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  著者  :fim-Delta

 作成日 :2006/12/15

第一完成日:2006/12/27

 

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元ネタ :スペルシンガー  スペルシンガー・サーガ(1) 空間魔法

:頭の痛い魔法使い スペルシンガー・サーガ(3) 栄養バランス

:わがままな魔術師 スペルシンガー・サーガ(4) 樹海(沼地)。模倣樹。ベリー

 

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ソウ Sou 恐竜

元々内向的な性格だったのだが

友人のデッドと旅したのを期に、一挙に旅人へ

 

デッド Ded 二足歩行の犬

友人のソウとは違い外交的な性格で、

世俗に関する知識は豊富

 

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二人旅というのは、一人旅よりも淋しくは無いものだ。

今日の旅は今までの旅よりも、とても楽しいものになるに違いない。

 

 

「で、何で俺が付いてかなきゃならねぇんだ?」

「デッド、君には豊富な知識がある。風俗のね」

「それは皮肉を言っているか、え? まあどっちも正当だけどな」

デッドはソウを眇めた。

「んで、今回は何処に旅立とうってんだい?」

「今回はセイクレアという街へ行こうと思ってるんだ」

「セイクレアだと!?」

その瞬間、デッドは瞠若した。この転変する表情は、デッドの特徴の一つだった。

「おいおい、分かってんのか? セイクレアに行くには沼地を越えなきゃならないし、

仮に超えたとしても、その次には巨大な樹海が待ってんだぞ!」

「大丈夫。船も――って言っても筏だけど、準備しといたんだ」

「けっ! 相変わらず素晴らしい旅を提供してくれるねぇ、旦那様」

「その皮肉、褒め言葉だと思って受け取っておくよ」

ソウは、準備しておいた筏を泊めてある小川を示し、そっちへと歩き始めた。

デッドはいつもながら、このいかれた発想をする彼に頭を悩ませていた。

とある旅の時は、何故か広大な海を小さなボートで、しかも一匹で渡ろうとした挙句、

ボードが沈没して出発した岸に戻されたのだ。しかも命は危うく遠い彼方へ流されるところだったのだ。

今までの旅も全てはそんな感じで、結局一匹だと旅の始まりすらまともに出来ないのだ……

デッドは今更ながら、彼に旅の面白さを教えたことに後悔の念を覚えていた。

こんなやつと一緒に旅なんかしてたら、俺もこいつのように頭がいかれちまうよ、と

心の中で自分を罵った。

 

 

「はぁ……何で俺はお前と付いて来ちまったんだろうな」

デッドがそう言うのも無理は無い。今進んでいる沼地は、とにかく湿気が凄いのだ。

唯でさえ嫌というほどの臭気を放つこの沼地に、この湿気が加わるとなると、

鼻が敏感なデッドにとって、悪臭地獄に送り込まれたようなものなのだ。

魔法が使えれば、そんな問題は簡単に解決するのだが、生憎ソウとデッドは魔法を扱えなかった。

「本当は俺は、我が故郷でたんまりと女と愛しんで居たはずなのになぁ~」

「デッドはたまにはそういった環境から抜け出すべきなんだよ」

「はぁ? 何で俺がそんなウハウハな環境から抜け出さなきゃならねえんだよ?」

「どうせまたヘマをして、村長にどやされて村を追い出されるに決まってるさ」

「はん! そんな村長、俺がこの手でぶっ飛ばしてやるさ」

「……前は村長を前にして土下座してたくせに……」

「ありゃあ……あれだ。村長が筋骨隆々だったからだよ。

こんなひ弱な俺が、あんな巨躯を相手に勝てるわけがねぇだろ?」

「結局、強い者の前では屈するんだね」

「けっ、嫌な奴だぜ、お前ってやつは」

「どういたしまして」

その後数日間沼地を進んだのち、筏は次の区間である樹海へと歩を進めた

樹海は――思ってたのよりも、散々たる光景だった

 

 

「樹海って、綺麗だと思ってたんだけどなぁ……」

ソウは不満そうに言った

「お前は本当に無知蒙昧だな。何ゆえ樹海=綺麗だと思うんだよ?」

「だってさー、御伽噺とかマンガとかアニメとか見ると、樹海って何か神秘的じゃん」

「そういったものは見る者を惹きつけるために、色んな工夫や改造を施しているのさ。

歴史物の映画だって、実際とは違った場面を作り上げてるじゃないか」

「だけど……何かショックだなぁ」

辺りを囲んでいるのは、美しく煌びやかな樹木では無く、沼地とさほど変わらない

どんよりとした木々が立っているだけだった。しかも全てはグレー色。

また空は雲で覆われているためか、四方八方何処を見ても、映るのは白黒写真の様な光景だった。

そんな味気の無い景色が、何処までも、延々と続いた

 

 

「……なぁ……少し休もうぜ……」

デッドが言った。あの底無しの体力を持つ彼がそんなことを言うなんて、と

ソウは彼を凝視した。

「いつもの元気はどうしたんだよ、デッド? 君にはそれが唯一の特長だって言うのに」

「だってよぉ……こんな飽き飽きする光景をもう彼此一週間は見てるんだぜ?

