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  著者  :脹カム

 作成日 :2009/06/03

第一完成日:2009/07/25

 

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 カプセルの中にいたゴードンは、見るも無惨に太らされていた。口には呼吸用の管と、恐らく肥満化用の薬を流す為であろう管の二本が通され、液体がカプセル内を埋め尽くし、浮力で体が浮いているのに、その重圧感は犇々と伝わって来た。

「間も無く四○〇キロに到達する。フレッキは地球人らしい痩躯だったが、彼は元々太っていたおかげで、彼女よりも断然体重増加が早く、体も余裕で耐えている。このペースで行けば、カプセルから出す前に彼女を超えるのも夢じゃない……いや、地球語で言うのなら肥える(=・・・)のもか。ふはははは!」

 捕獲光子網に捕まったベネディクトは、この状況を打破せねばと、相手の戯言を無視してあれこれと打開策を練っていた。

「ゴードンはまだまだ太らし甲斐がある。フレッキの実験で培った技術を元に、新たに算出した結果では、彼を一トンまで太らす事が理論上可能となっている。それまでは暫く、お前には彼の肥大化の様子を(=とく)と味わって貰おうか。一般人を引き立てた過ちの罪悪感と共に」

 そしてそのドーガンは、この部屋の入り口まで戻ると、ベネディクトの光子網と繋がる射出器の電源を切り、そのまま扉を閉めた。

 光子網から解放され、自由に動けるようになったベネディクトは、早速入り口の方まで向かったが、扉にはやはり鍵が掛かっていた……と思った彼は、唐突に拍子抜けしてしまった。

 なんと、扉には鍵が掛けられておらず、すんなりとそれは開き、前に見たのと同じカプセルの並木道が現れたのだ。更にその先には、廊下と繋がる扉もちゃんと存在していた。

 これは罠か、それともあのドーガンが、不注意にも鍵を閉め忘れたのか――いや、ベネディクトを防衛システムに嵌めるトラップを仕組んだ程の奴が、そんな愚かな真似をするわけがない。

 工場に見立てたこの謎の施設に入ってから、ベネディクトは色んな意味で驚かされていたが、ふと我に返り、当初の目的であるゴードンの救出に考えを戻した。そして彼が収容されているカプセルの方に再び目を遣った。

『ベネディクト警視』

 突然の声に、ベネディクトはまたもや驚いて体をびくんとさせた。

『俺ですよ』

「ご、ゴードンなのか?」

 すると、カプセル内にいる肥大化したゴードンが、こくんと頷いた。どうやら呼吸用の管は、室内スピーカーとも繋がっているようだ。

「ゴードン……本当にすまない。君をこんな目に合わせてしまって」

『いや、気にしないでくれ。警視は別に悪くはないんだから』

「し、しかし――」

『正直、少し前までの俺の人生は、(=カビ)臭い陋室(=ろうしつ)の中で、安価なファストフードを食うだけの生活だった。しかしこの惑星ドーガンに来て、<カーフェラッファ>に住んでからというもの、俺は本当に楽しく過ごせた。例え相手が俺を嵌めていたとしても、あの頃の一日一日は(=すこぶ)る最高だった。フレッキという女将が豪勢な料理をたんまりと振る舞い、そんな美味い飯を毎日鱈腹食べながら周りと談笑。勿論スパイとしての責務は果たしていたつもりだが、あれほど幸せな日々が送れただけでも、俺は嬉しいんだ』

「そう、か。そう言って貰えると、こちらも嬉しいよ」

『ああ。だから気にしないでくれ』

「分かった……そういえば、さっき君は『嵌めた』と言ったが、少なからずフレッキだけは私達の味方だな」

『ん、それはどういう意味だ?』

「君は、何も聞いてないのか?」

 ゴードンは再びこくりと頷いた。

「実はな、女将のフレッキはドーガンではないんだ。彼女も君と同じ、地球の犬族なんだよ」

『なっ、なんだって!? だ、だがしかし、彼女には悪いが、あんなに太ってるじゃないか。ドーガンですら太り過ぎだと思う彼女が、地球人だって?』

「君をここに連れ込んだドーガンがそう言っていた。恐らく嘘ではないだろう。今君が受けている実験も、それの延長上にあるんだ」

『……なるほど、そうか、そういう事なのか。彼女があんな容姿になっては、誰も地球人には思えずドーガンと認識してしまう。即ちそれで、ドーガンを敵対とする母星の地球には素直に帰れなくなるのか』

「鋭いなゴードン、正にその通りだ。つい先ほどまで私も知らなかったんだが、彼女はスパイでもあり、そういう仕打ちをする事で、彼女をドーガンの元で強制労働させられるってわけだ」

『何、彼女もスパイだったのか』

「ああ。私がここまで来れたのには、君の体内にあるナノ発信器の他に、犬族の行方不明者がある。それを利用してこの施設に潜り込んだんだが、どうやらその犬族こそが彼女であり、またスパイだったらしいんだ」

