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  暗殺者パポップ 第二話 ~必然の罪と最高善~

 

 

 

 地上に向かう巨大エレベータの中で、丸々太ったウサギがスピーカー越しに会話をしていた。

「ベギング王国ってさ、最近ちょー有名な異国の王と契約を交わす予定の、あの国だよね」

『ああ。だが聞くところによれば、その国王の裏には黒いものが隠れてるらしいぜ』

「当然だね。幾ら国を潤し復活させたからって、一切血族の無いやつが突然王様になるなんて普通はないよ。まあベギング王国も似たようなものだけど」

『しかしまっ、今回の依頼は随分とまたご立派なこと。まさかそのベギング王国の女王様からパポップに依頼が来るなんてな』

「ほんと。凄く楽しみだなぁ」

 ウサギのパポップは天井を見つめ吐露したが、スピーカーからすぐツッコミが入った。

『お前の場合は会うことじゃなく、どうせ宮廷料理が目当てなんだろ』

「へへ、ばれた? テレビでは見たことあるけど、なかなか僕のような身分じゃねぇ~」

 両手でお腹を摩り待ち遠しさを露呈させていると、エレベータは目的の地上階に到着した。パポップがそこから降りると、目の前には彼の母星には存在しない景色が広がっていた。海の色は透明な黄金色、それを挟むように聳える山々も黄色に染まっていた。

 ここは、パポップの今回の仕事場(惑星)であり、彼の住む星ではない。どうやら彼は暗殺者として、惑星外にまで認知され始めたのかも知れない。

 

 積み荷を運ぶ港湾労働者達が、並んで停泊する数百メートル級の大船の一隻に乗り降りしていた。みな逞しい体付きの大人達で、誰一人として余分な人員はいないように見える。だが一人だけ、明らかにお腹のサイズが異なるウサギの作業員がいた。

「……しっかしなぁ」

 噂の作業員の横で一緒に木箱を運ぶ人が、彼の腹部をちらちら見ながら言った。

「どうみても、あんたはこの港にそぐわないんだが」

「え~。見た目で判断されちゃ困るよぉ」

「とは言われてもな、見た目は完全にそうなのさ。けどこうやって俺達と対等に仕事が出来るなんぞ、ほんと信じられん」

 すると後ろから、会話を小耳に挟んだ別の作業員が寄ってきてウサギに聞いた。

「確かお前、異星から来たって言ってたな」

「そーだよ」

「そこでの港湾労働者は、お前みたいな体型のやつばかりなのか?」

「まっさかぁ。みんな君達のように立派だよ」

「ふぅん。じゃあお前だけが特別なわけか」

「まっ、そんなところだね」

 岸から船に乗り込むタラップの横幅は数人分のため、彼らは一列となって階段を上り始めた。荷物を担いでいようとここの作業員達は軽々と前進するが、腹の大きなウサギもそれに劣らず、寧ろ先導する形で軽快に荷を船内に運び入れていた。

 

 

 

 打って変わりここは、小型船舶で犇めくどこかの埠頭。がやがやと賑わいを見せる魚市場では漁師や商人、お客達で溢れかえっていた。

 市場の端で、魚河岸のイグアナの店主が駆けていた。追っているのは少年のカワウソ二人。彼らは口に一匹、両腕に出来るだけの魚を抱え、必死に逃げていた。店主はがたいの大きさが仇となり、小回りの利く彼らが路地裏に入ればすぐに見失ってしまった。

 イグアナは、怒り肩で自分の店に戻るや「あのガキどもめっ」と罵った。

「まーた取れらたのかい?」

 店番をしていた恰幅の良いイグアナの夫人が聞くと、店主は溜め息をついた。

「全く、女王様は一体何をお考えなんだ。あの……なんだ、あの長い条令」

「ヘイハイズ・ファウンドリング条令」

「そう! 女王様の母星の言葉を織り交ぜてるとか言って、俺にはさっぱり理解出来ん。『こじいん』なんてのも言ってたよな。あれは却下されたが、良く分からん外界の文化を取り入れるのも勘弁して貰いたいね。それに――」

 店主は海を見つめ、遠くからやってくる周りのどの船よりも大きな巨大船舶に目をやった。夫人もそれを見つめ、不安げに語った。

「あれはほんと、大丈夫なのかしら。風の噂じゃ異国の成金の暴力主義の王様、なんて言われてるし。それにもしあの子達があれに手を出したら……」

「命は無い、だろうな」

 