やる気どころか気力まで奪われちまうよ」

「それはそうだけ――」

「あん、どうした?」

ソウの視線の先には、色鮮やかな果物を身に付けている一本の木だった。彼は興奮した。

それは一週間ぶりに色を見たせいもあるが、このところ食料が底を尽きかけていたせいもあった。

彼はすぐに筏を岸に寄せ、果物が生っている木へと向かった。

だがその木は、どんなに足を前に進めようが、決して大きくはならなかった。

「……ねぇ、あれって……蜃気楼、じゃないよね?」

「……だろうな。それにしてもけったいな現象だな」

その時だった。不意に目の前から木の姿が消えた。

それと同時に、木があった場所には、一匹の犬――デッド? がいた。

「――デッドって、兄弟いたの?」

「あほ、んな訳あるかい。それにしてもこいつ、よう俺に似てんなぁ~」

「あほ、俺はお前だ」

「……はぁ? 何が言いたいのか分かんねぇけど、俺には兄弟も両親もいねぇんだよ」

「……はぁ? 何が言いたいのか分かんねぇけど、俺もそうなんだよ。俺はお前なんだからな」

「……似てるなぁ~」

その瞬間、デッドでは無いデッドが、突如ソウに変化した。

目の前にいたデッドは、驚きのあまり尻餅をついた。ソウは目を見張った。

しかしそれだけでは終わらなかった。気付いたら周りには十匹のソウが、本物のソウとデッドを取り囲んでいた。

「な、何なんだよ……ついに俺もいかれちまったって訳かよ……」

「それは違うと思う。だって僕も同じ光景を見ているんだ。それに、気付いたんだけど見てみなよ、デッド」

ソウの指差す先には、三匹のソウ、恐竜がいた。

彼らは喋ってたり、座ってたり、笑ってたりと、それぞれ別の動作をしていた。

「あいつらを見て何が分かるってんだい?」

「よーく見てみなよ。皆あんなふうにバラけた動きをしている。つまりこれは、何かの集団による仕業に違いない」

「だーかーらー、これはついに俺達がいかれちまったって教えてくれてるんだよ」

ソウはデッドの言葉を無視した。

「おーい! 誰だか知らないけど、僕達はそんなのに幻惑されないぞ!

何がしたいのかは分からないけど、さっさと姿を現したらどうなんだ?!」

ソウは自慢の牙を剥き出しにして咆えた。

すると、さっきまでいたソウの分身達は瞬時に消え、変わりにそこにはそれぞれ木が立っていた。

「悪い悪い、別に悪気は無かったんだ」

そう言ったのは、始めにデッドに分身していた木だった。

「実はな、私達は模倣術か好きなのだよ。ただ見てくれる者がいなくてな、いつも仲間内で争ってるだけ……

そんな時、お前達があそこの川を通った。ここには殆ど来客など来やしないから、

私はリーダーとして、何としてでもお前達をここに誘き寄せたかったんだ」

「ふーん……それじゃあ、一体俺達に何をさせようってんだい?」

「評価をしてもらいたい。私達の模倣術を」

「だけど、僕達は今旅の途中なんだ。あまり余計な時間をかけたくないし……」

そう言ったものの、本音はこんな薄気味悪いところに居たく無いんだ、と

ソウは心内で毒づいた。

「安心しろ。私達の模倣術ショーはたった三年で終わる」

「三年!? 君達しちゃあ短い時間かも知れないけど、僕達にとっては余生を楽しむのに十分長い時間だよ」

「退屈はさせん。私達はどうにかしてお前達に評価者になってもらいたい」

「それに食料の問題だってある。今、僕達の食料は底を尽きかけている」

「それは問題無い。私達が君のためにベリーを持ってきてやろう」

「……デッド。どうしよう……」

「はぁ……とにかくここは――逃げるが勝ちだ!」

デッドはソウの腕を掴み、我武者羅に筏へと向かって行った。

だが大きな蔓が地面から這い出て、彼らの行く手を塞いでしまった。

デッドはそれを突き破ろうと、懐にしまっておいた短剣を振り翳そうとしたが、その直後、蔓から鋭い棘が出てきた。

「これは毒の棘だ。刺さったりでもしたら、直ぐに命を落とすだろう。

正直私達とて、お前達を殺したくは無い。せっかくの評価者を殺すわけにはいかないからな」

 

