デブドラゴン 男 グラップ
デブ鮫 男 ルアム
子鯱 男 ダハ
鯱 女 オーパール
「はぁ、畜生、出口は何処なんだぁ?」
ヘトヘトなルアムは、壁に手を付きながら歩いていた。それほどまだ歩いてないが、相当動いてなかったのか彼は息を切らしていた。
一方グラップは、立ちっぱなしで料理をするわけで、そのため体はでかくても、まだ全然平気だった。
「大丈夫、ルアム?」
「こういう時、ちゃんと運動してればな、と思うよ、ふぅ」
「じゃあすればいいんじゃない?」
「馬鹿なこと言うな。俺は疲れることが嫌いなんだ」
「もう、それじゃ無限ループじゃん」
「でも俺には金がある。メイドを雇えばいいことさ」
すると、何処からか、別の話し声が聞こえてきた。二人は声を潜め、奥にある戸口を抜けた。木箱がたくさん、山積みにされていた。
「ここは……何処かの倉庫みたいだな。たく、さっきの部屋も倉庫だし、一体幾つ倉庫があるんだ」ぼそりと言ったルアム。すると丁度顔ぐらいの高さまで積み重ねがなくなると、左手側に大人数の人達を目撃し、慌てて彼は身をひいた。幸いなことに、顔より下はまだ木箱が積まれていたので、彼の大きなお腹を隠しつつ、様子を窺うことが出来た。
「……ねぇ、ルアム。どうなってるの?」とヒソヒソ声でグラップ。
「どうやら取引現場らしい……奥には大きな鯨がいて、手前にさっきの奴らがいる。どうやら取引相手は、その鯨らしい」
ルアムは、耳を傾けた。グラップも気になって、気づかれないようこっそりと取り引きの様子を窺った。
「——で、ビルミート。これで取引は成立なわけだが、これから暫くここに長居するとは、どういうことなんだ?」
「俺が乗ってきた船は、表上旅客用だ。このアサイリーマの土地を巡り、内陸から海岸に至る所までを巡るツアーを開催中ってわけだ」
「なるほど、貨物用なら、取引内容が記録されてばれる可能性もある」
「そうだ。んで、俺達の寝床は用意しておいたんだろうな?」
「勿論さ。あんたらのために態々倉庫を一つ、丸々改築したんだ、お礼を言って貰いたいものだ」
「ふん、俺が持って来た商品が、どれほど値打ちのあるものか分かってないようだな」
「冗談冗談。さて、それじゃあ案内しよう」
すると、彼らはルアムの方へと歩み始めた。
まずい——慌ててグラップにも告げ、ルアムは後ろを振り向いた。だがその刹那、空腹からか、ルアムのお腹から威勢の良い「ぐぅ〜!」という腹の虫が鳴いてしまったのだ。
「ん、誰かいるのか?」
二人はどすどすと戸口を抜け、死に物狂いで逃げた。ここで捕まれば命はない。
「お二人、こっちじゃ!」
「え?」
「早く来るんじゃ!」
男の老鼠が、先の方から手で招いている。見ず知らずの人だったが、二人は彼に従い、通路を右へ、そして左へ、そして、小さな部屋へと入った。
「はぁー、はぁー……んぐっ」とさすがのグラップも、息絶え絶えだった。となるとルアムの方はもっと酷く、目にした段差目がけ一直線、そしてドスン! と砂埃を舞い上げ、尻餅をついたのだ。
汗はだくだく。結構な間、それは涼しいこの室内でも治まることはなかった。勿論息も乱れっぱなしだ。
「大丈夫かえ?」老鼠がルアムに近付いた。グラップはもう、息は整っていて、額の汗を手の甲で拭った。
「あ、はぁ、ふぅ、ふぅ……ああ、どうにか——うぷ」
そしてルアムは、仰け反るようにして壁に体重を預けた。少し手前に座りすぎたか、思った以上に体が倒れてしまい、まるで日の入りのように彼の顔が、お腹で隠れかかってしまった。
「あっ、パパ!」
突如脇の、戸棚の後ろから子供の鯱が出て来た。お腹は鯱らしく丸っとしているが、やや出過ぎのようにも見える。
その子供は、なんとルアムのお腹目がけ、ぴょんと飛びかかったのだ。
「う! なな、なんだぁ?」
「ご、ごめんなさい!」
