back

 

  著者  :fim-Delta

 作成日 :2009/04/04

第一完成日:2009/06/07

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 翌日の朝。ドーガンのベイテムは、ふと目を覚まし、隣に地球人からのスパイ、蜥蜴族のマグダレンがいない事に気が付いた。昨晩は、彼女からの積極的なスキンシップの初体験に、思わず酔い痴れていた。しがないベイテムにとっては、一生で一度の体験だったかも知れない。

 そんな彼女がそばにいないので、彼は全身を覆う掛け布団を払い除けた。すると鼻に、何やら香ばしい香りがし、横になってでろりと広がった脂肪太りのお腹から、虫の音が鳴った。無性に胃袋が刺激され、空腹を際立たせる匂いに、彼はベッドの上で体を起こすと、ゆっくりと立ち上がった。

 彼の目には、キッチンで何かを作る、マグダレンの後姿が映った。

「マグダレン、何をしてるんだ?」

 すると彼女は、身を翻し「あら、おはようベイテム。何って料理してるのよ。まずかったかしら?」と答えた。それにベイテムは、慌てて首を横に振った。

「いやいやいやいや! 寧ろ大歓迎さ。でもその材料、自分で買って来たのか?」

「ええ。店主の愛想は悪かったけど、ちゃんと物を売ってくれたから助かったわ」

「良かった。でも、君には少し悪かったな」

「えっ? ……ふふ、そういう事。別に気にしないで、あなたが謝る必要はないわ。あなたはあなたなんだから」

「そ、そうか?」と、彼は少し表情を緩めた。「それにしても、一体何を作ってるんだ?」

「巨牛(大食いなドーガンの為に品種改良された巨大な牛)で作ったステーキと、それからマッシュポテト――ここで言うポテトライスね。それと他にも、シュークリームとクレープも作って見たわ」

「なんだ、その『しゅーくりーむ』と『くれーぷ』って奴は?」

 マグダレンは彼に、手作り料理の一品を手で指し示した。

「それがシュークリーム。さくっとした生地の中には、たっぷりとクリームが入ってるの。それとこっちがクレープね。地球のデザートで、自分はそれを作るのが好きなの。それにこういう甘い物は、あなたが喜んでくれると思って」

「デザートか! そりゃあもうたまらなく大好きだ」

「良かった。それじゃあテーブルに座ってて。もう出来るから」

 彼女に言われ、ベイテムはテーブルに腰を下ろした。

 何分かして、テーブルにはどさどさと、マグダレン手製の山盛り料理が並べられ始めた。そしてその中央には、ベイテムの胴体ほどはありそうな、どでかいシュークリームが置かれた。中には空気が沢山入っているので、実質的な量としてはそれよりも遥かに少ないが、それでも普通のシュークリームの何十個分に相当する量はあった。

「さっ、ベイテム。沢山食べて頂戴」

「随分と多いな」

「ちょっと作り過ぎちゃったかしら?」

「でもまあ、残したら昼でも夜でも食えるし、頑張って食べて見るさ」

 そして彼は、真っ先に巨大なシュークリームに手を伸ばした。それを豪快に大きく千切ると、中からクリームがたっぷりと溢れ出たので、彼は思わず歓喜を上げた。

「この皮は、クリームを付けて食べるのか?」

「それは人それぞれね。だけどこのシュークリームはかなり大きいから、そうした方が良いかも」

 ベイテムは、手にした巨大な皮に、流れ出て来るクリームを掬い取るように付けると、それを口に運んだ。空気を含んだ皮がサクっと鳴ると同時に、クリームの甘い味わいが彼の口の中に広がった。

 初めての味に彼は、薄っすらと笑みを浮かべた。口端には、頬張り切れなかったクリームがべっとりと付いており、その腕白ぶりにマグダレンは、指で優しくそれを掬い取ってあげると、その指を静かにしゃぶった。

