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  著者  :fim-Delta

 作成日 :2008/09/30

第一完成日:2009/01/03

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 異変は、前々から起きていた。しかし自分の中では、それに対する憂いと、そしてデブ専魂が相俟(=あいま)って、優柔不断状態に陥っていた。結果、妻のムン・スラことナンムスは、自分が想像していたものよりも大きく、また醜い体へと変貌を遂げてしまった。

 今彼女は、新たに増え、およそ七十五人前となった強制的食事をしていた。自分もそれに手を付け、およそ十人前の料理をまずは平らげると、最重量力士並みの体が更に膨れた。肉垂れする全身、そして胃の膨満による巨大なボール状のお腹は、完全に沖巨頭(=おきごんどう)の体ではなくなり、しかしながらそれでも、彼女には到底及ばなかった。それは元々もそうであったが、今では更に大差を付けられていた。

 あの頃が懐かしい、自分は思った。寝たきりの彼女は、テーブルから皿を取り、そのままの体勢で食事をする。しかしながら不慣れだった彼女は、そこで食べ物をぼろぼろ零してしまう。それを自分が優しく拭き取ると、彼女は優しく微笑んでくれたものだ。しかしながら今は、たったの三ヶ月間という期間で、彼女の笑顔は苦しみに奪われてしまった。

「ナンムス?」

「てぐ、ろす――ぐふぅ」

「止めろ、幾ら何でも無理し過ぎだぞ」

「はぁ、はぁ、違うの……もっと、もっと食べたいの」

 ナンムスは今や、部屋の一角をも占領する程に大きく肥え、そこを歩く際は彼女の体を踏まなくてはならなくなっていた。そしてその腹は、気球のように大きく膨らんでおり、全ては食べ物を詰め込んだことによって成した形状だった。そんな、非常に重い体とその腹の重圧に、彼女はずっと息を切らし、そしてずっと料理を食べていた。

「ナンムス、それ以上食べるな。そしたら本当に――」

「嫌よ! 私、お腹が減って、もうしょうがないのよ!」

 自分は打ちのめされたかのように、その巨体を重々しく椅子の背凭れに掛けた。なんだって? こんな体でも、腹が減ってしょうがないのか!? 寧ろ、限界を通り越して破裂しそうじゃないか。しかも苦しがってるっていうのに。ナンムスの体は、もはや重圧と空腹に苛まれるというのか? 普通の生きものなら、明らかに矛盾していることだ!

 ……そういえば、前の五十人前の料理を二人で食べていた時、彼女はそれでも足りず、追加を頼んでいた。今考えれば、こうなることは予想出来たかも知れない。だが、しかし、でも、こんな風になるなんて……

「テグロス、お願い。追加を頼まして」

「駄目だナンムス、それ以上食べたら君は、死んでしまうかもしれない」

「いや、もっと食べるの!」

「ナンムス! 幾ら君が太るのが好きだからって、自分が太った生きものが好みだからって、こればかしは譲れないぞ!」

 するとナンムスは、その巨大に膨れた体をじたばたさせた。何処からその生きもの離れした動きが出来るのかは分からない、だが彼女が空腹に飢え、苦しんでいるのは明らかだった――いや、単にこれは、食欲に支配されてしまったのか。

「お、落ち着けナンムス――」

「テグロス、お願い!」

 もはや恐怖を覚える程の状況に、自分は仕方なく、エムボディアで料理の追加を頼んだ。するとすぐに新たな料理がやって来て、自分は彼女に、すぐさま十キロの肉片を手渡した。すると彼女は、それを意地汚くがつがつと頬張り、脂たっぷりのその肉から溢れた脂が、彼女の口の周りにたっぷりと付き、床に垂れる脇腹の方にそのまま流れた。

 ちょっと前までは、肉塊のように太って可愛かった彼女が、現在は完全に(=おぞ)ましかった。これはまずいと、とうとう自分はエムボディアの内線から、彼女にばれないよう声を潜め、執事であるマヌナンスに助けを求めた。

 しかし、この事態を打破出来るわけがなかった。何せ彼女の体は、部屋から出られない程にでぶでぶと太り、また食事を止めた途端、空腹による禁断症状が発生してしまうからだ。

 

 部屋で、ナンムスの止まらぬ食事を見ていた自分は、突如エムボディアから通信を受けた。

「マヌナンス、どうした?」

「テグロス様、上方からの命令で、今すぐナンムス様を助けるそうです」

「良かった、ありがとう。でもどうやって助けるんだ?」

「それは……それは、わたくしには分かりません」

「そうか」

 するとその時、部屋に誰かが入って来た。ムン・スラ達だ。全員あのマヌナンスとは違って、非常に痩躯だ。

「テグロス君、ここは下がってくれ」

「あ、あなた達は?」

「君の助けを聞いて来たんだ。今からナンムスを、ここから連れ出してやる」

「連れ出すって、彼女は見ての通りこんな体――」

「安心しろ。私達の部下が君が動くのを手助けするから、早く部屋から出るんだ」

 仕方なく自分は、三人の部下に支えられながらその巨体を立たせ、のっそのっそと部屋の外へ向かった。ナンムスの柔らかい脂肪が床を埋めているので、毎度歩くのに苦労させられるのだが、部下達のおかげで、息切れもそこそこに部屋から出れた。

