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  著者  :fim-Delta

 作成日 :2008/11/04

第一完成日:2008/11/15

第二完成日:2008/12/26

 

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 この小説は、二〇〇八年冬の同人向けに書いていた小説です。使っていたソフトのバグの問題もあったのですが、原稿の規定枚数を超過し、削りに削った結果、話が余りに早く進み過ぎたので、没としました。しかしながらこの小説には、個人的に好きな設定やネタがあるので、今回修正を加え、ここに公開する事にしました。

 

 

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 ――産業排水もそう、生活雑排水も深刻な水質汚濁を招く。だがその主原因の一つであるリンは、植物にとって重要な三大栄養素の一つである。それを利用し、水質改善計画が進行したのは、彼是もう二十年前の話だ。しかしながら近年、人口増加による家庭排水の増大に、植物だけでは処理し切れない程、水質汚染が広がり始めている。

 そこで今、新たに研究されているのが、遺伝子組み換えによる新植物「植脂嚢(=しょくしのう)」だ。植脂嚢は、植物の吸収能力を半無限に増幅させた物と言えよう。生きものが肥満する際、皮膚細胞が増殖し、体を大きくする事が出来る。この植脂嚢も同じで、茎から生えた袋に養分を溜め込み、同時に自らの養分を使って袋を肥大させ、半永久的に養分を蓄える事が出来るのだ。

 現在植脂嚢は、環境省環境改善局の植脂嚢部研究課で、日夜考究されている――

 

 痩身の雄砂滑(=すなめり)は、環境改善局の食堂でテレビ番組を見ながら、のんびりとチョコ菓子を食べていた。食後のデザートだ。すると堅肥りの雄ナーガが、彼に物言った。

「チョコは食っても、メイグ(=Maig)は相変わらず少食だな。俺なんかこれ食っても、ちっとも満足しないぞ」

「チョコは小さい頃から好きだったからな。それとオルトレン(=Altren)、昔とは違って並盛りが小さく見えるこの時世、お前は大盛りでも満足しないのか?」

「俺はここに来るまでずっと、特盛りを食ってたんだ。この腹にゃ大盛りは少な過ぎる」

 ナーガことオルトレンはそう答え、席から立ち上がった。

「売店に寄って戻るから、先に行ってるぞ」

「ああ」

 オルトレンはお盆を返却口へ持って行くと、この食堂を去った。白衣を(=まと)ったその後姿は、一瞬逞しいようにも見えるが、やはり単なる太り過ぎだなと思えてしまう。しかし彼の体は、ここに来た当初はかなりがっしりとしていた。だが研究詰めで何年も室内に籠った結果、今のような状態になったのだ。加えて、先程のように彼は、特盛りを食べていたのに大盛りしか食べられないこの場所で、空いた胃袋を確りと満たす為、売店で追加食いをせざるを得ず、それがまた更なる過食を(=もたら)したのか、彼の体重は着実に増加の一途を辿り、重ねて運動不足が筋力の低下を招き、彼の全身は見事に脂肪で覆われてしまったのだ。

 そんな彼の背中を見送りながら、メイグはチョコ菓子を食べ終えると、そのままそこで食休みをし、少ししてから研究室へと戻った。

 それから、メイグとオルトレンの昼休みは終わり、二人はいつものように同じ仕事場で作業を始めた。するとその時、研究室に課長が現れ、二人を呼び寄せた。

「メイグ、オルトレン。君達に用がある、今すぐ来なさい」

 呼ばれた二人は、わけが分からず互いに顔を見合わせたが、兎にも角にも課長に従った。行き先は同階の課長室かと思いきや、何故かエレベーターの中に連れて来られ、二人は益々困惑した。

「あの、課長、これから何処へ?」とメイグが聞いた。しかし課長は何の返答もせず、手にした鍵束付きの環から鍵を一つ手に取ると、それを階層ボタンの下にある鍵穴に挿し、右へと回した。すると、階層ボタンを押していないにも関わらず、エレベーターが下へと動き始め、そこでようやく、課長は言葉を返した。

「実はだな、植脂嚢の研究についてなんだが、既に最終段階へと来ている。故に、研究員の数もそれ程必要ではなくなる」

 この言葉に、メイグとオルトレンは背筋を凍らせた。

「……課長、まさか、それって解雇ですか?」メイグは恐る恐る尋ねた。しかし課長が首を横に振ったので、彼はホッと胸を撫で下ろした。

「安心しろ、単なる人事異動だ。ただ移動先は前と同じ、植脂嚢の研究だがな。唯一違うのは、それが特別な場所で行われるという事だけだ」

「特別、ですか。しかし課長、植脂嚢部にあるのは、自分達が配属されている研究課、それと広報課、経理課、管理課。どれも特別とは言い難いのですが?」

「残念だが、そのどれもが違うのだよ。今私達が向かっているのは、秘密裏に活動をしている特別研究フロアという場所だ」

「特別研究フロア、ですか」とメイグは反芻(=はんすう)した。

「ああ。人望が厚い君達だからこそ、そこへ異動させる事にしたんだ」

 すると今度は、オルトレンが課長に尋ねた。

「課長、まさかそこは、その……人体実験をする場所、じゃないですよね?」

「何、どうしてそんな事を?」課長は片眉を吊り上げながら、険しい目付きで問い返した。

「その、とある噂がありまして。それによると、上にも報告していない秘密の実験が行われているとか、いないとか」

「そうか。だがそれは、デマから広がった単なる噂に過ぎんだろ」

「そ、そうですよね、はは」

 当然だよなと彼は、自分の発言を自嘲した。しかし課長は、顔色一つ変えず、静かにこう言った。

「今から行く場所は、本物(=・・)だ」

『えっ……?』

 メイグとオルトレンの二人は、思いも掛けずそう返した。そしてメイグが、当惑しながらも課長に聞いた。

「あ、あの、課長。その、『本物』とはどういう意味で?」

「そのままの意味だ。どうあれ、君達をそこへ送る事は既に決定済みだ、心配する余地も無いだろ」

 丁度その時、エレベーターが、階層が表示されない秘密の階に止まった。そして扉が開き、そこから現れた光景に、二人は思わず言葉を失ってしまった。

「さあ、行こうか。地下の特別研究フロア――人体実験課へ」

 

