back

 

 

  THE FAT 2

    2016/04/18 脹カム

 

--------------------------------------------------

 

 先日見た THE FLY 2 という映画のネタが太膨的に使えそうだったので。

ゆえにタイトルの「2」は二作目という意味ではないので悪しからず。

 

--------------------------------------------------

 

 気が付くと、ナイトラム・エルドナーブはもう五歳だった。ドラゴン界にしては異例の、立派に成長した五歳だ。その誕生パーティーが、彼が五年間毎日終日過ごし続けた小さな部屋で執り行なわれた。参加者は、エルドナーブを見守ってきた研究員、そして義理の父だ。数年前までは小さかったエルドナーブも、ようやく今、彼らと同じ体格にまで成長した。だがその頭脳は誰よりも発達し、逆に手を焼いたわなどと周囲が話していた。

「ナイトラム、誕生日おめでとう」義理の父、コトラブが笑顔で祝った。

「ありがとうございます」エルドナーブもそれを返した。

 コトラブは、片目に付いた傷が印象的で良く恐れられていると聞くが、エルドナーブにとっては優しいイメージしかない。それをまた決定づける言葉が、コトラブから発せられた。

「何か欲しいものはあるか?」

「はい。でも『もの』じゃありません」

「なるほど。分かってる、それは『自由』だな」

 すると彼は、部屋の一片を支配する、外部からの観察用の大きな窓ガラスを目で示した。

「あれは、お前の自由にしたまえ」

 エルドナーブはその視線を追って驚き、また義父を見つめた。だが彼が頷くと、エルドナーブは嬉しそうに椅子を掴み、それを窓ガラスに向けて放り投げた。ガラスが大きな音を立て、崩れた。

 

 

  ねえ、知ってる?

  僕はね、エルドナーブ成長異常症候群、っていう病気なんだ

 

 

「コトラブさん、僕、外に出ても大丈夫なんですか?」

「ああ。お前はもう立派な大人だ。これからはもっと、広い世界を見るべきだ」

 初めての外に、エルドナーブはしきりに頭を動かし、見たことのない景色を目に焼き付けていた。行き交うドラゴン達もまた、その一部だった。

 二人が歩いた先に一件の家が現れた。中へ入ると、そこでもまたエルドナーブは、周囲を眺めていた。

「……もしかして」と彼は、人差し指で下を指した。

「ここ、住んでいいの?」

「そうだ。もう誰も、お前を邪魔したり監視したりするやつはいない。今日からここがお前の家だ。これからはお前自身の手で、自由を掴むのだ」

 エルドナーブはまるで子供のようにはしゃいだが、「但し条件がある」その言葉でピタリと動きを止めた。

「条件って?」

「今までどおり抗生物質は投与し続けなければならない。それに体に問題がないかを検査するため、必ず規定の時間になったら医務室に出向くこと」

「それぐらい分かってるよ。そうじゃないと死んじゃうし」

 再び彼ははしゃぎ始めた。

「それともう一つ。これは提案なのだが、私の会社で働かないか?」

「働く?」と、飛び込んだベッドの上で寝転がりながらエルドナーブは聞いた。

「ずっとこの部屋にいても暇だろう。それに、お前の頭脳を使わないのは宝の持ち腐れってやつさ。とにかく一度、仕事場に行ってみないか?」

 少し考えたのち、エルドナーブは頷いた。そして二人は、また元の建物へと戻っていった。

 廊下を歩き、途中の右手側の扉脇にある液晶パネルにコトラブが社員カードを翳すと、扉が開いた。そこは、彼らの数倍はあるポッドが二つ設置された部屋だった。誰一人としておらず、中はしんとしていた。

「これはお前の父が、生前発明していた転送装置だ。だが彼は一つ重大なミスを犯してな、この設計図を一切残していないのだ。私達は今、それが原因でこの偉大なる発明の完成を前に躓いている。だがお前の素晴らしい頭脳があれば、父の残したこの遺産の最後のピースを埋めてくれるはずだ」