子供のあとに、細めの女鯱が駆け寄ってきて、子供抱きかかえた。
「あれ? パパじゃない?」
どうやら、ルアムのお腹がでか過ぎて、子供の目線からでは顔が見えなかったようだ。
「言うのを忘れておったな。この二人も、お主らとおんなじ人質なんじゃよ」と老鼠。
「てことは、あなた達も?」と鯱。
「ああ、そうだ。もしかして君も、お金に目をつけられたのか?」ルアムが聞いた。
「はい……実は夫が、資産家でしたので」
「なるほど。でもその夫は、ここにはいないのか」
「もう、亡くなりました」
「——! そ、それは失礼なことを言ってしまった」
「いいんです、事実ですから」
「悪い……つまり君は、夫の遺産を狙われたんだな?」
「はい」
「なんて奴らだ。そこまで手を伸ばすとは、非道にも程がある」
ここで老鼠が、会話に割って入った。
「お話中悪いんじゃが、そろそろ行った方が良さそうじゃ」
「行くって、何処にです、おじさん?」とグラップ。
「秘密の通路があるんじゃ。緊急時用にな」
「えっ……おじさん、何者なんです?」
「儂は、スパイじゃよ」
「え、す、スパイ?」
「なんぞい、見た目で判断するのかえ?」
「だって、その——」
「年なんか関係あらんぞい」
そして老鼠は、さっき鯱家族が隠れていた戸棚の後ろに行くと、何やらベリッと木の板を剥がし、カチャカチャと弄り始めた。
すると、戸棚が動き始め、なんと入り口の前まで移動したのだ。そして元あった場所には、ルアムでも通れる、幅広な坂道が現れた。
「ここを抜ければ、グラップ、お主の働くレストランの後ろ側に出るんじゃ」
「えっ? 僕の名前を知ってるんですか?」
「何せスパイじゃからの」
まだ信用ならない感じもしたが、しかしここは老鼠に甘えようと、彼以外の四人は、坂を下り始めた。
「でも、逃げても顔が知られてるから、また捕まっちゃうかも……」
「心配しなくて大丈夫じゃ。お主らを誘拐した奴らは、お主らを倉庫にぶら下げた奴らと同じじゃ。その奴らは、もう二度と、ここからは出まい」
「ま、まさか……殺しちゃった、とか?」
「そんな芸当が、儂に出来ると? ふぉっふぉっふぉ、面白い考えじゃ。安心せい、奴らは生きとる。ただ、これから動けなくなるだけじゃ。それ、早く行きなさい」
そして四人は、老鼠のおかげでどうにか逃げ出すことが出来た。坂を下ると再び戸棚が元に戻り、一瞬暗くはなったが、地下通路は電球によって明るさは保たれていた。
「そういえば、俺の名前はルアム。自己紹介が遅れたな。んでこいつは友達のグラップだ」
「ルアムさんにグラップさんですね、初めまして。私はオーパールと言います。この子はダハ」
「ダハか。初めまして、ダハ」
「うん、初めまして」
「それで……どうして俺のことを、パパと呼んだんだ?」
「実は、夫はルアムさんと同じ鮫でして、そして生前は物凄く太っていまして——あ、ご、ごめんなさい!」
「あ、ハハ。気にしないでくれ」と言いつつ、少し恥ずかしくなったルアム。そしてこう続けた。
「つまり君の夫も、俺みたいな体だったってわけか」
「はい。けどそんな夫を、ダハは好きでした。小さい頃からお腹で飛び跳ねたり、とにかく玩んでいたのです」
「なるほど、だから俺の腹を見た時、飛びかかってきたんだ」
「私も、夫のその体は嫌いじゃありませんでした。まるで……そう、包容力がありそうで、私を抱いてくれると、温もりがあって、心地よくて、いつも癒されてたんです」
「そうだったのか。いい夫だったんだな」
「でも今は、もういませんから……」
落ち込むオーパール。まだ亡くなってから時間が経っていないのだろう、少し涙も湛えていた。
短いようで、長いようで、やっぱり短い時間歩いた。まともに休息を取っていないルアムが、息を切らし、そろそろ限界に近付いてきた頃、ようやく坂が上りになった。明かりも見え、どうやら出口のようだ。