 

 

「ま、まさか……こんな、こんな場所があったなんて」と砂滑のメイグは、目の前の光景に呆然とした。それも無理はない、何せそこに広がっていたのは、地下世界という名に相応しい広大な空間で、天井からは特殊なライトが幾多にも渡って隅々を照らし、園丁が整備する巨大な庭園、そしてその中心にある、人体実験課専用の研究施設と(=おぼ)しき建物を、見事なイルミネーションで魅せ付けていた。そんな地下世界に、メイグだけではなくナーガのオルトレンも、その情景に感化されていた。

「ほら、早く行くぞ」

 後ろで佇む二人に課長は呼びかけた。すると二人は、夢見心地のまま課長のあとに付いて行くと、やがて中央の建物内へと入って行った。

 中に入ると、そこは至って普通の研究施設だった。ただ一つ違うのが、どの通路も扉も、幅が通常の数倍はあるのだ。そんな通路を先へと進みながら、メイグは課長に質問をした。

「課長、なんでここの通路は、こんなにも広いんです?」

「周りを見れば分からないか?」

 そう言われ、メイグは辺りに視線を配った。そして行き交う人達を見て、彼はふとある事に気が付いた。

「あの、なんて言えばいいのか。随分と体が大きな人達がいますね」

「太っているでいい。ここではあらゆる人体実験が行われ、勿論機材などを運ぶ為に道幅を広くしているが、もう一つの理由がそれなんだ」

「それ、とは課長、どういう意味です?」とオルトレン。

「人体実験には数多くの種類がある。ここではその一つに、肥満に関する実験が行われているのだよ」

「それは、どういった内容なんですか?」

「それもまた幾種もある。例を挙げるなら、肥満と健康の断截(=だんせつ)を目標とした実験だ」

 理解し難い内容に、オルトレンは首を傾げた。

「簡単に説明しよう。肥満とはイコール不健康など、否定的な意味で捉えられる事が多いだろ?」

「はい」

「しかしだ、地域によっては肥満を健康の象徴とするし、種族繁栄など肯定的に捉える場所もある。それに病気などで、嫌々でも肥満になる事だってある。つまり肥満とは、『瞽 (=めくら)』という言葉と同じで、人種差別の一種とも言えるのだ。今ではそんな外面的偏見は、徐々に薄らぎつつあるが、地域によってはまだその名残りが、強く定着している。そこでそれを完全に払拭する為、肥満とネガティブなイメージ関係を断ち切り、肥満も決して悪い事ではないと証明するんだ。

 まっ、しかし本当の所、極端な肥満はやはり健康面に悪い。だからそれを念頭に入れ、先程の目標を(=なら)い、肥満で害を生じさせない実験もある。要は肥満の良さを前面に押し出そうってわけだな」

 地表では見られなかった、風変わりだが的確な研究内容に、二人はつい納得して頷いた。だがここで、オルトレンに一つの疑問が湧いた。

「課長。もしかして俺は太っているから、ここに呼ばれたんですか?」

「ははは、残念だが今回は違う。言った通り、君達には植脂嚢に関する人体実験、及びその研究をして貰うんだよ――ここでな」

 課長は、目の前に現れた大きな扉を示した。通路と同じで、その扉も通常より数倍は大きく、そんな扉を課長は、横にあるRFIDリーダーにIDカードを(=かざ)して開けた。

「ここはつい最近(=しつら)えた、植脂嚢部人体実験課専用の研究室だ。中には個室もあるし、既に何人かの優良な研究員達によって、活動開始の準備を済ましている」

 その時、研究室の中から、白衣に身を包んだ一人の雌猫がやって来た。

「どうも、あなた達が地上(=・・)からやって来たメイグとオルトレンね。私はヘケゲデ(=He-Ke-Ge-De)。随分変わった名前だけど、私は雑種で、母音が一つしか無い父の種族に合わせたからそんな名前なの。だから余り突っ込まないでね。

 まぁそれはさて置き、同じ研究員として、これから宜しくね」

 挨拶した雌猫ことヘケゲデは、手を差し出した。メイグはそれを「宜しく」と言って握り、オルトレンも同様に握手を交わした。するとここで、課長が室内にいた研究員達に声を掛けた。

「皆、準備は整った。今から植脂嚢の人体実験を始めるにあたり、簡単な説明を行う。全員会議室へ」

 そう言い終えると、課長はメイグとオルトレン、そしてヘケゲデを連れ、室内にある会議室へと向かった。

 

 研究室内に設けた会議室には、新たにここの研究員となったメイグとオルトレンも含め、全研究員達が集まっていた。そんな彼らに見えるよう、課長は講壇に上がった。

「さてと、これから人体実験を行うわけだが、新人二人を除いては、既に準備をして貰っているので、大体の内容は把握しているはずだ。それではまず新人のオルトレン、君の役割は他者と同じで、人体実験の研究をして貰う」