「……僕、これ嫌いです」

 それにコトラブは、思い出した様子で言った。

「ああ、なるほど。いいか、過去のことは忘れろ。これが完成すれば史上最大の発明となり、世界中がその恩恵を受けられるのだ。

 何事も犠牲は付き物。それらがあってこそ、医療や技術は進歩していく。あの犬は本当に残念だったが、私達が丁寧に埋葬した。あの犬のためにも、これを完成させねばならない。無駄な犠牲にはしたくないだろう?」

 渋るような表情を見せたエルドナーブ。回転の速い頭の中で充分に考えた上で、彼は結論を出した。

 

 

  なんで病名に、僕の名前が入ってるのかって?

  それはね、僕の本当の父さんが、初めてこの病気にかかったからなんだ

 

 

 数日後。仕事場には一人、エルドナーブが最新のPC-98シリーズのパソコンを使いコーディングをしていた。コトラブからは助手を用意すると告げられていたが、彼は断った。人生五年間の暮らしは常に孤独でいたため、今更チームを組んだら支障が出るという結論からだった。

「ふむ、やっぱりそういうことか。みんな目先のことに捕らわれてばかり。灯台下暗しとは正にこのことだ」

 タンッと爪でエンターキーを押した彼は、何やら近くを探すと、矢庭に電話機を手に取り電話線を抜いた。そして電話機をポッドの片方に入れ、彼は再びエンターキーを押した。するとポッド内から激しい発光と轟音が起き、十秒後、ぷつりとそれが途絶えたかと思うと、ポッド内の電話機がすっかりなくなっていた。

 エルドナーブはもう片方のポッドの扉をあけた。煙が朦々と溢れ、中から何かを取り出すと、そこには電話機があった。彼はすぐさまそれに電話線を差すと、どこかに電話をかけた。

『はい、こちら材料調達センターです』

 この声を聞いた瞬間、エルドナーブは嬉しそうに「よし」と呟き、そして言った。

「すみません、あの、有機物ってありますか?」

『有機物、ですか?』

「えと、そうですね、例えば植物。それかジャガイモとか」

『それは管轄外です。食糧調達センターに出向いたらどうですか』

「え、えと、はい、分かりました、ありがとうございます」

 エルドナーブは嬉しそうに仕事場を離れた。

 外へ出ると、そこは真っ暗な空の下。彼はあちこち目を配っていた。

「えっと、食糧調達センターってどこだろう」

 彼は思い出した。自由を求めていたのに、気が付けば仕事場に釘付けで、家とそこの行き来しかまだしてなかったのだ。それに初めて外へ出たのもつい数日前のこと。右も左も分からないことだらけだった。

「あそこで聞いてみよう」と彼は、最寄りの小さな建物に入った。すると奥に、彼よりも大きい、一人の若い女性のドラゴンが尻尾をバタンバタンとさせながら、パソコンと睨み合っていた。

「あのぉ」

 エルドナーブは、彼女に先程の目付きのままギロッと眇められ、背筋がピンとした。

「……見ない顔ね、新人?」

「いえ、前からずっといます」

「そう。それで何の用?」

「食糧調達センターって——」

「もう閉まってるわよ。今何時だと思ってるの?」

「す、すみません」

「本当にあんた、前からこの会社にいたの?」

「ええ。もう五年います」

「てことは五年経っても、そんなひょろひょろになるほどの夜勤地獄からは抜けられないってことね」

「どういうことです?」

「二年前にここに入社したんだけど、その時はすぐに出世できると聞いてたのに、今の今までずっとファイル管理の単調な仕事ばかり。まったく嫌になっちゃうわ」

 彼女は溜め息を漏らし、爪で目の前のサボテンを弄り始めた。

「あっ」とエルドナーブ。

「どうしたの?」

「それ、借りてもいいですか?」

「このサボテン? 何に使うの?」

「研究にちょっと——あ、良ければあなたも見に来ます?」

 彼女は少し考えた。

「いいわ、退屈だし。それとあたしはネイゴル」

「エルドナーブ。ナイトラム・エルドナーブです」

 

 

  え、どんな病気かって?