『可哀想に。つまりフレッキは、地球人に見捨てられ、この敵陣の中でずっと過ごしていたわけか』

「地球宇警として、本当にそれは面目ない事だと思っている。これは直訴し、上告しなくてはならないな」

『ああ。しかしこれで合点が行く。彼女がああまで太ったのには、そんなストレスからの過食があったって事だ』

「そうなのか? ドーガンの策略で大食いにさせられたと聞いたが」

『正直な所は分からないが、彼女の太り具合はドーガンの中でも目を瞠るものだったらしい。現に彼女のいた<カーフェラッファ>という集合住宅は、ドーガン一の大巨漢、カーフェラッファが所有、管理していたんだ。だから内装も彼に向けに誂えた物なんだ』

「待てよ。確かフレッキは、そこのカウンターにぎりぎりで入ってなかったか?」

『そう、つまり彼女は、ドーガン一のカーフェラッファを上回ろうとしているんだ。しかも彼の場合、最後の生涯を太り過ぎの影響で、ずっとカウンター内で過ごしていたそうだ』

「なるほど、つまりまだまだ太り続け、しかも女将としての仕事をこなせる彼女は、ドーガンにして見ても驚愕なんだな」

『ああ。だが元々肥満が多く、そういった姿を気にしないドーガン達は、別にそれを話題にはしない。だから長くここに住んでいないと、そういった裏事実は分からないんだ』

 ベネディクトは頷き、やはりドーガンには色々と調べる余地がありそうだと、再度肝に銘じた。

『そういえば警視。俺の体内には発信器があるとか言っていたが、いつの間に入れたんだ?』

「それか。出発前に幾つかの予防接種を受けて貰っただろ? その中の一つで、ナノ発信器を体内に注入したんだ」

『なるほど。どうりで少し打つ回数が多いと思ったんだ。でもまっ、欺くにはまず味方からって言うしな』

「ああ。しかし今となっては、本当に申し訳ないの一言だ……」

『だから気にしないでも大丈夫ですって。確かにその発信器が最終的に役立てなかったのは残念だがな。そう言えば他にも、何か俺の体内に入れたりはしていないのか?』

「残念ながら。今思えば、それをしておけば良かったと思ってる。音波器ぐらいは埋め込んでおけば、このカプセルを共鳴で壊せたんだろうが」

『そうかぁ。どうにかなれば良いんだが』

 ここで二人の会話は止まった。辺りには、恐らくゴードンの体内に送られているであろう謎の薬が流れる音だけが聞こえていた。

 ベネディクトは思案した。どうにかカプセルを壊す良い方法はないかと。扉は開いている、せめてゴードンさえ救出出来れば。

『警視。一つ聞きたいんだが、ナノ発信器自体に武器は無いのか?』

「武器だって? そんなのあるわけがない。もし体内で誤って攻撃をしたら、体を傷つけてしまう。それにそもそも、血中のような液体に入れる為の器械だから、外に出した時点で、重力による落下の衝撃で壊れてしまう」

『……あのさあ警視。一応俺、カプセルの液体の中にいるんだが。体から出しても、ナノ発信器は大丈夫のような気がするんだが』

 ゴードンのアドバイスに、ベネディクトは何かを閃いた。そうか、何故その事に気付かなかったのかと。

「さすがだゴードン! やはり君を見込んで正解だったかも知れない」

『何か名案が浮かんだのか?』

「そうだ。ナノ発信器は君の言う通り、体外に出しても問題はない。そしてそれが発信するシグナルを、操作で微小な振動に変える事が出来るんだ。つまり互いに集まってカプセルを上手く共振させ続ければ、それを破壊する事が可能となる」

『ほ、本当か警視!? あっ、でもどうやってナノ発信器を外へ? 俺の口はこのホースで繋がってるから、直接カプセル内には出せないな』

(=)から出せば良い」

『あ、ああ、なるほど』とゴードンは納得。

『待て、もう一つある。そもそもどうやってナノ発信器を操作するんだ?』

「簡単だ。いつまでもナノ発信器を体内に残しては置けないだろ? だから特殊なシグナルを送って操作出来るようになってるんだ。私の端末機には万が一の為に、ナノ発信器と送受信が出来るようになっている」

『じゃあ、俺は助かるかも知れないって事か? このままモルモットにならずに済むのか』

「そういう事だ。とにかく急いでやろう、奴らが再び戻って来たら大変だ」

 

 ゴードンは待ち切れず、微小なナノ発信器の集合体に目を凝らした。カプセル内の液体中に一点、彼の体内から抜け出た発信器の(=まと)まりが透明板に引っ付いているのだ。肉眼では分からないが、その器械群は振動シグナルを巧みに調和させ、静かにだが着実に、カプセルの透明板を共鳴させていた。

 彼はふと思い出した。そういえば昔「仰天吃驚地球人スペシャル」という番組で、超音波などを出せない地球人が、声だけでガラスコップを割るという超技を見せていた。その人は絶対音感を持ったプロのボイストレーナーで、あらゆる物体が持つ固有振動数を、爪で叩く事により聴き分け、それと等しい振動数を声で出し続ける事により、ガラスコップを大きく共振させて割っていた。きっと今目の前でしているのも、それと同じなのだろう。