グラップとオーパールとダハが、ルアムの背中を押しながら上り坂を進んで外へと出ると、そこは——
「——あ! 本当に、レストランの裏側だ。へぇ、この地下鉄の駅が、そうだったんだ」
後ろを振り返ると、錆びた看板に、読み取れない駅名が書かれていた。ここら一体は昔、地下資源が豊富だったので、専用の地下鉄が走っており、これはその名残なのだ。因みに今じゃ、メインの産業は貿易と農業や酪農といったものに移り変わっている。
「ふぅー……さてと、はぁ、それじゃあ、どうしようか?」
「丁度いいから、僕はこのままレストランに向かうよ。でもその前に——」
グラップはそう言って、体中に巻き付いた縄を解いた。そしてルアムの縄は、これまた三人で手助けしてほどいてあげた。
「——よし、これでOK」
「ふぃー、サンキュー。んで、オーパールは?」
「私は、とにかく家に帰って、息子を休ませたいです」
「僕、全然元気だよ」
「ハハ! 元気なことはいいことだ、ふぅ。それじゃオーパール、家まで送っていこう」
「いいんですか?」
「勿論さ。俺のこの、はぁ、コンシェルジュモード付きの携帯電話さえあれば、どこからでも助けが来る」
「相当、お金持ちなんですね」
「大したものじゃないさ」
ルアムはそう言って、携帯電話から自宅へと電話をかけた。そしてGPS機能を用い、タクシーを呼んで貰った。
「んじゃグラップ、またな」
「うん。また店に寄ってね」
「いや、寄るどころか、今度のパーティー料理を依頼するさ。お前がいるレストランだと分かれば、これほど安心なことはない」
「ありがとう」
そしてグラップは、裏口からレストランの中へ。残った三人は、やって来たタクシーに乗り込み、ルアムの指示のもと、まずオーパールの家へと向かった。
彼女達とも別れると、ルアムはようやく家路についた。
「そういえば、今までどこにいらしてたんです? 家中隈無く探して大変だったんですよ」とタクシー運転手。見ればその人は、グラップにルアムの邸宅内を案内したあの執事だった。
「まっ、色々とあってな」
「それとその傷、ただ事ではないように見えるのですが……」
「気にするな。とにかく今日は、たっぷりと飯を用意してくれ。朝飯を食ってないんだ、腹ぺこで死にそうだよ」
「すぐに治療しないといけませんから、そちらの方が先決かと」
「なら治療しながら食う。どうせ俺は自分で体も洗えないんだ、両手が常に塞がってても問題はないだろ」
「承知しました、ルアム様」
それから、数日が経ったある日。ルアムはオーパールとあれから仲良くなり、ちょくちょく彼女の家を訪れるようになっていた。息子のダハも、あらゆる面で父親似のルアムにすぐに好意を寄せ、彼の訪問にはいつも大歓迎だった。
グラップの方はというと、平常通り料理に打ち込んでいた。今度はルアムに迷惑はかけられないと、お得意のデザートを特に集中的に腕を磨いた。
そんなある日、レストランに、物凄い大物がやって来た。
「しぇ、シェフ! フルコースの注文が来たのですが、その……」とウェイター。
「なんだ、どうかしたのか?」
「単品を全て、2kgにしろと」
「2kgだと? もしやルアム様か?」
「い、いえ、また新しいお客様です」
シェフは、厨房からちらりとフロアを覗いた。そこには、かなり大柄の鯨が、椅子を二幅対、三幅対にして座っていた。どうやらシェフ専用の特大椅子にも座れなかったようだ。
「これはまた、随分と巨躯な鯨だな」
シェフの言葉に、グラップも興味津々にその鯨を垣間見た。
「……どうした、グラップ?」
グラップの瞳孔は、かなり開いていた。無理もない、彼が目にした鯨は、例の倉庫で、取引相手となっていたあの鯨だったからだ。