  体の中に異常染色体ってのがいてね、そのせいですぐに大人になっちゃうんだ

 

 

 エルドナーブが廊下を歩いていると、後ろのネイゴルが言った。

「ちょっとあんた、この先は高い認証レベルがないとダメなのよ?」

「分かってる」

 途中の右の扉がある場所で彼は立ち止まると、脇の液晶パネルに社員カードを翳した。扉が開き、彼の仕事場が現れた。

「……これって……」

 エルドナーブに付いて室内を歩きながら、ネイゴルは一際目立つ二つのポッドに興味津々だった。うっかり彼の尻尾を踏みそうになるほどに。そしてポッドの片方にサボテンを入れた彼を見て、不安そうに尋ねた。

「何をするの?」

「転送の実験だよ。安心して、ちゃんとサボテンは返すから」

 そして彼は、パソコンのエンターキーを叩くと、ポッドからあの発光と轟音が起きた。そして十秒後。以前と同様にすっかりとサボテンがそこから消えていた。

 彼はもう片方のポッドの扉をあけ、中から何かを取りだした。だがそのまま、彼は立ち尽くしていた。

「どうしたの?」

 ネイゴルの声かけに、エルドナーブは恐る恐る振り返った。その手には、いびつな形をしたサボテンがあった。

「……ごめん、どうやら失敗みたいだ」

 額に皺を寄せたネイゴルだったが、ふんっと鼻息を漏らすと、口角が上がった。

「気にしないで。別に大した代物じゃないし」

「あの、これは」

「あげるわ。あんたの実験に使って。それじゃあたし、仕事場に戻るわね」

 そう言って去ろうとする彼女に、エルドナーブは慌てて駆け寄り彼女の手首を掴んだ。

「何?」振り返りざまにネイゴル。

「あ、あの……また、来てくれます?」

「どうして?」

「実は僕、前々から同世代の友達が欲しかったんです。でも身近にいなくて、ずっと淋しくて」

 ふふっと微笑したネイゴルは、彼の掴む手を握り返した。彼の細い手が、彼女の大きな手に包まれた。

「いいわ」

 

 

  治療法はないのかって?

  うん。でも抗生物質を打ってくれてるから、大丈夫なんだ

 

 

 それからエルドナーブは、ネイゴルと毎日のように仕事場で一緒に過ごした。食事や談笑、時には研究内容を共有してアドバイスを貰ったりもした。いくら頭脳が明晰な彼でも、閉鎖された空間から飛び出した知識に関しては、彼女の方が一枚うわてだった。

 ある日、エルドナーブはいつもどおり仕事場に連れてきたネイゴルに対し、子猫を紹介した。

「可愛いじゃない」

「名前は『プルーフ』って言うんだ」

「『証明』ってこと?」

 頷いたエルドナーブは、その子猫を抱え、いつものポッドに向かった。

「ちょっとエル! まさかとは思うけど」

 不安そうに尻尾を揺する彼女を余所に、彼は子猫をポッドに入れた。

「エンターを押して」

「嫌よ」

「大丈夫、安心して」

「でも……」

「もう失敗はしない。それをこの子が証明してくれる」

 悩みに悩んだ末、ネイゴルはパソコンのエンターキーを押した。あの発光と轟音が起き、十秒後、寸前に鳴き声をあげた子猫は声とも共に姿を消した。もう一方のポッドに立つエルドナーブは、そこの扉をあけ、煙渦巻く中を彼女に示した。