 何分かして、ゴードン自身にも感じる程、カプセルが徐々に振動し始めた。やがて硬質な透明板はそれに耐え兼ね、びしびしと(=ひび)が入った。

「やった!」そう彼が叫んだ時には、カプセルを覆う透明板が遂に壊れ、そこから液体が勢い良く流れ出た。

 すると、水中に浮かんでいた彼の体はじわじわと下に下がり、二本の管が外れると同時に足が地面に着き始めた。

 その刹那、彼はある事が脳裏に(=よぎ)ってひやりとした。長らく浮力で浮いたままの生活、しかも体重が以前の三倍近くに膨れた今、水が無くなって直接重力に晒されたら、自重を支えられないのではと不安を感じたのだ。

 その(=かん)にも、体中の脂肪は蘇る重力にどんどんと垂れ下がり、大きく(=たわ)んだ彼のお腹は床にでろんと広がった。やがて、如何に彼が超肥満体であるかが、その弛んだ全身によって露になった。

「だ、大丈夫かゴードン?」とベネディクトも、彼の異様な脂肪の付き方を見て心配になった。だが当の本人は、なんともない様子だった。

「大丈夫だ。それにしても凄い……こんな体でも、全然重く感じない」

「歩けるか?」

「ああ」そう言ってゴードンは、カプセル内からゆっくりと足を下ろした。幸いカプセルは直接床に設置されていたので、段差は殆どなく、彼はそこから難無く降りる事が出来た。

 しかしそれでも、脚を上げるのと同時に、それより上に付いたあらゆる脂肪が持ち上げられ、それらが再び脚と共に重量で落ちるさまは、なんともえごえごとしていて大変そうだった。

「調子の方はどうだ?」

「悪くない」

「良し、それでは早くここを出よう。体調が悪くなったらすぐ教えてくれ」

「分かった」

 ベネディクトは、背後に付くゴードンに気を配りながら、部屋の出入り口へと向かった。そこの扉を開けると、三度目のカプセルの並木道が現れ、彼はその中を進みながら、今一度後ろにいるゴードンを確認した。

「ゴードン、疲れてないか?」

「不思議と問題はない。寧ろ前より体が軽くて楽だ。ただ動くたび、この脇腹とかの肉が揺れて邪魔にはなるがな」

「そうか」

「それにしてもこのカプセル――一体ここでは、何を実験しているんだ? まさか太らす為だけじゃあないとは思うんだが」

「しかしここは如何せん、隠れ蓑の施設としては珍妙だ。ここに来るまでの間、私をここへと嵌めた白衣を着たドーガン以外、誰一人として職員を見なかった」

「それじゃ、脱出は楽かも知れないな」

「だが罠の可能性もある。油断は出来ないぞ」

 並木道部屋の出口に辿り着いたベネディクトは、慎重に扉を開けた。通路には誰もいない。一応ゴードンが素早く動けないと仮定し、まずは先陣を切って部屋を出て、先にある丁字路の様子を伺った。左右を見ると、そこにはやはり誰もおらず、廊下は不気味なほどに静寂していた。

 ベネディクトは、後ろの部屋で待機するゴードンに、ここまで来るよう手招きした。すると彼は、体中の脂肪に押されて体勢が変わり、四肢を広げながら歩きつつも、さも普通の犬族であるかのように平然とやって来た。

 そんな彼に改めて一驚しながらも、ベネディクトは冷静に言葉を発した。

「ここを右へと行き、次の十字路を左に曲がる。そして左に曲がった直線を先へと進んで隠蔽用の工場に入り、そこから外へと出る。人がいなさそうでも、絶対に気を緩めず引き締めるように」

「あ、ああ」

 しかしながら、彼らはその道を何の問題もなく進み、すんなりと、模擬工場へと通じる最後の直線に差し掛かった。

 だがその時、突如辺りに音声が流れて、二人は体を強張らせた。

『ここから先は認証が必要です』

「に、認証?」とゴードンはあっけらかんとした。

「クソ、退出時にも防衛システムが働くのか――走れゴードン!」

 ベネディクトはゴードンの手を引っ張り、彼を先に行かせた。何がなんだか分からない彼は、とにかく警視の命令に従い、どっどっどっと重々しい足取りで、この道を走り始めた。やはり体力があっても、超極(=ちょうごく)肥満体の構造上走りには向いておらず、彼が前にいる事で、ベネディクトがシステムの攻撃から彼を守るのと同時に、距離を置いてしまう心配もなくなった。

『認証中……』そのシステム音声と共に、通路に仕掛けられた身体走査レーザーが放射され始めた。ゴードンは無我夢中で走り、四〇〇キロとは到底思えない動きを見せていたが、確実に工場の扉には間に合いそうになかった。

『一人、職員IDを取得。認証完了。一人、職員IDを取得出来ませんでした。内部からの脱走者と見做(=みな)します』

 すると突如、両脇の壁から小さな稲妻が(=ほとばし)り、それがゴードンに当たった。ベネディクトは「しまった!」と心の中で叫んだが、攻撃を受けた本人は一瞬呻いただけだった。