「ウィラー女王」

 豪華絢爛な一室で放たれた執事のクワガタの呼び声に、華やかに着飾ったキツネの女性が淑やかに振り向いた。

「なんでしょう?」

「例の子供達についてお話が」

「それは前にも言いましたとおり、条令があるのですから、彼らはそれに守られるはずです」

「しかし……もし彼らがあの大船に関わってしまったら、わたくし達の手には負えないのでは?」

 キツネの女王は横の窓を見つめ、黙考し、そして向き直った。

「確かにそのとおりかも知れません。あのお方に守って頂きましょう」

「ですが契約上、この時期からの変更は出来ないのでは? 彼は確実に任務を遂行するために準備と期間を要すると仰っていたかと」

「それを承知した上で依頼をしてください」

「その場合『子供達を守る』確実性も薄れてしまうのでは?」

あの人達(=・・・・)のことを考えれば、時間的にも彼以外に頼れる人はいないでしょう」

 執事は深く頷き「畏まりました」と答えると、静かに部屋をあとにした。

 女王は再び窓の外を眺めた。その表情はどこか、心許ないものだった。

 

 

 

 二人のカワウソの少年は、港町から一つ丘を越えた渓谷に来ていた。一般道から離れた丘陵の崖下にあり、ここへの道は彼らだけが知っている洞窟だけ。ここは素寒貧な彼らに手向けられた唯一の住み処であった。

「よっしゃ、今日も収穫大だな!」

「兄ちゃん。僕、一匹お魚落としちゃった」

「気にすんなって、これだけありゃ充分さ。それに俺の弟にしちゃ上出来さ」

 落としかけた肩を兄が叩き、弟はすぐ元気を取り戻した。

「そうえいばさっき、すんごく大きな船が港に向かってたね」

「ああ。きっとあそこにはお宝がざっくざくと眠ってるんだろうな」

「ほんと!?」

「だってよ、今まであんな船見たこと無かったろ? だがその分、ガードは固そうだな」

「僕達なら出来るよ」

「いんや、ちと危険だな。多分あの船には、相当なお偉いさんが乗ってるんだ。俺達が手を出しちゃいけない領域だよ」

 兄は興味なさげに、戦利品の魚を取っ散らかった道具で調理し始めた。何匹かは保存食用に開いて干物にしたり塩漬けにしたり、残りの数匹は食事用に起こした焚き火で串焼きにした。その一部始終を弟は、上の空で眺めていた。

 

「いんやぁー、これ美味しいね」

 太ったウサギが港の屋台で、美味しそうに魚をかっ食らっていた。

「あんたどんだけ食うつもりだ。もう十人前近くは平らげたろ」

「ほんと? 僕はまだまだ物足りないけどね」

 しかし香具師(=やし)が眉根を寄せたのを見て、ウサギはしぶしぶ立ち上がり支払いを済ませた。振り返りざま、誰かにどさりとぶつかり、相手のクワガタは圧倒的な体格差で蹌踉めいたが、そのまま無言で歩き続けていった。

「……」

 ウサギは、いつの間にか手にしていた一枚の紙をサッと読み、すぐに破いて捨てた。

 その後、彼はクワガタを尾行するように距離を置いてついて行き、あるところで迷路状の造園を抜けると、とある城の裏庭にやって来た。風が吹けば園丁が作り上げた色とりどりの美しい草花が、香りと共にサーカスのような絢爛さで舞っており、そんなエンターテインメントに富んだこの庭を彼は悠然と眺めていた。

「さっきは大丈夫だった?」

 独り言のようにウサギは言ったが、その言葉に脇のフラワーアーチトンネルからあのクワガタがヌッと姿を現した。

「ええ。思いのほか衝撃は強かったですが」

「ごめんねぇ、こんな体だから。それで用件は?」

「実はパポップ様に、緊急でご依頼したいことがございまして」

「契約のことは分かってるよね?」

 普段は陽気なウサギのパポップも、ここはキリッと聞いた。

「承知しております。内容も存じ上げた上で、どうしてもあなた様にご依頼したいのです――」

 クワガタの説明にパポップは、真剣に耳を傾けていた。

 

 