「さぁ」

 そこに向かったネイゴルは、煙がまだ溢れるポッドの中に、恐る恐る手を伸ばした。そして何かをゆっくりと引き出すと、そこには鳴き声をあげる子猫の姿があった。

「エル、成功したのね!」

「ああ!」

 二人は抱き合った。そして笑い合った。その喜びが冷めてしまう前に、二人は祝杯を挙げるためエルドナーブの家へと向かった。そこで成功を祝った二人は、興奮覚めやらぬ内にベッドへと飛び込んだ。そして初めて、一夜、一つのベッドで一体となった。

 翌朝。はだけた布団から先に出たネイゴルは、仕事場に戻る準備を始めた。まだ夜勤の就業時間だからだ。そしてまだ寝ているエルドナーブに一声かけようと、彼の手を掴んだ。

 ふと、彼女は違和感を覚えた。

「んー……」と瞼を擦る彼。

「ごめん、起こした?」

「気にしないで……それより、僕の手なんか見つめてどうしたんだい?」

「なんかむくんでない?」

「昨日お酒を飲み過ぎたからなあ」

「普通は顔がむくむでしょ」

「そんなこともあるよ。それより仕事は大丈夫なの、準備してたんでしょ?」

「あぁそうだったわ。それじゃ行ってくるわね」とネイゴルは彼の頬にキスをした。

「今度はあたしの家で夜遊びしましょ」

 彼女は一枚のメモを折り畳んでベッドに置くと、足早に家を出て行った。

 

 

  打たないとどうなるのかって?

  死んじゃうんだ。だから僕の父さんも、僕が生まれる前に亡くなったんだ

 

 

 エルドナーブは、いつもどおり仕事場でパソコンと向き合っていた。

『イジョウセンショクタイ ヲ テンソウソウチ デ トリノゾク。 カノウカ?』

『フカノウ。 セイゾンリツ 〇%。』

『セイゾンカノウ ナ ホウホウ。 アルカ?』

『アリ。 セイジョウ ナ センショクタイ ヲ モツ ドラゴン ト イッショ ニ テンソウ。』

 ディスプレイにシミュレーション映像が流れ始めた。異常染色体保持者Aと正常な染色体保持者Bが、ドラゴンの形でそれぞれ線で描かれており、双方の染色体が移動していた。

 シミュレーションが終わると、Aには生存率一〇〇%、Bには生存率五〇%という表示が。更に、Bの形状だけがいびつなものになっていた。

「なるほど。健康体のドラゴンと一緒に入れば、異常染色体を正常なものに交換しながら転送できるというわけか。そうなれば勿論、相手の染色体には僕の異常なものが紛れる。そしてその悪い変化に対応できるかは相手次第、というわけか」

 キーボードを叩きながら、自分の病気を治すすべを彼は模索していた。転送装置の構造は単純に言えば、対象を読み取り、それを元に再生するというものだ。その再生段階でどうにか異常な部分を取り除けないかと、起きてからずっと試行錯誤していた。しかしながらその緻密な処理は複雑で、それによる微少な遅延がバタフライ効果の如く大きく影響し、どうしてもシミュレーションが成功しなかった。

「やっぱり、交換するしか方法は無いのか……」

 目を閉じたエルドナーブは、鼻の上を摘まみ、疲れた目をマッサージした。

「さすがにずっと打ち続けるのは手にも応えるな。こんなに疲れたのは初めてだ」

 彼は手を握ったり開いたりし、指をほぐそうとした。だがどうにも違和感があった。

 手の平を見ると、まるで蜂に刺されたかのように指までが脹れていた。爪に僅かだが被さるほどで、だが同じ状態の別の手で揉んで見ると柔らかさがあり、感覚的にも張りは感じられず、浮腫みとは違っていた。

 おかしい、そう意識し始めた途端、続々と別の違和感が湧いた。座りっぱなしだったため脚が浮腫んでいるのかと思いきや、そこも手と同じように脹れ、だがやはり張りは感触的にもなかった。