 続いて二発目。出所を旨く読めたベネディクトは、彼を守るべく身を乗り出した。

「ぅぐぁ!?」

 余りの痛さにベネディクトは叫喚し、その場に頽れた。電撃を受けた右手を見ると、甲と掌が稲妻によって貫通し、血が溢れ出ていた。慌てて彼はその手を押さえ、自意識をどうにか取り戻すと、再びゴードンのあとを追い始めた。しかしその頃には、既に三発目の攻撃が飛び始め、それが目の前でゴードンに直撃した。今度ばかしは、致命傷かと思えた。

 だが驚くべき事に、ゴードンは先ほどと同じように唸り声を上げただけで、走る速度も緩めなかった。

 体中の脂肪が電撃を和らげているのだろうか。しかし脂肪には水分も含まれており、寧ろ電気は通し易いはずだが……ベネディクトは右手の痛みを堪えながら、眼前で起きた現象を見極めようとした。

 そんな中、今度は四発目の電光が飛び始め、彼が気付いた時には遅く、またしてもその攻撃がゴードンに当たってしまった。

「畜生! ちくちくしてるこれは一体なんなんだ!」

 ちくちくだって? ベネディクトはゴードンの言動に唖然とした。彼自身が受けた攻撃は、そんな柔なものではなかった。まさかゴードンにだけ、態と弱い攻撃を与えているのか――いや、そんな馬鹿な防衛システムなどあるわけがない。やはりこの施設、何かが変だ。

 ベネディクトがそんな思案に暮れていると、先の方にようやく、大きな扉が見え始めた。

「警視、あれですか!?」

「ああそうだ!」

 五発目の攻撃が始まった。今度は両側から一斉に電撃が放たれ、ベネディクトはさすがにまずいのではと思った。

 しかし案の定、それは単なる杞憂に終わり、ゴードンは微塵も蹌踉(=よろ)めく事はなかった。そして二人は、辛くも工場へと帰還した。

「はぁ、ふぅ、はぁ、ふぅ、はぁー……ふぅー」

「大丈夫かゴードン?」

「な、なんとか。ふぅ、こんな体でも走れるとはな。全身のあらゆる脂肪が揺れてるのを、犇々と感じたよ」

「本当に信じ難い話だ。それにしてもゴードン、さっきの防衛システムの攻撃、痛くなかったのか?」

「ああ。ちくちくしてて煩わしかったが」

「私も一度だけあの電撃を受けたが、そんなものじゃなかったぞ」とベネディクトは、負傷した右手をゴードンに見せた。彼を思わず息を呑み、悪寒を走らせた。

「俺は、太ってたから助かったのか」

「いや、そんな単純な事ではないと思うんだが……まあいい。とにかくここまで来れたんだ、あとは外に出るだけだ」

「分かった。一刻も早くここから出て、地球に帰りたいな」

「もうすぐだ、頑張ろう」

 再びベネディクトが先陣を切り、工場内の来た道を戻り始めた。

 ……しかしながら一体、あのシステムはなんだったのだろうか。ベネディクトは致死量に至る怪我をし、ゴードンはこれっぽっちも痛手も負わなかった。やはりゴードンに施された実験は、単なるフィーディング(=Feeding)だけではなかったという事なのか。

 そんな考えを巡らしながら、ベネディクトは何時間かぶりに、惑星ドーガンの外へと脱出していた。ゴードンも久々の外に、例え空が鈍色に淀んでいても、気持ちよく深呼吸した。

「ここはモージという工業地帯だ。ここからドーガン宇宙港の街までは、タクシーで数時間って所だ」

「それじゃあとは、本通りでタクシーを呼ぶだけって事か」

「ああ。だがその前に、今回の作戦に協力した二人も連れて行く」

「二人? フレッキ以外にも誰かいるのか?」

「君も既に知っている蜥蜴族のマグダレンと、そしてドーガンのベイテムだ」

「ドーガン、だって?」ゴードンは目を円くし、聞き返した。

「私も意外だったが、どうやら彼はマグダレンが気に入ってるらしい。お蔭様で、彼はこちらの作戦に好意的でなくとも、少なからず協力してくれたのだ」

「なるほど」

 そして二人は、施設の外にある門へと向かった。幸いにも、内側からは門の場所がはっきりと分かり、その脇にある液晶リーダーに、ここへ入る時に使った地球宇警からの捜査令状を翳すと、門が重々しく開き始め、彼らは遂に本当の外へと舞い戻って来た。

 

 ベネディクトはゴードンを引き連れ、マグダレンが待機しているベイテムの自宅へと向かった。ここへ来るまでの間も、別段紛糾する事はなかった。

 ベイテム宅の玄関に着くと、ベネディクトがドアをノックした。

「ベネディクトだ」

 すると中から、マグダレンが姿を現した。

「警視、ご苦労様です。ゴードンは……ご、ゴードン?」

「あ、ああ。俺だ」

「随分と太っ――変わったのね」

「太ったでいい。ドーガンの実験材料にされてな」

「実験か、一体どんなのなんだ?」と、中で待機していたベイテムが玄関までやって来た。そして彼女と同じく、彼も肝を潰しながら言った。

「こ、こりゃあ、凄いな。その体じゃ、ここを通れなさそうだな」

 確かにゴードンの体では、この玄関を通れそうにはなかった。一応作業員用の社宅なので、仕事が出来る体の範疇でやや幅を狭めているのだろうが、それでもドーガン用に拵えた入り口を通れないのは、どれほど彼が太ったのかを見せ付けるものであった。