「はい」とオルトレン。そして課長は次に、メイグの方に顔を合わせた。

「それとメイグ、君についてなんだが――」

 課長は咳払いをし、言葉を継いだ。

「――君には、被験者となって貰う」

 思いも掛けない唐突な内決に、メイグは返答を出すのにやや時間を要した。

「えっと、その……どういう事ですか、課長。自分が実験台になる、そういう事ですか?」

「ああ、その通りだ」

「ちょっと待って下さい課長! そんな、勝手に承諾も無しにモルモットになるなんて!」

 するとオルトレンが立ち上がり、メイグを後押しした。

「俺からも言わせて下さい。課長、それは余りに勝手過ぎでは? メイグの自由意志は何処に行ったんですか」

「君達はここに勤める際、契約書にサインをしたはずだが? その規約の一つにこう書いてあったはずだ。『如何なる研究も身を(=)って行い、そして提唱する事』と」

「け、けど、そんな……」メイグは絶句した。だがオルトレンは引き下がらない。

「課長、幾らあなたが俺らの上司だからって、許されない事もありますが」

「君達は何の為にここにいるんだ? 研究の結果を出すには、時に被験者が必要なのだよ。今回の実験に適した研究員は、メイグ、君しかいないんだ」

「どうしてメイグだけなんです? 募集すれば一人ぐらいは集まるでしょう」

「その内に分かるさ。彼でなければ、成果を挙げられないのだからな。それではメイグ、やって貰えるよな? 君は植脂嚢の研究に、誇りを持っていたじゃないか」

 確かにその通りであった。メイグは前々から、自分がしている植脂嚢の研究に命を懸けていると、周りに言い触らしていた。課長もその話を、確りと耳に入れていたのだろう。

 メイグは、上司だから反論出来ない事もあり、仕方無しにと渋々ながら頷いた。

「よし、それでいい。あとの事はヘケゲデから説明を受けてくれ。それでは私はこれにて失礼する、一年後に視察でまた来るからな」そう言い残して課長は、会議室を出ようとした。だがオルトレンが、ふとある事を思い出し、慌てて止めに掛かった。

「か、課長!」

「何だ?」

「その……今回の件は認めたいと思いますが、一つ疑問があります。扉とかは自身のIDカードで開ければいいんでしょうが、エレベーターはどうするんです? 俺達には、課長のような鍵を持っていません」

「エレベーター? 君はこの特別研究フロアにいるんだ、自由に昇り降り出来るわけないだろ」

「――! 課長、それじゃ外へは出られないという事ですか!?」

「その為に、この地下フロアには庭園があるんじゃないか。一つ言って置くがオルトレン、君が最近外出したのはいつだ?」

 オルトレンは記憶を呼び起こした。随分と前だったのか、それを見つけるのに暫し時間が掛かった。

「……大体、五年前です」

「なら、あと五年間ここにいても問題は無いだろ。それとそう、君とメイグのデスクや手荷物だが、それはすぐに上から運ばせる。そこら辺は安心し給え」

 そして課長は身を翻し、この場を去って行った。

 

 それから、メイグは被験者になる為、検査衣に着替えて実験室に来ていた。他の研究員達も、そこでそれぞれの支度をしていた。そんな中オルトレンが、落ち込むメイグを慰めようと、施術台に座る彼に声を掛けた。

「メイグ、悪い。俺、何も出来なかった」

「いいんだオルトレン、お前は悪くない」

「……メイグ、本当にあなた、何も聞いてなかったの?」

 メイグを施術台に固定させながら、ヘケゲデが聞いた。彼はただ頷いた。

 そしてメイグは、これから何が行われるのか分からないまま、上体を起こした状態で完全に施術台に固定された。ヘケゲデは、施術台に搭載されている簡易測定器の結果を見ながら、彼に言った。

「体重は六〇キロ、痩せ気味だけど健康状態は良好ね。それじゃあメイグ、あなたにはこれから植脂嚢の実験台になって貰うわ。内容は簡単、人体に合わせて改良した植脂嚢の植脂茎(=しょくしけい)を、あなたの背中に取り付けるの」

「取り付ける、だって? それには一体どんな目的があるんだ?」

「植脂茎を繋げば、経口摂取(=けいこうせっしゅ)せずに栄養を体内に送り込めるの。もしそれが成功すれば、障害を持った人でも充分な栄養を、そこから補給出来るってわけ」

「なるほど、な」

 申し分ない程素晴らしい内容だと関心しながらも、メイグは自らがその実験台になる事に、今尚強い抵抗感があった。しかしこうなっては、もはや後戻りは出来なかった。

 その後彼は、背中に局所麻酔を掛けられ、植脂茎という物がそこに取り付けられた。最新鋭の機器と研究員達の用意周到のおかげで、施術はなんの問題も無く終わった。

「一つ聞きたいんだが、ヘケゲデ?」とメイグ。

「何?」

「自分の背中に植脂茎が付いた事は分かった。けど栄養摂取って、茎だけでどうやってやるんだ?」

「それは、知っての通り不可能だわ。点滴と同じで、植脂茎が所謂(=いわゆる)カテーテルの役割をしているの。それでその点滴パックの代わりが、あの植脂嚢ってわけ。つまり植脂嚢を常時携帯し、植脂茎にある<ジョイント>と呼ばれる物で繋げるの。<ジョイント>は、検査用の小さな機器を付けた植脂茎の根っ子でね、それをベースにする事で、栄養の逆流を防いでいるの」