「あれ……お腹、こんなに出てたっけ」

 仕事に没頭することが多い彼は、ネイゴルといる時以外は食事をしないことも珍しくない。今日の医務室での抗生物質投与時も、それが原因で痩せ過ぎなんだと言われていた。けど今は、明らかにそうじゃない腹回りになっていた。

 後ろを振り返る。そういえばここに来る時、尻尾が重かったなと。そしてやはりそこも、四肢と同様な有様だった。

「まさか、ネイが何かした? いやそんなはずはない。寧ろ彼女は、僕の手のことを気にしてたじゃないか」

 しかしこのような状況では、一度気になるとあらゆることが気がかりになった。エルドナーブは、ネイゴルに電話をかけることにした。

『はい、コールセンターです』

「資料室のネイゴルをお願いします」

『申し訳ございません。ネイゴルという方は会社にはおりません』

「え……いや、そんなはずないです。資料室のネイゴルですよ? 少し前まで一緒にいたんです」

 電話の向こうでオペレータが誰かと喋った。そして再び彼に口を向けた。

『ネイゴルは、本日付で退職となっております』

「ど、どうして!?」

『申し訳ございません。こちらでは分かりかねます』

 ゆっくりと受話器を置いたエルドナーブ。彼の頭はこれまでになく混乱していた。

「ネイは一言も言ってなかったし、どうして——」

 ふと彼は、ネイゴルが残したメモを思い出した。ポケットにしまっていたそれを開くと、そこには電話番号が書かれていた。彼は早速そこに電話をかけた。

『お手数ですが、本回線は社外との通話はできません』

 録音されたと思しき音声が流れた。エルドナーブは電話を切ると、パソコンをいじり始めた。動かしづらそうな指に鞭を打ちキーボードを叩き続ける。義父であろうとコトラブを裏切りたくはなかった彼だが、ネイゴルとやりとりするため、なんと彼は会社のシステムをクラッキングしたのだ。

「そうだ、思い出せ、昔やったことを。あの犬に会うために、何度も監獄から抜け出したじゃないか。突破口はあるはずだ」

 あらゆる手を尽くしていると、会社のシステム全般を管轄する場所に辿り着いた。その中の一つに電話回線の管理システムがあり、彼は早速そこを調べた。そして、目を瞠った。

「……どうして、どうして僕の電話回線だけが、制限されてるんだ?」

 過去を思い返した。コトラブが自由をくれたあの日を。だがその自由も、結局は囚われの自由だったのか。

「とにかくネイに電話しないと」

 エルドナーブはシステムの設定を変更し、再びネイゴルに電話をかけた。今度はコール音が聞こえて来た。ガチャリと音がするなり彼は言った。

「ネイ?」

『え、エル!? 良かった、無事なのね』

「どういうこと?」

『さっきあんたに電話しようとしたら、エルドナーブという社員はいないって言われたの』

「そんな……何が、どうなってるんだ」

『分からないわ。ただあたし達、監視されてたみたいなの』

「監視?」

『あのあと仕事場に向かったら警備員に止められて、あたしは今日付けでクビだって言われたわ。原因は仕事をサボったからだって。その時ビデオテープを渡されたの。見たら、あたし達のベッドでの様子が映っていたわ』

 目を見開き、エルドナーブは言葉を失った。

『……エル?』

「う、うん」

『もしかして、あんたの転送装置を誰かが狙ってるんじゃない?』

「そんな……第一あれは僕が来た時からあったんだ。僕は単にそれを完成させただけだし」

『それよ。きっとそこに何か裏があるんだわ』

 エルドナーブは胸騒ぎを覚えた。

『実はあたし、社員カードを返し忘れてそっちに戻る予定なの。だから少し会って話さない?』

「そ、そうだね」

『じゃああんたの家に行くわ』

「ダメだ、あそこが監視されてるんなら、僕の仕事場に来て」

『でもそこ、あたしのカードじゃ入れないわよ』

「大丈夫。ネイのカードでも入れるようにするから」

『どういう意味?』

「とにかく、僕の仕事場に」

 そう言い残し通話を終えた彼は、パソコンで社員カードの管理システムに侵入すると、データベースを操作して彼女の認証レベルを書き換えた。

 それから彼は、再び会社のシステムを調べ始めた。自身の知らないところで何かが動いている。それを突き止めないといけない。益々動かしづらくなった指に息も切れ始める——いや、息が切れるのはおかしい。彼は見下ろすと、大きく膨らんだお腹が目に写った。それは重力に逆らい、少し撓んでいた。