「――それで、用件は分かって頂けたかしら?」

「うん。金額も申し分ないですし、契約成立ですね」

 料理を頬張りながら喋るウサギに、依頼主のキツネは怪訝の眼差しを送っていた。

「そういえば、どうして子供達を優遇するようにしたんです?」

「それは、ヘイハイズ・ファウンドリング条令のことでしょうか」

 こくりと頷いた拍子に顎を揺蕩わせたウサギ。

「この国はまだまだ経済格差が埋まりません。特に子供に関しては不可抗力の境涯になるゆえ、貧しい子供が一人でもいれば助ける必要があります」

「なるほどねぇ。孤児院の設立に反対されるような国だから、子供達を守るにはまずそれが必要かもね。でもさ、ウィラー女王の意図は違うんじゃない? だって貧困な家族には別の条令とか、他にも色々な形で援助はしてるでしょ。ヘイハイズ・ファウンドリング条令で本当に助かっているのは二人だけ(=・・・・)だと思うんだけど」

 この発言に先程までの疑り深い表情が一転、キツネの女王は呆気にとられた。

「あぁごめん。正確にはカワウソの少年兄弟だね」

「……パポップさん。どうしてそのことを?」

 彼女は驚いた様子でウサギのパポップを見つめた。

「これも仕事だからさ。自分が殺される側かも知れないし、だから依頼者とその周辺については事前に調査してるんだぁ。あっ、誤解しないで。外で待ってる執事さんに聞いたわけじゃないから」

 笑顔で答えるパポップに、女王はようやく彼を信頼し始めた。

「そこまで存じ上げておりますとは、さすが名の知れた暗殺者ですわね」

「えっへん、なんてね。まあそんなこんなで、きっとウィラー女王はあの子達に何かしらの『思い』があるってことだよね~」

 その言葉に口を噤む女王。パポップはフォークに刺した肉片を頬張り、すぐに飲み下してから続けた。

「別に答えなくても仕事に差し支えないから大丈夫だよ。にしても宮廷料理、やっぱ凄く美味しいね!」

 一人はしゃぐ彼に対し、女王は遅れてはにかんだ。

 

 

 雪の舞う港。小型船が停泊する中、飛び抜けて大きな船舶が碇を降ろし、鎖で波止場と舫われていた。地上とを結ぶタラップからは続々と煌びやかな軍団が、時折スーツ姿の厳ついボディーガードと共に降船していた。

「それらの荷物は慎重に扱え」

 集団の中では細身で、かなりの曲者だと分かる人物――サングラスを着用し、白いスーツを着込んだイルカ――の指示に従い、荷役達が荷物を外へ運び出していた。

「……国王よ。あなたは一体どうしてしまわれたんだ」

 ぼそりと呟くイルカに、後ろから誰かがぶつかり彼はサングラス越しでも見て取れる剣幕で睨み付けた。

「す、すみません!」

 それは木箱を運ぶ少年。襤褸のフードを被っており、イルカがそれを乱暴に外すと怯えたカワウソの表情があった。

「貴様も荷役か?」

「え、あ、は、はい! ほ、ほんとです、嘘じゃありません!」

 動揺する子供にイルカは作業員達を見回した。彼らは緊急で招集されたのか、老若男女問わず白い息を吐いて運搬作業にあたっていた。

「フンッ、だから発展途上の国は嫌いなんだ。ほら、さっさと行け」

 イルカは鼻息荒く子供を手であしらった。子供は木箱を大事に抱え、逃げるようにこの場をあとにした。

 

 パポップは雪の降りしきる中、防寒着も着ずに魚市場で聞き込みをしていた。

「あのガキどもはなあ、俺達もどこで暮らしてるかは分からないんだ。近くの配水管やら崖の割れ目に出入りしてるらしいが、生憎大人は通れないんだ」

「なぁるほどねぇ。少し調べて見た方がよさそうかな」

「あんたは尚更通れないだろ」

 即座に突っ込まれたパポップは「分かってるよ~」と若干ふて腐れながら、再び市場を散策し始めた。

 しばらく歩いていると、人混みの中に小さなカワウソが木箱を運んでいるのを見かけた。彼はすぐさま、自分なりにバレないようカワウソの跡をつけていった。

 更に歩くこと十数分。途中白くなった森林を抜けると崖下にやってきた。カワウソはそこの小さな洞窟に入っていき、パポップは近くの物陰に隠れた。洞窟からはバリッバリッと何かが剥がされる音などが聞こえ、少しすると物音は完全に消えた。

 パポップは、忍び足で洞窟に近付き中を覗いた。蓋の壊された木箱と、その先の小さな裂け目が視界に入った。

「こりゃ、さすがに無理かぁ……。仕方ない、ここで体得出来るか試そっと」

 唐突に彼は、目を瞑って精神統一を始めた。それから数分間、彼は微動だにせずその場に佇んでいた。

 