「……何だか、これじゃあ被験者というより、単なる患者見たいだな」

「でも自由に出来るわよ。背中に植脂茎があるからと言って、別に仰向けで寝ちゃいけないわけでもないしね」

「そうか。それにしても何で、自分がモルモットに選ばれたんだろうな」

「そんなの簡単じゃない。あなたが痩せてて、少食だからよ」

「少食?」

「今回の実験は、経口摂取無しに栄養を補填するのよ。もし普通の食事量で生活なんかしたら、簡単にカロリーオーバーしちゃうじゃない」

 これでメイグは理解した、だから自分なのかと。彼は地上の研究施設内でも取り分け痩せており、植脂嚢部の中では一番の痩躯だった。だから課長も「君しかいない」と言ったわけで、そのように納得したメイグは、少しだけ太ったオルトレンを羨んだ。

 

 

 

 それから砂滑のメイグは、植脂嚢を専用のウエストバッグに携帯し、自らが被験者であるのと同時に、その変化を周りの研究員達と共に研究し、そして解析した。

「やはり植脂嚢は素晴らしいですね。これを見て下さい、メイグさん」そう研究員に言われ、メイグは植脂嚢からの栄養分流量グラフを見た。それは日ごとに、微少ながらも確実に逓増していた。

「なるほど。拒絶し合った体と植脂茎も、お互いを受け入れ始めたってわけか。だから背中の痒みとかが薄らいで来たんだな」

 するとその時、後ろから、缶コーヒーを買い込んで来たナーガのオルトレンがやって来た。

「おっ、順調に行ってるようだな、メイグ。最初は嫌々だったのに、今じゃすっかりやる気満々じゃないか」

「こうなったら観念して、研究に勤しむしかないだろ? それに未知の体験だし、意外と面白いぞ」

「普通なら、その背中は異端視されてもおかしくはないな。だがここは特別研究フロア、別段変わった場所で助かったな」

「まぁな」

 メイグはそう答えると、背伸びをし、両肩を回して骨を鳴らした。

「オルトレン、そろそろ昼飯食いに行かないか?」

「丁度良かった。今すんげぇ腹が減ってたんだ」

 そして二人は、食堂へと向かった。

 

 食堂に着くと、肥満に関する人体実験がなされたのであろう、二百キロにも届きそうな極度(=super)肥満(=obesity)者達がちらほらとおり、ギガ盛り、中にはスーパー盛りといったサイズの料理を食べ、膨大な食欲を見せ付けていた。しかも彼らの動きは、重々しい人も勿論いるが、のろくない普通の動きを見せる者もいた。それこそ、正に彼らがメイグと同じ被験者である、何よりの証拠だった。

「それにしても、未だにこの券売機には圧倒されるな」

 オルトレンが言った券売機には、小盛り、並盛り、大盛り、特盛り、メガ盛り、ギガ盛り、スーパー盛りと、七種類もサイズがあった。それだからここの研究員達は、皆一様にして満足に食事が出来るわけだが、言い換えれば、オルトレンのような単なる大食いには、食欲の歯止めをかけない事にもなる。

「今日はメガ盛りで行って見るか」

「お前、食えるのか?」

「恐らくな」

 オルトレンは、メガ盛りのハンバーグ定食の食券を購入した。一方メイグはと言うと、普段は並盛りでも充分過ぎたし、今では植脂茎を身に付けているので、小盛りの日替わり定食にした。

 二人は食券を受渡口に出すと、それぞれの料理が載ったお盆を受け取り、空いたテーブルに向かって席に着いた。ここでは、オルトレンには好都合な事に、椅子がこの場所専用に(=あつら)えた物なので、百キロを越える彼の巨体でも難なく座れた。

「お前、良くそれで足りるよな」とオルトレンが、メイグの料理を憐憫(=れんびん)そうに見つめた。

「自分はこれで充分なんだよ。(=むし)ろこうじゃないと、カロリーオーバーするからな」

「でもさ、少しぐらい多めに食ってもいいんじゃないのか?」

「大丈夫。だから被験者に選ばれたわけだし」

「そうか」

 そう言ってオルトレンは、メガ盛りのハンバーグ定食に手を付け始めた。五六〇グラムもあるご飯、それにおかずなりなんなりが加わり、総計かなりの量なのにも関わらず、彼はそれを悠々と食して行った。

 それから、メイグはいつも通り小盛り定食を食べ終え、その少しあとに、メガ盛り定食をオルトレンが完食した。

「げふ……ふぅ、さすがにこりゃ多いな」

 オルトレンは、元々大きかったのが更に膨れたお腹を摩り、白衣のボタンを外した。その姿を見たメイグは、こう口をきいた。

「なあオルトレン、お前最近太ったよな」

「そうか? まぁ確かに、今着てる白衣はきついし、最近体をうねらすのが少し重く感じるもんな。けどそういうお前だって、少し太ったじゃないか」

「そ、そうか?」とメイグは、自身の体を眺め回した。

「ああ。やっぱりそれはあれか、植脂茎のせいか?」

「どうだろうな。だがもしそうなら、自分はどんどん太り続けるぞ」

「ははは、そりゃ一度お目に掛けたいものだな」

「笑い事じゃないって」

「そう思うんなら、やばいと思った時にでも実験の中止を懇願すればいいだろ。さすがの課長も、明らかにまずい状態になったら中断するだろ」

「そうだと、いいけどな」

 メイグは答えた。それを会話の区切りと見たのか、オルトレンはお盆の上の食器類を纏め始めた。

「さてと、それじゃあ研究室に戻ろうぜ」

「あっ、先に行っててくれ。自分はちとトイレに行ってくるから」

「そうか? んじゃお先に」

 オルトレンが研究室に帰ると、メイグもすぐに食器類を片し、食堂を去った。

 メイグは今の所、自分の異変は少しだけの物と思っていた。しかしそれからというもの、彼の体は目に見えて変わり始め、決して変調は来たさないものの、それは歴然としていた。

