立ちます。
「お前が行ってくれるのか」
「この中で一番痩せてるのは自分だからな」
ブロームは笑いながら、フランジュが荷台を降りるのを見送りました。
少しして、フランジュが戻って来ると、「門が開くから入ってだってさ」と言いました。
その通り、門はすぐに開いて、その中をフランジュの父が運転するトラックが走行していきました。そして玄関に着くと、アクロの父が出迎えていたのです。
「ブローム君、彼らがそうなのかい?」
「はい」
しかしアクロの父を見たフランジュの父は、やや顔をきつくしました。
「……随分と痩せてるんだな」
「は、はい」とアクロ父がおどおどと答えます。ブロームほどではなくとも、二〇〇キロも体重があるフランジュの父親には威圧感がたっぷりだったからです。
「ブローム、本当に大丈夫なのか?」
「安心してください」
妙に自信たっぷりの彼に、父親は取り越し苦労で終わることを祈りました。どうやらまだ彼の言葉を完全に信用
はしていないようです。
そんな二人のあとに、カーシェが母親と弟フランジュに支えられ、荷台から降りて来ました。
「ふぅ、まったく。こんなに歩いたの久々だわ」
そういって彼女は、少し荒くなった息とともに、下着だけを身に着けて全身の揺さぶる肉を周りに見せかけました。家族もブロームも、その光景にはまったく普通の表情でしたが、アクロの父はかなり動じてしまったようです。
「す、すごいな……こんなに太った雌、私は生まれて初めて見たよ」と思わずもらしてしまいました。慌てて口を閉ざそうとした彼でしたが、それはカーシェにとって、アニーモの住民たちにとっては最高級のほめ言葉であり、彼女は嬉しそうに答えました。
「ありがとうございます。この体、まだ家族以外には見せてなかったんで、良かったわ。それで、例の鯱——アクロでしたか、彼はどこなんです?」
「ああ、今から案内します」
アクロの父は家の中に全員を招き入れました。少しでもカーシェの体力を維持させようと、母親、そしてフランジュが彼女の肩を支えます。本当は父親やブロームには手伝ってもらいたいのですが、彼らは太りすぎているので、カーシェの肩を持つ前に、自分たちの体がぶつかってしまうからです。
そして五分後、カーシェの歩行に合わせ、ところどころで休憩を挟んで、ようやくアクロの部屋の前にやってきました。
「はぁー、広過ぎる家も問題ありね」とカーシェ。
「そう、ですね。でもそのおかげで、息子は悠々と太れています」
「ほほう、それほどまでに息子さんは太っているのか」
ブロームが少し期待し始めました。アクロの父も、勇気を振り絞って堂々と太ってることを公言してよかったと安心したと同時に、本当に太ってることが良いことなんだと理解しました。
「じゃあ、どうぞ」
今回はアクロの父が、ゆっくりとアクロの部屋の扉をあけました。全員、少し心を引き締めて中に入っていきました。
「あ、あの……ど、どうも」
ぞろぞろと部屋に五人もの外部の人が入ってきたものだから、アクロは少しあたふたしながら、挨拶をしました。しかしそのあいだも、彼は食事の手を休めませんでした。
ブロームとフランジュは、そんな彼を既に見ていたので、そのまま歩を進めて彼に近づきます。勿論父親もですが、残りのカーシェ、そしてその両親は、思わずそこで棒立ちになってしまったのです。
恐らく、カーシェの三倍、四倍どころではない——予想以上の太り具合だ!