 

彼此六時間は経っただろうか。いくら雲が空を覆い隠そうとも、僅かな光が雲の中を懸命に通っていた。

それを見る限り、ここに来たのが昼ぐらいだったのが、今では宵闇が迫っていた。

徐々に辺りが暗くなり始め、すると木達は、光る物体に変化し始めた。おかげで夜も、辺りは常に明るかった。

ソウとデッドは、リーダーの木の目の前にあった巨大な窪みの中で、木達の模倣術ショーを観覧していた。

「……ねぇ、デッド? これからどうしようか……」

ソウは、木達の模倣術を見ながらデッドに囁いた。

「分っかんねぇ……何かもうどうでも良くなっちまったよ」

「!! 分かってるの!? ここに三年間、三年間ここに居なくちゃならないんだよ!?

その間僕達はずーーーーっと、この甘いベリーを食べ続けなけりゃならない。

これじゃあそのうち、僕達は評価者じゃなくてベリーそのものになっちゃうよ!」

「じゃあ何か対策を考えろ。俺は頭の使うことが苦手だからな」

ソウは溜め息をついた。何か、何か対策を考えなければ……

だがそうこうしているうちにも、デッドの様にどうでも良い精神が、自分を支配しようとしていた。

「ふう、今日は久々に頑張ってしまったな。そろそろ評価者も疲れ始めた頃だろう」

「もうくたくただよ……」

「そうか、じゃあそろそろ寝る時間とするか」

木達は又もや模倣術を使った。だが今度は、今までの物とは違っていた。

彼らが変身したのは、とてもゴージャスなベッドだった。

「私達は基本眠ることなど必要無いが、君達には必要だろう。

私達は評価者である君達に、出来る限りの御持て成しをしたいのだ」

「おぉ! こりゃあ良い!」

デッドはベッドに向かいダイビングした。ベッドは思った以上に反発性があり、

その影響でデッドは勢い余ってベッドから落ちてしまった。

「おっと、ちと反発が強かったか。悪い悪い、今調整してやったよ」

リーダーがそう言っても、ベッド自体には何ら変わりが無いように思えた。

しかしデッドが再びベッドに、今度は軽くダイブすると、さっきほど反発性が無いのが明らかになった。

不意に、ソウはあることを閃いた。

「おーい、何してんだよ。早くベッドに来いよ」

「あー……僕は良いよ、デッド」

「はぁ? こんな良いベッドがあるのに、お前は地面で寝るってのかい、え?」

「ああ、今日はそうするよ」

「お気に召さなかったのなら、お前さんの望み通りのものを用意するぞ」

「遠慮しとくよ。最後の床寝の醍醐味を味わっておきたいんだ」

そうは言ったが、内心は違っていた。ソウは、最後の希望を見出していた。

恐らくこれがうまくいけば、彼はこの見てるだけの怠惰地獄から抜け出せるだろう。

 

 