「まさかこれ、脂肪?」

 どうやら彼は、体が浮腫んでいるのではなく、太っているかのようだ。だが今日はまだ何も口に入れていない。なのに漸次的に脂肪が身に付くなどありえるのだろうか。これにも何か裏があるはずだと、彼は更にキーボードを打ち続けた。

 やがて、一つのシステムに辿り着いた。それは幾つものシステムを経由し、更に厳密にロックされたパスワードの先にあったシステム。

「エルドナーブ・システム?」

 満を持して入ると、そこには「ナイトラム・エルドナーブの記録」というものがあった。そしてそこにはもう一つ、別の記録もあった。

「これは——僕の父さん!」

 中には、映像が付属された観察記録のデータがいくつもあった。彼は高鳴る鼓動に汗を垂らしながら、それを静かに開いた。

 

 

  母さんは大丈夫なのかって?

  ……母さんは、父さんが亡くなったショックで亡くなったんだ

 

 

 ネイゴルは、エルドナーブの仕事場前の扉に来ていた。

「これ、本当に入れるのかしら」と疑心暗鬼になりながらも、彼女は脇の液晶パネルに返却予定の社員カードを翳した。すると彼の言葉通り扉が開き、部屋に足を踏み入れた彼女は彼を探した。

「ネイ」

 声は転送側のポッドから聞こえた。彼女はそこに走り寄ると、驚愕した。

「……エル、なの?」

「ぷふぅ、そうだよ」

 くぐもった声で答えのは、ネイゴルの知るドラゴンの姿ではなかった。全身がたぷたぷと揺れる脂肪で覆われた、言わば太り過ぎの肉体。それが今、ポッドに入れないのか入り口に寄りかかるようにして立っていた。

「どういう、ことなの?」彼女は上から下へと彼を凝視しながら尋ねた。

「ネイが言ったとおり、ふぅ、これには裏があったんだ。だからお願い、協力して欲しいんだ」

 脹れた顔に浮かぶ救いを求める彼の(=まなこ)を見つめ、ネイゴルは力強く頷いた。

 エルドナーブは、荒くなり続ける息に汗水垂らしながら、事前に紡いだ考えを彼女に説明した。だがその最中、部屋の扉が突如開いた。入って来た人物は、二人が集うポッドの方に足を進めた。

「社長」

 姿を見せたコトラブにネイゴルが漏らした。コトラブは彼女に面を合わせ、徐に口を開いた。

「お前は、私のナイトラムに良くしてくれた。感謝の言葉だけは述べておこう」

 戸惑うネイゴルに、エルドナーブが説明した。

「ぷふぅ、実は、彼は僕の、義理の父なんです」

「そ、そうだったの?」

 今度はコトラブが説明を始めた。

「お前は、ナイトラムの休眠中だった染色体を目覚めさせたのだ」

 尚更混乱するネイゴルを尻目に、エルドナーブが説明し返した。

「全て調べましたよ。僕の中にある、ふぅ、異常染色体は、成長を早めるだけでなく、目覚めた時、体に変化をもたらす。ぷふぅ、それは、体がある地点、まで成熟した時、発生する。それが、異性と一体、になった時だろうと、ふぅ、今日の、医務室での検査で、判明したんですよね。ぷふぅ、あと、抗生物質は、単なる栄養剤、でしたね」