「仕方ない、手短にここで話し合おう。なんとかゴードンを脱出させる事には成功したが、内部で防衛システムに引っ掛かった。奴らに指名手配されたら大変だ、急いでこの惑星ドーガンを離れた方が良いだろう――」

「何、システムの攻撃を掻いくぐれたのか?」ベイテムがベネディクトの話に割り込んだ。

「かなり強引にだがな。運が良かったのかそれとも……とにかくだ、今すぐここを出よう。ベイテム、君も付いて来るか?」

「いや」

「私も」

 そう答えたのは、なんとマグダレンだった。ベネディクトは思わず彼女に問い返した。

「警視がいない間、自分はベイテムと話してたんです。恐らく彼は、ここから脱出は出来ない。余り無理な事はさせたくないの。それに自分は、その、彼と一緒にいたいんです」

「し、しかしだなマグダレン。君はあくまで地球人であってドーガンではない。ここで過ごすのは容易じゃないはずだ」ベネディクトは動揺を隠せない。

「それについては、俺がなんとかします」とベイテム。

「俺は正直、彼女と出会えて嬉しかった。同僚から見ても、ドーガンとして見ても俺は太り気味だし、ここらじゃ女は皆無に等しい。しかしそれ以上に、俺は彼女を愛してしまったんだ」

「そして自分も、そうだと分かったんです。それに彼は、身を(=てい)してゴードンを救う手立てに協力してくれた。幾ら敵対するドーガンであるとは言え、彼にどうにかお礼をしたいんです」

 思わぬ展開に、ベネディクトの頭は混乱していた。まさか脱出の際、こんな惑いが出て来るなんてと。

「……マグダレン、すると地球宇警という仕事を辞める、という事だよな? このままスパイを続けるわけにはいかないんだぞ」

「承知しています警視。覚悟はもう決まっています」とマグダレンは、力強い口調で答えた。

「そうか。君は本当に、ベイテムを好きになってしまったのか」

「はい。その……申し訳ありません」

「いや、気にするな。そんな事を言ってはベイテムに失礼だ。隔たりを越えた恋愛、悪くないじゃないか。君がそれで良いのなら、私がちゃんと手続きをおこなってやろう」

 ベネディクトは、端末機を広げて何やら入力し出した。そしてその画面の隅を押すと、それをマグダレンに差し向けた。

「マグダレン。君は自らの意志で、地球宇宙警察官を辞職する事に同意するか? 答えを自らで表現せよ」

「はい。自分、地球人の蜥蜴族であるマグダレンは、惑星ドーガンのスパイとしての任を降り、地球宇宙警察警部を辞職する事に同意します」

 次にベネディクトは、彼女に向けた端末機を再び自分の方に戻すと、もう一度画面の隅を押した。

「先の内容を、地球宇宙警察警視、ベネディクトが容認する」そう述べ終えると、彼は端末機を畳んだ。

「これでマグダレンの辞職手続きは終わった。あとは母星に戻った時に、これを上に見せよう」

「ありがとうございます、ベネディクト宇警警視」

「君も、確りとここで頑張るんだぞ」

「はい」

「俺からもお礼を言わせて下さい。ありがとうございます宇警警視」とベイテムも、深々とお辞儀をした。

「ベイテム、マグダレンを幸せにしてやってくれ」

「分かりました」

 ベネディクトは軽く頷き、そしてゆっくりと身を翻すと、ゴードンと共にベイテムの家から去って行った。

「マグダレン、ありがとな」

「あなたこそありがとう、ベイテム」

「……さてと。それじゃあ今日は、一体どんな料理を作ってくれるんだ?」

「お祝いだから、巨牛ステーキとポテトライス、それからシュークリームとクレープでも作ろうかしら」

「ひょう! へへへ、最高だな。今すぐにでも食べたい気分だ――じゅる」

「ふふ。それじゃあ待ってて、早速料理に取り掛かるから」

 

 ベネディクトは、ゴードンと共にモージの本通りへと出た。事前にタクシーは手配していたので、二人が着くと同時にタクシーも到着し、彼らはそれに乗り込んだ。

 その際、ドーガンの平均より三倍近く太ったゴードンは、タクシーに乗り込むのがやっとだった。扉に腹をつっかえさせながらも、なんとか奥に乗り込んだ彼に続いて、今度はベネディクトが、彼の広がった脇腹を押しつつ、自分のスペースをどうにか作って座席に着いた。しかし余りにも狭かったので、ベネディクトは彼の脇腹を持ち上げると、肉布団の如くそれを膝の上に掛けた。

「すまん」

「気にするなゴードン。それに案外、生温かくて気持ちが良いぞ」

「何処までだ?」タクシーの運転手が無愛想に質問して来た。相変わらずのドーガンらしく、ゴードンにも特別驚いてはいない。

「ドーガン宇宙港まで」

 運転手はなんの返事もせず、タクシーを走らせた。車内では、運転手に状況が知られないよう会話を慎んでいたので、ベネディクトは宇宙港に着くまでの間、怪我をした右手を簡単に治療した。このような応急処置は、地球以上に予測不能な宇宙で警官をするのに、大変重要な技術であった。