「ベイテムったら、まるで子供見たいね」

「そうか? こういう所を気にしないのが、俺らドーガンなんだけどな」

「じゃあ食事が終わっても、口元とか拭かないの?」

「やるとしても、腕で(=こす)るぐらいだな。べとべとしたって、体洗う(=つい)でにシャワーで流せば問題ないだろ?」

「でもシャワーは、余り浴びないんでしょ?」

「まあな。でもそこら辺も、俺達は気にしないんだ」

「だからそこまで、あなた達は太れるのね。体の事には無頓着だから」

「そうかも知れないな」

 そう言って彼は、ポテトライスを食べながら、巨牛のステーキを貪った。その姿を見て、マグダレンは不思議な気持ちになった。一匹狼で長年、惑星ドーガンのスパイをして来た彼女は、やる事全てが、地球人を毛嫌いするドーガンには否定され続けていた。

 しかし今、ここにいるドーガンことベイテムだけは、彼女のした事を否定せず、確りと受け入れている。そんな彼に彼女は、周りと比較してか、嬉しさを至極に感じて心が(=ぬく)もった。

「……やっぱり、これ全部はさすがに無理よね」

「ははは。さすがの俺も、これにはお手上げだな。だけど君の料理は、本当に美味しいよ」

「本当に?」

「ああ。これからも君に料理を作って貰いたいほどだ。だけどそうなると、太り過ぎで俺が動けなくなっちまう」

 マグダレンは大きく笑った。心の奥底で彼女は、最高に幸せを感じていた。

 

 それから一時間ほどして、ベイテムの腹はとうとう限界に達し、テーブルの上にまだ半分ほど料理を残したまま、全体重を椅子の背凭れに預けた。

「うっぷ……いやはや、満足満足」そう言って彼は、つなぎから更に(=)み出した腹を叩いた。そして彼は、上だけ脱いだつなぎを着用し直して見ると、なんとファスナーが閉まらなくなっていた。

「あー、新しいつなぎを買わないといけないな」

「ごめんなさい」とマグダレンが謝った。

「いや、気にするな。どうせ着れなくなりそうだったし、その時間が早まっただけさ」

 すると彼は、結局つなぎの上を脱いだまま、椅子から立ち上がった。

「さてと、そろそろ仕事に行かないと。それとマグダレン。こんな場所で良かったら、今日も泊まってくか?」

「えっ、良いの?」

「勿論さ」

「ありがとうベイテム。それじゃあ自分は、何をしてたらいいかしら」

「何って、根本的なスパイの仕事はどうしたんだ?」

 マグダレンは「あっ!」と漏らした。完全に彼女は、本来の仕事を忘れていたのだ。その様子にベイテムは、自分の事を本当に思ってるんだなと感じ、嬉しくなった。

「君が地球のスパイだろうとなんだろうと、俺は一切口を出さない。だが俺以外のドーガンには、決してその存在がばれないようにしろよ。どうなるか分からないからな」

「分かったわ」

「良し。それじゃあ俺は仕事場に向かうけど、一旦昼には戻って来る。昼食はいつもここで食べるんだ」

「ならそれは、ここにある残り物で大丈夫そうね」

「でももし良かったら、またシュークリームとクレープを作って欲しいな」

「そう言えばあなた、全部食べちゃったものね」

「ははは! 俺にはデザートが欠かせないんだよ」

「じゃあそれも、ちゃんと作って置くわ」

「頼んだ、マグダレン」

 そして彼は、昨日から着っ放しのつなぎで、(=ろく)に全身も洗わず玄関を出た。ただ口周りに付いた食べ(=かす)だけは、軽く腕で拭い取っていた。

 マグダレンは、彼の後姿を見ながら、ふと考えた。なんで自分は、あんな尻のでかい肥満体を好きなんだろうかと。しかし、彼のそんな事を考えただけで、彼との出会いがひと時蘇り、彼が差し伸べてくれた温もりある手に、彼女の胸中は温かくなった。