朝、まだデッドは寝ていた。

「……ごめん、デッド。だけどすぐに、君を助けに行くからね」

そうソウはデッドに呟いた。デッドはまだ、夢の中で女達と戯れているに違いない。

ソウは、デッドを後に残し、忍び足でこの窪地を後にした。

斜面を登り、目の前に見えたのは目指す筏。彼は急いでそれに向かって行った。

――だが、突如目の前に巨大な蔓が這い出てきた。

「残念だか、やっとのことで手に入れた評価者を、簡単にここから逃がすわけにはいかない」

「もし君が僕達を持て成したいのなら、僕をここから逃がしてくれ」

「それは無理だ。私達には評価者が必要だ。今ここでそれを失うわけにはいかない」

「それならデッドがいる」

「一匹だけじゃ安心できない。二匹いれば違う評価も出て、より一層私達に磨きがかかる」

ソウは何とか蔓を突き破ろうとしたが、棘が彼の行く手を阻んだ。

「この棘には毒が塗られている。これに刺されようものならすぐに命を落とすだろう。

私とてお前を殺したくは無い、諦めろ」

結局ソウは逃げることを諦め、窪地へと引き返して行った。

するとそこには、既に起床していたデッドがいた。

「よう。逃げようとしたのか、え? がっかりさせるようだが、それは不可能ってものだ」

その言葉に、ソウは傷付けられはしなかった。

今の今までデッドが強い者の前に屈して来たのを見ていただけに、多少なりとも抵抗が付いていたからだ。

しかし今回に限りソウは、彼が少々唯々諾々に成り過ぎてる気がした。

どうしてこんな風になってしまったのだろうか。そういやデッドは、この樹海に来てから様子がおかしかった。

いつもの元気を見せずに、常に気だるい表情をしていた。まるで正気を抜かれたかの様に……

おかげで彼の思考は、完全に萎えていた。

ソウは考えを巡らして、一つの私案を思いついた。

四方八方グレー色に染まる味気ない景色、恐らくそれが脳の反応を単調化させ、

長い間その空間にいたことにより、脳の感覚が鈍ってしまったのだ。

あくまでも彼の個人的理論ではあるが、実際単調な刺激は脳を衰えさせる。

だがどんな思案を巡らそうとも、金輪際無駄であることが分かった。

何故なら、彼らは既に模倣樹達の蟻地獄にはまっていて、三年間そこから脱することが不可能なのだから。

 

単調で色彩の無いこの景色が、彼らの意識をさらに萎えさせ、またこの見てるだけの怠惰な生活は、

彼らにとって大きな変化をもたらした。

 

 

「ねぇ、デッド?」

「あん?」

「……ベリー食べ過ぎだよ。少しは食べるをやめたら?」

「バカ言え。この状況でベリーを食ってなかったらどうすりゃいいんだよ?」

そう言ってる間にも、デッドはベリーを次から次へと貪り食っていた。

「それは――見てれば良いじゃないか、木達の模倣術ショーでも」

「そんなのを一日中見てるってのかい、え? そんなことしてたら脳が腐っちまう」

ソウはそれ以上何も言わなかった。

デッドはここに留まってから一ヶ月間で、確実に太っていた。それも目で見るより明らかに。

木達は言及した通りベリーを取って来てくれた為、食事に関しては全く問題無かった。

――だが、それが問題だった。

評価者として、ソウ達は一切動くことを許されなかった。

おかげで彼らは一切の運動が出来ず、起きる、食べる、寝る、の三つの行為しか行えなかった。

さらにここにあるベリーはとても甘かった。恐らく殆どが糖分で出来ているのだろう。

この動かない怠惰な生活、糖分だけを摂取するという明らかに栄養バランスの崩れた食事、そして辺りの味気無い景色が

彼らの思考回路を徐々に鈍らせ、さらに体型をも崩れさせて行った。

日に日に肥えるデッド、ソウも例外では無かったが、彼は何とかして食事を自制していた。

だが見てるだけで何も出来ない状態だと、唯一の娯楽が食事しかなかったため、彼も徐々に泥沼にはまって行った……

今ではソウのお腹は余裕の太鼓っ腹、デッドに至っては太鼓ではなく、重力に負けだらんと垂れた腹だった。

このままではまずい、何とかしないと、とソウは考えを巡らすが、

日に日に弱まる彼の思考力に拍車をかけるかのように、一切の解決策が思い浮かばなかった。

 

 

「もうどーでもいいじゃんかー。ここでのんびり過ごそうぜー」

「デッド、脱出しないと僕達本当にベリーになっちゃうよ」

「あー、もーどうでもいいじゃん。さっさと寝ようぜー」

間延びした声、確実にデッドの脳は腐り切っていた。もはや思考は起きる、食べる、見る、寝るの四つしか残っていないのだろう。

また彼の姿は、見るも無残な姿だった。もはや犬では無い。

怒ったときの様な膨れっ面が、既に顔なのだ。

喉のラインは完全に消えうせ、大きく二の腕を弛ませてる腕は膨れ上がった体によって横に押し上げられ、

同時に足も横に押し広げられていた。

それに対しソウは、何とか自制心を保っていた。それでも、この悪環境のせいで彼の体は、

牛や象のような巨大なお腹を抱える破目にになった。

そして翌朝、事態は刻一刻と終わらない終焉に向かい加速して行った。

 