 

 

 カワウソ兄弟の住み処では、寒さ凌ぎも兼ねて兄が心配そうに貧乏揺すりしていた。

「兄ちゃんただいま!」

「セデリ、朝っぱらからどこ行ってたんだ。今日分の食糧はあったはずだぞ」

「へへーん」

 にやにやする弟に兄は、

「何かあったのか?」

「うん。今日はなんの日だか知ってる?」

「今日?」

 普段日にちを気にしない兄――そもそもここにはカレンダーがない――は、考えても何も浮かばない様子だった。

「ほら、昨年女王様がさ、また(=・・)取り入れた異星の文化だよ。冬の名物にしようって言ってたやつ」

「あっ! くすりすま(=・・・・・)だっけ?」

「クリスマス」

「そうそうそれそれ。なるほど今日はクリスマスなのか。で、それがどうしたんだ?」

「その日って、なんかプレゼントしたりするんでしょ?」

「あー、なんかそんなことも聞いたな」

 弟は嬉しそうに片手を後ろに回し、何やらごそごそすると、その手をグーにして差し出した。別の手を支えにそれを開くと、手の平には金の印章が乗っていた。

「プレゼント!」

「……セデリ、これ、どこで盗ってきたんだ?」

「あのおっきな船からだよ。これって金でしょ、だからきっと高く売れるよ」

 曇っていた兄の表情が一段と曇る。

「セデリ。前に言っただろ、もしかしたらこれはお偉いさんの大事なものかも知れない。こんなもの盗ってきて、そいつらに嗅ぎ付けられたらどうする」

「大丈夫だよ、ばれてないもん。もしかして兄ちゃん、あの船から盗るのが難しいって言って、僕が出来たから嫉妬してるの?」

「そんなわけないだろ! 四の五の言わず返しに行くぞ」

「っ! なんで、別にいいじゃん! これは僕が盗ったんだから、もう僕のものだ、兄ちゃんのじゃない!」

 セデリの反抗は止まない。聞かん坊な弟に兄も怒りを露わにし、とうとう口喧嘩を始めてしまった。

「――だからいつも兄ちゃんは!」

「お前だってちゃんと話を――」

 コツン……

「なにさ、僕だって頑張ってるんだよ!?」

「静かにっ」

「なんだよ兄ちゃんばかり偉そ――」

「いいから黙れ!」

 囁くような声、だが鬼の形相で兄は強く言い、弟はようやく口を閉ざした。

 コツン……

「兄ちゃん」と弟が兄の片腕を掴んだ。

「チッ、洞窟のどっかに大きめな隙間でもあったか。セデリ、逃げるぞ」

「……もう、ここには戻ってこれないんだね」

 悟ったようにセデリが漏らし、兄はそれに答える代わりに、ただ弟の手を引いた。

 洞窟には枝分かれした道が多数あるが、兄弟にしか分からない布石が道標となり、彼らは最善の逃走経路で一目散に走り続けた。やがて奥に光が見え、二人は外へと飛び出した――と刹那、彼らは柔らかいクッションらしきものにぶつかり弾き返された。

「意識を分離する技での追跡。さすが僕、習ったばかりなのにすぐ会得しちゃったね」と手前味噌なことを言いカワウソ兄弟を両脇に抱えたのは、超肥満のウサギ、否、パポップだった。

「ぼぼ、僕らは何も悪いことしてないよ!」

「違――すみません、ちゃんと品物は返しますから!」

 じたばたする兄弟にパポップは「大丈夫、僕は味方だよ」と語りかけたが、なかなか言うことを聞かず、宥めるのには苦労した。

 二人が落ち着いたところで、パポップはようやく彼らを降ろした。

「大丈夫?」

「はい……あの、あなたは?」とカワウソの兄。

「僕はパポップ。君達を守るよう女王様から依頼されたんだ。……でも、どうやら遅かったみたい」

 パポップは周囲を一瞥した。洞窟のある崖とは反対側の森林は、雪化粧してる以外至って自然に見える。が、見計らったかのように茂みからはぞろぞろと屈強な男達が現れた。何人かは銃を構えている。

「ついてくるんだ」

 集団の一人が命令し、パポップ達は彼らに従った。

 

 連れて来られたのは、港に停泊しているあの巨大船舶だった。その中の広い倉庫に入ると、離れたところに白スーツ姿のイルカの背中があり、こちらを振り向いた。サングラスをしており表情は読みにくいが、かなり冷静に、だが内側に煮えたぎる怒りをパポップは感じ取り、生唾を飲んだ。

