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夢ノート ~ぼくのものがたり~

 作者:Fimdelta

 

作成日:2007/ 3/26

完成日:2007/ 3/27

修正日:2007/ 3/27

 

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これは何だろう? ―― これなんだろう?

  絵本か?   ――   えほん?

 

……だけどこれ、なにもかいてないよ?

 

 

 

「おかあさ~ん! これなぁに?」

「え? これは……何なのかしらねぇ?」

「でもみて! ここに、どらごんさんのえがあるよ」

「あら、本当だわ。絵本なのかしら?」

「でもね、おかあさん。これ、なにもかいてないの!」

「じゃあこれは、きっと絵本じゃなくてノートね」

「のーと?」

「そう。自分が書きたいものを書くものよ」

「え!? じゃあ、ぼくのつくったものがたりも、かいていいの?」

「もちろんよ。コウの書きたいものを書けばいいのよ」

「やったー! ねぇ、いますぐかいていい?」

「いいわよ。ただし、夕ご飯の前には終わらせるのよ。いい?」

「うん!」

コウは、急いで自分の部屋に向かって、中に入った。

「なにかこうかなぁ?」

自分の部屋の小さな机にノートを広げ、コウは一本の鉛筆を手に取った。

 

  あるひ、どらごんさんがいました

  どらごんさんは、とてもおおきくて、げんきなどらごんさんです

  いつもまちをあるいたり、みんなにこえをかけたりして、とてもげんきです

  げんきのしょうこに、どらごんさんはいつも、えがおをしています

  みんなは、それをみて、にっこりえがおをまたかえします

  みんなみんな、しあわせでした

 

「……おわっちゃった……」

コウは考えた。もっと長くて楽しいものが書けないだろうか、と。

だが書くものが一向に思い浮かばず、仕方が無くそのノートに、漢字の練習書き始めた。

コウはまだ幼いので、漢字は書けない。だが好奇心旺盛なコウは、漢字がとても気になっていた。

だから母親に聞いて、いくつか漢字を教えてもらったのだ。

 

  一、二、三、四、五、六、七、八、九、十……大、小、太、細、日、月……元、空、町、水、気、地、光……

 

コウは、自分自身が知っている漢字を、出来る限り頑張って書き連ねていった。

その時、「コウ? 夕ご飯出来たわよ!」という母親の声が飛んで来た。

「わかったー! いまいく!」

コウは鉛筆とノートを置き、リビングへと向かった。

その後夕食を食べ終えたコウは、自分の部屋へと戻って来た。

その時には、お腹が一杯で今にも眠りそうな目付きをしていた。

コウは部屋に着くなり、自分のベッドに潜り込み、眠りに入った。

ノートは、広がったままだった。

 

コウは夢を見た。とても幸せな夢だった。

ドラゴンが町を歩いている――とても大きなドラゴンだ!

ドラゴンは、通りすがる者達に「おはよう」の挨拶をしていた。とても明るい笑顔だ。

挨拶をもらった者達は皆、それのお返しにと最高の笑みと挨拶を返した。

とても幸せそうだ。皆、不安や恐怖など一切無く、平和そのものに見えた。

 

 

 