ソウは、デッドのがなり声で目を覚ました。

「肉、肉だ! 肉が食いたいんだ!」

「ど、どうしたの、急に!?」

デッドの急変した様子に、ソウは驚いた。デッドの目は血走っていた。

まるで餓死しそうな生き物が、たった一匹しかいない獲物を無我夢中で捕らえるかのように……

「肉か? それならここら辺に住む牛や豚を捕ってこよう」

「頼む――頼むから、出来るだけたくさん――!」

それから暫くして、ソウの元にはいつも通りのベリーを、デッドの元には十何頭の牛や豚の肉片が届けられた。

デッドは我武者羅に目の前にある肉片を貪り食った。

その尋常では無い姿に、ソウは恐怖を覚えた。

だが、それだけでは終わらなかった。

「こんなじゃ足りない、足りない! もっと、もっとだ! もっと――もっと!」

デッドの思考は、完全に食欲に支配されていた。

彼は徐々に届けられる肉片を片っ端から貪った。

十何頭の肉片を早々完食し、更なる食へと欲求を走らせた。

「今日は評価は無理かなぁ?」ある一本の木が言った。

「恐らくな。ま、明日になったら治ってるから、今日は自由にさせておこう」

この言葉に、ソウは首を傾げた……首周りの肉が邪魔をしても、ソウは心の中では首を傾げていた。

何故彼らは、明日になったら治ると分かったのか。

しかし今の彼の思考能力では、それを考える力は無かった。

だが彼は、もう一つの思考に挑戦した。それはデッドの急変した態度だった。

どうして彼は、急に肉を欲したのだろうか。いくら犬とは言え、満腹中枢さえ働けばそれで良いはず。

もしかしてベリーだけの食事に飽きたとか……いや、いくらなんでもそれは無い。

仮にそうだとしても、あの尋常で無い目付きにはならないはずだ。

ソウは沈思黙考した。

ベリーか……そういや初めは甘ったるいったらありゃしないと思っていたけど、今となっては普通に感じる。

これはきっと、食生活の乱れによって発生した味覚障害なのかもしれない。

栄養バランスの崩れが、この症状を起こしたのだ、そうに違いない。

 

――えいよう、バランス……

 

およそ一年ぶりに、彼の思考がフル稼働した。

そうだ、栄養バランスだ!

今までずっと糖分しか取っていなかった。すると、様々な栄養素、ビタミン、鉄分、たんぱく質と言ったものが不足する。

だがベリーでも、それなりに栄養素は取れるはずだ――たんぱく質を除いて。

たんぱく質は概ね肉からしか取れない、つまりデッドは今の今までベリーを食べ続けていたせいで、

多量のたんぱく質が不足していたのだ。

そして一年という長い歳月をかけて、ついに彼のたんぱく質を求める欲求が暴走したのだ。

……つまり、これは僕にも同じように起きる劇症だということだ……

これは何としてでも止めなければならない。よし、これからは定期的に肉を取るようにしよう。

木達はベリーだけで何とかなると思ったんだろうが、僕達生命体はそう簡単な仕組みで出来てはいないのだ。

この肉に対する食欲の暴走を止める方法は分かったが、暴走中の食欲を止める方法は無かった。

デッドは一日中、寝るまで肉片を食い続けた。

 

 

朝が来た。ソウは目を覚ました。

「――! デッド!? デッド、大丈夫!?」

「んーー。あーー、だいじょーぶだよーー」

大丈夫そうでは無いのは明らかだ。昨日寝るまで食べ続けたデッドの体は、尋常で無い形をしていた。

膨れっ面の顔と横に押し出された腕は変わらないが、お腹が――そう、一つの巨大な円蓋を形成していた。

今までは肉で無残にも垂れ下がっていたお腹が、今では風船を膨らましたようだった。

その大きさは彼自身を飲み込んでしまうほど巨大だった。

「起き上がれないなー。木君、起こしてくれよぉー」

すると直ちに蔓が、彼の身体を起こした。

「デッド、自力で起き上がれないって、これからどうするんだい!?」

「そりゃー、この木に起こしてもらうさー」

「私達は全然問題無い。私達は評価者に対して最善を尽くす」

「そうじゃないよ! もし三年後ここから出ることになっても、

自力で起き上がれ無いような体じゃ、出ようにでも出れないじゃないか!」

「もうどーでもいいさー。あー、木君。じゃあさーー、俺はもう手を伸ばすの面倒だからー、飯を食べさせてくれよー」

「――!? ちょっと、デッド! そんなことをしたら、本当に君は食べるだけの生活になっちゃうよ!」

「どーせこの腹じゃー食料取るの面倒だしーー。木達も問題無いっていうからー、いいじゃないかー」

最悪な事態が起きた……ただでさえ少ない、起きる、食べる、寝るという行動が、ついに食べるだけになってしまった。

しかもその食べるという動作は、木達によって、どちらかと言えば食べさせられるという行動だ。

つまりデッドは、一切の自力行動を無しに生きるのだ。

それにより、完全に彼は欲求によって動くだけの脳足りんな存在になってしまった。

動くこと無しに食べるだけの彼、もはや彼は生き物では無い、木と同じだ。欲求のみで行動する木と同じだ……

木は止まっているが、生き物は自力で動く。だが自力で動かない彼は、既に生き物の枠から外れていた。

ソウはどうすればいいか分からなくなっていった。

 

 