 それから数時間後、ドーガン宇宙港に到着した二人は、まずベネディクトが先に降車し、ゴードンを引っ張る形で、彼をタクシーから降ろしてあげた。

「ふぃー……悪いな警視。さてと、これから地球に帰るんだな」

「いや、もう一つやらなければならない事がある。フレッキの事だ」

「フレッキ? だが彼女は<カーフェラッファ>という集合住宅の女将をしているんだぞ、大丈夫なのか?」

「とりあえず話だけでもして置かないといけない。彼女も君と同じ境遇にあるわけだ、しかも協力した事があの施設にばれてるからには、安全というわけにはいかないだろう」

 ゴードンは納得し、警視に従って宇宙港とは反対側の道を歩き始めた。

 <カーフェラッファ>に着くと、一向は中へと入り、カウンター目一杯に太ったドーガン――ではなく、地球人の犬族だと判明したフレッキに顔を合わせた。

「何か用?」と彼女は、芝居ぶったきつい口調で問い掛けて来た。

 ベネディクトは中の様子を一瞥した。どうやら他に誰もいないようだ。

「誰もいないな」

「全員買い出しに行ったから」

「そうか。……フレッキ、あの時はありがとな」

「紙の事?」

「そうだ。君のその態度は、あくまで芝居だと分かっている。だから率直に聞きたい。ここから脱出し、地球へと帰らないか?」

「――! そ、そんな事……出来るわけ無いじゃない」

「大丈夫だ、私が責任を持つ。だから君も一緒に行かないか? 彼、ゴードンと同じ身の上に遭っているからこそ」

「そうだフレッキ。聞いたぞ、まさか俺とおんなじ人体実験をされていたとはな。確かに<カーフェラッファ>の女将として、住民達を置いて行くのは、例えドーガンであっても気が引けるだろう。だがこれは、長らく待ってようやく巡って来た大チャンスなんだ」

 ゴードンの補足に、フレッキの心は大きく動かされた。そして彼女は、一度深呼吸をすると、両手をカウンターの上に置いてのっそりと立ち上がった。

「はぁ、確かにそうかも知れないわね。それに<カーフェラッファ>の事は、もう考える必要も無いし」

「ん、それはどういう意味だ?」とベネディクト。

「これは偶然かしらね。実はあたい、この<カーフェラッファ>を追い出される事になったのよ」

「なっ、なんだって!?」

「何時間か前に手紙が来てね。『新しい女将のドーガンがやってくる。君の仕事はもう終わった、あとはスラムへと送還する』って書かれていたの」

「スラムだって? それなら尚更じゃないか。君がそこへ行ったらどうなるのか」

「当然死ぬでしょうね。あたいの体はもう、並みの量では基礎栄養分を賄えないから。やっぱり、職員IDはバレバレだったわね」

「それは、本当にすまない」

「謝る必要はないじゃない、あたいが自らやった事だし。でもまっ、こうなったら意を決して脱出した方が良さそうね」

「ああ。そうと来れば、誰かに見つからない内に早く行こう」

 そしてフレッキは、カウンターからその巨体で大儀そうに抜け出ると、彼らと一緒に宇宙港へと向かった。

 幸いにも、彼女は知人と遭遇しないで済み、面倒な事態は避ける事が出来た。それは彼女の行動範囲が、<カーフェラッファ>を出て左の、食料集配所までにしかなく、宇宙港方面の右には面識がなかったのが助けになったようだ。

 宇宙港に着くと、いよいよ問題のセキュリティゲートが見えて来た。フレッキもゴードンも、例え見た目がドーガンっぽくても、本来が地球人なので、普通なら問題は起きないはずである。

 そんなゲートを、まず初めにベネディクトが通った。問題は無し。裏組織の手が、まだここに回っていない証明だった。そうなると次はゴードンで、姿形は大きく変わり果てても、それは紛れもない同一体である。なので入惑星時と同様、彼もすんなりとセキュリティを通過した。

 問題はフレッキだ。彼女は長期間この惑星ドーガンに滞在しており、それには秘密組織も介入しているだろうから、防犯システムがどのように反応するのかは未知数だった。

 彼女は、唾をごくりと呑み込むと、慎重にゲートをくぐり始めた。その様子を、ベネディクトとゴードンは手に汗握りながら見詰めた。

 ――やった、やったわ! 彼女はセキュリティを通り抜けると同時に、密かなる感動を胸の内で叫んだ。見守っていた二人も、よっしゃと拳を握り締めた。

「あら、フレッキじゃない!」

 突然の声に三人は体を硬直させた。その声の主は、ドーガンにしては痩躯の耳が萎れた女で、丁度彼女の向かいから駆け寄って来た。

「どうしたのフレッキ、緊張しちゃって?」

「そ、それは……」

「何よ。何処へ行くつもりなの?」

 居竦まってしまったフレッキは、言葉を詰まらせ返答もままならない。ベネディクトやゴードンも、手助けをすれば彼女との関係が呈露してしまうので、手出しは出来なかった。

 すると更に、フレッキの知人の後ろから、もう一人の女ドーガンが声を掛けて来た。先のドーガンとは違い、耳が垂れているものの、こちらの方はぶっくらと肥えていた。しかしそれでも、フレッキには到底及ばなかった。