 刹那、扉が閉められ、鍵がかけられた。自分は慌てて言った。

「な、何をするんだ? 態々鍵を掛ける必要はないだろ?」

 するとそれに、部下の一人が答えた。

「ナンムスは、あなたとは違うのです」

「どういう意味だ?」

「あなたは、肥育されるために太らされ、そのための特殊な薬も打たれてる。しかしナンムスは違う。確かに彼女は太るのが好きだ、しかし延命措置などは一切されていないんだ」

「――! そ、それって、まさか――」

 その時だ。物凄い轟音と共に、砂埃が混じった物が部屋から漏れ始めた。自分は咄嗟(=とっさ)に、目の前の扉を開けようとした。しかし鍵がかかっているので、自分は全体重をかけて扉を引くと、あっけなく鍵が吹っ飛び、それは開いた。

 その瞬間、自分は目先の光景に言葉を失った。なんと、部屋が無くなっていたのだ! そこにあるのは、部屋だけが抜き取られた姿で、家周りの植林が見えた。

「こ、これは……」

「この家は、箇所ごとに分岐出来るシステムになっています。今回はナンムスに限界が生じたため、彼女だけをこの場から離したのです。でも安心してください、すぐに部屋が戻ります」

「戻るって、だがナンムスは!?」

「ああなっては、もはや助けようもないでしょう。元々ムン・スラは、肥満に関して縁が無いんです。故に、肥満に関する対策や処置には疎く、善処出来兼ねます」

「た……助けようも、ない、だって?」

「はい。でも心配しないで下さい。お望みでしたら、また別のムン・スラを呼びますんで――」

「ふざけるなぁ!」

 自分の自律神経は、無茶苦茶に乱れていた。何故かは分からないが、無性に目の前の部下を殴り飛ばしたくなり、腕を振り上げ相手に挑んだ。しかし接近すると、腕よりも先に突き出た腹が当たり、相手はそれで軽く突き飛ばされた。だが部下と自分との体重差は、軽く十何倍にも達しており、おかげで相手はそれなりに吹っ飛んで、それを周りが緊急事態と判断したのか、自分はやって来た計十人の部下達によって、壁に押さえつけられてしまった。

 そして、電気ショックと突然に浴びせられ、自分はすっと意識を失った。

 

 

 

 ふと自分は目を覚ました。どうやら自室のベッドで寝ているようで、反射的にばっと上体を起こそうとしたが、膨らんだお腹が邪魔になって出来なかった。それで、自分は体を横にしてから起き上がった。そして、エムボディアを使い、真っ先にナンムスとの回線を繋ごうとした。しかしながら、目に映る半透明の画面には、「その番号は登録されていません」と表示され、通信が切断されてしまった。そこで自分は、改めてナンムスがいないことを理解した。

 暫くの間、自分はそのまま呆然と座り尽くした。すると徐々に、蟠りが心の底から込み上げて来て、知らぬ内に自分は、貧乏揺すりをしていた。この気持ちをどうにかしたい、しかし寛恕(=かんじょ)することは到底出来ず、だが(=とが)める相手も分からず、自分の不満は益々募った。

 その時、突如腹の虫が「ぐぅー」と鳴り、空腹という感情が新たに降り掛かった。自分は仕方なく、エムボディアから執事に頼んで、食事を持って来て貰うことにした。

 

 やがて、やって来た沢山の料理に、自分は目を光らせた――いや、正確には、自然と光ったのだ。自分の本心がどのような思いでいるのかは分からない、しかしそこにあるものが、自分にとって非常に有意義な物であると、自身の心が訴えているのだ。たまらず自分は、それに手を付けて見た。すると、空腹という感覚と同時に、心にあった痼りまでもが削がれ、少しだけ気持ちが晴れやかになった。

 それから自分は、大量の料理を次々と貪って行った。空腹を含めた、全ての不満要素がこれによって薄らぎ、ストレスという存在から少しでも逃れたい自分は、無我夢中で食事を続けた。食べれば食べる程、あの悲しみも遠い物へとなったからだ。

 

 

 

「テグロスの様子はどうだ?」

「いやはや目を(=みは)るものがありますね。やはりショックによる過食症は、異性との関係性も大きいようですね」

「なるほど、な……私がここまで太ったのも、正直それだったな。昔はな、こう見えてハンサムだったんだぞ? しかし一回彼女に振られただけで自棄食い――今となっちゃあ馬鹿な話だよ」