 

 

 

 砂滑のメイグが特別研究フロアに来てから半年。今日も彼は、自分と植脂茎の変化に目を通していた。

「今日も相変わらず、栄養分の流量が増えてるな。それに自分の体重も……」

 気が付けば彼の体は、痩身から九〇キロへと急激に太っていた。お腹も完全に出っ張り、(=つま)めるどころか、迫り出して少し垂れ始めていた。

「なんだメイグ、どうした?」

 声を掛けて来たのは、ナーガのオルトレンだった。彼も彼で、植脂茎を身に付けていないにも関わらず、一二〇キロの巨体が一三〇キロと肥え、それをメイグは怪訝そうな顔付きで物言った。

「オルトレン、なんでお前まで太って来てるんだよ」

「知るか。けどまっ、周りの影響ってのもあるし、何より食堂のせいかもな」

 それには一理あった。満腹まで食べれば、自然と胃袋は膨らむ。それに合わせて次のサイズ、食事量へと、あの食堂では変化させる事が出来た。しかもこの特別研究フロアでは、被験者などによる肥えた人達も数多く、また地上とは違って閉鎖的空間なので、肥満に関して疎くなり、そしてそれが伝染してしまうのだ。恐らくメイグを太らせた原因も、これに(=)る物に違いない、彼自身はそう思っていた。

「なぁメイグ、昼飯食いに行こうぜ」

「おっ、丁度良かった。今検査も済んだ所だし、ちょっと待っててくれ、植脂嚢を新しいのに取り替えるから」

 メイグは、養分を吸収されて萎んだ植脂嚢をウエストポーチから外すと、新しい物と入れ替えて<ジョイント>に繋げた。

 それから二人は、食堂にやって来ると、いつものようにオルトレンがメガ盛りハンバーグ定食の食券を購入し、メイグも以前より位が増し、大盛りのチキン南蛮定食を購入した。そして受渡口で料理を受け取ると、二人は空いた席に着き、いつも通りの食事を始めた。

 三十分程して、二人は普段と変わらぬ昼食を済ませると、オルトレンが先にお盆を片し始めた。

「メイグ、またいつものようにトイレに行ってから戻るんだろ? なら先に行ってるぞ」

「ああ、分かった」

 オルトレンはお盆を返却口に置き、食堂を去って行った。その後姿を見送ったメイグは、同じくお盆を返却口に返し、そして食堂を出た。

 

 研究室へと戻る途中、メイグはあらゆる店が並ぶ、小さなショッピングモールに入った。そのモールには、この地下の研究施設で生活する為の全品物が揃っており、特に衣服などを扱う店では、どでかい人向けのサイズまで売っており、地表以上に種類が豊富であった。

 そんなモールの中で、メイグは今川焼きを売っている小さな店に立ち寄った。

「あらメイグさん。いつもありがとうございます」

「いえいえ。それじゃあ……そうですね、今日は全種類一つずつ下さい」

「まあ嬉しいわ。それじゃ今日はおまけに、あなたの好きなチョコを一つ付けますね」

「ほ、本当ですか!?」

 メイグは目をキラキラと輝かせて驚喜した。この特別研究フロアに来てから、彼は毎日欠かさずここの今川焼きを食べており、無類のチョコ好きな彼には、そのおまけは子供のように喜べた。

 今川焼き、食後のデザートにと食べ始めたのが切っ掛けだったが、今では一つでは飽き足らず、彼は色んな種類を纏めて買って食べていた。おかげさまで、こうやっておまけを貰えるまでの常連となったわけだが、この事が彼の食欲を、より一段と加速させていた。

「はい、じゃあこれね」と店員が、今川焼きを詰めた紙袋を彼に差し出した。彼はそれを満面の笑みで受け取ると、「ありがとうございます!」と意気揚々に答え、RFIDリーダーにIDカードを翳して代金を支払うと、軽い足取りでモールの出入り口付近まで戻った。そこは研究エリアとモールの境目で、小さな団欒(=だんらん)所となっており、メイグはそこで備え付けのカウチにゆっくりと、だが重々しく腰を下ろすと、早速紙袋の中をまさぐり始めた。

 まず始めに、彼は大好きなチョコ入りの今川焼きを食べた。それからカスタード、(=)(=あん)、メロン、イチゴの今川焼きを次々と口の中へ放り込んだ。大盛り定食を食べたばかりなのに、不思議と彼は好きな甘菓子を別腹で食べられ、口の中に溢れた甘い芳香に、彼は自然と笑みを零した。

 最近になって彼は、これらを食べる事で満悦を得始めていた。更に今日は、おまけでもう一つチョコが追加されているので、シメに彼はそれを食べると、緩む頬に食べ(=かす)を付けたまま、天にも昇る気持ちで今川焼きを完食した。