ふと、コウは目を覚ました。

「う……ん……」

「コウ! 早く起きなさい!」

「……うん……」

コウは体を起こし、丸めた両手で目をこすった。

しばらくぼーっとした後、コウはベッドから降り、声を発する母親の元へと向かって行った。

そして朝食を食べ終え、しばらくしてから幼稚園の迎えのバスがやって来た。

「今日もちゃんと、先生の言うことを聞くのよ?」

「うん!」

コウは家を出て、送迎バスに乗り込んだ。

「せんせい! おはようございます!」

「おはよう、コウ君。今日も元気が良いですね?」

「うん! きょうはね、とてもしあわせなゆめをみたの!」

「そう、それは面白そうね。良かったら後で、先生に聞かせてくれない?」

「いいよ!」

コウは急いで空席に着席し、それを見計らい、運転手がバスが発車させた。隣には、先ほどの先生が座っていた。

コウは、バスが幼稚園に着くまで、今日見た夢を彼なりに自由に拡張させながら先生に語った。その顔には、満面笑みがあった。

幼稚園に着くと、コウはいつも通りの幼稚園での時間を過ごした。

友達と遊んだり、先生の絵本話を聞いたり、給食を食べたり……ごく一般的な、幼稚園での過ごし方だった。

そして幼稚園が終わると、コウはバスで自宅に送られた。

コウはその間、今日の楽しい出来事を書き留めようと、ずっとノートに書く物語を思い描いていた。

今までコウは、口では自分の物語を語ってはいたものの、実際に書いたことは無かったのだ。

だけど昨日、”ノート”というものを発見してから、コウは物語の創作意欲を掻き立てられたのだ。

今日は、絶対長くて楽しい物語を書いてやるんだ、と言わんばかりに、コウは沈思黙考した。

 

 

 

自宅に着くと、「ただいま」の挨拶の後すぐに手洗いとうがいを済まし、自分の部屋と駆け込んで行った。

そして机の上に置いてあったノートを広げ、バスの中で思い描いた物語を書き連ねていった。

 

  あるひ、とてもおおきなどらごんさんがいました

  どらごんさんは、まちのなかをあるいて、えがおでこえをかけています

  ぼくは、そんなどらごんさんがすきです

  だけどぼくは、どらごんさんにこえをかけるゆうきがないです

  ぼくは、いつものようちえんのように、いっしょにあそんだり、きゅうしょくをたべたりしたいです

  だけどぼくは、ゆうきがないです

  そんなとき、どらごんさんがこっちをみました

  「おはよう!」

  ぼくはうれしかったです

  だからぼくは、どらごんさんに、いっしょにあそぼうよといいました

  するとどらごんさんは、にっこりとほほえんで、いいよといってくれました

  ぼくは、どらごんさんとあそびました

  どらごんさんは、ほんとうにおおきいです

  だからぼくは、どらごんさんのせなかをすべりました

  それと、どらごんさんがぼくをかかえて、そらをとんでくれました

  ぼくも、ようやくどらごんさんとともだちになれて、とてもうれしかったです

  きょうは、とてもしあわせだったよ!

 

「コウ? 夕ご飯出来たわよ!」

「はーい!」

コウは、完成した物語を見て、満面の笑みで夕ご飯へと向かった。

そして夕ご飯を食べ終えると、すぐに部屋へと戻り、ベッドに潜り込んだ。

「きょうも、しあわせなゆめがみれますように……」

コウは、深い眠りに就いた。

 