 コトラブが一瞬顰めっ面になったが、すぐに納得して頷いた。

「会社のシステムに侵入したな。なら、どこまで知っているか教えてもらおうじゃないか」

「ええ。僕の本当の父さんは、ふぅー、転送装置を開発した。そして自らを、実験台としたけど、近くに落ちた雷の影響で……はぁ、ふぅ……転送による再生時、一部の染色体に、不具合が生じた。ぷふぅ、それが体に、次々と脂肪を溜め込む、体質を生んだ」

 異常な発汗と気息でエルドナーブがバテてるあいだ、コトラブがゆっくりと間を埋めた。

「その父は、それと気付くまでに、一人の女性と一夜の契りを交わした。そこで孕んだ子が、父の異常染色体を受け継いだナイトラム、というわけだ」

 床を濡らしながらも、呼吸を少しだけ戻したエルドナーブが繋いだ。

「やがて僕の父さんは、見る見る増殖する、脂肪に埋もれるのを恐れ、転送装置を破壊し、自害した。ぷふぅ、その後この会社が、転送装置を回収し、父さんが記録していた、自身の観察記録から、異常染色体の効果を知り、ふぅー、母さんが僕を産む時、ここへ呼んだ。産声をあげた僕は、大量の脂肪で覆われた、醜い姿だった……はぁ、ふぅ……それを見た母さんは、錯乱し、ショックで亡くなった。そして僕は、異常染色体の、ふぅ、研究対象となった。だから僕を、ずっと監視していたんだ」

「素晴らしい。全てお見通しというわけだな」

 コトラブとエルドナーブのやりとりに、たまらずネイゴルが割って入った。

「ちょ、ちょっと待って! 転送装置が有意義なのは分かるけど、こんな単に太るだけの異常染色体が何の役に立つの?」

 それに対し、コトラブが嫌味たっぷりに答えた。

「お前の貧相な舌では分からないか。世界にはフォアグラという高級な食材があるのだ。それは言わば脂肪の塊。つまり容易に太らす方法があれば、そのフォアグラも容易に作れるというわけだ。先程ナイトラムも言っていたが、その異常染色体には成長を早める作用があり、出荷へのサイクルも短期間で済むことになる。正に一石二鳥だ。