 そんな自分自身を、未だに信じられない彼女であったが、好きだのどうだのと考える時点で、きっと彼に一目惚れしたのねと、彼女はようやく自らを受け入れた。

 矢庭に、彼女のポケットにあった携帯端末機が振動した。彼女はそれを取り出すと、緊急連絡としてベネディクトから通信が入ったのを知った。慌てて彼女は、交信を始めた。

「はい、こちらマグダレン」

『こちらはベネディクト。マグダレン、今大丈夫か?』

「はい、大丈夫です」

『実はだ。ゴードンを救う手立てが判明したぞ』

「本当ですか!?」

 すると人族である宇警警視のベネディクトは、自分が少し前に練り出した案――一般客として乗り込んだ、ドーガンと容姿の似た犬族のゴードンを捜索する願いを提出し、過去にモージで身元不明となった地球人を探すという名目で、周りの工場に模した、ゴードンが捕まっていると思われる実験施設を訪れ、彼を救い出すという案をマグダレンに伝えた。

「なるほど。それは素晴らしい名案ですね」

『そういうわけで、今私は惑星ドーガンに向かっている。既にこの通信状態で分かったと思うが、ワームホールは通過済みだ』

「それで、私はどうすれば良いのでしょうか?」

『君は今、モージにいるんだろ? だからそこで合流しよう。何処か、立ち合える良い場所はないか?』

 その言葉に、マグダレンは少し思案気になりながらも、それならと言わんばかりに頷き、答えた。

「あります。場所は――」

 

 

 

 ベネディクトは、惑星ドーガンの宇宙港に降り立っていた。膨大な捜索で、ゴードンが一般人でない事を感付かれないよう、母船はこの惑星の大気圏外に停留させ、ベネディクトはそこから、小型船に乗り換えてここに着陸していた。

 彼はそこから、一路にモージへ向かうのかと思いきや、ある事を確認すべく、まずは空港周辺の街中を歩いていた。そしてある場所まで歩くと、彼は足を止め、左手にある集合住宅の方を見た。そこの看板には<カーフェラッファ>と刻まれており、彼はその中に入って行った。

 すると彼は、思わず度肝を抜かれた。目の前のカウンター兼受付には、ゴードンから話に聞いていた、超肥満体の女将ことフレッキらしきドーガンがいたのだ。耳で聞いただけでは分からないその圧巻たる体に、彼是十年近く宇警を勤めていたベネディクトも、目を皿のようにしてしまった。

 別に彼は、太った姿に慣れていないわけではない。それならフォ・ロラ宇警警視監の息子、ビリーがいるからだ。だが目先にいるドーガンとは、地球でいう犬族。ベネディクトは、犬族がここまで脂肪を身に付けると、このような姿に変貌してしまうのかと思ったのだ。

「何か用?」と、そっけなく向こうが聞いて来た。やはりゴードンとは違い、地球人である事が明瞭なベネディクトに対しては、扱いが大きく違っていた。まあこれは予測出来た事で――彼女の体の大きさは予想外だったが――ベネディクトは、彼女に一つ尋ねた。

「聞きたいんだが、ここにゴードンという人物は泊まってなかったか?」

「ええ、泊まってたけど、それが?」

「地球で、彼を捜索しろと言われたものでな。出来たら彼の居場所を知りたいんだ」

「悪いけど、あたいは何も知らないね。ゴードンは引っ越すと言って、そのままどっかに行っちまったんだ」

 ベネディクトは「そうか」と答えながら、この集合住宅の一階を窺った。奥には廊下と階段があり、その先に部屋があるようだ。そして手前には、ゴードンの言っていた通り、レストランのようなレイアウトになっていた。そこでは、太った犬族のようなドーガン達が、地球換算で数人前を優に超えるでか盛り料理を貪っていた。

 ここらの街では、無料で食事が出来る為か、全員食っちゃ寝生活を送ってるようで、危機回避に使われる耳は(=しお)れた花のように垂れ下がり、華の無い泥のような体になっていた。