夢を見た。コウはまた夢を見た。あの大きなドラゴンが出る夢を見たのだ。

コウは、遠くから大きなドラゴンの背を見つめていた。

ドラゴンは、頭に大きな角を二本生やし、背中から大きな羽が生えていた。

そのドラゴンは、周りにいる者達に声をかけたり、かけられたりしていた。

コウは、そのドラゴンに声をかけようとした。だが、緊張のあまり声が出なかった。

いや、緊張のせいじゃないのかもしれない、何かに縛られていたのかも知れない。

コウは仕方が無く、ただドラゴンの背を見つめていた。

その時、ドラゴンが後ろを振り返った。そしてコウを見つめる。

「おはよう!」

「あ、お、おはようございます!」

「はは、そんなに緊張しなくても良いよ。坊やは、ここは初めて?」

「うん!」

「そうか、まだまだ分からないことがあるのかも知れないけど、がんばってね」

ドラゴンは、再び元の向きへと戻ろうとした。

だが一瞬躊躇った。何か、コウの発言を待つかのように。

すると、コウの喉に詰まっていた何かが抜け、言葉が自由に出てくるようになった。

「あ、あの!」

「うん? なんだい?」

「そ、その……ぼくと、いっしょにあそんで!」

「坊やとかい? もちろんいいよ!」

「やったー!」

「それじゃあ何して遊ぶ?」

「え? えっと……」

「……良かったら、僕が取って置きの場所に案内するけど、どう?」

「えっ?! うん、おねがい!」

するとドラゴンは、コウを腕に抱え、ジャンプした。そしてそのまま、上空へと舞い上がった。

高さが何十、何百メートルとなり、下方に映る家々や町はあっという間に小さくなった。それは、とてもスリリングな光景だった。

「ねえ? どこにいくの?」

「それは秘密」

「えー? つまんなーい!」

「だーめ。だけど、着いたらきっとつまんなくないよ、面白いよ!」

しばらく上空を飛んでいたドラゴンだったが、突如急行落下を始めた。

「うわーー!」

「はは、楽しいだろう?」

「こ、こわいよぉ……うぅ……」

「ああ! ご、ごめん……泣かすつもりは無かったんだよ……」

ドラゴンは速度を緩め、ゆっくりと下降し、地面へと着地した。

「うぅ、えぐ……」

「ご、ごめんよ。遊びのつもりだったんだ」

「うぅ……あれがおもしろいものなの?」

「違うよ。ほら、あそこを見てごらん」

ドラゴンが指差す方向を、コウは眺めた。

そこには、先ほどいた町を前景に、綺麗な地平線が写っていた。

どこまでも続く地平線。まるで、終着点が無いように見えた。

そしてそれを全て多い尽くす美しい青空。雲が、虹が、それを一層際立たせていた。

その時、一つの風が吹き、音が鳴った――草や木々の葉っぱが擦れる音だ。

「……きれい……」

コウの涙は、すっかり止んでいた。

「でしょ? ここ、僕のお気に入りの場所なんだ」

コウとドラゴンは、しばらくそれを眺めていた。

どのくらいの時間が流れたのかは分からないが、突如ドラゴンは言った。

「じゃあ……何して遊ぶ?」

「えっ?」

「だって君が遊ぼうって言ったんじゃないか」

「うーん……ぼくね、おおきなどらごんさんのせなかで、すべってみたいの」

「そんなこと? はは、じゃあ滑って見るかい?」

「うん!」

ドラゴンはコウを持ち上げた。そして、角と角の間にコウを置いた。

「さあ、滑って良いよ!」

「わーい!」

両手を空に上げ、コウは勢いよくドラゴンの背中を滑って行った。

耳に「ごー」という風の流れる音を聞きながら、頭を降り、首を通り、羽と羽の間を通り抜け、最後のしっぽを滑り降りた。

だが地面に着いたとき、勢いのあまり前につんのめってこけてしまった。

「だ、大丈夫?」

「……うん。ちょっといたいけど……だけどたのしい!」

「そう! じゃあもう一回やる?」

「うん!」

そうしてコウは、再びドラゴンの背中を滑り降りた。

何回やったのかは分からないが、とにかくコウは、とても楽しくて、そして幸せだった。