「ほん、本当なのか?」と彼女の父親は、ゆっくりとアクロに歩み寄ります。そしてベッドから垂れ下がる腹肉を触りました——それは、ぷにぷにとしていました。本物の脂肪で膨らんだお腹でした。
しかし父親はまだ信じられず、掛け布団のように広がった脇腹と、敷布団のようにそれを載せるに広がった太ももを触りました。太ももの部分は、長らく座り続けていたのでやや固めでしたが、脇腹はまだ自由が聞くのか、持ち上げると、二人で端を持った布のように揺らすことが出来ました。
そんなアクロの姿を見て、カーシェが母親に肩を借りて近付きます。
「ねえ……アクロ、って言ったかしら。ここに座っていい?」と彼女が、唯一三つのベッドで彼の体で埋まっていない、両端のベッドの隅を手で示します。アクロは初めて女性から声をかけられたのか、どうしてよいのか分からずただ頷きました。
カーシェが、重たい腰をどすん! とベッドに落としました。大きくベッドが撓み、その振動でアクロの下から上までの贅肉がぶるるんと揺れます。
「アクロ、あなたって凄いわ。まさかこんなに太ってたなんて……体重はどのくらいあるの?」
「あ、あの……それが、分からないんだ。僕は、その……動けないんだ?」
「動けない?」カーシェが少し顔を顰めます。やはりと言ってはなんですが、アニーモの『雌を篭って身を肥やし、雄は働き身を肥やす』の真髄から外れたことに、反応したようです。
「そうかそうか、確かにカーシェで歩くのが大変となれば、君は歩けなくても当然だろう」と彼女の父親が言いました。
「けど父さん。あの言葉はどうなるの? 動けないのって、私、今まで聞いたこともないわ」
「そうかも知れない。だが聞いたことがないのも当然だ。父さんだってお前だって、アクロのような巨漢を見たの初めてだろう?」
確かに、とカーシェは頷きます。
「でも……大丈夫かしら?」
その言葉に、アクロが逸早く反応しました。たったの一日でここまで急展開したのです、心の準備など出来るわけがありません。
「父さんは大丈夫だと思うぞ。ただカーシェ、答えはお前が決めることだ」
カーシェはちらりとブロームを見ます。ほんの少し前までは、彼に一目ぼれしていたのに、すぐに移り変わりして今はアクロ。確かに彼の方が同族ではなくも太ってはいるし、しかしそれはどうなのか……
「カーシェ、俺は大丈夫だぞ」本心でブロームが言っても、カーシェはまだ悩んでいます。
するとここで、ずっと黙っていてアクロの父が、口を開きました。
「あの、どうかカーシェさん。息子のアクロをお願い出来ないでしょうか?」
「で、でも……」
アクロの父は、ブロームとカーシェの関係性を知りません。だからこそ、彼は真実を述べました。
「実は私たちは、知っている人もいるのでしょうがアニーモ出身ではありません。国外で暮らしていたのです。そんな中生まれたのはアクロ。しかし息子は、幼いころから大食家で、食事を止められませんでした。私は仕事で忙しかったし、妻は私のアシスタントということで、息子を見てやれなかったのです——その間に息子は、家に食べ物があるのをいいことに、ありったけの量を食べました。
そしてぶくぶく太ると、今度は学校でいじめられはじめたのです」
「虐めですって!? どうしてそんなことが?」とカーシェは信じられない様子。
「君達には分からないかも知れないですが、アニーモは特別です。それ以外の国では普通、確かに肥満が美点とされるところもありますが、太ってることは虐めの対象になってしまうのです。
それで息子は……息子は、引き篭ってしまったのです。それでも食べ続け太り続ける一方。そんな時、一時的に遠方に飛ばされた私は、アニーモにやってきました。そしてここの文化を知った私は、ここへと転勤することにしたのです」
「なるほど。だからアクロは中学校に入学した時新顔だなって思ったんだな。アニモニア中学は、大概アニモニア小学校からあがって来て見たことある人ばかりなのに、アクロは知らなかったからな」とブローム。
「そして引き篭っていたから、学校では内気気味だったんだ」とフランジュ。
「そうだと思います。でも太っていることがここではいいことで、息子は周りからちやほやされました。おかげで少しはよくなってきたと思ったのですが……」
「ですが?」今度はフランジュの父親が問い返します。
「中学校が終わって卒業式までの春休みのことでした。息子はその辺りから、歩くことが大変になってました。そんな中春休み——一日中、ひがな一日食べ物を食べていた時でした。息子がベッドで助けを呼んでいたのです」
ここでようやく、本人であるアクロが説明を始めました。
「その、僕はその時、ついに一人でベッドから起き上がれなくなってしまったんです」
「まさか……だってまだ中学生でしょ? その時確か私は、高校にいかないでずっと家で食っちゃねしてたけど、まだ歩けてたわよ?」
「うん……でも、駄目だったんだ。それが恥ずかしくて、その……卒業式も出ないで、家にこもりたくなったんだ」
「そう。また昔のようにからかわれると思ったのね。アニーモ出身じゃないから、そこの習慣にも穴があると思ったのね」
カーシェが慰めるようにに言って、彼のベッドに広がる贅肉を触ります。アクロはどきりとしました。そしてしどろもどろになりながらも、答えます。
「そ、そそう、そうなんだ。だからずっと、黙ってたんだけど……それに、誰もやってこなかったから、それで大丈夫かなって」
「……なるほど。そんな時、俺たちが来たわけだな」ブロームが頷きながら言います。
「うん。それでその、勇気を振り絞ってみたんだ」
「大正解よ」カーシェが、アクロの脇腹に凭れ掛かります。アクロは口をあんぐりとあけ、もう言葉を出せませんでした。
「ねえブローム、その……許してくれるかしら?」
「何言ってるんだよカーシェ。アクロは友達なんだ、だからさ、彼を助けてやってくれよ」
カーシェはうんと答えます。と同時に、アクロは更に言葉を失いました。それは、あまりに嬉しかったのです。ブロームが、自分のことを友達と周りで初めて言ってくれたからです。
もう、結果は決まっていました。その後の話を聞けば、それまでのいきさつや話など、蛇足に終わるでしょう。