「フレッキ! もしかして、今から行っちゃうの?」

 肥満ドーガンの言葉に、痩身ドーガンが後ろを振り向いて尋ねた。

「行っちゃう?」

「フレッキね、<カーフェラッファ>を追い出されたのよ」

「な、なんですって! どういう事なのよフレッキ?」

 フレッキは、この好機を逃すまいと、態と項垂れて静かに答えた。

「あたいにも、分からないの。ただ突然追い出されるって」

「可哀想に……しかも噂じゃ、何処かへ連れて行かれるのよね?」

「え、ええ。だけど場所は不明なのよ」

「でもここにいるって事は、つまり宇宙に出るわけよね。それって相当やばそう」

「フレッキ、ずらかっちゃえば? 誰にも監視されてる様子はないし」と痩身ドーガンは、港内を隈なく見回した。適当に周囲を眺めるふりをしていたゴードンとベネディクトは、彼女に気が付かれなかった。

「だけど手紙には『下手な真似をすればスラムに送還する』って書かれてたの」

「す、スラムですって!? そんな所、飢え死にしちゃうわ!」肥満ドーガンが憐憫(=れんびん)に答えた。

「だからあたい、奴らが準備した宇宙船に乗り込むしかないのよ」

「なんて酷い仕打ち。信じられないわ」と痩身ドーガンは眉を(=しか)めた。

「とにかくそういう事なのよ。だから二人とも、今までありがとね。時間が無いからあたい、もう行くわ」

「分かった。気を付けてね」

「ちゃんと食べられる場所だと良いわね」

「ええ……」

 そしてフレッキは、別れを惜しむような仕草をしながら、彼女達の元を去って行った。その一瞬に、フレッキは先で待つベネディクトとゴードンに目を配り、宇宙港のエプロンへと足を進めた。

 一方、彼女の合図を受け取ったベネディクトとゴードンは、背を向けて同じくエプロンの方に歩き始めた。知人と離れても未だ油断禁物であると彼女は、自ら間合いを置く瞬間的なアイコンタクトをしていたのだ。どうやらスパイとしての能力は、今でも健在のようだ。

 

 エプロンに到着したフレッキは、端末機で交信するベネディクト達から、少し離れた位置で立ち止まった。そして彼が端末機の通信を切ると、彼らと共にその場所で待機した。

 十分ほどすると、少し離れた所に、ここでは異彩を放つ形の宇宙船が着陸した。どうやらあれが地球宇警のらしく、ベネディクトとゴードンが再び歩き始めると同時に、フレッキも距離を置きながらそれに続いた。

 ある程度宇宙船に近付くと、彼女は四方八方に注意を向けてから、早足で前方の二人に歩み寄り、スロープを上る辺りで丁度合流した。

「なんとか大丈夫だったな」とベネディクト。

「一時はどうなるかと思ったけどな」

「そうね、ふぅー……でもやっと、これで地球に帰れるのね。本当に、どれだけ長かった事か」

 彼女は歓喜のあまり、両目から静かに涙を流していた。

 宇宙船に乗り込んだ三人を確認したオペレーターは、スロープをしまってハッチを閉じた。そして船は、再び上空へと発進し始めた。

「ん?」

「どうしたゴードン?」

「今窓の外を見たんだが――いや、気のせいだな」

 しかし彼が見た場所、エプロンの宇宙船が眺望出来るドーガン宇宙港の大窓には、(=かす)かにだが、巨躯の女ドーガンが耳を(=そばだ)ててこちらを見据えていた。だがそれもやがて、上昇する宇宙船と共に消えてしまった。

 

 地球宇警宇宙船の会議室で、フレッキとゴードン、そしてベネディクトとその妻パメラが話し合いをしていた。

「――彼ら? でもあなた、その従業員しか見てないんでしょ?」とパメラ。

「ああ。だがあれだけの施設を一人で管理するのもおかしいだろ」そうベネディクトが反論した。

「うーん……フレッキはどう?」

「あたい? そうねぇ、考えて見ると、あたいは一応何人かの従業員は見た事あるんだけど、実際に接したのは一人だけだったわ。多分、ベネディクト警視が出会ったドーガンと同じかも」

「じゃあ、個人でやってる可能性もあるわね」

 パメラの発言に、夫ベネディクトは頷いた。

「そう考えれば、何故脱出の際に誰にも見つからなかったのかも説明が付く」

「でも実験自体は一人で出来るようなものじゃないし、きっと誰かが背後にいるわね」

「そうだな。あそこがなんの施設で、どういった目的であんな実験をしているのか、それはあのドーガンだけが知るという事か」

「とにかくゴードン、そして行方不明者だったフレッキが助かって何よりよ。それとマグダレンも吃驚だわ」

「私も驚いたよ。しかし彼女が幸せになれればそれで良い。あのドーガンも、心優しそうだったしな」

 するとその時、ゴードンがふと、夫婦二人の会話に割り込んだ。

「そういえば、俺達はどうすればいいんだ? 幾ら地球人の犬族であるとは言え、こんなに太った体じゃあな」

「そうね。あたいもここまで太ってるし、どうやって地球で過ごせば良いのか」そう言ってフレッキは、自身の脂肪の(=ひだ)を抓んで見せた。そんな彼らに対し、ベネディクトは微笑みながら答えた。