しばらく遊んでいるうちに、滑り飽きたのか、コウはドラゴンにこう言った。

「ねぇねぇ、どらごんさんのなまえは、なんていうの?」

「僕? 僕はねぇ……」

そう言ってドラゴンは、地面に爪で漢字を書き始めた。

だが幼いコウにとって、書かれた漢字はチンプンカンプンだった。

「……これ、なんてよむの?」

「あ、そうか。ごめんごめん、君はまだ漢字が読めないんだっけ?」

「まだおかあさんから、おしえてもらってるところなんだ」

「そうかぁ。これはね、与夢竜(よむりゅう)って読むんだ」

「よむりゅう?」

「そう。夢を与える竜、って言う意味なんだよ――そのまんまだけどね」

「わぁ! なんかとてもいいなまえだね!」

「ありがとう! ちなみに僕を呼ぶ時は、ヨムって呼んでね」

「わかった! ヨム……さん? くん?」

「はは、呼び捨てで良いよ。ヨム、で十分さ」

「え? だけどそれじゃあ、おかあさんにおこられちゃう……」

「大丈夫! ここは君のお母さんがいる世界とは違うんだ。だから、安心して僕のことを”ヨム”って呼んでいいよ」

「本当?」

「本当さ!」

「じゃあ……ヨム!」

「うんうん、それで大丈夫! じゃあ、君の名前は?」

「ぼくはね……」

コウは、指で地面に自分の名前を書き始めた。自分の名前だけは、自身を持って書くことが出来た。

「水地 光(すいち こう)っていうの! コウってよんでね!」

「水地 光、コウ君か、いい名前だね!」

「ありがとう! ぼく、このなまえがだいすきなんだ!」

「へぇ~、どうしてだい?」

「だって、おかあさんがつけたなまえなんだもん!」

「そういうことを言うなんて偉いね! 君は良い大人になれるよ、きっと――」

 

「コウ! 早く起きなさい!」

「う……ん……?」

突然の母親の声で、コウは目を覚ました。

どうやらあれは夢だったようだ。だけど、どこか見たような夢だった。

刹那、コウは閃いた。慌てて昨日書いたノートの中身を確認した。

そこには、夢で見たこととそっくりな物語が書かれていた。

「――そうなんだね! これは、これはゆめノートなんだ!」

コウは嬉しくてしょうがなかった。まさか自分が書いた物語が、夢の中で実現するとは思いもしなかったからだ。

「コウ! まだ寝てるの?!」

「ううん! おきてるよ! いまいく!」

コウは急いで母親の元へと向かった。その後ろ姿は、明らかに気分が高揚していることが分かった。

コウは朝食を終え、送迎バスに乗りこんだ。コウは、早く家に帰って、新しい物語が書きたくてうずうずしていた。

 

 

 

幼稚園が終わって自宅に着くと、すぐさま自分の部屋へと向かった。

途中途中でちゃんと挨拶もし、手洗いうがいもキチンとした。いくら急いでも、ちゃんとやるべきことはやっていた。

それはコウが、この夢ノートは神様がくれたものなのだろうという勝手な解釈の元、良い子にしていようという心構えからだった。

部屋に着くと、コウはすぐに夢ノートを広げ、新たな物語を空想した。

「きょうは、がんばっておぼえた”かんじ”をつかおうっと!

きっとぼくが”かんじ”をかけば、おかあさんも、それにどらごんさんも、きっとほめてくれる!」

コウは、自分が覚えた漢字を駆使し、物語を書いていった。

「あるひ、とてもおおきなどらごんさんがいました。どらごんさんは、ぼくにあいさつをして、またあそんでくれます。そして――」

 

長い長い時が流れた。今度の物語は、今までの中で最も長い物語になった。

そのあまりの長さに、物語を書き終えた頃は既に夕食時だった。

いつも通り母親に夕食の合図を送られ、コウは夕食を食べに向かった。

そして、夕食を食べ終え眠気が襲ってくると、コウはいつものようにベッドに潜り込んだ。

コウは三回目の夢をワクワクしながら待った。余りに興奮していたため、いつものように早くは眠れなかった。

だがしばらくして、コウはようやくいつもの眠りに入った。

そして、三回目の夢が始まった。

 