「そういえば、モージへはどうやって行けばいいんだ?」

 するとフレッキは、カウンターの下から黄ばんだ紙を取り出すと、原始的な手法で、そこに宇宙共通語の文字を書き始めた。それを終えると、彼女はその紙を畳んで、彼に差し出した。

「ほら、これ。大事(=・・)にしなさいよ」

 今時、特にこのドーガンで手書きをするとは、相当な侮辱をされているんだなと、ベネディクトは溜め息を漏らしながら紙を受け取った。こんな(=けが)れた紙を大事にしろとは、なんと野卑な嫌がらせなんだと、彼は心に痼りを残したまま、その紙を胸ポケットにしまった。

「……ありがとう、協力に感謝する」

「協力なんかしてないわ」そう彼女が釘を刺し、ベネディクトは何も言わずにその場を後にした。

 

 ベネディクトは、タクシーなどが留る大通りに向かいながら、考えに耽っていた。

 ゴードンが泊まっていた集合住宅のあの女将、彼女は只者じゃない。空港周辺などは、外部からやって来た食料の一部をそのまま受け取れるから、事実上ただで食材を得られる。そうなると、彼らには最低限の衣服と住居を与えれば、平和裏に生活する事が可能となる。

 何もせず、衣食住を持てる彼らの体は怠け、同時に不要な部分の機能を衰えてしまう。いわば自然淘汰のような現象が起きるのだ。それは、長年ぐうたらな生活をしていた猫が、彼ら特有の俊敏性や反射神経を失うのと同じであり、ドーガンの場合は犬族と同等であると考えられ、彼らはそんな犬の特徴である、危険を察知する為の聴覚が衰えてしまい、使われなくなった耳が垂れ下がってしまうのだ。

 だがフレッキだけは違った。彼女は、耳をしゃんと伸ばしていたのだ。今歩いているこの通りのドーガン達ですら、皆が皆耳を下げているのにだ。

 つまり、彼女がどういう位置付けにあるのかは不明だが、少なからずゴードンと同じ、スパイのような存在である可能性がある。だから素人である彼は、玄人でうわてな彼女に負けてしまったのかも知れない。特に彼女の場合、余りにも太っているし、ドーガン達から見ても太り過ぎに思われる彼女の体では、特別な存在だと到底思いも気付きもしないし、裸で脂肪にうずもれた体はインパクトが強過ぎ、胡散な耳の存在から意識を遠ざけてしまう。これが作戦の一つだとすると、ベネディクトやゴードンは、彼女にまんまと嵌められた事になる。

 そんな思案に暮れながら歩いていたベネディクトだったが、気が付くと彼は、いつの間にか大通りに出ていた。そしてすぐ先に、タクシー乗り場があった。

 彼は、フレッキから手渡された紙を開き見た。するとそこには、驚くべき内容が書かれていた。

『モージまでは普通にタクシーで行けるわ。それとあなたは、ゴードンがいる場所に向かうのでしょうけど、あそこのドーガン達は本当に危険だから、気を付けて。中に入るには、防壁に覆われている一部にある、くすんだ液晶モニターを使って。離れて見ると分からないけど、近付けば分かるそれが、施設への入り口よ』

 ベネディクトは驚いた。彼女には、彼が思っている以上の何かがある――秘密以上の何かが。それに何故、彼女は同種であるはずのドーガンを、普通名詞を使わず固有名詞だけで書いたのか。

 どうやら、マグダレンが出会ったドーガンのように、彼らにはまだ色んな可能性がありそうだ、とベネディクトは思った。

 それから彼は、フレッキから貰った紙を再び胸ポケットにしまうと、タクシー乗り場で待機していたタクシーに乗り込んだ。先ほどの彼女のように、運転手の応対はそっけないものであったが、別段いざこざが起きる事もなく、彼はモージへと向かった。

 

 モージに到着したベネディクトは、携帯端末機の地図を見て、マグダレンがマークした場所へと向かった。彼女曰く、そこに向かう時は、くれぐれも周りに見られないようにとの事で、彼は注意深くモージの街中を歩いた。辺りからは工場の駆動音が聞こえ、今が仕事時間のようでも、彼は慎重さを欠かなかった。

