ドラゴンのグラップは、ふぅっと額の汗を拭い、料理皿をカウンターに載せた。それをウェイターが、最後の客のテーブルに載せる。締めのデザートだ、グラップの得意分野である。
「さてと、そろそろ店じまいかな。後片付けをしよう」
シェフが言った。実はこのレストラン、開店しているのが12時から16時までと、基本的には昼食向けなのである。しかしそれ以外の朝や夜には、何処かのお偉いさんのパーティーに出張して料理を拵えたりと、決して労働時間が4時間なわけではない。だが依頼がなければ、実質そうなる。
そして今日が正にそうだ。だからみんな、早く帰ってのんびり休もうと考えていた——が、そうはいかない時もある。それも正に今日がそうだった。
「シェフ! お客様が、フルコースを注文なさっていますが」
「おお、こんな時間に珍しいな。悪いなみんな、早速調理に移ろう。それで、フルコースだな?」
「そ、それが……あの、フルコースなんですが、全部1kgサイズにしてくれと」
「何、全てか?」
「はい」
「どれどれ、如何ほどなお客様か」とシェフは、厨房からちらりとフロアを覗いた。
「ふむむ、久々に親近感が湧いたな」
「どういうことです?」とグラップ。シェフに促され、彼もちらりとフロアを見る。
そこには、体の大きなシェフのご厚意というか、彼用に作られた大きな椅子に凭れて座る、巨腹の鮫がいたのだ。誰が他にあんな椅子に座るのだろうかと思ったら、まさか実際にいたとは——しかも、脇腹が膝掛けに乗ってるし。だから腕は、大きなお腹の上に置いてあった。
しかし、体たらくな奴ではない。きっちりとナプキン——当然これもシェフ用に特大——を胸の上に置き、作法は身に付いている。勿論ドレスコード(この世界においては衣服を着ていないので、ネクタイや装飾品のことを指す)もしゃんとしている。
それは、前菜を食べる様子で改めて実感。1kgとは思わせない軽快な食べっぷり。意地汚く思わせないほどなのに、でも量はとんでもないのだ。けどまだ序盤なわけで、これからメインが登場する。果たして単品1kgのフルコースは完食できるのだろうか。
「……凄いですね、シェフ。でも、凄く美味しそうに食べてらっしゃる」
「そうだな、作る側としても非常に気持ちいい。そう思わないか、グラップ?」
「はい。なんだか僕も、お腹が空いてきました」
「ははは、夕食にはまだ早いぞ」
ここで、厨房にウェイターがやって来た。
「あの、お客様が、デザートを作ったコックを呼んで欲しいと言っておりますが」
「ほう! グラップ、良かったじゃないか。君の料理が一番舌鼓を打つなんて。あのお方は本物だ、つまり君の力量も認められたってことだ」
「ほ、本当ですか!?」
グラップは嬉しくなって大声をあげ、慌ててボリュームを下げた。何せ今いる客は鮫のみ。音がフロアに響いてしまう。
「グラップ、行ってこいよ」
同僚に促され、グラップは弾むような気持ちを抑え、紳士的に鮫の元へと歩んだ。すると鮫は、機嫌良さそうに彼に言った。もうこのデザートでおしまいだというのに、たっぷりと今まで食べておきながら平然とした顔は、鉄というか底なしの胃袋間違いなしだ。
「君がこのデザートを作ったのか。いやいや、随分と美味かったよ」
「ありがとうございます。お気に召して頂き光栄です」
「それで、だな。近々俺の家ではパーティーを開くんだ。生憎料理を拵えてくれるレストランは決まってるんだが……しかし、君のこのデザートは天下一品だ。是非君には、俺のパーティーでデザートを作って貰いたい」
「ほ、本当——本当ですか?」
「勿論だ。頼めるか?」
「喜んでお引き受けします!」
「有り難い。なら、これが日時と詳細だ」そう言って鮫は、紙を渡し、テーブルに手をかけてぐっと力込めて立ち上がった。ここはさすがに、すっくと動く事は出来ないようだ。
「それでは、楽しみにしているぞ」
鮫は会計を済まし、レストランを去った。大きな背中に揺れる脇腹、そして犬の尻尾ほどではないが、揺れる尾っぽは満足さを語っていた。それにグラップも、自然と尻尾を動かしていた。
グラップは、渡された紙を見た。それはパーティー会場への住所と日時だけ。そして一番下には手書きで「六時間前から準備可」と書かれていた。
「——あ! 名前とか聞くの、忘れてた……」
初めてだったのでうっかり。けど向こうは慣れている感じがするので、店名を告げれば大丈夫かなと、楽観的に考えて彼は、今日はぐっすりと就寝することにした。
数日後。グラップは、蝶ネクタイで最低限の正装を済ませると、昼食後にパーティー会場へとタクシーで向かった。
そこは、何坪か分からないほど広く、多分遊園地一つは建つであろう超巨大な敷地と、旧世紀の宮殿のようなものが聳え立つ超超超金持ちな豪邸だった。やっぱりあの方、凄い人だったんだと彼は再度実感。
大きな門があった。そこで質問を受けたグラップは、店名を告げると、ちゃんと通して貰えた。そして中道を抜けると、玄関へと着いた。
「お待ちしておりました」と執事らしき人が、グラップを出迎えた。
「ご主人様より話は伺っております。今から厨房へとご案内いたします」
「はい、お願いします」
そしてとことこと、執事は宮殿内を進み始めた。やがてやって来た厨房は——がらんどうだった。
「……あれ、少し早く来すぎましたか?」
「いえいえ、もう他の方々は調理を初めておられます。しかしあなた様だけは、自由に料理が作れるようにと、ご主人様のご厚意により、ここはあなた様専用の厨房となっているのです」
「そ、そんな! そこまで僕、信頼されているんですか?」
逆に不安になったグラップ。少し言葉も乱れ始めたが、そんな彼に執事は、笑顔で答えた。
「ご主人様は、あなた様の作ったデザートを、古今未曾有の料理だと絶賛してらっしゃいました。数々の味を堪能してきたご主人様ゆえ、舌は相当肥えておられるはず。その中であなた様のデザートは、ご主人様の心を打ち、また懐かしさも感じさせたとおっしゃっています。きっとあなた様の料理は、ご主人様にぴったしなのでしょう」
「まさか、そんな風になるなんて……」
しかし悩んでいても始まらない。グラップはとりあえず不安は置いといて、心新たに早速デザート作りを始めた。
続