一切の運動を無くしたデッドは、より一層加速して太っていった。もうちょっとで、ソウ達がいる窪地を埋め尽くしそうだった。

ソウは木達によって窪地から上げてもらった。既に窪地は、デッドに支配されていた。

だがここで、ソウに一つ疑問が思い浮かんだ。窪地からでは分からなかった疑問が。

窪地は、奇妙なほどデッドの体にフィットしていた――まるで既に模られていたかのように……

「ま、まさか……」

不意に思いついた思案に、ソウは動揺が隠せず、つい言葉を漏らしてしまった。

今の今までつっかえていた疑問、そして奇妙なほどに肥大化した体にマッチした窪地……

全ては、繰り返されていたのだ。

前に木達の話を聞いていたとき、何故木達が、デッドの禁断症状が一日で治まることを知っていたのか疑問に思っていた。

だがこの事実があれば、この疑問にも筋が通る。

そう、模倣樹達は過去にも、ソウ達と同じように評価者をここで暮らさせたのだ。

勿論ベリーをずっと食べていたせいで、デッドのようなたんぱく質の渇枯による暴走と肥大化が起きていた。

そしてそれをずーっと続けていった結果、その体の重みで地面が沈んだのだ。

しかしここに、一つの疑問が残る。それは、昔ここにいたやつが一体今は何処に居るのかだ。

骨は残って無いし、かと言ってあの彼のような状態でここから逃げ出したとは言い難い。

一瞬模倣樹達が、自分達の栄養として吸収したのかという、恐ろしい考えを思いついたが、

仮にそうだとしても骨だけは残るはずなので、ソウは少しだけ安心した。

だが、一体全体その生き物はどうなったのだろうか。こればかしは彼にも、答えどころか推測すら出なかった。

そうこうしている内にも、彼自身もさらに肥大化していった。

やはりいつの日から考えていたように、この環境と生活が、彼の思考力を徐々に奪っていたのだ。

二年も経つと、彼の脳は大分の自制心を失っていた。だがそれ以上に、デッドは見当識すら亡くしていたのだった。

 

 

窪地には、デッドの”肉”体全てがすっぽり嵌っていた。

そしてその近くに、ソウの体が、凹んだ地面に据えられていた。

いつものように、模倣樹達が模倣術を披露していた。

「な、今の良かっただろ? 結構良い感じに模倣出来たんだぜ?」

デッドは気付かない。食べることに夢中なのだ。

代わりにソウが、木に相槌を打った。だが言葉は発しなかった。いや、発せなかったのだ。

「よっしゃ、じゃあ次行くぜ!」と、木がまた新たな物に模倣した。

またいつものように模倣術ショーが開かれている……だが今日は違った。

「なぁ……そろそろ終わりにしないか?」一本の木が言った。

「……確かにそうだな。彼らはもう評価者として、価値が無くなってきている」

「いや、まだだ。一匹でも反応を示せる者がいる限り、彼らを奉る訳には行かない」

そうリーダーの木が言うと、再び彼らはショーを開始した。

(奉る……? 奉るって、僕らをか?)

ソウは訝しんだ。数年ぶりに、彼は思考を始めた。

(そうか……だからあの窪地には、何の痕跡も残っていなかったのか。しかし一体誰に?)

彼の脳は、長い間放置され埃を被っていた為、肝心な部分を見落としていた。

彼は一心不乱に、錆付いた脳を動かし、黙考した。一体誰が食べるのかと。

だがここでついに、彼は肝心な部分に気付いた。

(――! てことは、僕らは誰かに食われるのか!?)

あまりにも忌々しい事実を知り、彼は驚愕に駆られた。

彼の脳は再び、ここに来た時並に活動を開始した。

久々に彼は、自身の体を見直した。それは彼に、再度衝撃を与えた。

正面を向いていても、下方に必ず自分の腹が見えているのだ……

それと首を左右に動かすことが殆ど出来なかった。少しは動かせるものの、肉同士がすぐに圧し合ってしまうのだ。

しかしもっと酷いのは、首を上下に動かしたときだった。

左右の時よりはある程度曲げられるが、上を向くと後頭部の脂肪が背中を押しているのが分かり、

下を向くと、一瞬にして顔が肉に埋もれてしまうのだ。

おかげで自分の腕どころか、手を確認することが出来なかった。

とりあえず腕を動かして見る――なかなか動かない。

彼は精一杯の力を込め腕を持ち上げた。すると肉が、腹の肉が持ち上がる感覚を感じた。

だがすぐに腕が悲鳴を上げたため、彼はすぐさま腕の力を抜いた。

ぶよんと音が出るかのように、目の前に映る自分の腹が波打った。

次に足を動かして見る――案の定足は動かなかった。

(一体どうやってここから逃げ出せばいいんだ? 自分自身動くことも、ましてや喋ることも出来ない……)