 他にも、世界を探せば脂肪を求める人達が思いの外いると分かる。つまり太ることの価値も、多分にあるということだ」

 コトラブが、パソコンに向かって動き出した。

「さてと、ナイトラム。勝手に死なれても困るからな、あとで保護してやろう」

「あの犬のようにですか」

「ほう、それも知っていたのか」

「転送に失敗し、苦しむ姿のまま、研究材料にする、ふぅー、なんて非道だ。だから僕が、安楽死させてやりました」

「……どうやった?」

「空調システムを、操作すれば簡単です。ぷふぅ、システム化って、素晴らしいですね」

「くっ、生意気な。まあマズルが埋まってまともに喋れなくなるのも時間の問題だ。今のうちに言いたいことを言っておくんだな」

 パソコンのキーボードを打ち始めたコトラブ。しかし反応がないのか、何度も強くキーを叩いた。

「ナイトラム。まさか転送装置のデータを消したのか?」

「いえ。これですよこれ」

 エルドナーブは、指の脂肪に侵食されつつある爪でフロッピーディスクを持ち、コトラブに振って見せた。

「ぷふぅ、システムディスクを入れないと」

「それ以上おちょくると、いくら義理の息子とは言え容赦せんぞ」

「いっそ殺せばいいかと」

 コトラブは傷付いた片目で一睨し、怒り肩で彼に近付くとフロッピーディスクを奪おうとした。刹那、エルドナーブが彼を抱え、そのままポッドの中に倒れ込んで叫んだ。

「今だ!」

 ネイゴルはパソコンに向かって走り、特定のキーを同時に押した。ディスプレイが反応し、彼女がエンターキーを押すと、二人がいるポッドから発光と轟音が始まった。

「は、離せ! 私は育ての親だぞ!」

「ぷふぅ、そうですね、五年間ありがとう。あなたの助言通り、ふぅ、僕は自由を、自らの手で掴——」

 不意に辺りが静まり返り、二人はポッドから消えていた。ネイゴルは反対側のポッドに駆け寄り扉を開けた。煙が立ち上り、奥からドタンと何かが倒れて来た。

「ふぐ、ふぐうぅ……」

 僅かにだが片目に傷が見え、コトラブだと分かった。だが全身が醜く肥大し、動けないでいた

「エル?」ネイゴルがポッド内に呼びかけた。

「ここだよ、ネイ」

 煙が薄くなっていくと、肉の塊の向こうに、彼女が良く知っているエルドナーブの姿が現れた。

「あぁ良かった、成功したのね!」

「ネイのおかげだよ」

「何言ってるの、これを完成させたのはあんたじゃない」

「確かに。けどこれは、壊れたままにしておくべきだ」

「そうね」

 エルドナーブは彼女の肩を借りてゆっくり立ち上がると、パソコンに向かい、キーボードで何かを入力した。最後にエンターキーを強く押すと、彼は晴れ晴れしい顔つきになった。

「これで僕は自由だ」

「やったじゃない」

「うん。けど、これからどうしよう。産まれてから僕、この会社を出たことがないんだ」

「そうらしいわね。ならエル、一緒に暮らすなんてどう? あたし、築港にある自分の船が家なの。良ければそのまま海を旅することもできるわ」

「本当? 実は一度、海の上で暮らしてみたかったんだ」

「決まりね。じゃあ早速家に行って祝杯をあげましょ。何か食べたいものはある?」

「フォアグラ以外なら。それと、ネイの家で夜遊びしてくれるって約束があったけど」

「当然じゃない」

 二人は嬉しそうにここを、そして会社を去って行った。

「ぐぬぬぅ……ナイトラム……ナイトラムゥー!」

 部屋に取り残されたコトラブ。彼は時間——それも分単位で追うごとに、体が膨らみ続けていた。やがて研究員に発見された時、彼の体はどこからも外へは出せないほど太っていた。そして彼は、しきりに何かを叫び続けていたという。

 

 

  世界にどれだけその病人がいるのかって?

  今のところ、僕一人だけなんだってさ

 

 

 大きなお腹。だがそこにあるのは脂肪ではない。生命が宿っているのだ。

「もうすぐかな?」

「そ、そうね……んあぁ!」

 仰向けのネイゴルは苦悶に顔を歪め、尻尾をバタバタさせた。

「あぁ、きっとこれ、凄い難産ね」

「大丈夫落ち着いて。ほら、海の景色でも見て」

「どこも水平線んぅぅ! はぁ、ふぅ、じゃないぃー!」

 その喚きがタイミング良く力みと繋がり、何かが顔を出し始めた。

「これは尻尾……じゃなくてお尻かな」

「ふぅー! じゃ、じゃあ、もうちょっとなのね」

「うん、頑張って!」

 必死に気張るネイゴルを、彼は声でサポートするしかなかった。

「きたきたきた! あと少し、もう、ついに、ついに産まれるよ!」

 興奮してきた彼の後押しもあり、ネイゴルは最後の息みを見せた。

「ふんぅ……ぅぐうぅあぁー!」

 何かを出し切った感触があり、彼女はだらりと尻尾を垂らした。激しい息遣いの中、ふと産声が聞こえ、彼女の表情は和らいだ。

「はぁ、ふぅ、ど、どう?」

 しかしエルドナーブからの反応はない。

「ちょ、ちょっとエル、どうなのよ。はぁ、あたしにも、見せてよ」

 エルドナーブは、静かに何かを持ち上げ彼女に見せた。そこには大きくて丸い赤子のドラゴンの姿——突起部の大半が脂肪で埋もれた、エルドナーブの過去の姿があった。

 

 

    完


back
- Website Navigator 3.00 by FukuraCAM -