目の前が暗かった。何も見えなかった。

「あ、あれ?」

コウは焦った。いつもなら、目の前に町が見えて、ドラゴンの与夢竜、ヨムがいるはずなのだ。

なのに今回は、目の前が真っ暗だった、何も見えなかった。

コウは、その暗闇の中を手探りで進んでいった。

「よ、ヨム? いる?」

「ん? なんだい?」

「えっ、ヨム?」

その声は、聞き覚えがある声とは少しばかし違っていた。どこか、詰まったような低い声だった。

「何してるんだい、コウ? 目を閉じて歩き回ったりなんかして?」

「えっ?」

慌ててコウは目に意識を回した。すると目の前に、いつもの町並みが映り始めた。

どうやらコウは、目を閉じていることに気付かなかったらしい。

すると、後ろの方から声が聞こえた。

「はは、コウは面白いなぁ」

「ははは。ぼく、きょうなんかおかしいんだね、ヨム……?」

コウは、声がするヨムの方を振り向いた。だが、そこにいたのは別のドラゴンだった。

確かにそのドラゴンは、顔はヨムそっくりなのだが、かなりふっくらとした丸顔だった。

そして腹部には、太鼓腹を越えた、ぶよんとした巨大なお腹があった。あまりの大きさにびろんと垂れ、それは微かに伸縮している……

また、そこに繋がっている腕や足も、ぶよんとしたやわらかいものに包まれていて、腹の伸縮と微妙にシンクロしていた。

全体的に見ると、太っているというよりも太り過ぎだった。

「……あれ? だれ?」

「うん? 僕だよ、ヨムだよ?」

「――えぇー?!」

コウは驚きに余り、口をあんぐりと開けた。

しばらく、自称ヨムのドラゴンの姿を見つめた。

「……信じられないのかい?」

「だ、だって……まえにあったとき、ヨムはそんなにふとってなかったよ?」

「はは、確かにそうだね」

と、ドラゴンは笑いながら大きなお腹を揺すった。

「ほんとうに……ヨムなの?」

「そうだよ? ……もしかしてコウは、字か何かを間違えたんじゃない?」

「どういうこと?」

「うーんと、つまり……コウは、ノートになんて書いたんだい?」

「ノート?」

「そう。コウがここに来る時に使う、あのノートだよ」

「ああ、ゆめノートのことね! えっとたしか……」

コウは地面の土に、夢ノートに書いた文を複書した。

「あるひ、とてもおおきなどらごんさんが――」

「ああ! それじゃあ字が違うよ!」

「えっ?!」

コウは、途中まで書いた字を見直した。

 

  ある日、とても太きなドラゴンさんが――

 