 やがて着いた所は、社宅のような建物の裏側だった。幸い彼女が記した場所は一階の角部屋で、すぐ脇にある小道がここから通っているらしく、彼は忍ぶようにそこへと入った。

 小道を抜けると、角部屋の玄関前には、肉眼で見るに懐かしい、がっしりとした体の雌蜥蜴がいた。彼は念の為、携帯端末機でマグダレンに通信を入れて見ると、予想通り目の前の蜥蜴は、同じ物をポケットから取り出した。

『こちらマグダレン』

「こちらベネディクト。今、君の家の脇道にいる」

 さっと振り返るマグダレン。ベネディクトは交信を断つと、彼女に挨拶をした。

「久しぶりだな」

「お久しぶりです、ベネディクト警視」

「ここはもしかして、君の言っていたドーガンの家か?」

「はい。オーベイテムというドーガンの家です」

「大丈夫なのか、私のような地球人の人間が来て?」

「ええ、彼は優しいドーガンですから」

 そう言って彼女は、彼を家の中に招き入れた。

 

 

 

 自宅に戻り着き、空港周辺のドーガンよりも一回り太ったベイテムが、つなぎの上を脱いだまま、でかっ腹を下の部分に覆い被さるように垂れ下げながら、玄関の扉を開けた。するとそこには、待ち兼ねたマグダレン以外に人間の存在があり、彼は顔を顰(=しか)めた。

「その人は?」

「ベネディクト宇警警視よ」とマグダレンが答えた。

「そう、か」

「ごめんなさい。やっぱりこれはまずかったかしら」

「いや、気にするな。君を連れ込んだ時点で既に重罪だ」

 彼のややきつめな返答に、彼女の向かいにいたベネディクトが口を開いた。

「失礼だが、気を焼いてるのか?」

「――!」

 キリッと睨みを利かせるベイテム。そんな彼を落ち着かせようと、ベネディクトはこう教えた。

「もしそうなら、安心してくれ。私は既婚者だ。マグダレンとは、単に部下上司の関係だ」

「……そうか」と、彼は握り締めた拳を緩めた。

「しかし、やはり私達地球人がここにいてはまずそうだな」

「いや」と、ベイテム。「さっきも言ったが、マグダレンをここに入れた時点で俺は、ドーガンの誓約を破った事になる。今更あんたらをここから追い出した所で、その罪が拭えるわけじゃない」

「そうか」

 するとベイテムは、一度深呼吸をし、ベネディクトに尋ねた。

「聞いたんだが、あの研究施設に潜入するんだってな?」

「ああ。その事で私は、彼女と話をしていたんだ」

「これからどうするんだ?」

「このような事態になったのは、全て私が原因だ。だから私一人で研究施設に向かい、もし何かあった時には、彼女に大気圏外で待機している宇宙船に避難して貰う」

「地球に帰るのか?」

「最悪の場合はな。ただそれまでの間は、何処かに待機して貰う予定だ」

 この言葉にベイテムは、こう提案した。

「なら、彼女をここに居させればいい」

「大丈夫なのか?」

「問題ない。ここは空港周辺よりも閑散としてるから、こういう場所の方が安全だろう。それと、ベネディクトとか言ったな。研究施設に潜入するのは良いが、あそこの内部は相当厳重らしいから、気を付けた方がいい」