(び、ビルミート……確かそんな名前だったと思うけど、どうしてその彼がここに? もしかして、また僕を攫いに来たとか——」)
「よし、早速料理を始めよう。グラップ、君も早く準備をしなさい」
「は、はい!」
(そういえば、ビルミートってあんなにお腹出てたっけ……元々体は大きかったけど、でもあんなんじゃなかった気がするなぁ)
ふとグラップは、首を横にぶんぶんと振り、とにかく頭の中から疑問や不安を全て吹っ飛ばし、料理に専念しようと気持ちを切り替えた。
ビルミートは、レストランでバクバクと、単品2kgのフルコースを堪能していった。稟性的に体は大きい方だが、これは明らかに食べ過ぎの域である。
「グフゥ! いや、これは非常に美味いぞ。特にこのデザートは格別だ。おいお前、これを作ったコックを呼んでくれ」
「え、は、はい!」
ウェイターはそそくさと、厨房へ入った。
「グラップ、最近のお前は凄いな。ルアム様にも、当時友達とは知らずに気に入られ、大富豪の海豚にもお墨付きを貰い、巨漢の鯱には太鼓判を押され、そして今度はあの鯨にも気に入られた」
「は、はあ」
「嬉しくないのか?」
「い、いえ、そんな!」
「なら早く行ってこい。お客様がお待ちだぞ」
グラップは、自分が太り過ぎだからと見せつけるように、かなり遅めな足取りで、鯨のビルミートへと足を運んだ。近付くたび、彼の鼓動は倍増するかのように耳までその音を轟かせた。
「んっ、お前がこのデザートを作ったのか?」
「は、はい」
「名前は?」
「その……あの、グラップです」
「グラップか。不安がらなくていい、かなり美味かったぞ。実は今、俺はパーティーで料理を拵えてくれるレストランを探してる。既に幾つかは契約済みだが、俺達の主催するパーティーは大型でな。是非このレストランにも、それを頼みたい」
「で、でも……その、僕じゃその判断はしかねますので」
「そうか、ならシェフにでも聞いて来い」
「は、はい!」
そしてグラップは、逃げるようにその場を立ち去った。これじゃあ近寄って来た時のノロノロが、全く意味をなさない。
けど、どうやら相手は、本当にグラップのことを知らないようだ。名前を言っても素知らぬ顔で、どうやらあの老鼠が言っていた事は正しかったようだ。
その後グラップは、シェフに相談し、悪い組織の連中だと知らない彼は、鯨の依頼を快く承諾してしまった。本当はその前に、鯨が悪い組織の連中だと伝えれば良かったのだが、そんな奴らがこんな公の場に顔を出すということは、物的証拠がなかったりと、警察も手を出せない状態にある、と深読みしてしまい、自分の目が証拠だと訴えても逆に奴らにやり返されてしまうのでは、どうせ平穏が戻って来たのなら、そのままでいいじゃないか。そんな様々な思惑から、グラップは何も言うことが出来なかった
そして遂に、ビルミートらが主催するパーティーの日がやって来た。レストランは通常通り16時に閉店し、後片付けを済ますと、店員達全員で開催場所の港へと向かった。時間の掛かる料理は、予め開店の12時前に一度そこを訪れ、事前に準備を済ましていた。
恐らく、この港が、グラップ達が監禁されていた場所なのだろう。そんな所へ戻ることに、かなりの憂慮を覚えたグラップ。だが変な挙動をすれば、それこそ怪しまれる。どうやらビルミートは彼の存在に気づいてないようだし、とにかく平常心でやり過ごすしかなかった。
その甲斐あってか、全ては取り越し苦労に終わった。何店ものレストランが織りなす超巨大なパーティーは、華々しく幕を閉じたのだ。これでグラップも、完全に心配は胸中から消え去り、
(それにしても、やっぱりこういうパーティーをするところって、みんな太ってるよなぁ。さすがアサイリーマ)と関心も起こすほど。
これからは、過去の出来事も忘れ、心からいつも通りで過ごせる日が来ることだろう。
続