「大きな、っていう字が違うよ? これじゃあ”ふときな”ドラゴンになっちゃうよ!」

はははと大きな声を上げて、ヨムは笑い出した。次いで、ヨムの大きなお腹が揺れた。

「あ、ほんとうだ……」

コウは顔を赤らめた。ヨムに喜んでもらえるよう頑張って漢字を使ったのに、それを間違えるなんて、と思いながらこうべを垂らした。

「ご、ごめんなさい! ぼくのせいで、ヨムをこんなふうにしちゃって……」

「良いって良いって! 子供なんだから間違えても仕方が無いよ。それに、久々に大笑いさせてもらったし!」

ヨムはまだ笑っていた。そのおかげで大きなお腹は未だに揺れ、綺麗に波を打っていた。

「う、うん……」

「そんなに落ち込まないでよ。別に僕は全然気にしてないんだし」

「ほんとう?」

「本当さ! ほら、早くいつものコウに戻って、一緒に遊ぼうよ!」

「うん!」

「じゃあ何して遊ぶ?」

「えっと……じゃあ、またあのばしょにつれてってよ!」

「分かった!」

そう言うとヨムは、腕を伸ばしコウを抱えようとした。

だが、大きなお腹が邪魔をして、手より先にお腹がコウに当たってしまった。

「あっ……」

「ご、ごめん! 大丈夫?」

「うん。だけど……ヨムのおなかって、やわらかくて、きもちがいいね」

「そ、そう?」

ヨムは手を頭の横に回し――本当は後ろに回したかったのだが、腕に肉が付き過ぎて回せなかった――照れの仕草をした。

「あ、それにしてもどうしよう……これじゃあコウを持ち上げられないよ……」

「じゃあ、ぼくがじぶんでのぼるよ」

「いいの?」

「ヨムがだいじょうぶなら、ぼくはぜんぜんだいじょうぶだよ!」

「じゃあ、そうしてもらうよ」

コウは、ヨムの大きな腹の山に手をかけた。ぶよんと言わんばかりに、コウの手がヨムの腹にわずかに沈む……

次にコウは、手に力を込め体を持ち上げ、ヨムの腹に足を乗っけた。

その時、コウは靴を履いておらず、家の時と同じ素足であることに気付いた。

やはり夢の世界だからなのだろうか。さらにコウは、自分の服装がパジャマであることに今更ながら気付いた。

改めて、コウは再び手をヨムの腹にかけた。そして足を上げ、とそれらを何回か繰り返し、ついにコウは、ヨムの腹の頂に辿り着いた。

「ごめんね、コウ。じゃあ――いくよ!」

ヨムは大きく羽を広げた。そして、足を踏ん張り勢いよくジャンプした。

――ズドン!

地面の振動が、腹の上に乗っていたコウにも響いた。

「ど、どうしたの?!」

「……ごめん……どうやら体が重過ぎて、空を飛べない見たい……」

コウは、しょんぼりしているヨムの顔を見つめた。

「ヨムはわるくないよ。もともとぼくが、ヨムをそんなからだにしちゃったんだもん……」

「……」

二人――正確には一人と一匹――は、黙り込んでしまった。

しばしの沈黙が流れた後、ヨムが声を発した。

「……ごめんね。コウを悲しませないようにしようとしたのに、逆に悲しませちゃって……」

「……ううん、ヨムがあやまることないよ……」

(どうしよう……ぼく……ヨムをかなしませたくない!)

「……ねぇ、そらをとべないのなら、ここであそぼうよ!」

「え? で、でもここには何も無いよ? 遊び道具も、綺麗な景色も無いし……」

「だいじょうぶ。ぼく、ヨムとあそびだい!」

「えっ……てことは、また滑り台ごっこ?」

「ううん、ヨムのおなかで!」

「――!」

ヨムは驚いた。余りにも奇抜な発想だったからだ。

「で、でも……そんなんで、大丈夫なの?」

「だって、ヨムのおなかはとってもおおきくて、やわらかくて、ぶよぶよしてて、とーってもきもちがいいんだもん!」

「そ、うかなぁ?」

「うん! だけど、もしぼくのせいでヨムがつらかったら――」

「いや、全然問題無いよ! 僕は与夢竜、夢を与えるドラゴン。僕にとっての辛いことは、コウが悲しむことなんだ!」

「じゃあ……いい?」

「もちろん! さあ、遠慮無く僕のお腹で遊んでよ!」

「わーい、やったー!」

コウは嬉しかった。ヨムの笑顔が見れて。

ヨムは嬉しかった。コウの幸せそうな顔を見て。

互いの幸せが幸せを呼び、それを繰り返し、彼らの幸せは無限に増え続けていった。

コウは、ヨムの大きくて軟らかいお腹を、撫でたり、叩いたり、揺らしたり、抱いたりして遊んだ。

撫でれば、ヨムの柔らかな腹曲線の感触を味わえ、

叩けば、ヨムの軟らかなお腹がぶよんと揺れ、その軟らかさが手に伝わる。

揺らせば、そこから波のように周辺の肉へと揺れが伝わり、神秘的な肉波の情景を眺められ、

抱けば、その柔軟なお腹の弾力が能動者の体へと伝わり、心地よい感覚を味わうことが出来た。

そして時には顔を埋めたりもして、とにかくコウは、ヨムのお腹で最大限の遊戯を行った。

見た目は単純で飽きそうな遊びだが、意外にもこの遊びは、飽きることなく永遠と続いた。

コウは、ヨムのお腹によって永遠の至福の時を得られたかのような、一生に一度の満面の笑みをこぼした。

そしてヨムは、その幸せそうなコウの顔を見て、同様に大きな笑みをもらした。

長い、幸せの時間が流れた。それは、何度も使った”永遠”という言葉で表せる長さだった。

 