「あそこに、行った事があるのか?」

「いや。同僚に聞いたら、そう教えてくれたんだ」

「まさか、私達の為にそれを聞いてくれたのか?」

「正確には、マグダレンの為にだけどな」

 マグダレンは、彼の顔を見詰めた。

「ありがとう、ベイテム。けど無理はしないで。あなたに何かあったら大変だから」

「心配するな。俺は大丈夫だ」

「だが、不測の事態が起きるかも知れない。仮に私が何らかのミスを犯したら、君にまで被害が及ぶ可能性がある」とベネディクト。

「確かにそうかも知れないが、ここまで来たらもうどうでもいいさ」

「じゃあ、もし何か遭ったら、あなたも宇宙船に避難するっていうのは?」マグダレンが言った。それにベネディクトは驚き、彼女の目を見た。

「それは、本当に言ってるのか?」

「警視。ベイテムは、確かにドーガンかも知れませんが、こうやって協力してくれているんです。保護するに値すると思います」

「しかしだな、どうやって空港検査をすり抜けるんだ?」

 マグダレンは答えられなかった。地球人と一緒にドーガンが宇宙に行くなど、ここではありえない事で、すぐに周りから怪しまれてしまうからだ。

 しかしベイテムは、彼女の心遣いをちゃんと受け取り、優しく彼女に言った。

「マグダレン、俺の心配は要らないさ」

「だけど、何かあったら……」そんな彼女の言葉に、一同は沈黙してしまった。二人の世界が出来つつあり、ベネディクトが中に入れないという理由もあった。

 少しして、この流れを変えようと、ベイテムがこう口を開いた。

「ベネディクト。研究施設の内部なんだが、あそこには身体走査レーザーが所狭しとあるらしいぞ」

「なるほど、それは手強いな。つまり行く先々で、研究施設の職員と認めさせるIDが必要なわけか」

「そうだ。仮に中に入れて貰えたとしても、奴らの考える事は奸智(=かんち)に長けてるからな。監視システムを切らない可能性がある」

「私を罠に嵌めて、不注意の事故に見せかけるつもりか。だがあそこに入らない限り、先へは進めない」

「分かってる。だから、兎に角気を付けてくれ」

「ありがとうベイテム。協力に感謝する」

「……ああ」と、彼は曖昧な相槌を打った。敵対する地球人からの賛辞に、どうして良いか分からなかったようだ。

「良し。それでは私は、そろそろ例の施設に向かうとするか」

「警視、気を付けて下さい」

 マグダレンの言葉に、ベネディクトは腰を上げながら、頷いて答えた。

「ベイテム。マグダレンの事を宜しく頼む」

「任せな」

 そしてベネディクトは、玄関を出て行った。それからちょっとして、マグダレンが口を開いた。

「ベイテム、本当にごめんなさい」

「気にするな。お前と居られるだけで、俺は幸せなんだ」そう言ってベイテムは、彼女の肩にそっと手を置いた。

 彼はいつの間にか、彼女以外の地球人も許せるようになり、もはや自分は生っ粋のドーガンではないと思っていた。だがそれも、不思議と許せるようになっていた。それもこれも彼女のおかげであり、今の彼は、本当に幸せだった。

 

 

 

 人体実験が行われているという施設にやって来たベネディクトは、高々とたちはだかる防壁に近寄った。フレッキに教わった液晶モニターを探す為だ。そして少しの間、意識を集中しながら防壁に沿って歩いて見ると、彼女が書いた通り、色が変化して防壁と同化しつつあるモニターが、その壁に埋め込まれていた。

 彼は一呼吸し、それに触れて見た。するとその上から、蓋のような物が奥に外れて、中から監視カメラが出て来た。

『……ここは立ち入り禁止区域だ』と、何処からか声が聞こえて来た。

「私は地球の宇警警視、ベネディクトだ。今からここを調査したい」

『ここは、立ち入り禁止区域だと言ったはずだ』

「礼状がある」

 ベネディクトは、胸ポケットから透明の薄いカードを取り出し、それを横にあった液晶モニターに翳した。

 相手は無言状態になった。しかし通信が切れていない事から、とりあえず待っておけという合図のようで、数分後、ようやく返答が来た。

『ここはドーガンにおいて重要な工場だ。厳重なセンサーで、現在立ち入り不可の場所がある。気を付けて入れ』

「了解」

 すると、彼の目の前に(=そび)える防壁に縦の筋が入り、鉄扉となったそれは重々しく開き始めた。すぐ先には施設の入り口が見え、どうやら案内役のお出迎えはないらしく、彼はそのまま中へと進んだ。

