グラップがしばらくベッドに座っていると、右側にいる太々しい鮫が、ようやく目を覚ました。そしてお腹が邪魔で彼の方が見えないのか、なんともないように、彼と同じようにして、山なりのお腹を横に倒してから、足を下ろした。
「……! き、君は……」
「あ、ど、どうも……」
「どうして、君が?」
「僕にも、分からないんです」
「そう、か……なんだか、すまないな」
状況的に何を話せば良いのか、グラップには分からなかった。相手は申し訳ない面持ちで無言だし、だからといって階級の違う鮫に変な事も聞けないし。けどこの無音過ぎる沈黙は、さすがに相手にも迷惑だろうと、彼は勇気を出してこう尋ねた。
「あ、あの。その傷は、どうしたんですか?」
「あ、ああ、これか。実は、奴らにやられてな」
「奴ら、ですか?」
「ああそうだ」
あまり口外したくはないようす。けどまた静寂な空気にしたくもなかったグラップは、話を少し逸らしてこう聞いた。
「でも、随分とぐっすり眠ってましたね。相当疲れてたんですね」
「そうじゃない。ただこんな所に監禁されても、どうすることも出来ないだろ? なら寝るしかないってわけだ」
なんて肝が座ってるんだ、とグラップは思った。
それから、また静かな雰囲気に戻ってしまった。グラップは所在なげにもぞもぞとして、どうしていいか悩んだ。
ふと、ここであることを思い出した。そういえばまだ、名前を聞いてなかったっけ。
「あの、そういえば、あなたのお名前はなんていうんですか?」
「ん? 言ってなかったか?」
「はい」
「……そういえば、俺も君の名前を知らないな。俺はルアムだ」
「る、ルアム?」とグラップは首を傾げた。あれ、もしかしてこの人——
「君はなんていうんだ?」
「ぼ、僕ですか? その、僕はグラップです」
「んん、グラップだって?」
向こうも似たような反応。もしかしてと、お互いゆっくりと指を差し合い、そしてこう言った。
『ネィパージ!』
その瞬間、お互い立ち上がって駆け寄ろうとし、しかし途中でぴたりと止まり、まず握手を交わした。二人は、すぐに分かったのだ、お互いこの腹じゃ、久しぶりの再会のハグは無理だと。だからその後はゆっくりと、片方の腕だけを相手の片肩に回した。
「まさか、グラップ、お前だったなんて。立派に成長したんだな」
「それは僕もだよ、ルアム。随分と太っちゃってて、全然分からなかった」
「ハハ、悪い悪い。金持ちになってから、美味いもんばっか鱈腹食ってきたからな」
二人は、再びそれぞれのベッドに座り、今までのことを語り合った。
デブ鮫ルアムは、どうやら初めてアサイリーマに来た時、一攫千金を手に入れたらしい。そしてそれからは、アサイリーマに口座を持って、あらゆるビジネスを展開していったそうだ。
散々語り尽くしたが、終わりの見えないこの軟禁状態では、いつかは話題もなくなってしまう。そしてまた、あの物静かな空気が流れた時だ。旧友だと知ったお互いは、隔たりなく接せられるようになっており、そこでグラップは、靄がかっていたあることを質問した。
「ねえ、そういえば、前に言ってた『奴ら』って、一体誰——」
その時だ。バタンと扉が開け放たれ、屈強や剽悍な男たちが何人も部屋に入り込んできて、二人を強引に引っ張り始めたのだ。
やがて、グラップとルアムが連れて来られたのはどこかの倉庫。縄で宙へと吊るされ、ハンモックのように網状に胴体だけを縛られた二人は、お互い肉付きが良すぎるため、まるでボンレスハム状態になっていた。特に、鮫の方には一段と脂が乗っていて美味しそうだった。
そんな二人は、手足は自由だったので、ルアムはそれをジタバタとさせながら抗議した。
「いてーよ! 少しは気を遣ったらどうなんだ、人質だろ?」
「極力痛みは和らげてやったつもりだ」
「全然だ!」
「最前は尽した。あとはお前ら自身の問題だろ」
「うっ」とルアムは口を閉ざした。
「しかしまっ、友達同士よくもそんなにデブってるもんだ」
「——! 俺達が知人だったのを知ってたのか?」
「当然だろ、でなきゃどうしてこんなエネルギーのいる奴を運んで来たと思う? もしルアム、お前が口を割らない場合に備え、もう一人の人質を取ったってわけだ」