「コウ! 早く起きなさい!」

突如、コウは懐かしい声を聞いた――母親の声だった。

目の前は暗かった。どうやら目を閉じているらしい。

コウは前回の教訓を踏まえ、目に意識を集中し、目に情景を照らし出させた。

目には、いつも寝起きで見かける、板張りの天井から吊るされた電灯笠が見えた。

……どうやら、コウは現実世界に戻って来たらしい。

「コウ? まだ寝てるの?!」

「う、ううん! もうおきてるよ!」

 

 

 

それ以来コウは、毎日夢の中でヨムに出会った。そして遊んだ。

夢ノートは、筋書き通りの道を進むわけではないが、姿形は思いのままだった。

だからコウは、夢ノートの初めに必ずこう書いた。

 

 

 

  ――ある日、とても太きなドラゴンさんがいました――

 

 

 

 

 

 

時が流れるにつれ、コウは小学生、中学生、高校生、大学生、社会人となった。

それにつられて、コウは現実世界での生活に忙しくなり、徐々に夢ノートから遠ざかって行った。

しまいには夢ノートのことすら、コウの記憶から消え去って行った。

 

 

 

「……あれ? これは何だろう? 絵本?」

僕は明日の引越しの準備をしていた。会社が転勤になり、新しい場所がここから何時間もかかってしまうからだ。

僕はその準備をしていると、途中で一冊のノートを見つけた。ドラゴンの絵が表紙に描かれたノートだ。

僕はその本を開いた。そこには、ひらがなばっかりの、乱雑な字が書かれていた。

「小さい頃、こんなもの書いていたのかぁ……」

昔の頃を懐かしみながら、僕はページを次々と捲っていった。

すると途中から、ある共通部分が見え始めた。

「……とても太きなドラゴン? ――ぷっ! 小さい頃、”大”と”太”を間違えていたのか!

しかしそれを、こんなにも長く間違え続けていたのか……ちょっと恥ずかしいなぁ」

さらにパラパラとページを捲ると、途中で文が途切れていた。

「ここから書いて無いのか……何々、最後の日付は――十六年前か……。それじゃあ、十六年ぶりに何か続きでも書いてみるか!」

僕は、十六年ぶりそのノートに字を書き始めた。

しかし思いつくのは、現実社会での苦悩によるネガティブな文章だけだった。

僕は書いた文を消したり、また書いたりし、そのうち書くのに飽きてしまった。

結局最後に書いた文は、共通性を崩さぬように書いた「ある日、とても太きなドラゴンさんがいました」だけだった。

残った荷物をまとめ、それを終えると、時間は既に夜の十時を過ぎていた。

僕は遅い夕食を済ませ、シャワーを浴び、すぐに床に就いた。

「明日は早い、早めに寝て置こう……」

 

しばらくして、僕は夢を見た。何だか、とても懐かしい感じがする……

だがこれは夢なのだろうか。辺りは暗く、何一つ視界に入ってこない。

僕は手探りで、暗闇の中を彷徨った。

「コウ? 何してるの?」

「えっ?」

懐かしい声がした。だけどそれは一体誰の声だったのか、それは思い出せなかった。

とりあえず声のする方を振り向いた、が、そこには何も映らなかった。

不意にコウは閃いた。この状況、前にも会ったことがある!

