著者 :fimDelta
作成日:2007/ 5/12
完成日:2007/ 5/12
更新日:2007/ 5/13
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とあるホテルの一室、702号室の話。
昨年、この部屋に宿泊していたとある竜が、過食症よって亡くなった。
それからはこの部屋は閉鎖になったが、事件から1クール後には解放された。
その一ヶ月後、解放以来初めて702号室に泊まる客が現れた。
だがその竜は、宿泊直後に性格が一辺。滞在期間一週間のうちに、その竜は数知れない料理を貪り続けた。
そしてチェックアウト日、ホテルの従業員がフロントに来ない宿泊客を待ちかねて部屋に赴くと、
そこにはベッドから体肉を溢れさす、肥大化し切った竜の亡骸があった。
原因は不明だが、最終的な結論は”精神異常による過食症”ということになった。
あの事件から八ヵ月後の現在、昨月に解放された曰く付きの702号室に、また新たな宿泊客が現れた。
ややぽっちゃり目、一般的な丈を持つ竜で、体は紺青色と珍しかった。
そして奇遇にも、その色は初めて702号室で亡くなった竜と同じ体色だった。
フロントを受け持つ係は思った。一見大人しそうな顔には、何か過去の悲惨な物事を抱えている様子が窺え、
僅かながら”何か”の決心を持っているかのようだと。
702号室に一週間滞在予定の、アティという名の紺青色の竜は、部屋に恐れ入らず入った。
彼は辺りを一瞥するが、そこは至って普通。何がここの泊まる者を”狂わす”のか、判断出来ない。
「……」
無言でアティはベッドに横たわった。彼は、一体何を考えているのだろうか?
暫くして、彼は空腹を覚えたためルームサービスを頼んだ。やって来た従業員は憂慮の顔をしていた。
そりゃそうだ。過去にここに泊まった者達は皆、狂乱者となったのだから。
だが嬉しいことに、アティはそいつらと一緒ではなかった。従業員も、ホッとした面持ちでサービスを行った。
その後従業員が立ち去り、アティは静かに夕食を取り始めた。そしてそれが済むと、彼はベッドに倒れるようにして寝込んだ。
やがてアティが眠りに就くと、彼の口からは寝言が漏れた。
「……兄さん……」
果たしてそれは、何を意味するのか?
翌日、日が明ける前にアティは目を覚ました。不思議なことに、その原因は自然の流れではなく、空腹によるものだった。
アティは思った。やはり来たか、と……
時間を見ると、まだ夜中の三時だった。部屋は電気が点灯していないので暗い。
だが何故か、部屋の一部の箇所に光源があった。そしてそれは徐々に膨らみ、姿を明確にしていった。
やがて膨張が止まると、そこには何かを貪るぶよぶよの肉の垂れた幽霊が現れた。
「ハラヘッタ……ハラヘッタ……」
そう言いながら、霊はアティのところへと近付いた。
だがアティはそれには目も暮れず、その奥の方に佇むもう一体の竜の方を見た。
その竜も、手前の竜同様でっぷりと肥えてはいるが、決して空腹を訴えてはいなかった。
しかし何かをしようとする目は変わらず、彼もアティの元へ近付いていた。
「――! ぼ、僕のことが分からないの!?」
そんなアティの言葉など露知らず、その霊達は尚もアティの方へと近付いた。
アティは成す術も無く、ただ彼らの接近を許すだけだった。
気が付くと、カーテンからは木漏れ日が射していた。
アティは、何があったのだろう、と思案気な顔をしながら考えた。
だがその直後、彼は異常なまでの空腹に見舞われた。自制をかけるまでもなく、彼はすぐさま大量の料理を注文した。
やがてやって来た従業員、その顔には「やはり」という顔が浮かんでいた。
アティは、止むことなく届けられる部屋いっぱいの料理を鯨飲馬食した。料理はおいしいのに、食悦を感じることは無かった。
とにかく目が逝ってしまったアティは、一心不乱に料理を食べ続けた。
その結果、彼の体は一日で明瞭なまでに変わっていた。そしてその状況は、彼の宿泊期間、一週間にも及んだ。
その頃になると、彼の体は今までの中で最悪な状況、部屋を埋め尽くさんばかりにまで膨れ上がっていた。
だが、ようやく今になって彼は一寸の自我を見出した。
「に、兄さん……止めて……僕だよ、分からないの?」
すると突如、彼の目の前に幻影が流れた。
そこには、今と僅かながら内装が異なった702号室があり、その部屋はアティそっくりの紺青色をした竜がいた。
その竜は呟いた。
「母さん……父さん……弟よ……何故死んでしまったのだ?」
そう言いながらその竜は、手当たり次第に辺りにあった料理や菓子類を頬張った。
言葉を発しているせいもあり、彼は口から滓を零しながら、とにかく口の中に隙間を作りたくないと何かしら口に詰め込んだ。
――突如、その景色はまるで早送りでもしたかのように高速で流れた。
暫くして、その早送りはようやく治まった。するとそこには、見るも無残な程、肉に埋め尽くされた竜の姿があった。
その竜は、先ほどよりもさらに醜悪な食欲を持っていたが、それでも彼は「母さん、父さん、弟よ」という言葉を連呼していた。
(違う、違うんだよ兄さん! 僕は――僕は生きてる!)
刹那、辺りからは幻影が消え、元の702号室が姿を現した。
ふと気が付くと、アティの底知らぬ空腹は治まっていた。
「……終わったんだ……成仏したんだ……」
(兄さん、ありがとう……僕のこと、分かってくれたんだね?)
部屋からの救出作戦は困難を極めた。
何せ702号室、つまり7階の部屋から、部屋いっぱいに脂肪を溢れさすアティの肉体を出さなければならないからだ。
ただでさえ出すのも大変だが、問題は彼の重みに耐えうる、7階まで伸びるリフトのことだった。
だがそれも、救助隊の知略のおかげで、何とかアティは外へと救助された。
そしてその姿は、辺りにいた報道陣によってカメラに収められた。だがアティは何の羞恥心も覚えなかった。
何故なら彼は、これから兄の元に行くまで、周りにどう見られようと自分がしたい暮らしをしようと断決していたからだ。
それは、彼がもう思い残すことも、これからの未来のことを考える必要性も無いから――本当に、兄を思っていたからであった……
つまりアティにとって、兄を助けることが出来れば、後はどうなろうと知ったことではないのだ。
……しかしながら、今のアティにとって自分がしたいことといえば、それは一日中何かを貪るということだけであろう。
だがそれでも、彼の死ぬまでの一生が幸せの日々であることは保障されていた。
――某有名ホテルの、あの曰く付きの702号室から生還!――
――あの死の部屋を生き延びた青年! その代償は肉塊竜化――
――奇跡の青年、救出後の顔には、満面の笑みが湛えていた――
――あの奇跡の生還から数ヵ月ぶりに702号室が解禁!――
――702号室の恐怖は、あの青年が拭い去っていた!?――
――あの702号室のミラクル竜、ついに死す、がその顔には満面の笑み。
彼はそれを体でも表現したかったのだろうか?
自宅三十畳の部屋を、彼は自らの体で埋め尽くす――
THE END