 施設内に入ると、やはり誰もいなかった。どうやら勝手に動き回れとでも言っているようで、正にベイテムが言っていた悪知恵を、彼らが働かしているようだった。

 辺りに気を配りながら、ベネディクトは慎重に内部を歩いた。一階は至って普通の工場で、ベルトコンベアの発展版である真空管コンベアの中を、何かの機材が流れていた。この光景だけでは、全くもって人体実験が行われているようには見えなかったが、恐らくこれはドーガン達の作戦なのであろう。

 更に中を散策すると、彼はある扉の前にやって来た。そこは工場の扉とは思えない程、いやに立派で異彩を放っていた。

 その扉を彼は、静かに押して見た。すると、それは軋む事なく滑らかに開き、そこから見える通路は、工場とは一風違った近代的な物になっていた。これは何かありそうだと、彼は一段と気を張り、そんな通路を先へと進んだ。

 暫くして、突如壁から音声が流れた。

『ここから先は認証が必要です』

 ベネディクトは、ついにセンサーが働いたなと、何歩か退いた。

『認証を開始します』

「何!?」

 彼は慌てて、来た道を駆け足で戻り始めた。だがシステムは、まるで暴走車のように動き続け、通路に仕掛けられていた監視システムから、身体走査レーザーが放射され始めた。

 ベネディクトは「まずい!」と心の中で叫んだ。なるほど奴らは、適当に施設内をうろつかせ、そのままシステムに引っかかってやられるのを待つわけか。

『認証中……』その音声に、彼の鼓動は尚も早まった。どうすればいい、このまま逃げても、前の扉に辿り着く前に認証が拒否され、防衛システムが働いてしまう……

 長いようで、更に長いような時間が流れた。それは一時であったかも知れないが、彼には水の中で動く体のように、ゆっくりと時が流れていた。そして彼は、死を覚悟しながら、この通路を全力疾走していた。

 だがその時、彼は思わぬ音声を耳にした。

『職員IDを取得。認証完了』

 ベネディクトは耳を疑った。そして、ゆっくりと立ち止まった。認証完了とは、一体何を走査してそう判断したのか。まさか機械の故障――いや、それは惑星が一つ自然崩壊するぐらいありえない事だ。

 しかしそれ以来、音声は一切流れず、彼の身にはなんの問題も起きなかった。どうやら、認証されたのは確かなようだ。

 一体何が彼を職員として認めさせたのか、金輪際分からなかった。だがこの好機を見逃すまいと、彼は再び身を翻し、奥へと進んだ。この通路からは認証が必要であり、職員以外は入れない空間だと分かったので、彼は細心の注意を払いながら足を運んだ。

 だが行く先々で、彼は全ての認証を通過し、また別の職員と遭遇する事も無かった。それでも彼は、構えを崩さなかった。

 

 五分ほど歩くと、ベネディクトは行き当たりに大きな扉を見つけた。これまでに見たどの扉よりも大きく、彼は一旦深呼吸をしてから、その横にあるモニターに手を翳した。すると身体走査レーザーが放射され、またもや認証が完了し、扉はなんなく開き始めた。

 部屋の内部は、巨大カプセルが並木道を作る異空間となっていた。中身はどれも空であったが、明らかに工場とは違う雰囲気に、彼は慎重にその並木道を歩き始めた。

 すると不意に、後ろで何かの気配を感じ、彼はさっと身を振り返った。だが時既に遅く、目に映ったドーガンが発射した捕獲光子網(=ほかくこうしもう)に彼は捕まってしまった。

「全く、君ときたら。職員IDを認証させ、そのままにすると思うのか?」と、そのドーガンは言った。

 ベネディクトは笑った。当然そんなわけはない。普通なら、それを監視する職員がいるはずだからだ。

「だが無理をしなければ、内部情報は掴めないからな」

「それにしても、まさかフレッキのIDが使われるとは、驚きだったな」

「フレッキ?」

「お前は知ってるはずだが?」

 少し考えを巡らしたベネディクトは、あの紙をくれた超肥満の女将の事を思い出した。……まさか彼女、紙に細工をしていたのか。だから認証が出来たのか!