彼は自分の体を一通り一瞥した後、デッドの方を見た。運良く彼は、ソウの首が回る範囲にいた。

 

――ソウはすぐに、その行為を後悔した。

見たくなかったデッドの姿。もはやそれは犬で無いどころか、姿形を成してはいなかった。

肉という肉に囲まれ、彼は存在していた。

その肉は、あの窪地を全て満たすどころか、窪地から溢れて出ていた。

毛皮が長年繕われず、多量の毛玉が存在しているのにも関わらず、それは砂漠にある一砂の様だった。

肉は地面に広がりながら、地面を圧縮していた。幸い、途中で固い地層があったため、今は圧縮が止まっていた。

だが、いつ何時、彼の”肉”体が固い地層を破壊するか分からなかった。

ソウは、デッドをもっと凝視した。彼のお腹だと思われる場所の所々に、白く光る物が突き出ていたのだ。

じっくりそれを観察したのち、それは肉に埋もれた爪だということが分かった。

ということはつまり、彼の腕や足は、すっかり自身の肉に取り込まれてしまっていたのだ。

ソウは恐怖に身を震わせた。今やデッドは、顔すら爪の様に埋もれようとしていたのだから。

唯一彼を顔と認識させるのは、木達が彼の口元へ食べ物を運んでいる時だけだった。

暫くソウは、デッドを観察した。

食べ物が、大量の食べ物が、滝のように彼の口へと流れていく……

木達が一回一回、何処から持ってきたのかは知らないが、枝葉で作った巨大な器にベリーと肉をこんもり入れ

それを無理矢理開けたデッドの口へ、次々に流し込んでいるのだ。

つまり彼は、ついに自意識で口すら開けられなくなっていたのだ。

さらに視一視すると、彼は食べ物を、”食べて”いるのでは無く”飲んで”いることが分かった。

彼は噛むという命令をも捨ててしまったのだ。

てことは、彼は本当に何一つ自力で行動していないのだ。正に、食欲に支配された生き物だ。

ソウは絶望的になった。もうどうやってもここから脱出は出来ないのだろうか。

(もう……もう終わりだ)

彼は憔悴しきっていた。見た目ではなく、意識そのものが……

(僕はもう、デッドの様になるしかないのか?)

心の中で問うた。答えは紛れもなくイエスだった。

自力で動くことも喋ることも出来ない生き物に、何が出来よう。

もうどうにもならないと分かると、何故だか知らないが、少し気が楽になった気がした。

だがソウは未だに葛藤していた。本当にデッドの様になるのが正しいのか、それともまだ頑張るべきか。

彼は、再びデッドの姿を見た。今度はじっくりと。

デッドは、先ほどと同じように、滝のように流れる食べ物を飲んでいた。

……ごくり。

ソウは固唾を呑んだ。自分の生きたいという意志と葛藤をしながら、彼はデッドの食べる様を見ていた。

……ぐぅー。

生命の三大欲求である食欲が、ソウの胃を刺激した。

(だめだ、我慢出来ない――!)

彼は最後の最後まで、自制心を保持しようとした。

 

――だが、全ての生命を包有する欲求は、誰にも勝つことが出来ないことを、彼は最後の最後まで気付かなかった。

 

彼はついに、欲求に身を任せることを決意した。

全ては今の自分の腹を満たすために。

 

もう食べられてもいい。今この瞬間を堪能しようじゃないか。

 

 

窪地から溢れ出たデッドの”肉”体。

その隣に、最近新しく出来た窪地から溢れ出たソウの”肉”体。

ソウは自らの欲求を受け入れ、デッドと同じように生きることにした。

だがソウは微かにだが、自制心の残滓を残していた。きっとこれも役に立つに違いないと、わずかながら感じていたのだ。

「リーダー。もうそろそろ終わりじゃありませんかぃ?」とある一本の木が言った。

「そうだな。彼らはもう自制心を残してはいないだろう。よし、”奴ら”に彼らを奉るのだ」

そう言うと、木達が太い蔓を幾つも混ざり合わせ、ソウとデッドの肉塊を持ち上げた。

それでも彼らの”肉”体を完全にはカバーが出来ず、所々肉が溢れていた。

ソウは思った。とうとうこの時が来たのかと。

だが彼には悔いなど残ってはいなかった。彼はもう満足だった。

 