 そう言って謎の人物は、身じろぎをした。すると床一面が波打ち、その上にいたムン・スラは、体が綺麗な真ん丸だったので、思わず転がりそうになった。

「おっと――と……それじゃあ、あなたはそれで、ここまで太ったんですか?」

「まあな。私は億万長者の家で育ち、食べたい物は食べられるだけ食べた。父親も太り過ぎで、最終的には動けなくなる程肥えてた。だから私は、彼女と別れたあと、純粋に食に溺れることが出来た。その内身動きも出来ず、父親が亡くなったあとは、召使達に全てを手伝って貰った。しかしそれも限界があった。何も出来ない自分を恨み、自殺しようともした。だが自分の醜い肥満体は、自らの命を(=)つことさえ出来ず、その体の憎しみだけが倍増し、それを紛らわそうと食欲までもが倍増した。

 そんな時、ここのムン・スラに招待されたのさ。太ることを条件にな。その時、私は至極嬉しかった。ただ太ることしか出来ない私に、唯一出来るものが現れたんだからな。

 それから私は、ここで食べることに満悦感を覚え、どんどんと太ったのさ。今でもこの体は膨張し、それを犇々(=ひしひし)と感じる度、最高の気分になれるよ」

「そう、だったんですか……そういえば先程、あなたは『招待された』と言いましたが、まさかアースリングの方で?」

「そうだが、そうは見えないか?」

「何せあなたの姿、正確には見えない(=・・・・)ですから」

「ははは、確かにそうだな。こんな体になっては、どんな生きものにも見えないな」

「そういえば、あなたは一体どうやって喋ってるんです?」

「エムボディアの機能を知ってるだろ?」

「でも、通信では言葉を発しないと――」

「何を言っている。エムボディアは、脳内に埋め込まれているんだぞ?」

 真ん丸のムン・スラは理解した。なるほど、一種のテレパシー的なことかと。

「そう、ですよね。えっと、あともう一つ質問があります。あなたはどうやって食事をしてるんですか?」

「簡単なことだ。近くにホースが見えるだろ?」

 見ると、ある一ヶ所に、直径三十センチ程の管が見えた。それはまるで、床に飲み込まれたかのように沈んでいた。

「まさかあの管が、あなたの食事方法で?」

「そうだ。もう最終段階で、一日百キロは硬いな」

「なるほど、だからこの部屋はここまで広いんですね。……あれ、管の両脇に出っ張りがありますね?」

「ああそれか。それは私の手だ、今動かしてみるぞ」

 すると、床から垂直に生えた肉玉――僅かながらに指の名残りが見える――がぶよりと動いた。

「もう直接には動かせないが、肉付いた脂肪ぐらいなら動かせる。どうだ、動いただろ?」

「は、はい。しかしまた、何故このような形に?」

「太った人は、段々と腕が脇腹に押され、上へと上がって行くのは分かるな?」

「それはもう見ての通り――って、見えないんでしたっけ。実は私の体、真ん丸と太ってるんです。ムン・スラの特別な種族の形状ですね。なので一般のムン・スラとは違って、脇腹に腕を載せてるんです」

「なら話は早い。もっと太れば、その内腕は水平に近くなるだろ? そして更に太ると、腕はどんどんと上がり続けるんだ」

「……まさか、垂直になると?」

「正確にはほぼ(=・・)垂直だ。顔があるし、頬や首、首周りの肉も肥大化するから、途中で突っ掛かるんだ。それに腕自体も太くなるしな」

「あーなるほど、そういうことなんですね。あなたの顔が体に埋もれても、腕は上にと上がって頭より高くなり、だからそれだけは見えるんですね」

「その通りだ」

 ここで、ムン・スラの話し相手が一拍置き、言葉を続けた。

「さてと、新人君。そろそろ食事をくれないか、私は腹が減って来た。それと今は百キロ分食べてるんだが、正直物足りなくて、一五〇キロに設定して欲しいんだが」

「あなたが太る使命を背負わされているのなら、勿論そうしましょう。それに見たところ、それでも足りないように見えますからね」

 するとその時、床から「ごぶがばげぶ」といった、非常に気味の悪い音が流れた。どうやら床が微震したことから、相手が笑ったようだ。

 それから、真ん丸のムン・スラは、柔らかい肉の床に足を取られないよう、注意しながら出口へと向かった。そして謎の部屋を出ると、彼はガラス越しに先程の部屋を見つめ、蠢く床を眺めながらこう漏らした。

「こういう時、アースリングは確か、超ドレッドノート級を略した、超弩級(=どきゅう)って言葉を使うんだよな。これは比喩だと聞いたが、寧ろ彼こそドレッドノートに相応しいのでは?」

 肉に覆われたその部屋は、着実にその空間を狭め続けている。

 

 

 

    ルヘンゲ 完


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