 何故彼がこうなってしまったのかは、本人にも分からない。しかしオルトレンが前に言ったように、周りには多くの肥胖者達がおり、また親友である彼も同じく肥満している為、それに関する憂慮が希薄しているのだろう、メイグはそう考えていた。しかしそれでも、彼はこの食後のデザートのあとには、必ず後悔するのであった。既にこの時、植脂茎による栄養摂取量が、必須の半分を占めており、カロリーオーバーしてる事が明白だったからだ。

 それでも、彼はこの習慣を変える事が出来ず、段々とその懸念すら、心の内から剥がれ始めた。

 

 

 

 植脂嚢の人体実験が始まり、彼是(=かれこれ)一年が経過した。この日課長は、一年振りに地下の特別研究フロアに降り、植脂嚢部人体実験課の研究室に赴いた。実験の成果を視察に来たのだ。

 しかしながら、肝心の被験者である砂滑のメイグが、未だ昼休みから帰っておらず、実験室で待機していた課長は、(=ごう)を煮やし始めた。

「オルトレン、メイグはどうして来ないんだ?」

 極度肥満者になりつつあるナーガのオルトレンは、その体と緊迫した雰囲気で汗が噴き出し、6XLの特大白衣の裾を持つと、そこでその汗を拭った。彼の体重は今や、一五〇キロにもなっていた。

「すいません課長、俺にはさっぱりで。けど最近、メイグはこういう事が多くなっています」

「遅刻の常習犯、てわけか」

「ええ、そうですね――」

 その瞬間、実験室の扉がばたんと開け放たれ、そこから一人の、丸々とした体が崩れ始めた、白衣がパツンパツンの砂滑が現れた。

「すみません!」

「……メイグ、か?」と課長は、一瞬自分の目を疑った。

「はい。遅れて失礼しました、今すぐ準備に取り掛かります」

 メイグは急いで、羽織った白衣から検査衣へと脱着を始めた。その機敏な動きに、研究員達は思わず目を留めた。加えて、彼は相当太っているのに、息切れを全くしておらず、汗を流すだけの彼に、周りは一層不思議がった。

「ヘケゲデ、準備OKだ」

「わ、分かったわ」

 メイグは、二つに連結した施術台の上で横になると、股を広げて上体を起こした(腹が出過ぎて、脚を閉じた状態では体を起こせないのだ)。そして彼の背中にある植脂茎に、猫のヘケゲデは特殊なパットを付けた。暫くすると、そのパットと繋がったコンピューターに情報が転送され、ディスプレイに数値やらグラフやらが表示された。

「課長、出ました。これが植脂茎を通して流れた、栄養分の流量です。今日のを足すと、このようなグラフになります」

「ほほう。確実に増加してるな」

「はい。それに伴い、一日で消費する植脂嚢の数が、初日と比べ一.五倍になっています」

「一.五倍だと? 少し吸収し過ぎじゃないのか?」

「そう、ですね。単純に計算すれば、もう経口摂取をしなくても、生命維持が可能です」

「なるほど、な。だからメイグ、お前はここまで太ったのか」

「らしい、ですね」メイグは曖昧に答えた。

「だけどメイグ、幾らなんでもこれは太り過ぎよ」

 ヘケゲデが、施術台に備わった簡易測定器の画面を見ながら注意した。そこには、健康面には一切問題無いと出ていたが、体重がなんと一五〇キロと表示されていた。

「一五〇キロ!? おいおいメイグ、いつの間に俺と同じになったんだ?」と、驚きながらオルトレン。

「さあな。ただ日増しに体が大きくなってるのだけは、嫌でも分かるよ」

「確か、実験開始時は六〇キロじゃなかったかしら。一年で体重が二.五倍にもなるなんて、これは異常よ」

 そのヘケゲデの言葉に、課長は考えを巡らし、そして静かに口を開いた。

「これは、植脂嚢に関しての始めての人体実験だ、下手な失敗はしたくない。もしこのまま行けば、最低でも体重が三七五キロにもなるわけだな? そんなに激太りしたら、急な体重増加で動けなくなるに違いない」

「その通りですよ課長。ここは一度、実験を中断した方がいいのでは?」

 すると課長は、止むを得ないといった呈で、ゆっくりと頷いた。

「そう、だな。どうやら植脂茎も、植脂嚢と同じで、際限なく流量を増やすつもりらしいからな。……メイグ、一時中止という事でいいか?」

「え、ええ、そうですね。さすがにこのまま行くと、かなりまずい気がするので」

「悪いな、無理強いさせ、こんなにも太らせてしまった挙句、実験を中断とは」

「いえいえ、大丈夫ですよ課長。この地下施設には太った人が沢山いますし、この体でもまだ大丈夫ですよ。それに中止とは言え、何も成果がなかったわけじゃないんです。今後は次の人体実験へ向け、植脂茎を抑制する方法でも研究しましょう」

「良かった。やはりメイグ、君をここに連れて来て正解だな。その研究意欲には恐れ入った」

 課長が珍しく表情を変えたので、メイグは嬉しそうに後頭部を掻いた。

「それじゃメイグ、これからは同じデブとして、一緒に楽しもうじゃないか」

「ははは、そうだなオルトレン」

 ここでヘケゲデが、軽く咳払いをし、こう促した。

「メイグ、少しでも早く植脂茎と離れたいわよね? なら今すぐ取り外しましょ」

「そうだな。早くしないと、正真正銘の百貫(=・・)デブになっちまうからな」

「あら、本当にその通りね」

 彼女は笑いながら答えた。それから周りの研究員達は、メイグの植脂茎を切除すべく、施術の準備に取り掛かった。そして課長も、自分の失態を詫びるかのように、彼らの作業を手伝った。