暫くして、彼らはとある洞窟の中へ運ばれた。

いくら蔓が長いとはいえ、あまり奥深くまでは届かない。

だがそれを知ってのことか、ソウとデッドが奉られる祠は、蔓が届くギリギリの位置にあった。

彼らはその祠に置かれた。

――静寂。

デッドを見ると、彼の”肉”体が揺れていた。

恐らく食べ物を求めているのだろう。一日中食べ物が口の中にあったのに、忽然と無くなったから、禁断症状でも起きたに違いない。

だがソウはどうすることも出来なかった。動くことも、喋ることも出来ないのだから。

暫くすると、辺りに強烈な明光が立ち込めた。

彼は堅忍不抜の精神でその光源を見定めようとしたが、最終的には目を瞑ってしまった。

 

再び目を開けると、そこには巨大な洞窟が広がっていた。

暗がりが奥まで続いており、終わりが無いように思えた。

不意に上から声が聞こえた。ソウは上を見上げようとしたが、後頭部の肉と背中の肉のせいで、そこまで首を曲げられなかった。

「ふーん……今回の生き物は、なかなか良い肉付きをしてるじゃないか」

「あぁ。久々に良い標本が出来そうだよ」

(標本だって? じゃあ僕らは食べられるんじゃないのか?)

「じゃあこいつらは、あそこの研究所に運ぶのかい?」

「もちろんだとも」

「分かった。おーーい! こいつらを例の研究所に転送してくれ!」

「りょーかい!」

すると再び、あの光が辺りを包んだ。

 

再度目を開けると、今度は金属が辺りを囲っていた。

てことは恐らくここは、さっき話していた研究所なのだろう。

しかし何故一瞬にして場所が変わったのだろうか。さすがにこの時点では、ソウには分からなかった。

「お!? 久々の大物じゃないか! これは遣り甲斐があるぞ!」

「本当だ! 特にあの毛皮に包まれた奴。あいつはもしかしたら、今までの記録を打ち破るかも知れないな」

「よし、じゃあ早速準備を開始しよう。あー、マイクモードON」

「作業員は直ちに、転送された二匹の生命体に生命検査機器を装着! 研究員はすぐさま生命体分析の準備を!」

一時が過ぎ、ソウとデッドの体には、ひんやりとした黒くて薄い丸型のマグネットが取り付けられた。

「よし! では今から重力制御装置を始動する。作業員は直ちに控え室へ戻れ!」

作業員が撤収すると、辺りにアラーム音が鳴り響いた。暫くして、ソウは何か違和感を覚えた。

そういや重力制御装置とか言ってたな……。ソウはそれを考慮に入れて、この現象を解析しようとした。

だが結論はすぐに出た。

彼の体の肉が、知らず知らずに持ち上がっていたのだ。まるで重力に逆らうかのように……

そして徐々に肉が持ち上がり、ついには彼自身の体も持ち上がっていった。

そうか。重力制御装置で重力を無くしているのか。

 

数分後、ついに部屋の重力が0になった。体中の肉があちらこちらに伸びようとして、また引き戻され、

まるで肉一片一片が海を泳いでいるかのように、バラバラに踊っていた。

向かい側にいたデッドは、ソウ以上に肉が付いていたため、彼以上に肉が波打っていた。

それは一種のウォーターベッドを、より脈動的にした感じにも見えた。

 

 

その後分かったことなのだが、ここでは生命体の体について研究をしているとのことだ。

そしてその内の一分野に、生命体の肥大化の限界を知る分野があったのだ。

奇妙奇天烈な分野だが、僕はこの分野には敬意を抱いている。

何故なら、彼らがいなかったら僕達は、とっくのとうにあの樹海で自肉に押しつぶされていたかも知れないからだ。

だがここでは、無重力空間のおかげで自肉に押しつぶされる心配も無く、またこんな体でも縦横無尽に動き回れるのだ。

そして何より良いのが、ここではあの樹海とは違い、食べたい物を何でも、いくらでも食べることが出来るのだ!

ここは国の研究機関にあるため、資金は国が出している。そのためお金の心配は一切無いのだ。

おかげで僕達は、自分達でも把握出来ないほどにまで太りまくった。

健康面の方は、薬で何とかなるから問題無い。

それに顔も腕も足も、ある程度は自由に動かせるので、僕達は太ること関しては宇宙の塵にしか感じていない。

僕達はこれから、寿命が来るまで永遠に太り続けるつもりだ。それが仕事なのだから。

 

……え? 部屋を埋め尽くす心配だって?

それは心配御無用。魔法も高度なものになれば、空間を操ることだって出来るのだ。

つまりは、この部屋の中は魔法によって無限に拡張されているのだ!

 

 

僕達は今日も、仕事のため美味しい料理をたらふく平らげている。

 

 

 

                              THE END


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