「私としたことが、子供に大事な印章を盗まれるとはな。裕福な国にいたおかげですっかり危機管理が鈍ってしまった」

 道中で取り返された金の印章を手に、イルカは語り始めた。

「こいつはな、この国と契約するのに欠かせないものだ、分かるか? ウィラー女王の異星かぶれにはホトホトうんざりするが、これはその異星の文化を取り入れた代物なのだよ。そこのガキどもはともかく、貴様にはこの重要性が分かるまい」

「お生憎様。僕も知ってるよ。それが、その異星の中でもごく限られた地域の文化であることも」

「ほう。その見た目は真相を隠すための(=すべ)というわけか」

「そうでもないよ」

 普段のパポップ節が若干現れつつも、後ろに控える手下達と張り詰めた空気に彼は神経を尖らせていた。

「しかし残念だ。どうやら貴様の使命は我々の国王(=・・・・・)への執行と、ガキどもの護衛にあるらしいな」

「あれ、王様のことはバレたかぁ」

「その図体が目立たないわけがない。貴様をここで見た瞬間、原因がはっきりした。本来なら一目で察知すべきだったが……しかし結末がどうあれ、国王が存命する限り私はその(=めい)に従うのみ」

「で、どうするつもり?」

「こうするのさ」

 一瞬の出来事だった。気が付くとセデリが、激しい破裂音と共に後ろへと倒れた。兄は跪いて弟に呼びかけるが、反応はなかった。イルカの片手には煙を吐く銃。

 パポップの表情が一変した。手にグッと力が入ると、握り拳の隙間からはくすんだ赤い液体が垂れ落ちた。

「私はガキだろうと容赦しない。貴様も命が惜しけりゃ――!」

 イルカはとっさに身構えたが遅かった。誰一人として目撃出来ていない寸時に、距離のあったパポップが虚ろな表情で彼の目の前に立ち、構えた銃の手を鷲掴むと、いとも容易く銃口が彼の顎下に向けられた。

「貴様……ど、どうやって……」

 パポップの両眼は、遠くを見るようだった。

「君は、生かす時間すら与えるに及ばない」

 イルカの脳天から、一筋の「赤」が迸った。(=むくろ)と化したそれは、放られた荷物のように地面に崩れ落ちた。

 呆然とする手下達に向かい、踵を返したパポップが開口する。

「みんな、死ぬ?」

 冷酷無比な様相のウサギに、彼らはガタガタと震えながらその場で硬直していた。パポップは、イルカから奪った銃を彼らに向けた。

「う、うぁあっ――!」

 手下達は我先にと倉庫から去って行った。しばらくのあいだ、彼らの喚き声が轟いていた。

「そこの君」

「は、はい!」

 カワウソの兄は、見下ろすパポップに腰を抜かしながら答えた。

「早く病院へ。まだ弟は助かる」

「わ、分かった!」

 兄は弟を抱え、急いで外へと出て行った。

 パポップは、彼らの後ろ姿を見送り、自分も静かに倉庫を出た。だが出口とは反対方向の廊下を進み、奥の大きな二枚扉をあけると、その室内に足を踏み入れていった。

「……ぐぷぅ……ぶぷぅ……」

 苦しそうな息遣いの中に、何か食む音が混じっている。それを発する誰かが、侵入者の気配を察して喋り始めた。

「だ、だれだ」

 無言で突き進むパポップ。やがて目の前に、原型を留めていないアライグマが出現した。パポップを何倍、いや、十倍以上太らし、食べ滓を全身に鏤めた醜い姿。汗などを交えた強烈な臭気もあり思わず顔を背けたくなる。

 アライグマはパポップを瞳孔で捉え、そして開いた。

「おま、おまえ、ば……!」

「……」

「だ、だのむ……だずげ、でぐれ……もっど、おうで、ありだ、いんだ」

 パポップは、静かに口を開いた。

「君には、その姿がお似合いだ」

 冷淡な発言に、異国の王を名乗るアライグマが乞うた慈悲を阿鼻叫喚に変える中、パポップは無心で部屋を去り、船を降りた。すると船は意思を持ったかのように動き出し、やがて地平線の彼方へと消えていった。船内では、アライグマの声が大きな慟哭となり、次第に音が窄まると、遂にはそこに無が訪れた。

 

 

 