 

「それでは今から、植脂茎の取り外し作業を行うわ。準備はいいわね、メイグ?」

「ああ、勿論だヘケゲデ」

 ヘケゲデは、メイグの背中に局所麻酔をかけた。少しして、彼が痛みを感じなくなったのを確かめると、彼女は植脂茎剥離作業に入った。まずは<ジョイント>から植脂嚢を外し、植脂茎と密着している彼の背中を、レーザーメスを使って切除し始めた。

 刹那、麻酔が効いているのにも関わらず、彼が(=うめ)き出した。

「――あぅ!」

「やだ、ごめんなさいメイグ! 大丈夫?」

「あ、ああ……ちょっと、胸が痛くなって」

「えっ、胸? でもそんな所にメスは当ててないわ」

「多分自分の思い過ごしだろう。悪かった、気にしないで施術を続けてくれ」

「分かったわ」

 彼女は再びレーザーメスを照射し、メイグの背中と植脂茎の境界に当てた。するとまたもや彼が(=うな)り出し、彼女は作業を中断した。

「大丈夫?」

「ちょ、ちょっと胸が……」

「胸? でも、どういう事なのかしら。さっきも言ったけど、胸にメスは当ててないのよ?」

 すると、施術を見守っていた課長が、前に進み出てこう提案した。

「一度CTスキャンして見た方がいいかも知れないぞ。施術台の簡易測定器じゃ、完全な検査が出来ないからな」

 その案に、研究員一同は賛成だった。彼らは、実験室の隣にあるCT撮影室に、局所麻酔が効いてるメイグを施術台ごと運んだ。そして研究員総出で、彼の一五〇キロもある巨体を、CT用の寝台へと移した。勿論この地下研究施設同様、ここにあるCTスキャナも大きめに作られており、彼の体でも優に入る事が出来た。

 それから、研究員達は寝台を動かし、彼をガントリ――CTスキャナの検査部で、中にある環状フレームの事――に入れると、被爆しないよう別室に移り、そこからCTスキャンが行われるのをガラス越しに見守った。

 

 およそ十分程して、CTスキャンが終わったメイグは、とりあえず寝台をガントリから出され、その場待機となった。その間彼は、別室にいる研究員達の表情を、ガラス越しに眺めて訝った。何故彼らは、浮かない表情をしているのだろう。まさか体の中に何か異常があったのでは、とメイグは、時間が経つにつれて徐々に不安が募り始めた。

 やがて、別室からヘケゲデが、一枚の用紙を片手に出て来た。

「メイグ、これを見て頂戴」

 そう言って差し出されたのは、メイグを横から写した3D-CT画像だった。そこには、確りと背中の植脂茎が写っていたが、それよりも肺に写る明らかな変異に、彼は息を呑んだ。

「なんだよ、これ……何で自分の肺が、こんな、血管が隆起してるんだ?」

「それ、血管じゃないのよ」

「何だって? それじゃこれは、一体何なんだ」

「良く見て頂戴。それ、何処かと繋がってるでしょ」

「繋がってる?」

 ようく彼は画像を見た。肺を覆っている血管らしき謎の物体は、骨などに隠れて良く見えなかったが、うっすらとそれは、背骨を通り過ぎてある場所に繋がっていた。それは――

「……植脂茎、なのか?」

 ヘケゲデが(=おもむろ)に頷いた。予想外の事態に、彼は狼狽した。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。これはその、どういう事なんだ?」

「分からないわ。けどさっき、おかしいと思ったのよ」

「何がだ?」

「メイグ、あなたは今日遅刻して来たわよね。その時勢い良く実験室に入って来たけど、どうやって入って来た?」

「どうやってって、そりゃあ遅刻してたんだ、急いで入ったに決まってるだろ」

「つまり走って来たのね?」

「そうだ」

「それじゃあそのあと、あなたはすぐに着替えてたけど、何であんなにもテキパキと衣服の着脱が出来たの? それにその体で、どうして呼吸が乱れなかったの?」

「そりゃあ……」

 ここでふと、メイグはある事に思い当たった。そういえば自分は、体重が一五〇キロもある大巨漢で、世間一般的に考えれば、衣服の脱ぎ着――特に穿(=)く行動においては、膨らんだ腹部などによって妨害されてしまい、そしてそれに奮闘しただけで、その体は(=あえ)いでしまうなと。

 なるほど、確かにヘケゲデの言う通りだ。あんなにもせかせかと動いたのに、気息が全く崩れないのは普通じゃない。メイグはついに、事態を悟り始めた。

「もしかして、もしかしてだ。自分の背中にある植脂茎が、自分の肺と癒着したってわけか? しかもそれは、自分の肺の機能を補っている、そういう事なのか?」

「そうとしか考えられないわ。だから植脂茎を切断しようとした時、肺と繋がってるから胸に痛みを覚えたのよ」

「いや、でも……まさか、そんな」

 彼はわけが分からなくなり始めた。つまりそれは、この植脂茎を引き離せないという事なのか。即ちそれは、永久に太り続ける事を意味するのか。太り過ぎた生きものは、動く事も出来ず、やがて身体を圧迫して呼吸困難などを齎す。しかしもし、肺が植脂茎によって保護されているのだとしたら、彼の肥大は、常識を越えたものになってしまうかも知れない。

