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 翌朝。午前八時の知らせ(もう一週間同じ内容で、サドンデスを続きをする、大食堂に集まれというもの)とともに、勝利を確信しながら楽な気持ちで大食堂に向かった。

「げっぷ……ふう、うまかったなあ」と川獺

「そうねえ」と鮫。

 僕は、二人の様子を見て驚いた。なんと、二人のお腹が、満腹という満腹に、まるまると膨れていたのだ。

「ちょ――ちょっと、どうしたの二人とも!?」

「どうしたって? 別に普通にしてるだけさ」

「これから試合だっていうのに、どうしてそんなにお腹が膨れてるの?」

「ああ、これね」と鮫が、お腹をぽんぽんと叩きながら、心地よさそうに答えた。

「実はね、相手チームが昨日、ギブアップを宣言したのよ。それで今朝は、勝利の証として二人で飯を食ってたんだ――お前もどうだ?」

 テーブルに並べられた料理の一皿を、僕に手渡してくる川獺。

 僕は、何か危機を感じ取っていた。ギブアップ――そんなこと、普通するだろうか? ここまで来て。

 しばらくして、大食堂の扉がばたりと開け放たれた。僕はさっと、後ろを振り返った。

 するとそこには、笑みを浮かべる三人の姿――兎、蛙、そして鷹――そう、ギブアップしたはずの、相手チームだったのだ。

「ん? なんでお前らが、ここにいるんだ?」と川獺。

「なんでって、試合をやりにきたのよ」と兎。その意味が飲み込めず、川獺は首をかしげた。そして鮫も。

 僕は、あっけにとられてしまった。向こうが騙したこともそうだが、この一兆円という大金をかけたゲームとこの状況に、一切なにも感づかない僕のグループに、驚かされたのだ。

「だ、騙したの!?」

 僕は自ら口を開いてたずねた。すると蛙が、片方の口端を持ち上げていった。

「わたくしたちは、一兆円を手にするためにここにいます。予め言っておきますが、ルールでは、力を振りかざして強制してはならないと言いました。だからこれは、ルール違反ではないのです」

 ここでようやく、鮫が現状を理解した。まだ川獺は、相手の言葉を咀嚼していた。

「な、なんて卑怯なの!」

「これもゲームなのです。ルール範囲内であれば、どんな手でも使いますよ」

 その時でした。大食堂の東西の扉が開かれ、そこから、昨日の倍近くはありそうな、大量の料理が出て来た。正直なところ、百人前分ぐらいあるのではないかというぐらいだ。

 もし、昨日までの状態なら、川獺や鮫が八割がたを食べ、僕が二割を食べるで問題はなかったはず――しかし今、腹いっぱいにまで食べてしまった二人には、八割など、しかも量が増えたこの料理には、不可能かもしれない。

 そしてようやく、川獺も現状を理解した。

「――! そうか、そういうことか! 畜生、なんだって俺は、あんな単純な罠に……」

 ここで、普段は口数の少ない相手グループの鷹が、ハキハキと言った。

「同点試合が終わっても、油断しちゃだめってこと。おいらたちだって、一兆円がほしいんですから」

「くっ――!」

 川獺は、満腹で更に重くなった体を、テーブルばんと叩いて勢い良くたたせると、鷹に挑もうと相手の顔を睨んだ。

「おっと、力で捻じ伏せるのは失格ですよ?」

「そんなこと――」

 すると鮫が、慌てて彼の腕を取って、宥めた。

「あいつの言う通りよ。確かにやつらには騙されたけど、もしここであんたが暴力なんか振るった時には、あたしたち失格なのよ?」

 鮫の顔を見て、もう一度鷹の顔を見た川獺。相手の薄笑いに顔をゆがめますが、鮫の言葉をしっかりと頭の中で理解して、どすんと椅子に腰を下ろした。

 そして、再び大食堂の両脇から、昨日よりもさらに増えた料理を載せたワゴンカーがやってきて、ゲームが始まった。

「く、くそう……なかなか腹に入らねえな」と川獺。

「だ、大丈夫よ。いつものように、時間をかければ……」

 だが、大食いが終わったと、たらふく食べた腹に、ワゴンにのった百人前あるかも知れない量を詰め込むのは、精神的にも参るものであった。僕も、なんとか努力はしたが、すぐに腹いっぱいになってしまった――まだ一割も食べていない。

 それに比べて向こうはと言うと、決して僕のグループを騙したとはいえ、食べる量は変わらないので苦しそうだった。特に蛙が、一週間という連戦に末にできあがった腹そのものに、行動が抑制されて辛そうだった。

 このままだと、逆サドンデスになりかねない。そうなるとどうなってしまうのか……再びサドンデスか、それとも両者失格か。

 どちらにせよ、ここで勝利しなければ地獄が待ち受けているのは確か。どうにかして、本日中に決着をつけなければならない。相手グループは、恐らくこの量を平らげないだろうから、僕と川獺と鮫で、ワゴンの料理を全て平らげるしかない。

 そんなことを頭で考えながら胃を休めた僕は、再び料理に手を付け始めた。

 やがて、昼になった。試合開始からおよそ四時間。残りは十一時間半で、大体四分の一の時間が流れたわけだ。しかし僕のグループのワゴンにのった料理は、その数以上であった。