僕は目に意識を集中させた。するとどうだろう、徐々に目に景色が映り始めた。

そして完全に目が開くと、目の前には、懐かしい町並みをバックに、一匹のでっぷりとした竜が立っていた。

「……よ、ヨム?」

「そうだよ、コウ。久しぶりだね……」

僕は声が出なかった。その代わりに、十何年ぶりの再会に目が潤んでいた。

「……コウ。随分と大人になったんだね」

「あ、あぁ……あれからもう、十六年になるんだからね」

「正直、ちょっと寂しかった。昔はコウが良く遊んでくれたのに、日に日に来なくなって……」

「ご、ごめん……それは、その……」

「いいんだ。コウにはコウの生活がある……それに、分かっていたんだ、いつかコウが来なくなること」

「……ぼ、僕は……僕は……」

「コウ?」

「僕は、何かを忘れていた。何か、心の奥底で穴が空いていたんだ。だけどそれは何なのかは分からなかった……

僕はそのうやむやを引きずってずっと生きてきた……だけど、今それが分かったんだ!」

「……何なの?」

「ヨム、君だよ! 僕には君が必要なんだ! 君を無視しておいて、今頃こんなこと言うのは間違っているのは分かってる!

だけど……だけど、僕には昔からずっと君が必要だったんだ!」

「間違ってなんか無いよ、コウ。確かに君は僕のことを忘れてたのかもしれない。あのノートのことを忘れてたのかもしれない。

だけど僕は、元々誰にも合うことなんて無かったんだ。ノートだって偶然だった。

だから、君が会いに来なくなっても仕方が無かったんだ……」

「……」

「あの日、君が来てくれた時、僕はとても嬉しかった。君がこんな太った体を作っちゃったりしたけど、それはそれで楽しかった。

その時、まさかこんなにも楽しいことがあるとは思いもしなかった……そのせいか、その後君がいなくなって、僕は寂しかった。

だけどそれは仕方が無いことだと思ってた。ずっと、ずっと……だけど、やっぱり寂しかった!

僕はコウが来なくなってから気付いたんだ。コウといた時間がとても幸せだったことを!

確かにこの町には大勢の人達がいる。皆いい人ばかりだ。だけど、それでも僕の心の寂しさは埋まらなかった……

僕は与夢竜という夢を与える竜だと言ったけど――そうじゃないんだ! 僕は……僕は僕の夢が欲しい!

お願いだ、コウ! 僕と……また僕と、一緒に遊んで欲しい! またこの世界に来て欲しいんだ!」

「ヨム…………あぁ、もちろん……もちろんさ! 僕も君と遊びたい! 僕には君が必要なんだ!

それに君は与夢竜だ! 僕に夢を与えてくれる、立派な与夢竜だよ!」

「コウ――!」

僕とヨムは抱き締めあった。とても、とても強く……

ヨムの、大きくて軟らかいお腹は、とても気持ちが良かった。

抱き締めると沈むお腹の感触は、今まで僕の心に空いていた隙間をぴったりと埋め、本当の”僕”に戻してくれた。

もう、もう絶対忘れない! 僕はそう誓った。

 

ヨムの目から涙が零れ落ちた。

それは、ヨムのお腹で抱き付き涙する、コウのうなじへと落ちた。

一人と一匹は、涙を流しながら、永遠の友を心から誓ったのだ。

 

 

 

現実世界に引き戻されても、コウはまだ涙を流していた。

枕は涙で濡れ、渇きを知らない目からポタポタと涙が零れ落ち、さらに枕を湿らす。

しばらく涙してから、コウは現実世界に戻ったことを悟った。

コウはベッドから起き上がり、赤く腫れ上がった目を洗面所で洗うことにした。

洗面所まで行く途中、コウは思った。

きっと向こうでも、ヨムが同じように洗面所に向かっているんじゃないだろうか、などという突発的な考えを。

そんな何の根拠も無い考えに、自らに嘲笑しながらも、今日からは絶対ヨムのことは忘れないぞ、と心に決めた。

 

 

 

  それからコウは、毎日夢ノートに、ヨムのことを刻み続けた。

 

 

 

  不思議なことに、夢ノートに終わりのページが現れることは、一生無かった。

 

 

 

 

 

 

               THE END


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