 唐突に彼は、麻酔が切れた体を起こして寝台から降りると、CT撮影室内を、常軌を逸した動きで遮二無二(=しゃにむに)駆け回った。全身に付いた肉がぶるぶると揺れ、特に大きく膨れたお腹は、振り子のようにゆっさゆっさと左右に揺れた。そんな状態で、彼はどしどしと大きな足音を鳴らしながら、狭い室内をぐるぐると回ったが、汗が噴き出るばかりで、息遣いが荒くなる事は金輪際無く、一五〇キロの巨体ではありえない持久力を発揮していた。

 やがて彼は、いつの間にか別室から出て来た研究員達の前で止まり、その中にいた課長にこう尋ねた。

「課長、自分はこれから、一体どうなるんです?」

「どうもこうも、植脂茎を取り外す事はもう出来まい。既に肺と一体化しており、それを切除する事は即ち、死を意味する」

「で、では課長。自分はこのまま、一生この植脂茎を背負わなければならないのですか? 成長が止まらないこの植脂茎を?」

「安心しろ。それなら、植脂嚢を付けなければいい話じゃないか」

 メイグは「なるほど!」と安堵の息をつき、表情を解した。しかしそれも束の間、研究員の一人が慌ててそれに警鐘を鳴らした。

「それはまずいですよ、課長。植脂茎はもはや肺の一部、それが死んでしまえば、肺もやがて腐ってしまいます。即ち、植脂茎を生かさなければならず、仮に植脂嚢を外したとしても、別の何かで栄養を補給させなくてはなりません」

「それは……つまりそれは、同時に体にも栄養を送らせる、そういう事なのか?」

 課長の質問に、研究員は躊躇(=ためらい)いつつも、(=しか)と頷いた。それにメイグは、長嘆息を漏らし、静かに項垂(=うなだ)れた。

 

 

 

 半年後。砂滑のメイグが、特別研究フロアに来てから一年半目の事だ。この頃には彼は、すっかり落ち込むのを止め、前向きに一日を送っていた。果たしてそれが、今後の彼に良いのかどうかは別として。

「メイグ……お前、本当に大丈夫なのか?」ナーガのオルトレンが、心配そうな目付きでメイグを見た。

「勿論さ。そういえば新しく、ハイパー盛りってのが追加されたんだな。いつか食って見たいな――じゅる」

 メイグが舌なめずりをして答えると、オルトレンは「お前ならすぐにでも食えるさ」と言って、ギガ盛りのチキン南蛮定食を食べた。一方メイグはというと、スーパー盛りのハンバーグ定食を嗜んでおり、前は遥かに大食いだったオルトレンが、今では彼に到底及ばなくなっていた。しかも、オルトレンは未だ椅子一脚で済むのに対し、メイグはその余りの重さで、とうとう二脚の椅子を要するようになっていた。

 スーパー盛りの定食を、次から次へと口の中に詰め込み、胃に飲み下して行くメイグ。これも植脂茎の恩恵――いや、侵食が原因なのだろう。呼吸の必要性が、今では皆無に等しくなった彼の体では、喉に物を詰まらせようが関係なかった。矢継ぎ早に食べ物を掻き込み、それを飲み物で流す。正に鯨飲馬食そのものと言えた。

 オルトレンは、以前より更に太り、体重が一八〇キロとなっていた。体をくねらし動くナーガも、さすがにここまで来ると、全身の肉が必然的に揺らぎ、蛇行に苦戦し始める。だがそんな彼をも凌ぐのがメイグだ。彼の体重はなんと二四〇キロにもなっており、極度肥満を優に超え、白衣も10XLと超特大の物を着ているのに、それでも彼の体には小さくぴちぴちだった。そのおかげで白衣からは、脂肪の重なりなどがはっきりと浮き出ており、また体色と同じ白である事から、白衣を身に付けたその姿は、彼そのものの風采(=ふうさい)を表していた。

 しかしそんな体でも、彼は呼吸どころか、全身の脂肪に動きが遮られる以外、普通の生きものと内面的に何ら変わりはなかった。ただ食欲と体重、そして一日に使う植脂嚢の数だけが、現在も尚増加し続けている。

「お前さ、永遠に太り続けるつもりなのか? そうなったら、研究室を埋め尽くす程になるかも知れないんだぞ」

「じゃあ逆に聞くが、太らない方法なんてあるのか? 今の植脂茎の栄養分流量は、既に一日の必須カロリーを超えている。言い換えれば、常にカロリーオーバーしてるわけだ。そんな状態じゃ、痩せるどころか、体重を維持する事だって不可能だ」

「……メイグ、お前その内、世界中の汚染された水を浄化する、巨大な植脂嚢のようになっちまうかも知れないな」

「ははは、そのときゃ自分は、この特別研究フロアにすら体が収まらないんだろうな」メイグは笑いながら答えた。その様子にオルトレンは、虫酸が走った。

「ごちそうさん。俺、先に戻ってるから、お前も早く戻って来いよ」

 そう言ってオルトレンは、お盆を返却口に返して食堂を去った。メイグも、スーパー盛りの定食を食べ終えると、同じく食堂を出た。しかしその行き先は、研究室ではなく、いつものショッピングモールであった。そこで今川焼きを大量に購入し、食後のデザートタイムを堪能する彼は、(=)うに後悔の念を忘れ去り、傍目(=はため)にどう見られようと、欲の赴くままにそれらを貪り、垂れ下がる胸や脇腹の肉を押しのけ、大々と膨らんだお腹をようよう(=・・・・)と携えると、彼はその場で陶酔し切った。

 そうやって日に日に肥えるメイグ。その体はまるで、そう、植脂茎から生えた、生きる植脂嚢のようであった。

 

 

 

    了


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