「クソ、グラップは関係ないだろ!」
「俺達には関係ある。では、今から取引に向かうから、そこでしばらく待ってな。あとでたっぷりと痛めつけてやるぞ」
謎の集団は、倉庫を去っていった。
「……本当に、悪い、グラップ。お前を巻き込むつもりは、これっぽっちも無かったんだ」
「気にしないで。こうやって再会出来たんだし」
「お前、昔からそうだが、ほんといい奴だよな。全然棘がなくてさ。その分体型も丸っとしてたけど」
「それはルアムも同じじゃん」
「ハハハ、確かにそうだ」
「……ところでルアム、さっきの質問なんだけど——奴らって、一体誰なの?」
するとルアムは、はぁっと溜め息をつき、こう答えた。
「実は、金ばっかり目が眩んでいたようで、俺はとんでもないものに手を出しちまったんだ」
「そ、それって?」
「薬の売人だ」
「——! ま、まさかルアム——」
「ご、誤解するなよ! 俺は吸ってなんかない。ただ少しその商売の橋渡ししちまったんだ。それから時折、そういう奴らに目をつけられるようになってな。半分脅しでビジネスに関わったりしたんだ。
けど、身の危険を感じ、それでつい最近、そんな奴らと縁を切ったんだ。そしたら『あとでどうなるか、覚えとけよ』と言われ、そんでこのザマさ。奴らの詳しい正体は分からないが、とんでもない奴らであることは間違いない。
そして今、俺は身代金を要求するための人質だってことは分かってる。俺からも、カードの番号を聞き出して金をくすねるつもりだろう。そのために、きっとお前も攫ったんだ」
「なるほど、そうだったんだ……」
また、シーンとした雰囲気が流れ始めてしまった。さすがに身の危険が近付くと、グラップも口を噤んでしまうようだ。
それからどれほど経ったか。ふとルアムは、何かの異変を感じ取った。
「……なあ、グラップ。俺の縄、なんだか緩くないか? 足が地面に着くぞ」
「え? そういえばなんだかルアム、少し低くなってない?」
「ああ。俺もなんか、お前が高く見え——」
——ぶちん! 途端にルアムの縄が千切れ、彼はドスンと床に落ちてしまった。
「い、いててて……」
「だだ、大丈夫?」
ルアムは、少しもがくように四苦八苦しながら、どうにか立ち上がった。ただ重い体は勢いよく立たせないといけないので、反動でやや蹌踉めいてしまった。だがこういう時、ドラゴンや鮫には尻尾が役に立ち、それを支えにして体勢を立て直した。
「ふぅー……なんとか。お前は?」
「全然。足も着かないし」
「着かないだって?」
「うん、ほら」
グラップは、手をだらりとさせたり、ぷらんぷらんとさせたりするが、縄が揺れるだけで、宙に浮かされてるのは歴然としていた。同じ縄のはずだが、何故ルアムのだけが? しかし見ると、彼の縄は、完全にもげていた。
「……てことは、まさか……」
「ルアム……結構、きちゃってるね」
「う、うるせえ!」
しかしルアムの顔は、かなり赤くなっていた。そして早口に言った。
「そもそもあいつら、この国のもんじゃねえんだ。だから重さのことも分からないんだ」
「まあまあ落ち着いてよ。その体のおかげで助かったんだし」
「そ、そうだな」
だが彼は、さすがに吃驚していた。まさか不可抗力ではない、自重でこの状況から助かるなんて。グラップの言うとおり、この体のお陰で命が助かりそうだと前向きに考えたいところだが、それはつまり自分が想像外の範囲にまで、それこそ鮫なのにドラゴン以上に体重を増や——
「ねぇ、早く下ろしてよー」
「——あ、と、悪い悪い。今すぐ下ろす」
ルアムは、グラップの縄を目で伝い、上の滑車部分から彼の背後に床へと伸びるそれを追うと、見つけたリールを回して、彼を床におろしてやった。
運良く、手足は自由だったので、二人は縄が網目状に体に巻き付いていても、そのまま逃走を図った。見た目は格好悪いが、そんなこと、現状では言ってる場合ではない。そして二人は、謎の奴らに見つからぬよう、密かに倉庫を抜け出た。
しかしそこは見たことのない場所。あまり下手に動くわけにもいかず、何せ体もでかいので、より慎重にして、二人は脱出への道を探した。
続