「やはり、部外者をスパイに回すのは間違いだったか」

「部外者だと?」

「おや? 宇警である君が知らないとは。ならば率直に教えてやろう。フレッキは、ドーガンではない」

「――! だが彼女は、あそこまで太ってるじゃないか」

「我々ドーガンが超弩級の肥胖者であるという考えは、正直否定は出来ないが、言われると胸糞が悪いものだ。だがまあそこは、地球人であるお前だから許そう。しかしフレッキは、本当にドーガンではない。彼女はな、ゴードンと同じなんだよ」

「ゴードン……まさか、彼女も地球の犬族だと言うのか?」

「その通り。犬族である彼女も、従業員としてこのモージに来たようだが、実際は彼女もスパイだったのだ」

「だ、だが、そんな資料はデータベースに無かったぞ!」

「なんと可哀想に。彼女の事は、(=)し隠しにされてしまったようだな」

 彼の言葉に、ベネディクトは何かが引っかかっていた。だがようやく、それを見出した。

「つまり、未解決事件の行方不明者として、モージの所で働いていた人物とは、フレッキだと言うのか?」

「恐らくそれで合っている」

 ベネディクトは納得した。だからあの行方不明者のリストには、名前や種族などの詳細が載っていなかったのかと。多くが謎のままであったが、ゴードンを助ける事で頭がいっぱいだった彼には、そこまで着目出来なかったようだ。

「では何故、彼女はあそこまで太れてる? 地球人ではありえない」

「忘れたか? ここの本来の姿は、人体実験(=・・・・)の施設だぞ?」

 この言葉に、ベネディクトは理解と同時に、唇を噛み締めた。

「そう。スパイとして送られた彼女を、そのまま殺すのは勿体無い。だから一つテストをした。このドーガンでは、ドーガンしか信頼出来ない。だがそれでは、一種の同系交配のように、短所を引き摺ったままになってしまう。過去に地球で問題となった、世襲制度による政治の腐れと同じさ。

 そこで彼女を、ドーガンの一人として、このドーガンに住まわせる事にした。同時に好き勝手に動き回られないよう、人体実験も兼ねて彼女の遺伝子を操作した。見た通り、それは見事なまでの成功を収めた。彼女の体はドーガン――いや、それ以上に太れるようになった。加えて彼女は、その太った体による膨大な食欲で更に肥大化し、行動範囲を自ら(=せば)めさせる。これほど効率の良い方法はない」

 ベネディクトはより一層強く唇を噛んだ。フレッキが救いの手として、身を投げ打ってまで自らをここまで来させてくれたのに、今の自分にはどうする事も出来ず、その悔しさに唇からは血が流れ始めた。

「そうそう。お前が捜しているゴードンだが、あいつも随分と立派な体になったぞ。その勇姿を見せてやろう」

 するとそのドーガンは、ベネディクトを通り越して奥へと進み、捕獲光子網で彼を引き摺りながら、先にあるもう一つの部屋へと案内した。

 

 ベネディクトが連れて来られた部屋は、先ほどの部屋と同じ広さだったが、置いてあるカプセルは中央にある一つだけだった。それは曇りガラスに覆われ、中身が確認出来なかった。

「さあ、新たなゴードンの姿を見るが良い。フレッキ以上の大成功だぞ」

 そしてそのドーガンは、中央のカプセルに近寄ると、そこに設けられたスイッチを入れた。その直後、ガラスの曇りがすぅっと消え、中の様子が露になった。

 そこには、ゴードンがいた――カプセルいっぱいに膨れた、醜いゴードンの姿が。

 

 

 

5へ


back
- Website Navigator 3.00 by FukuraCAM -