「それは安心してくれ。ゴードンはスパイとしての任務を果たし、そしてフレッキは、隠蔽工作により長い間自由を阻害されていた。これらを考慮すれば、二人にはそれぞれ立派な褒賞が贈られる事だろう」

「ほほぅ、それは例えばどんなのだ?」ゴードンはテーブルに身を乗り出して聞いた。

「君が欲しい物を言えば良い。大概の物は認められるはずだ」

「なるほど。そうだなぁ、俺は今の所立派な家が欲しいかな」

「家か、それなら大丈夫だ」

「警視、あたいにはどういう物が貰えるの?」と今度は、フレッキが胸を躍らせて尋ねて来た。

「君の場合、私達地球宇警の身勝手な過ちによって、こんにちまでの境涯に遭ってしまった。これに陳謝すると共に、君には永久生活費を授与するのが(=すべから)く順当であると言える」

「永久生活費? 具体的にそれって、幾らぐらいなの?」

「それは問わない。勿論地球の財産であるという事は、失礼で矛盾した言い方だが、確りと念頭に入れて戴きたい」

「じゃあ事実上は、無制限ってわけね」

「そういう事だ。一日中家で何をせずに過ごしても、万福長者な生活が出来るぞ」

 それを聞いたゴードンは、羨ましそうにフレッキの方を見た。

「いいなぁフレッキ。俺もそういうのが貰えたら良かったな。家があっても金が無いんじゃ意味ないし」

「ねえ警視、ゴードンにそれは与えられないの?」

「彼の努力と仕事振りは称えるが、さすがにそこまでの物を贈与する事は出来ない。家の他に幾らかの金銭は貰えるかも知れないが、百万長者には届かないだろう」

 ゴードンは少しだけ肩を落とした。フレッキにもその気持ちは理解出来た。同じ実験材料にされ、体を改造された彼は、今や地球上の仕事に就くのは困難を極める。だからと言って何もしないでいる事も、例え以前の彼のような補助金を持ってしても、金銭面において不可能なのだ。

 彼以上に長く実験体でいる彼女は承知していた、この体は空腹という呪縛に(=かか)っていると。それに必要な食料は、惑星ドーガンでは問題なくとも、地球では莫大な食費になってしまう。そして財産に限りがあればやがて枯渇するゆえ、彼には必然的に仕事が必要となるのだ。だがそれを彼に強制するのは、あまりにも可哀想だった。

「……一つ聞きたいんだけど。彼と一緒に住めば、お互いの贈呈品を共有したりは出来るの?」

「えっ?」

 ベネディクトよりも先に、ゴードンが呆気にとられた表情で漏らした。

「だってあなたも、あたいと同じ状態にあるわけでしょ。けどこんな体じゃ、仕事や人間関係に色々と支障は出るでしょうし、それにあたい、一人だけでいるのもなんだか(=さみ)しいの。だから一緒に生活出来た方が良いかなって」

「そ、それもそうだが――本当にいいのか?」

「良いのかどうかは、さっきの答えが決める事。ねえ警視、どうなの?」

「まあ、不可能ではない。しかしその場合、二人が法律上の繋がりを持つ必要がある」

「つまり、結婚ね?」

「そうだ。それで君達は、夫婦という間柄にあるという事になり、お互いの財産や褒賞をシェア出来るわけだ」

「じゃあそうしましょ」

「ええ、なんだって!?」ゴードンは更に驚愕、声も上擦っていた。

「あたいとは嫌?」

「別にその、嫌じゃないんだが――」

「なら良いじゃない。同じドーガン以上の肥満体、被験者同士仲良くやりましょうよ。一緒に<カーフェラッファ>で過ごしてたんだし」

「そ、そうだな……まあ悪くはないか。でも本当に、俺でいいのか?」

「勿論よ。寧ろあなたが一番、あたいとは愛称が良さそうだし」

 ゴードンは、色々な感情で顔が火照り始めていた。昔の生活は惨めなものだけじゃなく、こういった女性関係も無縁だった。スパイという任に当たってからも、彼はフレッキの事を一ドーガンとしてしか見ていなかった。

 しかしながら、彼女は自分と同じ犬族であると分かり、そして今や婚約を承諾。半年近くも彼女と一緒にいたはずなのに、不思議とこの時だけは、覚えの無い心臓の鼓動が窺えた。

 するとフレッキが、何を思ったのか知らないが、ギュッとゴードンの手首を握り締めたのだ。途端の出来事に彼の脳内はもはや真っ白。だがそんな無意識の中で、彼は彼女の手首を自然と握り返していた。

 

 

 

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