 雪が深々と降っていた。だがそれは窓越しの話。カワウソの兄は、病院のベッドで目を閉じる弟を心配そうに見つめていた。

 ふと、弟の瞼がゆっくりと動き出す。

「セデリ!」

「……に……ん」

 か細い、だが確りと声を発し始めたセデリ。

「……にい、ちゃん」

 顔を横に向け、弟は目を赤くした兄と対面する。

「だ、大丈夫か?」

「うん……」

 兄は、目に涙を湛えながら息を呑み、こう喋りかけた。

「セデリ、本当にごめんな。俺が不甲斐ないばかりに……せっかくのクリスマスなのに、プレゼントどころかこんなになっちまって」

 すると弟は、笑顔で首をゆっくりと横に振った。

「ううん。プレゼント、貰ったよ」

「えっ?」

「この、あったかいベッド」

「……はは、そうか」

 兄は泪と一緒に言葉も流れ出てしまい、これ以上何も言えなくなってしまった。だが今は、お互いの笑顔だけで充分だった。

 

「新聞によると、あのベギング王国に契約をせがんできた国王は実は相当な悪人で、その代償として自らが犯された、だってよ。まあ何たる醜い亡骸だこと」

『新聞も、面白いこと書くよね……』

「ああ。なんだパポップ、元気がないな」

『うん……』

 いつもなら巨大エレベータでは軽快なトークが弾むが、今回は終始会話のラリーが続かず、ほんの数回でエレベータが地下の基地に到着し、パポップが無言で降りていくのを防犯カメラが捉えていた。

 防犯カメラは、巨大エレベータだけでなく、この地下基地全体に設置されている。パポップの部屋もその一つだが、そこに映されていたのは、一切手が付けられていないご褒美のケータリングだった。

「……これは、とうとう来てしまったか――」

 

 

「――実はあの子達なんですが」

 キツネの女王は腹を括り語ろうとしたが、食べ物を詰めたパポップの口に遮られた。

「あ、本当に答えなくてもいいよ。ぶっちゃけそれについても、ちゃんと調査済みだから」

「え……。全て、お見通しなのですね」

「うん。まず『ヘイハイズ』についてなんだけど、これは僕達(=・・)の星の歴史から引っ張り出したものだよね」

「そのとおりです。ヘイハイズとは、あの『黒孩子』のことです」

「だけど、実際は違かったんだね。まさかヘイハイズの『ズ』が、英語の『の』にあたるやつだとは思わなかったよ」

 目を見開いた女王に、パポップを続けた。

Heihai's(= Foundling=ヘイハイズ・ファウンドリング)、つまりヘイハイの捨て子。そうと分かった時、ほんとビックリしちゃったよ、色々とね」

 女王は窓からの夜景を眺めた。

「あなたには驚かされるばかりです。もう私の身の上は赤裸々ですわね。こうなりますと、どこまで知っているのか教えて頂きたいですわ」

 パポップは、咳払いで喉の調子を整えてからそれに応えた。

「鍛冶屋の方は、さぞかし立派だったのでしょう。あの兄弟があそこまで逞しく生きているのですから」

「ですが私は罪深いキツネです。前王の次男と婚約していながら、そのお方と交わってしまったのですから」

「そういうこともあるよ。それに次男は次期王様の兄を殺し、止めに入ったその方をも殺し、王室最高刑の流刑のあとには、あんな形で国を発展させた上に契約を強制してくるんだもの。そんな彼とは交わらないのが正解だし、僕が手を下してまたまた正解。もし一つでも不正解があれば、ウィラー女王の未来には不幸しか残らないよ」

 女王はパポップの方を振り向き、おもむろに聞いた。

「本当に、あなたは何者なの?」

「単なる殺し屋だよ。大食らいのね」

 パポップは用意された料理を全て食べ尽くし、満足げにナプキンで口を拭いた。そしてゆっくりと腰を持ち上げた。

「仕事に取りかかるのですね」

「うん。それとそう、なんか今の地位を気にしてるようだけど、そんなの無用だよ。一族で治め続ける王国なんていつか破滅するし。それに国民達はまだ戸惑ってるだけで、慣れれば孤児院だって設立出来るよ。まっ、最終的にはウィラー女王の人望になっちゃうけど?」

 去り際のこの一言に、女王は気が晴れたのか嬉しそうな笑顔でパポップを見送った。入れ代わり部屋にやって来た執事のクワガタにとってそれは、女王になって以来初めて見せた笑みだという。

 

 

    第二話 完


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