 このままではまずい、完食ができない……

 だからそんなことを思っていると、意外な出来事が起きた。

「……なんだか、まだ食えそうだな」と、川獺が言った言葉から、それは始まった。

「本当。なんていうのかしら、限界を超えたあとにやってくる、苦しさを忘れる麻痺の感覚見たいね」

「ああ、なんていうか『イーターズ・ハイ』ってやつか?」

「いーたーず? ……ああ食う者を意味する単語の複数系ね。そういえばこういうのって、何とかハイって良く言われるわよね」

「そうそう。だからさ、正直……俺、気持ちよくなってきちまった」

 僕はその言葉に驚いた。こんな腹がはちきれてしまいそうな痛みを快感に感じているのか? そんなMっけなど、この川獺からは想像もできなかったが。

 しかしそういうことではなさそうだ、と僕は思った。なぜなら――

「確かに。私もなんか、段々楽になって、心地が良いのね。このさ、ぱんぱんに膨れたお腹なんか」と鮫は、大きく迫りだしたぱつんぱつんのお腹を、やさしく摩ったのだ。これは本当に、イーターズ・ハイなんという新語中の新語なのだろうか?

「ねえ、あんたも感じない?」

 鮫の質問に、僕は思わず彼女の顔を見つめた。僕の表情はすでにゆがんでいたので、それを見た彼女は、僕が首を横に振らずともその答えを理解した。

「やっぱり、私たち、おかしくなっちゃったのかしら?」

 そういいながら鮫は、自然と料理皿に手を出し、そしてそこからあいた取り皿に、ピザを丸々一枚移した。

「さあ。けど、これはいいチャンスかも知れない。この好機を利用して、どんどん食っていこうぜ」そういって川獺も、同じくピザを丸々一枚、自分の手元に寄せた。

 僕は、ピザを一欠片だけ、自分の皿に移した。

 もしこれが一つの物語であるのなら、思いもかけないほどの大どんでん返し。読者の気力も、百八十度回転した展開に落ちてしまうかも知れない。だが、それが事実なのだ。

「どうやら、優勝は、西グループということですね」と、中央ステージに立つ紳士の猫が発言した。東グループのワゴンには、まだ五~十人前ほどの料理がもられていた。それすら並みの量ではないのに、もともとはその十倍近くもあったというから驚きだ。

 僕は、妊婦のようにはったお腹を摩りながら、猫の言葉に耳を傾けた。

「東グループのみなさま、残念です。あなた方三人は、失格となりました」

「ま、まさか、殺されたりは、しないわよね?」と相手ぐるーぷのウサギが、おそるおそる尋ねた。

「もちろんです。前に述べましたが、失格者は全員、元の世界に戻されるのです」

 その言葉を、もう誰も突っ込まず――もしくは過去に突っ込んだ川獺に余裕がなかったのか――そのまま大食いのゲームは、終わりとなった。

「それでは、長い戦いご苦労さまでした。今日は一日、東グループも、のんびりと休んでください。東グループのお三方は、明朝に帰りの便を手配しておきます」

 そして猫は、いつもどおり昇降機で、中央ステージから深部へと消えていった。

 相手グループは、全員肩をがっくしと落とし、中にはまだ猫の言葉が信じられないのか、やはり一兆円という大金がかかっているからか、これから何が起こるのかをやや恐れながら、おずおずとこの場をさっていった。大食堂に残ったのは、僕たち西グループと、そして相手が残した料理。

 すると、川獺が、相手のワゴンを見つめながら、目を飛び出すようなことを言い放った。

「……あれ、食えるかな?」

「えっ!? ちょ、ちょっと、まだ食べる気なの?」と思わず僕は口を開いた。

「いや、なんかさ、もったいないだろ? だから食ってやろうかなぁって」

 僕は呆れて、首をよこに振った。このままじゃ、本当に一兆円を手にしても、顛末は肉の塊じゃないか。

 だがやはり、ここで鮫も、やや同情気味に、こう口を開いた。

「たしかにそうね……でも本当は、ただ食べたいだけじゃない? 実は私も、もうちょっと食べたいなと思ってたのよ」

 しかしながらそういう鮫の腹は、腹部の白い部分だけが、以前の蛙のように膨れており、彼女自身の行動を阻害する形にまで進化していた。

「へへ、ばれちったか。でもお前と俺とでは、どうやら気が合いそうだな」

「そうね。……それで、あんたはさすがに、食べないわよね?」

 僕に目を向ける鮫。もちろん僕は首を横に振った。

 それから僕は、二人が大食堂で、残りの料理をばぐばぐと貪るのを尻目に、静かにこの大食堂を去った。そして、いろんな意味で今日はもう何も考えたくはなかったので、そのまま自室に戻ると、満腹とそれによる疲労で、ぐっすりと床に就いた。

 翌日。僕たちは、自分達の部屋で、ある重要なことを思い出すことになる。それは、猫が、一兆円を手にするのは二人だと述べていたということだ。

 つまり、一週間と言う長い大食い対決を制した僕たちは、相手グループもいなくなったことで、やや完結意識をもっていた。だがそれは違うのだと、目覚めの良い翌朝に訪れた一枚の紙で、現状に引き戻されたのだ。


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